2022.06.09

マスク考――我々はマスクをはずせるのか?

田中辰雄 計量経済学

社会

世界的に新型コロナの感染者数は落ち着いてきており、経済活動は再開されつつある。そのなかで、日本が大きく欧米と異なるのはマスクをつけ続けていることである。すでに政府は屋外で会話がない場合ははずしてもよいと述べ、熱中症の危険からむしろマスクをはずしてはどうかという意見もある。しかし、現状でほとんどの人がマスクをつけている。マスクはいつまで続くのだろうか。今後の見通しはどうなのだろうか。

日本ではそもそもマスクをすることは公式な義務ではなく、政府・医療者・マスコミからの推奨として出され、それにこたえる形で自主的に行われた。欧米ではマスク着用が義務であったため、義務が解除されると一斉にマスクをはずす行動が見られた。しかし、日本は自主的に行っているためマスクをつけるのも、はずすのも人々の気持ち次第である。いくら政府が屋外ではずしてもよいと言っても人々がつけたければつけ続ける。

ことの推移は人々の意識次第なので、アンケート調査で調べるのが適切である。そこで簡単な調査を行ったのでその結果を報告する。調査は2022年5月27日、15歳から79歳までの男女2000人対して行った。調査会社Freeasyによるウエブモニター調査である。年齢別、男女別に均等に割り当てをおこなった。

結果は以下のとおりである。自分あるいは相手にマスクをはずすこと認める人、いわばマスクの部分緩和派が4割強存在する。それでも全員がマスクをつけ続けているのは、全員がマスクをつけている状態で一人だけマスクをはずすことが困難だからと考えられる。このままいくと、マスクをつけた状態が年内あるいは来年まで続く可能性がある。

注目すべきは、10代ではマスクをつけていたい人が飛びぬけて多いことである。これはコロナ感染対策ではなく、学校入学以来マスクを着けているので、マスクが顔になってしまい、はずすことができなくなったからと考えられる。人格形成期である10代に、素顔での交流の機会が奪われてしまうのは良いことではない。

マスクをはずしていく方法として、部分緩和派の人が「マスクなしでもよいです」というマークをマスクに貼る案が考えられる。出会った相手がマークをつけていればマスクをはずすことができる。社会の中にマスクをはずして談笑する場面が少しずつ広がってくれば、同調圧力は和らぎ、マスクをはずす道が開けてくるだろう。

1.マスクをつけていたいか、はずしたいか。

まず、人々は現時点でマスクをはずしたいと思っているのか、つけていたいと思っているのかを聞いてみよう。この問いで注意すべきなのは、マスクをはずすかどうかは相手のいる話なので自分一人ではきめられないことである。自分ははずしたいと思っても相手がはずしてほしくなければつけるのが現時点のマナーであろう。そこで、次のように問いをたてた。

1は自分はマスクをつけ、周りの人も付けていてほしいという意見で、いわばマスク維持派である。コロナの不安を感じる人はこれを選ぶだろう。2は自分はマスクをつけるが周りははずしてもよいという意見であり、はずすことを許容する姿勢が出ている。3は自分ははずしたいが、周りはつけていてもよいという意見で、穏健なマスクはずし派である。4は強硬派で、自分はマスクをはずしたいし、周りの人にもはずしてほしいという意見である。2から4までは相手あるいは自分にはずすこと認めるので部分緩和派とみなせる。

この4つから選んでもらった結果が図1である。なお、この問いで「周りの人」を「個人的に出会った相手」、すなわち仕事や知人、友人などに変え、立ち話、お店での雑談などをするときを想定してもほぼ同じ結果が得られるので、周りの人とは街中の人以外の、出会って話す人も含めて考えてよい。

図1

図1をみると、マスク維持派が42.8%で最も多い。部分緩和派は一つ一つは小さくて10~20%程度であるがあわせると47.1%になり、拮抗する。

この結果はいろいろに解釈できる。マスク維持が多数派なので、現状が維持されるのは当然というのが一つの解釈である。とくに自分はつけていたいという人は1と2をあわせると、6割を超えるため、マスクをし続ける人が多数派になる。したがってマスクをする方が優勢になるのは当然の結果である。

しかし、部分緩和派が4割強ほど存在する。彼らは自分ははずしたいと思っているか、あるいは自分はつけたままでも相手ははずしてよいと思っているのであるから、部分緩和派だけが集まればマスクははずすことができる。そういう人が4割いるならマスクをはずすことが一部で起きてもよさそうなものである。が、実際にはそうはならず、ほぼ全員がマスクのままである。

これは、いま目の前にいる相手がマスク維持派か部分緩和派かがわからないためと考えられる。マスク維持派の人の前でマスクをはずせば相手に不安を与えることになり、望ましくない。それを避けようとすれば、マスクをつけざるをえない。いま目の前にいる人が部分緩和派かマスク維持派かわからない以上、マスクは続くことになる。

これはゲーム論でいう複数均衡の問題ととらえることができる。ゲーム論には逢引のディレンマというのがある。二人の恋人が映画に行く約束をしたが、渋谷の映画館か新宿の映画館かを決めなかったとする。同じ映画館に行けば会えるが違う映画館に行くと会えなくなる。同じ映画館で見れば2だけの効用(満足)、違う映画館で観た時の効用を0とすると、下の図2(a)のように書ける。カッコ内は二人の効用である。望ましい均衡は二人とも同じ映画館にいくことで、それは二つあるが、事前に情報がないと実現できない。

図2

二人だけでなく大勢になると一つの均衡から他の均衡に移れないという問題が発生する。図2(b)はエスカレーターに乗るときに右側を空けて乗るか、左側を空けて乗るかの選択である。エスカレータに乗るとき、急ぐ人のためにどちらかをあけておくことは全国で広く行われているが、関東は右を空け、関西は左を空けている。どちらもその地域では均衡でありそこから動くことはできない。一人だけ反対に立つとぶつかってしまい迷惑なだけだからである。いったん決まった均衡から他の均衡に移行するのは難しい。

マスクの場合も、全員がつけている状態から一人だけ外れてはずすことは難しい。4割の人が相手にもつけていてほしいと思っている状況でマスクをはずせば、確率4割で人に不安を与えることになるからである。5人集まったとして、そのなかに一人以上マスク維持派がいる確率は非常に高くなる。かくして現状ではだれもマスクははずせない。現在の日本でマスクが続いているのは、このような人々の「合理的な」判断の結果と考えられる。

この状態は変わるのだろうか。マスク維持を望む人はいま4割であり、これが3割、2割と下がっていけば変わる可能性が出てくる。しかし相当に下がらないと均衡のシフトは起こらない。

さらにこの比率は、これからもあまり下がらない可能性がある。調査の回答者からランダムに選んだ243人に、マスクについての今後の方針を尋ねてみた。マスクについて「そろそろ外していく」から、来年、あるいはずっとつけていくまで段階を分けて望ましい方針を尋ねた。結果は図3である。国の方針としてマスクをどうしたらよいと思うかを尋ね、次にあなた自身の方針としてどうしたいかを聞いた。青が国としての方針、赤が個人としての方針である。

図3

国としての方針であれば30.9%が「そろそろはずしていく」と答えている。「夏ぐらいからはずしていく」の21%を合わせれば、ほぼ半分の人が国の方針としては夏からははずしていくのことが望ましいと考えていることになる。

しかし、個人としての方針となると、状況は一変し、そろそろ外していくと答えたのは18.8%に過ぎない。驚くべきことに「ずっとマスクのままでよい」が28.7%も存在する。わからない/どれでもないの23.3%を積極的にマスクをはずす意思がないと解釈すると、半数近くの人が、個人としてマスクをはずす方針を明確には持っていないことになる。

複数均衡のひとつから脱出するためにはかなり多数派が態度を変える必要があるが、それには及びそうもない。このままの状態が続けば今年いっぱい、あるいは来年もマスクをし続ける可能性が高い。日本においてマスクをはずす道は見えてこない。

それでよいのだろうかという疑問が出るところだろう。このままでいくと日本は常時マスクをし続けるマスク民族になりはしないかという危惧が頭をよぎる。

考えようによってはそんな危惧は無用という意見もあるかもしれない。世界には一部のイスラム教国のように顔を隠す文化もあるし、マスクで生活に困るわけではない。マスクには化粧をしなくてよい、ひげをそらなくてよい、コロナに限らず感染症を予防するなど利点もある。また、いくらなんでも数年すればいずれはマスクははずすだろうし、そもそもコロナが完全終息したわけではない現状では、マスクをして悪いことは無い。コロナが心配な人はマスクをするのは当然であるし、現状では様子を見ればよいではないか、と。様子見でよいというのはバランスの取れた現実的な方針のように見える。

しかし、様子を見ればよい、では済まない不穏な兆候がある。それは、10代の若年層にマスクをはずそうとしない人が異常に多いという衝撃的な事実である。次節でこれを見てみよう。

2.10代はマスクをはずさない

図1のマスク維持派と部分緩和派(2から4を合わせた人)を年齢別に分けた時の比率を見てみよう。図4がその結果である。横軸は10代から60代まで年齢の代ごとにわかれており、青がマスク維持派で、赤が部分緩和派である(70代は数が少ないので60代にまとめた)。青のマスク維持派を見ると20代から60代までは右上がりで上がっており高齢者ほどマスク維持を望んでいる。新型コロナの死者は圧倒的に高齢者が多いため、高齢者がコロナを警戒してマスクをしたい/してほしいと思うのは自然である。逆い言えば年齢が若くなるほどリスクが下がるので、マスク維持派は減ってくる。

ところが10代だけは急激に傾向が逆転しており、マスク維持派が多い。マスクを維持したいと考える人46%は60代の高齢者とほぼ同じであり、となりの20代と比べて突出して高い。

図4

なぜ10代の若者がマスク維持派なのだろうか。これはコロナへの不安では説明がつかない。図5は年齢別のコロナによる累積死者数のグラフである。周知のようにリスクは高齢者になると急激に高くなる。図4と図5を比較すると、20代から60代まではリスクの大きさとマスク維持派の比率が相関しており、コロナのリスクの高い人がマスクの現状維持を望んでいると解釈できる。これは自然な結果である。

しかし、10代だけはそうではない。図5にみるように10代の死者は圧倒的に少なくリスクは少ない。本稿の対象とする10代とは15歳~19歳で高校生と大学生1~2年生であり、これくらいになれば皆この事実は知っているはずである。それにもかかわらず10代にマスク維持派が突出して多いのである。

図5

そもそも、彼らはコロナのせいで修学旅行やクラブ活動を制限されるという“被害”を受けた世代でもある。自分たちにはリスクが少ないのに活動を制限されることは不満だっただろう。そのときの理由として、高齢者の命を守るためという理由づけがされた場合もあり、いわば最も割を食った世代でもある。それがコロナが落ち着いてきてマスクをとる動きが出てきているのに、マスクをとる気持ちがないのである。これはなぜだろうか。

一つの仮説として、彼らにとってマスクが顔になってしまったという説が考えられる。入学時にマスクをしていると、それ以来ずっとマスクで過ごすことになる。教室でも、廊下でも、部活でも、友達と会うときはすべてマスクである。食事をするときも前を向いて黙食すれば友達に顔を見られない。友達の素顔をしらないまま、すでに2年以上すごしたことになる。

彼らにマスクをなぜとらないかと聞くと、マスクをとると変な顔になるからいやだと言う答えが返ってくる。人間は見えないものについては脳内補正をして良く見ようとする傾向がある。したがって、マスクをしていると美人に、あるいはイケメンに見える。そこでマスクをとると現実が露わになる。なんだそんな顔だったのか、というがっかり感が生まれ、だからマスクをとるのが嫌だというのである。

かくして、部活ではマスクをしなくてよいという通達があるのに、皆マスクをしたまま部活動をする。あるいは、オンライン授業なのでマスクをとってもよいですよと言ってもマスクをとらない。彼らはコロナ対策としてマスクをしているのではない。マスクをとりたくない、あるいはマスクをとることができないのである。これを象徴するのが「顔パンツ」という不思議な言葉である。マスクは顔にしているパンツのようなもので、恥ずかしくてはずすことができないというのがこの言葉の趣旨である。

このマスクが顔になったという仮説が正しいかどうかは中高生へのさらなる調査で裏付ける必要がある。ただ、今回のアンケート調査でも傍証を出すことはできる。

もしこの仮説が正しいのであれば、マスクをつけ続けたいという気持ちは、入学以来マスクを着けている期間が長ければ長いほど強くなるはずである。友達とマスクを通じた関係が長期にわたるほどマスクは顔の一部になり、はずしたくなくなるからである。したがって、1年生より2年生、2年生より3年生の方がマスクを着けたいと言う気持ちが強まるだろう。実際にそうなっているかどうかを見るために図1の10代の400人を1歳刻みにさらに分割してみよう。その結果が図6である。横軸は15歳から19歳まで切ってある。

図6

高校生は1年生から順に、15歳、16歳、17歳にあたる。これを見ると明らかに学年が上がるにつれてマスク維持派が増えており、マスクをつけ続けたいと言う気持ちが強まっている。これは先の仮説と適合する結果である。

とくに高校3年生にあたる17歳では61%と突出して高い。高校3年生は入学時点からマスクをつけ続けている世代であり、2年間にわたり友達とはマスクをして話したことしかない。その世代がもっともマスクをつけていたいと思っているという事実は、本稿の仮説を支持している。

また、18歳になるとこの比率が急減していることにも注意されたい。これは、現在の18歳は高校入学時にはコロナが蔓延しておらず、少なくとも入学から1年間はマスクなしで友達と交流していたからと考えられる。高校入学時に1年間でも対面で友人関係をつくっていれば、素顔のままでの交流の経験があり、マスクをはずして顔を見て話したいと言う気持ちが出てくる。しかし、最初からマスクをして友人関係を作ることに慣れていれば、もうはずそうとも思わない。これも仮説と適合的な結果である。

この仮説が正しいとして、この変化は望ましいことだろうか。すなわち10代の子供たちにとってマスクが顔になってしまうことは望ましいのだろうか。私見を述べれば、望ましいこととは思えない。

10代は人格形成期である。この時期には誰もが自我に目覚め、鏡に映った自分の顔の不出来さに悩むものである。誰にも欠点はあり、葛藤はあってもその欠点を受け入れなければならない。自分の良いことも悪いことも知って、さまざまに悩んだ末にそれらを受け入れることが思春期の成長の過程でもある。マスクをして隠してしまうと自分の顔についてはその機会を逃してしまう。

また、顔は気持ち・感情を伝える最良の表現器官である。声によるコミュニケーションが伝えるものは限られており、顔はそれよりはるかに豊かで精妙な感情の機微を伝える。人は会話の中で思わず出た顔の表情で、喜びを、好意を、あるいは嫌悪を読み取っている。顔の表情を通じた小さな傷つけあいや理解の繰り返しが人格形成期には不可欠であり、マスクで顔を覆ってしまうとその機会が奪われる。

2年以上にわたってマスクをし続けたことで、子供たちはこのような成長の機会を奪われたことになる。そのような子供が全国に大量に生まれ、マスクをはずせなくなっている。そして我々がこれからもマスクを続けるなら、同じように機会を奪い続け、マスクをはずせない子供を作り続けることになる。先に様子を見ればよいと述べたが、そういうわけにはいかない理由がここにある。

大人にとって2年は一過性の出来事でも、人格形成期の子供にとってはかけがえがない時間である。一過性のできごとにはならず、大きな傷あとを残す。コロナ最大の後遺症がマスクをはずせない子供たちというのは笑うに笑えない冗談であろう。そうだとすれば大人の責任として、子供たちのマスクをはずしていく方法を考える必要がある。

ではどうやってはずすのか。最後の節ではこれを考える。

3.マスクをはずす道(複数均衡からの脱出)

マスクをはずす方法を考えてみる。まず、もっとも直接的なのは子供たちへのマスク着用指導を止めることである。すでに部活動の時にマスクをはずしてよいとしている学校があるが、さらに一歩進めて登下校の時や、校庭で活動をするとき、換気のよい教室で静かに授業を受ける時など、マスクをはずしてよい時間を増やしていく案が考えられる。コロナによる10代の死者はきわめて少ないので、不可能な案ではない。

ただし、抵抗も予想される。保護者のなかにはコロナへの不安の念が大きい人も多く、学校でマスクをはずしてもよいと言えば反対意見が噴出するだろう。さらに、より致命的なのは、学校以外のところで大人たちが全員マスクをしているなかで、子供たちだけはずしてよいと言われてもおそらく子供たちは従わないことである。子供たちにはずしてもらうには、大人も含めた社会全体として、ある程度はマスクをはずす方向が出てこなければならない。

では、社会全体としてマスクをはずす方向に向かうにはどんな条件があればよいか。これもアンケート調査で聞いてみよう。いくつかの考えられる条件を用意して、どの条件が満たされればマスクをはずしますかを複数回答で尋ねた。対象者は個人の方針としてマスクをはずすのは夏以降と答えた人達である(図3で「そろそろマスクをはずしていく」と答えた人以外の人、190人)。結果は図7のとおりである。

図7

最も挙げられたのは「1感染者数が下がったら」と「2治療薬ができたら」であり、4割の人がこの二つを条件に含めている。理屈としてはもっともではあるが、この二つは技術的に実現するのが難しい。新型コロナは風邪の一種なので根絶は困難であり、感染者数を低い水準に保ちつづけることはできない。また風邪には特効薬がなく、コロナの治療薬といっても限りがある。この二条件は少なくともにわかに実現することは困難であろう。

これに対し、3と4は政府がその気になれば実現できる条件である。3の「コロナがインフルエンザの扱いになったら」というのが、コロナを伝染病の2類から5類に変更するということを意味するなら、政府が実施できる。4の「国がはずしてよいと言ったら」も政府に実行可能である。ただ、後者はともかく前者の5類変更は医療者から異論もあって簡単ではない。5,6は、複数均衡の脱出条件を閾値を探るための質問であるが、いずれも支持が低く、あまり参考にならない。

ここまでをまとめると、

i)子供たちへのマスク指導緩和、
ii)コロナのインフルエンザ並みの扱い、
iii)国からのマスクをはずしてよいという指示

の3つが見込みがありそうである。ただ、i)とii)には政治的抵抗があり、実行には政治決断を要する。

もう少し実行が容易な方法はないだろうか。考えてみると現時点でも4割強の人は部分緩和派である。すなわち、相手が気にしないのであればマスクをはずしたい、あるいは自分はマスクをするが相手がはずすのは気にしないという人達である。彼らだけが集まればマスクははずせる。問題なのはそれが誰かわからないことである。ならばそれがわかるようにすればよい。逢引のディレンマでは、恋人たちが携帯で連絡を取れれば難なく同じ映画館で会うことができる。同じように情報を交換できれば複数均衡から脱出できる。

そこでマスクに何らかのマークを入れる案を考えてみよう。マスクに「私はマスクなしでもよいです」ということを表すマークを入れるのである(あるいは「私はマスクをはずしたい」でもよい)。いわば自分が部分緩和派であることを表すマークである。マークはシールの形で市販すればよいだろう。集まった人たちがたまたま部分緩和派であれば、マークでそれがわかり、マスクをはずすことができる。

この案に実現可能性があるだろうか。実現するためにはある程度の賛同者が必要なので、賛同者がいるかどうかをアンケート調査で聞いてみた。次のような問いである。

結果は図8のとおりである。良い仕組みだと思うが24%存在した。あまりよい仕組みと思わないが45%で多いが、この制度は利用したい人が利用すればよいので反対者がいることは問題ではない。

図8

そもそも4割を占めるマスク維持派はコロナの危険を感じているわけで、そのような人からすればこの仕組みには賛同できないだろう。また、ずっとマスクのままでよいという人も2割程度はいて、彼らからしてもこの仕組みは無用である。それを考えれば24%はかなり高い数値である。

また、この設問はわかりやすさを優先したため、マスクに文字の書いてあるシールを張るという“かっこわるい”仕様になっており、その点からも賛同は得られにくかったと考えられる。デザインを工夫して小奇麗なマークにするなどすれば3割程度には賛同者が増えるのではないだろうか。マスクに文字を書くという珍妙なアイデアに対してすら、24%もの賛同者が集まったというのは十分に大きな成果である。

仮に3割近い人がこのマークを付けるようになれば状況は変わってくる。友人と会ったとき、相手がマークをつけていて、あなたも部分緩和派ならマスクをはずすことができる。仕事先で打ち合わせの時、相手がマークをつけていればはずすして商談ができる。喫茶店や街中でマスクをはずして談笑する人が出てくれば、社会の同調圧力はゆるまってくるだろう。

また、街中を歩いていて、マークを付けた人の比率がだんだん増えてくれば、緩和をのぞんでいる人が増えてきていることの証拠になる。「マスクなしでよいですマーク」はいわば人々のマスクをはずしたいという気持ちのバロメーターである。そこでマークをする人がある程度増えたなら、先に述べた政治的リスクの高い政策を発動すればよい。すなわち、街中のマークの比率を見ながら、学校でのマスク指導の緩和、インフルエンザ並みへの変更、国からの指示を出していくのである。

新しい均衡ではマスクをしたい人はするし、したくない人はしないでいることができる。現状のように全員がマスクをし続けることはない。

4.まとめ

コロナに収束の兆しがあり、経済は日常に戻りつつあるが、人々はマスクをつけ続けている。今後の見通しを得るためには、マスクをつけることについて人々に調査を試みた。結果は次の3点に集約される。

(1)自分はマスクをつけていたいし、周りにもつけていてほしいと思うマスク維持派が4割いる。一方、自分はマスクをつけるが周りがつけてなくても気しない、あるいは自分自身がマスクをはずしたいという部分緩和派は4割強であった。部分緩和が4割強いても全員がマスクをつけ続けているのは、いったん全員がマスクを着けている状態になるとそこが均衡になり、一人だけマスクをはずすことが困難だからと考えられる。将来についても各人の方針を見る限り、マスク維持派が急速に減ることは考えにくく、このままマスクをつけた状態が年内あるいは来年まで続く可能性がある。

(2)年齢別にみると、10代が20代などに比べて突出してマスク維持派が多い。つまり10代はマスクをはずそうとしない。これは入学以来マスクをつけたまま友達との人間関係をつくったため、マスクが顔のようになり、はずすことができなくなったためと考えられる。高校で学年があがるにつれてマスクをはずしたくなくなるのがその一つの証拠である。対面でのコミュニケーションが取れないのは子供たちの人格形成のためにも、今後のためのにも良いこととは思えない。子供たちのことを考えるとマスクははずしていく方が望ましいだろう

(3)マスクをはずしていく方法を考えてみる。部分緩和派が4割強いてもマスクをはずせないのは、相手が同じ部分緩和派かどうかわからないためである。そこで、「マスクなしでよいです」というマーク(シール)を作り、これをマスクに貼ることを考える。マークは自分が部分緩和派であることのしるしであり、出会った相手がこのマークをしていればマスクをはずすことができる。マークを付ける人が街中に増えてくればマスク緩和への気持ちが高まっていることになり、より強い政策発動(学校でへのマスク指導の緩和、コロナの5類への分類変更など)への道が開けるだろう。新しい均衡ではマスクをしたい人はして、したくない人はしないでいることができるようになる。

プロフィール

田中辰雄計量経済学

東京大学経済学部大学院卒、コロンビア大学客員研究員を経て、現在横浜商科大学教授兼国際大学GLOCOM主幹研究員。著書に『ネット炎上の研究』(共著)勁草書房、『ネットは社会を分断しない』(共著)角川新書、がある。

 

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