2022.04.26

企業が環境を守るための4つの方法――環境倫理学の視点から

吉永明弘 環境倫理学

社会

はじめて学ぶ環境倫理 未来のために「しくみ」を問う

ちくまプリマー新書

昨年の12月に筑摩書房から『はじめて学ぶ環境倫理』という本を上梓した。この本は高校生向けに環境倫理の論点を紹介したもので、将来世代に良好な環境を残す責任、生物種の絶滅を防ぐ責任、都市に古い建物を残すべき理由などについて論じた。環境問題というと「遠い話」に思われがちだが、それを「身近な話」に引きつけて説明したのがこの本の特徴である(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684165/)。

環境問題というと地球温暖化(気候変動)を思い描く人が多いだろうが、この本で温暖化問題を取り上げているのは8つの章のうち第3章だけである。環境問題には他にもさまざまなテーマがあり、それらの重要性を示したつもりである。だからといって、地球温暖化が些細な問題であると言いたいわけではない。地球温暖化が現在の環境問題の中心的なテーマであることは間違いない。

第3章では「地球温暖化はなぜ止められないのか」という問いを立て、世界的には「産業界に甘く、消費者に負担を強いる政策」が続いていること、さらに日本では「解決のための社会的アクションを抑制する傾向」が見られることが、地球温暖化を止められない原因であると主張した。

このうち、「解決のための社会的アクションを抑制する傾向」があるという点は、この本の全体を貫く問題である。環境倫理という言葉自体が「個人の心がけの改善」という意味で理解されているが、そうではなく、環境倫理は、問題解決のための社会的アクションを起こし、社会の「しくみ」を変えることを訴えるものなのである。

この点については拙著をお読みいただくことにして、本稿ではもう一つの「産業界に甘く、消費者に負担を強いる政策」が続いていることが地球温暖化の解決を妨げているという点について追加的な議論を行いたい。

環境保全は消費者ではなく企業の責任だ

第3章では『グリーン・ライ:エコの嘘』(ヴェルナー・ブーテ監督、2018年)という映画に基づいて、企業の「グリーンウォッシング」(うわべだけ環境保護に熱心なようにみせかけること)を問題にした。映画では「持続可能なパーム油」の認証制度が槍玉に挙げられている。この認証がなされたパーム油はエコだろうと思って消費者は買うわけだが、パーム油は熱帯林を破壊して作られているので持続可能なパーム油というのはありえない、これはグリーンウォッシングだ、ということになる。

拙著ではさらに、こうした認証制度によって「エコ商品」がつくられ(そしてそれは割高で販売される)、「エコ商品」を選ぶことを消費者の義務とすることを問題視した。1990年代の『地球を救うかんたんな50の方法』から近年の「エシカル消費」にいたるまで、環境保全のために消費者がエコな消費をするよう促されているが、どの商品がグリーンウォッシングではなく本当にエコなのかを見極めるのは難しく、そしてたいへん面倒なことである。

それに、地球温暖化問題が解決しないことを、「エコ商品」を買わない消費者のせいにするのは間違っている。むしろ商品をつくるために環境破壊を行っている産業界に問題があり、映画のなかでテキサス大学のラージ・パテル教授が述べているように、企業の環境破壊を法律で取り締まることのほうが適切な対応であろう。

『はじめて学ぶ環境倫理』ではこのように論じた。しかし、だからといって、すべての企業活動が環境破壊的であると言いたいわけでない。ポイントは、企業活動の中には環境破壊的なものがあり、それを個別に取り締まるべきだということである。ここでは企業活動を本来的に悪と見なして否定する立場には与しない。企業が環境保全の役割を担ってきたことも多く、そのことはもっと賞賛されるべきだと考える。SDGsには企業に環境保全のための活動を促すという含みがあるが、企業はSDGsのために慌てて新たな環境保全活動をする必要はないかもしれないのだ。

環境倫理学とその周辺では、企業が環境を守るためのヒントがいくつか示されている。以下では、それらを「企業が環境を守るための4つの方法」として提示してみたい。

方法1 良いことをしようとするのではなく、悪いことをやめる

環境倫理学には「環境正義」(環境をめぐる公平・不公平)というテーマがある。米国では人種差別と結びついて「環境レイシズム」と呼ばれる状況が存在している。具体的には、有色人種の居住地域に廃棄物処理場などの「迷惑施設」が集中的につくられることを指す。

米国の環境正義の基本文献は、K.Shrader-Frechette Environmental Justice: Creating Equality, Reclaiming Democracy(Oxford University Press, 2002)である。この本は長らく未邦訳だったが、この2月に勁草書房から『環境正義――平等とデモクラシーの倫理学』として訳書が刊行された(https://www.keisoshobo.co.jp/book/b599232.html)。

この本の第6章(分担訳者は青田麻未)に、ナイジェリアで石油開発を行っている企業が現地でひどい環境破壊を行っているようすが描かれている。その企業は、石油開発によってオゴニ族の土地を汚染し、爆発事故などで彼らの家や命を奪った。天然ガスの焼却処分によって発生した黒い煤は、植物と動物を殺し、大気、水、土壌を汚染し、酸性雨を降らせた。さらに石油の漏出事故まで起こしたが、その際に40日間も何の修理もせずに石油を垂れ流したという。その企業の石油からの収益はナイジェリアの軍事政権に還元され、オゴニ族には還元されなかった。

一方でその企業は、ナイジェリアに学舎を建設したとか、地元の高校生や大学生に奨学金を与えてきたとか、子どもの予防接種の資金を支払ったということを自慢している。しかし、自らの事業と直接関係のないところで慈善活動を行っても、自らの事業による環境破壊によって苦しんでいる人々は救われないし、汚染された自然も改善されはしない。慈善活動は環境破壊行為を帳消しにはできないのである。こうした企業が第一にやるべきことは、環境破壊を伴う事業をやめることだ。それこそが最も優れた環境保全活動であろう。

方法2 すでに行っている環境保全活動をやめずに、存続させる

このように書くと、これはやはり企業批判の論考ではないかと言われそうであるが、先ほど述べたように、すでに環境保全の役割を担っている企業も多く、そのことを積極的に評価すべきだとも考えている。

この点については、岡部明子氏が『時の法令』(1747号、2005年)に書いた「CSRの足元」というエッセイが参考になる。そのなかで岡部氏は、大企業の社宅に伴う「グラウンド」が東京の貴重な緑地として機能してきたと評価している。そしてこうしたグラウンドがコスト削減のために売却されて宅地化されるという事態に至ったとき、地域住民が「この大きな緑が地域共通のかけがえのない宝だった」ことを思い知り、「戦後の宅地化の波の中で緑を守ってきた企業に感謝の気持ち」をもって、「企業と住民が共同で」緑地を守っていきましょうと訴えたと記している。

このような事例から、岡部氏は「日本の企業風土に根座したCSRの伝統」がここにあるのであって、グローバル化したCSRの波に浮き足立ってこうした伝統を失ってはならない、と述べている。

この論考のCSRをSDGsに置き換えれば、企業がSDGsのために何をすればよいかが見えてくる。つまり、SDGsのために新たに何かをする必要はなく、これまで行ってきた優れた取り組みを「やめない」ことがSDGsにつながる最短の道なのである。企業はこうした取り組みをSDGsの取り組みとしてカウントすべきであり、国や市民はそれを正しく賞賛するべきだと考える。

方法3 「能率」ではなく「効率」に価値をおく

ここで、企業が自らの事業を環境保全的なものにするためにどのような指針をもてばよいのかを考えてみたい。そのヒントとなるのが、河宮信郎氏が『必然の選択――地球環境と工業社会』(海鳴社、1995年)のなかで示した「能率」と「効率」の区別である。河宮氏の区別によれば、「能率」は「時間当たりの仕事量」を意味する。それに対して「効率」は「資源当たりの仕事量」を指す。「能率がよい」というのは、一定時間内にたくさんの仕事をこなした、ということであり、「効率がよい」というのは、わずかな資源でたくさんの仕事ができた、ということになる。

すべてがそうとは限らないが、時間の節約を求めると資源をたくさん使うことになる(能率を追求すると効率が悪くなる)。また、資源を節約すると時間をたくさん使うことになる(効率を追求すると能率が悪くなる)。

言うまでもなく、環境保全を考えるならば、効率を重視すべきであろう。そのためには能率を犠牲にすることになる。企業が環境保全に本気で取り組むのならば、「能率重視から効率重視へ」というのが一つの指針となるだろう。資源を保全するためにスピードを犠牲にすることになるが、環境を守るために価値観を転換するとはそういうことである。

方法4 環境NGO・NPOと協働する

最後に、企業が手軽にできる環境保全の取り組みについて述べる。1998年に「特定非営利活動促進法」(NPO法)が施行されて以降、環境NGO・NPOは反対運動を行う団体だという認識はなくなり、今では環境保全について詳しい団体として国や自治体からも頼りにされている。同様に、企業が環境保全活動を行うのであれば、環境NGO・NPOにアクセスすべきである。プロジェクトを行うにあたって環境NGO・NPOからの助言は非常に有益なものとなるだろう。

本業で手が回らない場合には、環境NGO・NPOに寄付をするだけでもよいだろう。一般に、倫理学はお金で買えない価値を重視する。しかし、だからといって、お金の意義を否定することはないし、お金が力を発揮することも認識している。「ナショナル・トラスト」という、土地を買い取って保全する環境運動もある(「日本ナショナル・トラスト協会」のサイトhttp://www.ntrust.or.jp/を参照)。環境NGO・NPOへの寄付は環境保全に対する大きな貢献になるだろう。

プロフィール

吉永明弘環境倫理学

法政大学人間環境学部教授。専門は環境倫理学。著書『都市の環境倫理』(勁草書房、2014年)、『ブックガイド環境倫理』(勁草書房、2017年)。編著として『未来の環境倫理学』(勁草書房、2018年)、『環境倫理学(3STEPシリーズ)』(昭和堂、2020年)。最新の著作は『はじめて学ぶ環境倫理』(ちくまプリマ―新書、2021年)。

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