2022.06.14

「アルジュンさんはなぜ、取り調べ中に突然死したのか?」ーー警察による制圧行為の責任を問う

丸山央里絵 公共訴訟プラットフォーム「CALL4」副代表

社会 #法と社会と自分ごとをつなぐパブ

天井に設置された監視カメラの映像が映し出すのは、留置所にある保護室だ。窓はなく、ごく狭い。その四角い箱のような空間に人がひしめき合っている。

ネパール人のアルジュンさんを警察官16人が取り囲み、執拗(しつよう)に体を押さえつけている。両手首、腰、膝、両足首を特殊な拘束具で縛られたアルジュンさんは、まともな身動きがとれずに床に転がっている。何かを必死に訴えているようにも見える。彼はその時、ネパール語の敬語を使い、このように繰り返していたことが後日の翻訳で分かっている。

「痛い、痛い、やめてください。」

「私は過ちを犯していません。誰か人間的な人はいないのか。ああ、やめてください、旦那様。」

しかし、映像の警察官に彼の声を聞き取ろうとする意思は見受けられない。

「暴れるな!静かにしろ!」

日本語で大きく怒鳴りつける声。アルジュンさんはおびえ、ただあまりの痛みに体をよじっているだけのように見える。映像からは、痛みで顔をゆがめる彼を見下ろす警官らの笑い声が聞こえてくるーー。

これは、2017年3月15日朝の出来事だ。アルジュンさんはこの数時間後、検察の取り調べ中に突然意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。

YouTubeに上がる監視カメラ映像より(流出元は不明)

「ハンコー、ハンコー!」

ネパール人のアルジュンさんは、2011年から「技能」の在留ビザで来日して調理師として働いていた。しかし、遅くとも事件の1カ月ほど前には失業していたようだ。次の仕事を探し、東京・大久保の街をさまようアルジュンさんの姿が複数人に目撃されている。

「ホームレスで、たぶん最後は飲まず食わずという状態だったんじゃないかなと思います。」

彼の当時の足跡をたどった支援者の高橋徹さんはいう。

アルジュンさんが警察に逮捕されたのは、2017年3月14日だ。コンビニでおもちゃの子供銀行券で買い物をしようとして、店主に通報されたことが発端だった。所持品検査で遺失物届が出ている他人名義のクレジットカードが見つかったため、新宿警察署で逮捕された。アルジュンさんはカードは拾ったと供述している。

そのときから体調が悪く発熱もしていたアルジュンさんは、逮捕後に医療センターに護送された。診察を受けて戻ってからも、食事をほとんど摂ることができず、留置所で何度も嘔吐を繰り返していた記録が残っている。

そして、逮捕の翌日ーー亡くなる日の朝、6時半に起床したアルジュンさんは、布団を布団庫に戻すようジェスチャーで促された。しかしルールが分からず、布団を警察官に投げるようにして渡し、入口の開いた居室を出てそのまま帰ろうとしてしまう。日本語で注意されるが、もちろん彼には通じない。アルジュンさんは戻るまいとして鉄格子にしがみつき、警察官と廊下での押し問答が続く。

「私は家に帰るのです。お願いします。」

のちの翻訳により、アルジュンさんは非常に丁寧なネパール語でこんな言葉を繰り返していたことがわかっている。しかし、警察側はその後の裁判の書面で、「意味の分からない言葉を発してわめき続けた」と、この時の彼の様子を描写している。

「おらぁ!静かにしろよ!」

ついには、ある警察官が怒鳴りつけてアルジュンさんを床に落ちた布団に引き倒す。

「ハンコー(反抗)、ハンコー(反抗)」

「はい、(6時)42分!」

外野にいた若い警察官が時間を告げて、アルジュンさんは保護室に連れて行かれる。そうして、冒頭の場面が始まる。

不運な死で終わらせないために

2時間ほど保護室に放置された後、アルジュンさんは両手足首を拘束されたまま車椅子で押送され、午後11時前には予定通りに検察による取り調べが始まった。しかし、その最中、片手の手錠が外されるとアルジュンさんは白目を剥いてぐったりしてしまう。病院に搬送されるも、午後3時前には死亡が確認された。遺体は司法解剖されたが、死因はあいまいなまま終わった。享年39歳だった。

遺族からの依頼を受けて、在日ネパール人や支援者らがアルジュンさんの遺体を引き取った。妻のアンビカさんは、なぜ彼は死んでしまったのかと涙し、真相を知りたいと強く望んだ。

その声に応えるため、在留外国人の支援活動を長年続けている高橋さんら支援者は、遺体の再解剖や再検査に応じてくれる専門医はいないか探し始める。すると、法医学の専門家の故・伏見良隆医師が、善意で遺体の検査に応じてくれたという。

「伏見先生は検査後、いくつかの可能性を排除できたとおっしゃり、挫滅症候群(ざめつしょうこうぐん)や血栓症の可能性を示唆されました。」

その後、伏見医師の遺志を継いだ前田剛医師の鑑定意見書によると、中でも特に「肺動脈血栓症」が主たる死因の可能性が高いことが指摘されている。アルジュンさんは強度の拘束を受けて両手足が鬱血し腫れ上がっていた。拘束された部位に小さな血栓ができ、徐々に静脈を通じて肺動脈に溜まっていったのではないか。そして、検察庁での取り調べ中、手錠を外した瞬間に飛んだ血栓が、最後に肺動脈を塞いでしまったのではないか。肺動脈が詰まると数分のうちに心肺停止して、そのまま死に至る場合も少なくないという。

また同じ頃、来日した遺族の依頼で正式に弁護団が結成される。そのうちの一人である川上資人(よしひと)弁護士は言った。

「裁判に勝てる勝てないの問題ではない。これは、何かしないといけない問題だと思いました。」

遺族のアンビカさんが原告となって、国を相手した訴訟が提起されたのは、2018年7月。アルジュンさんの死からは1年4カ月が経っていた。

2017年6月3日に執り行われた葬儀の様子。中央は妻のアンビカさん(画像は支援者の提供)

拘束は本当に必要だったのか

「今回提起したのは国家賠償請求訴訟なので、何らか国や都の過失が認められなければ責任を問うことができません。警察官や検察官に注意義務違反がなかったのか。そこが争点になります。」

弁護団の一人、小川隆太郎弁護士はそう述べて、裁判の進捗を解説してくれた。事件は警察の管理下で起きており、弁護団が警察や検察の責任を追及するのは決して容易なことではない。

しかし、アルジュンさんが制圧される過程を映した客観的な映像が入手できたことは大きかったと小川弁護士はいう。天井からの監視カメラだけでなく、ハンディカメラの映像も提出されたことで、かなりの音声が聞き取れた状態で、制圧に加わった警察官4人への証人尋問を行うことができた。

そこからは、人権軽視による過剰な制圧の実態が見えてきた。

アルジュンさんは説明なく保護室に収容され、ベルト手錠(ベルトで腹を締め付けて、両手もともにベルト拘束できる拘束具)と捕縄とロープの3つの拘束具で全身を縛り上げられている。「おとなしくすれば拘束具は外される」というルールの説明も受けられなかったために、彼はその痛みにもだえ、逃れようとした。

しかし、拘束具は外そうと動けば動くほど、強烈な痛みを伴うように作られている。彼が「痛い、やめてください」と懇願して拘束具をずらすたびに、警察官は「暴れるな!」と怒鳴って拘束具を付け直す。映像ではそれが4回繰り返されている。

警察官はアルジュンさんを保護室に入れ、さらには拘束具を使用した理由を、「逃走や自傷、他害の恐れがあったから」と証言した。「強い力で暴れていたから」ともいうが、それは無理やり拘束具を付けようとしたからではなかったのか、と小川弁護士は語気を強める。

アルジュンさんは、前日までおとなしく警察官の指示に従っていた。もし、トラブル時に彼にきちんと伝わる言葉で説明ができていたなら、なだめて居室に戻るように説得することは可能だったのではないか。もしくは、保護室に隔離すれば拘束具を付けずとも十分だったのではないのか。

支援者に説明をする弁護団。(左から)海渡雄一弁護士、小川隆太郎弁護士、川上資人弁護士(撮影:二見元気)

国家権力のルール

さらには、拘束具の解除方法にも問題があったのではないか、と小川弁護士は続ける。

実際、日本の刑務所では過去、ベルト手錠の使用により血栓症が引き起こされて死亡する事件が起きている。その事件を受けた世論の高まりなども背景に、2005年には監獄法が改正がされ、革製のベルト手錠は禁止された。けれど、代わりに今回の事件でも使われた、ナイロン製のベルト手錠が用いられるようになった。

監獄人権センター代表であり、約100年ぶりの監獄法改正にも関わった海渡雄一弁護士は説明する。

「改革の結果、刑務所には『血流を止めるようなきつい締め方をしてはいけない』という拘束具の使用規則ができたんです。ところが、留置場の今回の拘束具については、同じような規則は存在しなかった。そのため、国側は注意義務違反はなかったと裁判で主張しています。」

法律では、留置施設も刑務所も、同じ拘禁施設として同じレベルでの規定がされている。しかし、現場の細かい規則までは整備されきっていない実態が、今回明らかになったと海渡弁護士は洩らす。

「監獄法改正から15年以上が経っても、数が多く視察しにくい留置施設の中は非常に不透明で、まだまだ変えなければいけないものが残っていたことが分かりました。」

警察は、国の安全や秩序のため、法に則った有形力の行使が認められた特殊な組織だ。そのコントロールは国民監視の下、極めて慎重に行われる必要がある。もし、身体拘束のルールにあいまいさが残っているとすれば、それは大きな問題ではないだろうか。

国際人権基準の定めでは、拘束具はごく限定的な条件下を除き使用を禁じている(撮影:古平和弘 ※トップ画像も)

社会の法や制度を育てる

また、今回の事件はアルジュンさんが外国人だからゆえに起きてしまった痛ましい事件でもある。海渡弁護士はこれまで拘禁施設における暴力事件の弁護を10件近く手掛けたそうだが、そのうち半数以上の原告は外国人だったと話した。

やはり言語の障壁は大きい。アルジュンさんの場合、ネパール語の通訳者がついたのは病院での診察時だけで、警察官とはすべて片言の英語とジェスチャーでのやりとりだったという。また、保護室で笑い声が起きていたことなどから、警察官に外国人への差別意識があったことも否定できない。

日本の拘禁・収容施設で、外国ルーツの人びとの人権が蔑ろ(ないがしろ)にされるケースはいまだに後を絶たない。しかし、彼ら自身の声が奪われているせいもあって、今回のように事件化するまでは外から見えないという構造上の問題を抱えている。

「今回の訴訟は、個別の救済をするためのものであり、同時にアルジュンさんのような被害者が生まれないよう制度を変えていくためのものでもあるんです」、と小川弁護士は語る。

たとえば、コミュニケーションの問題であれば、警視庁が管轄する東京都では、オリンピックを機に自動翻訳機の運用が開始されている。これを国内に全面的に整備・活用することで、大きく状況は改善する可能性が高いという。

拘束具についてであれば、先ほどの留置場の規則見直しはもちろん、国際人権基準に基づくさらなる法整備も必要だろう。

他にも、警察官への人権教育の場を設けて集団文化を変えていくことや、差別的な考えに基づいて権力を行使していないかを調べ、問題点があれば修正できるような仕組みを新たにつくっていくことも視野に入る。実際、アメリカでは調査が行えるように全警察官がビデオカメラを常に身に付けているという。

訴訟で問題を明らかにして、法や制度を変えていくよう働きかける。公共訴訟が、政策形成訴訟とも呼ばれるゆえんだ。

この社会は残念ながら放っておいて良くなることはない。おかしいと思うことをやり過ごすことなく、一歩ずつ粘り強く変えていくしかないのだ。その手間のかかる作業の担い手を弁護団や一部の支援者だけに留めてしまってはいけないだろう。私たち市民に何ができるのかを尋ねると、弁護団はこう口を揃えた。

「多くの人に、何が起きていたのかを知らせてほしいです。」

アルジュンさんの死を原因不明のままで終わらせないためにも、この事件を近くの誰かに知らせてほしい。さらには傍聴に足を運ぶなど、裁判に関心を寄せてくれることは大きな力になると弁護団は訴える。

“公共訴訟”は社会を変える一つの手段だ。関心を持った一人ひとりが、自分のできるやり方で周囲に伝え、行動していく。その連鎖をつないだ先に、この社会はきっと今より生きやすいものに変わっているはずだ。

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提訴から4年の歳月が経ち、東京地裁での裁判はまさに今、クライマックスを迎えている。

はたしてアルジュンさんの死に対する国の責任は認められるのか。判決のゆくえを、同じ社会に生きる私たちみんなで注視したい。

【訴訟サポーター募集中】ネパール人取調べ中死亡国賠訴訟事件(CALL4サイト)
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000054

事件の詳細や、今後の期日予定、訴訟資料も公開されています

プロフィール

丸山央里絵公共訴訟プラットフォーム「CALL4」副代表

NPO法人CALL4副代表理事。社会課題の解決を目指す“公共訴訟”を支援するプラットフォーム「CALL4」を運営。クリエイティブディレクションを担当するほか、ライターとして裁判所などに足を運び、原告や弁護団、支援者らを取材して、訴訟の背景やそこに込められた人々の思いや物語を届ける。

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