2021.12.20

「リスクと向き合うために伝える」ということ――日本リスク学会グッドプラクティス賞受賞講演

服部美咲 フリーライター

社会

2018年に発足した『福島レポート』が、日本リスク学会のグッドプラクティス賞に選ばれました(http://www.sra-japan.jp/cms/award-2021/)。

以下、2021年度日本リスク学会ウェブサイトより選考理由を引用します。

福島レポート(https://synodos.jp/fukushima-report/)は、編集長である服部美咲氏のもと、福島第一発電所事故以降に得られた科学的・社会的知見を、様々なリスクの視点から、多岐にわたり、頻度高く、分かりやすく発信してきた。英語による発信もなされていて、海外の方が福島の暮らしと現状を知る重要なソースとなっている。科学的・社会的知見の共有をもって目指すべき社会を問うというジャーナリズムの礎をもって、福島県に住む人々の生活を支え、ウェルビーイングの向上に資するものと言える。なお、20216月には、記事を再構成し、新たに書きおろされた内容を追加して「東京電力福島第一原発事故から10年の知見:復興する福島の科学と倫理」(著者:服部美咲)が丸善出版より出版された。
以上より、リスク学の社会実装や普及にかかる顕著な実践的活動であると認められるため、グッドプラクティス賞に相応しいと考える。

【2021年度日本リスク学会グッドプラクティス賞Synodos/福島レポート
代表 服部美咲氏(福島レポート編集長)「福島第一原発事故以降の科学的・社会的知見の発信(福島レポート)」選考理由より抜粋】

今回は、受賞にあたっての講演内容を、一部補足しながらご紹介します。

住民の健康を守るための選択が引き寄せたリスク

東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、福島の住民は、さまざまな選択を強いられました。中でも大きなもののひとつが「避難」でした。一時は16万4000人を超える人々が生まれ育った故郷を離れ、仮設住宅、あるいは遠くの親類などを頼り、避難生活を余儀なくされました。日本では未曾有のことです。

避難は、住民の命や健康を、放射線のリスクから守るための選択でした。

その後、10年間調査・研究が積み重ねられた結果、福島第一原発事故による放射線の量は、住民の健康に影響を与えるレベルではなかったことが明らかになりました。しかし、それでああよかった、では終わりませんでした。

福島第一原発事故による放射線の健康リスクは低いものでした。一方、そのリスクを回避するために選択された避難による健康影響が深刻なものであることも、同時にわかったのです。

それまでの日常をある日突然断ち切られ、慣れない場所で生活を始めなければならない。そのことによる精神的な健康影響、たとえば自殺に結びつきかねないうつなどのリスクが増加しました。脂質異常症などのメタボリックシンドロームや糖尿病といった生活習慣病のリスクも増加しました。

福島第一原発事故による放射線の健康リスクを低減しようとして行われた避難という選択は、結果的にはほかのさまざまな健康リスクをたくさん引き寄せてしまいました。

甲状腺検査は「良い検査」か

福島第一原発事故による放射線の健康影響の中で、特に心配されたのは、子どもたちの甲状腺がんのリスクの増加でした。1986年のチェルノブイリ原発事故後、周辺地域の子どもたちの中に、甲状腺がんが1万9000人以上も見つかっている、という歴史的経験があったためです。

住民の不安の声を受け、福島県は2011年10月に甲状腺検査を始めました。

検査を始める段階では、福島第一原発事故によって飛散した放射性物質の量や住民の放射線被ばく線量は、チェルノブイリ原発事故のときに比べると、桁違いに少ないことがわかっていました。したがって、チェルノブイリ原発事故の後のように、子どもの甲状腺がんがものすごく増えるというようなことはない、とも予想されていました。

もし原発事故による放射線被ばくによって甲状腺がんにかかる方が増えるとしても、少なくとも原発事故から1年以内にがんが発生するとは考えられませんでした。チェルノブイリ原発事故後に甲状腺がんが多く見つかるようになったのも、原発事故から4,5年経った後のことでした。

また、従来の甲状腺がんの罹患率は、100万人に対して1~2人程度とされていました。

これらのことから、甲状腺検査の対象者約38万人全員を検査したとしても、実際にはほとんどがんは見つからないだろう、と、検査を始めた当時は予想されていたのではないかと考えられます。

さらに、甲状腺検査は、首元に超音波機器をあてるだけ、という非常に侵襲性の低い検査です。

検査をして甲状腺がんがほぼ見つからず、住民の不安が解消され、そして侵襲性も低いのであれば、すなわち住民が傷つくリスクが低いのであれば、甲状腺検査はとても良いものであったはずでした。

甲状腺検査が引き寄せた「過剰診断」のリスク

ところが、実際に検査を始めてみると、一回目の検査(2011年~2013年)の段階で、約38万人の対象者に対して116名もの方に甲状腺がんが見つかり、そのうちのほとんどが手術を受けるという事態になりました。

何が起きたのでしょうか。

実は、甲状腺検査がはじまって3年後の2014年に、韓国から衝撃的な報告がありました。甲状腺検査では「過剰診断」が起きるというものです。韓国で、無症状の集団に対して超音波で甲状腺検査を行なったところ、たくさんの甲状腺がんが見つかりました。ところが一方で、甲状腺がんの死亡率は変わらなかった。つまり、甲状腺検査は、検査して発見さえしなければ多くの方が気づかずに一生を過ごすような、生命予後に関係のない甲状腺がんをたくさん発見してしまう、ということがわかったのです。

福島の甲状腺検査でも、この過剰診断が起きていると考えられます。

甲状腺検査は、子どもたちの健康を守るため、不安を解消するためにはじめたはずのものでした。しかし、実は子どもたちのあたりまえの日常、検査さえなければ健康な人として過ごせていたはずの日常を奪ってしまう、大きなリスクを引き寄せてしまっていることがわかりました。

リスクの存在を住民が知らない

過剰診断は、本来必要がなかったはずの手術などの治療のほか、社会心理的問題など、多くの不利益を患者にもたらします。

甲状腺がんのスクリーニングを行なうとたくさんの過剰診断が起きるという韓国の報告は、欧米の臨床医学のトップジャーナルに掲載され、学会でも議論され、世界中から同様の報告が相次ぎました。

このことは、当時の県内の専門家会合でも話し合われました。しかし、県民の多くは、英語の論文に直接あたる余裕もありません。2014年にはおろか、今現在でも、甲状腺検査には過剰診断というリスクがあることを知らない、という状況であることがわかっています。

福島県立医科大学が2018年に行ったアンケート調査によると、甲状腺検査対象者の保護者の80%以上が、甲状腺検査にメリットとデメリットがあることを知らない、ということがわかりました。甲状腺検査が学校で行われているために、対象である子どもたちや保護者の方々が、身体測定と同じ、当然受けるべき検査であると捉えているということが大きな理由と考えられます。また、過剰診断という概念そのものが難しいという問題もあります。

これに対して、とにかく伝えなければならない、リスクの存在を知らせなければならないと考え、『福島レポート』では甲状腺検査についての情報発信を行なってきました。専門家の声、人の「顔」のみえる情報は伝わりやすいと考え、「インタビュー・寄稿」というかたちでの記事を多く作成しました。また、「基礎知識」というコーナーでは、英語の論文や専門家会合で話し合われた内容などを、1000字前後でできるだけ平易に解説しました。

『福島レポート』では、甲状腺検査だけではなく、放射線やその影響にかかわる情報、住民が生活する上で必要な知識を解説してきました。そのいくつかは英訳もし、海外への情報発信にもつとめてまいりました。現在日本語の記事は116本、英訳記事は12本になりました。

今の福島の住民の方々が、生きるために必要な情報を、できるだけ伝わるかたちで、伝えていきたいと考えています。

プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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