2013.01.29
“自分らしさ”をケアするのは誰か ―― ホームヘルパー、制度と日常を越えて
「私が生活や、生きる上でこだわりたいことについても、ほとんどやって貰えない。なぜなら生きるために必要最低限なことではなく、私の単なるこだわりだから。でも私にとっては、自分らしく生きるのに必要な部分なんだな。なんで障害があると、好きな模様に部屋をカスタマイズすることも許されないのかな~。」(困ってるズ!vol.13より)
自己免疫疾患の一種である全身性エリテマトーデスを疾患されているKさん。ヘルパーさんが引っ越しのお手伝いや模様替えなどを手伝ってくれず、いったいヘルパーさんは何をしてくれるのか、そもそもどんなお仕事なのか疑問をお持ちのようでした。そこでケアサービスを行っているNPO法人グレースケア機構代表の柳本文貴さんに、ヘルパーとはどんなお仕事なのか、どうしてヘルパーに出来ることと出来ないことがあるのか、お話をお伺いました。(聞き手・構成/金子昂)
NPO法人グレースケア機構とは
―― 最初にNPO法人グレースケア機構がどのようなご活動をされているかお聞かせください。
グレースケア機構は2008年に介護職・ヘルパーの仲間でつくったケアサービスの事業所です。制度外の自費による介助や生活支援を中心に、介護保険や障がい者自立支援法にもとづくケアも行っています。その他、成年後見などの相談活動や研修事業、町づくり活動などにも取り組んでいます。
グレースケア;http://g-care.org/
発端は2006年介護報酬のマイナス改定でした。小泉改革で社会保障費が削減されたあおりで、民間活力と言いながら、実際は役所の権限を強化してヘルパーの仕事に細かい解釈と指導を持ち込み、ケアの内容が制限されました。介護はもっと豊かな仕事だったはずなのに、ヘルパーは利用者の生活をみるより制度の方をみて「これはダメ」と断ることが増えた。やれる内容が限られ、報酬は抑えられる結果、よい人材は集まらない。結果、いつまでも質が上がらず、社会的評価も報酬も低いままという悪循環がつづきます。
そこで、わたしたちは個別のニーズに柔軟に応えた質の高いケアを提供することで、利用者もヘルパーも双方が満足でき、質に応じて報酬を上げることで介護を担う人材のすそ野を広げたいと思い、自費中心の事業を立ち上げました。
なぜヘルパーの仕事に制限があるのか
―― 「困ってるズ!」vol.13を書かれたKさん(自己免疫疾患の一種である全身性エリテマトーテスに罹患)は、ヘルパーの仕事に制限があるために「自分らしく生きられない」「生きる上でこだわりたいことについても、ほとんどやって貰えない」と困っておいででした。なぜこのような問題が生まれてしまうのでしょうか。
ヘルパーの仕事は、利用する側からみると、どこまでやってくれるのかがとても分かりにくいですよね。このカードを見てください。これは昨秋に上智大学の「介護何でも文化祭」で行った『介護保険でできることを探せ!!』ゲームです。
34枚のカードに生活場面や介助内容がいろいろ書いてありますが、このうち介護保険でできるものは7枚だけ。ウラをめくるとOKかNGか書いてあり、「NGのものはグレースケアがします!」という趣向です(笑)。たとえば、介護保険を使ってヘルパーと日用品の買物はできますが、地元の行事などには行けない。お部屋の掃除はできますが、庭の手入れはできない。介護保険の適用範囲外については、自費でサービスを使う必要があるわけです。
介護保険でカバーする範囲については、制度の始まる直前に出された厚生省の通知(*1)が基本となっています。これは食事や排泄、入浴など身体介護や、家事援助の具体的な項目と手順を例示したものです。ここで家事援助に含まれないものとして、「商品販売や農作業などの生業の援助」と、「本人の日常生活に属さないものの援助」の2つが明記されました。
*1 2000年3月 厚生省老人保健福祉局「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」(老計第10号)
ではいったい、本人の日常生活に属さないものって何でしょうか? 自分らしく生きようとすることは、すべて非日常の領域になってしまうのでしょうか。人の日常というのは千差万別ですから、現場が混乱しました。8か月後に別の通知(*2)でさらに具体的な事例が示されました。
*2 2000年11月 「指定訪問介護事業所の事業運営の取扱等について」(老振第76号)
これが今でも、ヘルパーのやれないことリストとして流通しています。正月のおせちはもちろん、Kさんが困っている家具の移動や模様替えなどは日常の家事を越えるので、ヘルパーは仕事としてはできません。くすんだガラスに草ぼうぼうの庭、散歩に行けないペットがうずくまっていても、日常生活には支障がないと見なされ、ヘルパーは関与しないんです。
これが基本なのですが、あとは役所によって、また時期によって、関連する法律によって、そして現場の事業者やヘルパーによって、さまざまなバリエーションが生まれています。それがまた分かりにくい。
分かりにくい制度によって自主規制をしてしまう
―― 具体的にはどのようにやりにくいのでしょうか。
まず、市や区などの保険者ごとに解釈が異なるケースは多い。たとえば、同居の家族がいると基本、家事援助はできませんが、「同居」をどうとらえるか、二世帯住宅でも交流がなければよいという役所もあれば、離れた家でも同じ地番ならダメという役所もある。
また、家の外は掃除できませんが、縁側や玄関先はどうか、掃除と大掃除の違いはどこか、など線引きの仕方も異なります。ヘルパーは日用品の買い物はできるけれども、嗜好品は買ってはいけないことになっていて、厳しい自治体では酒やタバコなどは買えない。でもユルい自治体は、まあ他のものと一緒ならいいかとか。担当者がヘビースモーカーだったら、タバコがなければ日常生活に支障が出るって解釈が通りやすい(笑)。
さらに、解釈の幅が時期によって変わります。介護保険が始まった当初は、とにかく保険料を徴収しているわけなので、「保険あってサービスなし」という不満が高まらないよう、事業者の参入やサービスの利用が促進されました。その後、利用が増えた結果、今度は逆に厳しく締め付けられるようになった。
象徴的なのがコムスンです。それまでは通用していた援助の内容が認められなくなり、スケープゴートとして潰されたという面もあります。一番キツかったのが2006、07年ころで、さすがに叩き過ぎ、介護の担い手がどんどん辞めていく事態を前に、民主党への政権交代もあって少し緩んできました。
たとえば、「散歩」は原則介助できませんが、「一律機械的に禁止ではない、ケアプランに自立支援のためと理由づけができれば認められうる」ということを、厚労省は都道府県に通知しています。先述の同居家族のいる場合についても、すべて禁止ではなく利用者と家族の状況に応じて個別に判断するようにと3回も通知が出ている。
意欲的なケアマネジャーや話の通じる役所の担当者がいると、個別に認められる事例が積み重なっていきます。ひところよりは、同居家族の事情も幅広く勘案されるようになってきました。ただ、一度締め付けられた経験があるので、現場の事業所はあまり積極的にやろうとはしません。とくにヘルパーの散歩介助を行っている例は全国でも稀でしょう。
デイを使えとか、根拠を詳細に書くよう言われるので、そんな手間をかけるよりは、利用者にダメと断った方が早い。また風向きが変わったら行政の実地指導が入って、報酬返還を迫られるのではないかという恐れもあります。いまはそういった自主規制がすっかり定着しました。実際、自民党は公助ではなく自助を強調しており、それが選挙で支持されたわけですから、今後はまた厳しくなるでしょうし、家事援助自体が保険の対象外となる可能性もあります。
自立の意味合いが異なる「自立支援」
以上は介護保険での話ですが、障がい者の方の制度になると、また事情は異なります。介護保険では同居の家族分の調理や洗濯などはできませんが、たとえば40代の女性障がい者の家事援助で入ったときには、子どもの世話や家族の分の食事の仕度をすることがあります。本人の意思で行いたい家族分の家事をサポートするのもヘルパーの仕事になります。
また、外へ出かけるのは「移動支援」(ガイドヘルプ)といって市町村の地域生活支援事業として行われており、行事でも遊びでも外出先は問いません。社会参加として考えられているからです。同じ障がいのサービスでも、「居宅介護」という短時間の身体介護・家事援助と、重度の身体障がい者が使える「重度訪問介護」という長時間の類型では異なり、後者はより自由に利用者本人の意思に従った支援を行います。
その背景には、施設や家を出て、在宅での自立生活を権利として実現させてきた障がい当事者運動の理念があります。Kさんの望む「自分らしい生活」、お部屋の模様替えや家具の組み立てなども、この類型ならできます。
もっとも現状の「重度訪問介護」は利用できる人が限られています。自立支援法の改定に合わせて来春から対象が拡大される予定で、いま議論をしている最中ですが、知的障がい者や精神障がい者など、どこまで含むか注目されます。
障がい者のサービスは、介護保険の訪問介護を主にやっている事業所が数件だけ入るというケースが多く、介護保険のルールを持ち込むために互いに戸惑ったりします。正当な生活の要望でも、高齢者に比べて訴えが強いと敬遠されたりするんですね。逆に、障がい当事者が運営している自立生活センターなどの事業者は、介護保険に障がいのルールを持ち込むと、かなり緩くてコンプライアンス的にどうかという場合もあります。
高齢者も障がい者もヘルパーの役割は「自立支援」ですが、自立のもつ意味あいが異なります。高齢者の場合、主に日常生活をなるべく自分で行うことを指し、障がい者の場合は――特に身体障がい者ですが――、本人がヘルパーを使いながら自己決定して暮らしていくことが核となっています。ヘルパーの自立支援といっても一様ではないんです。
さらに、障がい者の場合は地方と都市部との格差も著しい。介護保険は要介護認定があって、要支援1~要介護5まで7区分の判定がされ、それぞれ全国一律の給付上限額が決まりますが、障がいの方は障がい程度区分1~6について、国の負担規準を参考に、市町村ごとに支給量や超過できる範囲などが決められています。
自治体の決める支給時間数が1日24時間、一部複数のヘルパー配置までの介護保障を実現しているところもあれば、数時間に限定されているところもあります。障がい当事者や支援者が交渉し、必要性を訴える力量にも左右される。逆に時間数は保障されていても、都市では担い手となるヘルパーがいなかったりします。とくに「重度訪問介護」は報酬単価が低いため、行う事業所が限られている。
もちろん地方ではそもそも事業者が少ない。地域のヘルパーは社会福祉協議会や大手の社会福祉法人しかやっていない場合もあり、そこがたとえお役所体質で質が充分ではなくても、ほかの選択肢はありません。民間ではできないインフラをつくっているともいえますしね。
ちなみに、介護保険でも障がい者サービスでもなく、難病患者等ヘルパーという制度もありますが、これを実施している自治体は全国の1割にも満たず、利用はごくわずか。対象者は750万人もいるのに、使った利用者は全国で300人余りという恐るべき数字が出ています。すでに障がいの制度に乗っかっている場合もあれば、使えるのに知られていない現実もあります(*3)
*3 難病患者等居宅生活支援事業の利用実績について 平成22年度(厚生科学審議会疾病対策部会資料)
ともあれ、65歳を境に高齢者には社会参加が認められなかったり、障がいの程度や病気の種類、住んでいる場所やタイミングで、生活支援の格差が生じているのは、とっても不合理な面があります。そもそも、制度で認められる範囲をめぐって、日常と非日常の境は何か、お酒を呑むのは日常生活か、散歩するのは何のためか、なんて議論を大真面目に役所と交わさないといけないこと自体が、とってもシュールですよね(笑)
なぜ制限が設けられるのか
―― 各制度による違いはわかりましたが、このような制限はなぜ設けられているのでしょうか?
やはり一番にあげられるのは財政の問題だと思います。どこかで線を引かなければ、制度の利用が際限なく広がってしまうという思い込みがある。国の財政は今でも42兆円の税収に対して90兆円も歳出しているわけですから、借金してまで行うことは何かってことでしょう。そして限られた人的資源であるヘルパーを、広く薄くなるべく公平に使っていこうという考えです。
利用者にとっては不満でしょうが、ヘルパーもやりにくいと思っています。ただ、ヘルパーも決められた時間と報酬で動いているわけなので、歯止めがあることで過重な負担から何とか免れている面もあります。以前は家政婦と同じように誤解する人もいましたが、最近はやっと自立支援の専門職と見なされるようになってきました。それがまた行き過ぎると、双方にとって抑圧になりかねないので難しいところです。その人らしい生活をトータルに支えられるようにするためには、現状の制度の枠組みではどうしてもムリがあります。
介護保険はいろいろ批判もありますが、わたしは非常に貴重で画期的な制度であったことは間違いないと思っています。誰もが介護を受けたり、介護をする側になる可能性があり、お金を出し合って支え合おうという趣旨は非常によいものです。そのおかげで崩壊を免れている家族や地域も少なくありません。ただ、介護保険の使い方はやっぱりよく考えないといけないと思います。生活援助の報酬単価は1時間2,500円。利用者は1割負担の250円で使えますが、残りの9割は税金と保険料で賄われています。
デイサービスも送迎とフロ付きで1日10,000円かかっていますが、9,000円は税金と保険料が投じられている。街中では送迎車をたくさん見かけるようになりました。地元のお年寄りを根こそぎ集めているようにも見えます。事業所数は全国で8,000ヶ所から10年で26,000ヶ所まで3倍以上に増えました。それだけ、隣近所の支え合いの力が弱まっている。世の中全体が忙し過ぎて効率ばかり求めるので、認知症や障がいをもつ人をどこかにやらないと成り立たなくなっているというのも大本の問題としてあります。
介護保険の保険料は、2000年4月の施行当初、被保険者の負担増を軽減、というか先送りするために、半年たった11月から半額(月々1,500円弱)の徴収が始まり、1年半後にやっと全額になりました。いま被保険者は65歳以上3,000万人、40歳~64歳4,200万人にのぼり、月々5,000円近くの保険料を払っています。要介護認定を受けている人は、65歳以上で485万人。利用者のほとんどは、払い込んだ保険料よりも給付が圧倒的に多いんです。
40歳~64歳では16の疾病をもつ人に限られるため、利用者はわずか15万人。現役世代にとってはたしかに身内を介護する負担が軽減されている面はあるのですが、負担と受益の関係を考えると、もっと若年者の介助ニーズに応えるものになってもいいように思います。医療保険でも負担割合が1割から3割へと増えていったように、介護保険も将来負担が増えるのは間違いありません。いまのような使い方ではもたないでしょう。
制度と付き合いながら、自分らしくいきいきと暮らすために
―― 制度を大幅に変える必要があると思いますか?
制度の変え方によりますよね。ひと昔前なら、ただ給付を厚く、負担は少なくと訴え、制度をつくって予算を引っ張ってくるという取り組みが有効でした。保育など今でもそれが必要な領域はありますが、財政事情もありますし、政策を裏づける社会的な価値観による適当・不適当の判断もあるでしょう。
とくに精神障がいや難病の方には「みんな頑張っているんだから、お前も頑張れ」という視線を向けられることが多い。とても乱暴です。介護保険だけで言えば、制度をいじってメニューを増やすのは正直うんざりですが、精神障がいの人や難病の人が家でフツーに暮らすための制度はまだまだ不十分だと思います。いまは「あれもこれも」が難しく、「あれかこれか」って言われています。だからこそ、より共感を広げて行くために「困ってるズ!」のような取り組みは重要だと思います。
社会保障全体で考えると、年金制度にばかりお金が集中してしまっています。また、効率を上げようとしてかえって肥大化した部分が多くあるため、現場に関係のないところにお金が使われてしまい、肝心の利用者やヘルパーにはなかなか回ってこない。制度を変えるとしたら、お金の配分を変えることと、制度を包括的にして利用者に使いやすく、運営自体のコストを大幅に下げることでしょう。
2006年に精神障がい者が障がい者自立支援法の枠組みに入り、2010年には発達障がい者もその枠に入りました。そして来年の春には難病も含まれるようになります。どこまでが含まれ、給付の対象となるか、その内容はまだ議論がありますが、全体としてケアの法制度が統合化される流れにあります。介護保険ができたのもそうですが、従来医療の枠組みでしかケアできなかったものが、生活支援や介護の必要に応えていくものに変わってきた。そして少しずつ「社会サービス法」のような、ニーズのある人が困ったことに応じて使える大きな括りの仕組みにつながるとよいと思います。
とはいえ、いろいろと議論はあります。障がいの当事者団体の多くは、介護保険との統合には反対しています。長年の運動の成果として勝ち取ってきた介護保障の切り下げを危惧しているのと、仕事や子育て、社会参加など、高齢者とはニーズが異なると考えられている。逆に高齢者の方は、自分は「障がい者」じゃない、一緒にしてくれるなという思いがあったりする。これまでの人生で培われた能力主義的な価値観と偏見を反映しているのです。
また、たとえば「延命治療」についても高齢者と障がい・難病者では見方が違う。高齢者の方では、今までのような医療重装備の延命治療が相応しいのかどうか見直し、「尊厳死」や「平穏死」を望むトレンドがある。新政権も尊厳死法案を進めるでしょう。一方、障がいや難病の方では、社会全体が生きている意味のある生とない生を峻別し始めかねないことに、強い危機感を持っている。社会資源や制度の不充分さによって、文字通り息の根を止められたくない。
でも、障がい当事者が、施設や病院や親もとから飛び出して自立生活を始めたのは、自分の意思に依らない外部のシステムによって、自分の生き方を決められたくないという強い思いだったはず。使える制度は使いながらも、自分らしさをシステムに委ねずにいきいきと暮らし尽くすという点では、それぞれに共通するものが見つけられる気がします。
ヘルパーさんは、こんな風に困ってるズ!
―― ヘルパーさんの「困ってること」をお聞かせください。
今までお話してきた内容と重複すると思いますが、3つほどあげられます。
ひとつ目は制度が硬直していること。曇ったガラスが気になっても掃除してはいけない。正しくやろうとしたら大変。実際にあったケースですが、窓の結露のひどい部屋があって、それを拭くために、役所に確認して衛生的な環境の維持とか何とか目標とともにケアプランに書き込み、担当者会議を経て、事業所では訪問介護計画書に明記し、やっとできたことがあります。形式的な文書主義が横行し、役所向けに整えるための仕事が増えています。
さらに言えば、アセスメントして目標と計画を立て、結果を評価する、といったあり方は、とても近代的な発想に過ぎて、ヘルパーからすると違和感が拭えません。リハビリや看護など医療モデルにはまだ馴染むかもしれませんが、シンプルに自分らしく暮らすことを望む生活モデルや、人が齢を重ねて衰え、やがて亡くなっていくという自然そのものに対しては、当てはめにくいように感じられます。
細かい規定と手続きをつくることで、制度からもれるものも生じてしまう。もっとシンプルかつ柔軟で、包括的な制度になれば、谷間も小さくなっていくでしょう。これについては、以前シノドスジャーナルに寄稿した「介護保険、報酬の抑制はせめて美しく ―― 改定で疲弊する現場 https://synodos.jp/welfare/1441」をお読みください。
ふたつ目は時間的な制約です。訪問時にはやるべきことで手いっぱいで、利用者さんとゆっくり話をしたくてもする時間がない。昨春の改定では、さらに1回あたりの時間幅が減らされました。実態としては、ちょっと時間を超えて、お喋りにつきあったり、認められていない家事をすることもあります。その善意は悪くないのですが、それが当たり前のものとして重なってくると、結局はただでさえ安い時給で頑張っているヘルパーにしわ寄せがいくことになります。
世間では「介護はボランティアで良い」という感覚も根強いですが、仕事としてつづけていくためにはそれではいけないです。なかにはどうしてやってくれないのかと不満をぶつけられることもありますが、多くのヘルパーは悩みながらも法律の範囲内で精一杯やっていることを理解して欲しいです。
最後がチームワークです。ケアはヘルパーひとりではなく、ケアマネジャーや他の事業所のヘルパー、訪問看護師などとチームで行います。思いがあっても、チームのなかではあまり飛び抜けたことはできません。ケアマネジャーや一緒に組むヘルパー、訪問看護師、診療医などは、そのつど持ち味が異なりますし、本人を囲むチームの一員である家族も、妻や夫、子ども、親類たちで意見が違うことはままあります。
最近、介護職も痰の吸引など医療的ケアをすることが可能になりましたが、及び腰のヘルパー事業所もありますし、看護師さんには「ヘルパーにそんなことやらせられない」と思っている方もいる。家族はできて疲労困憊しているのに、専門職ができないのはおかしな話ですが、同じようにどのタイミングで入院するのか、あるいは家でどのように最期のひとときを過ごすか、食事が摂れず排泄もないリスクをどのように引き受けるかなど、方向性が重ならないこともあります。カンファレンスなどの場を通じて、1対1ではなく、チームのそれぞれが強みを発揮しあって、よりよいケアに協働して取り組んでいくことは常に課題です。
こうなったら、助かるズ!
―― ヘルパーにとっての「こうなったら、助かるズ!」はありますか。
やっぱり、誰もが当事者意識を持つということでしょうか。困ったときの支え合いのために、ヘルパーといった職業的に担われるものは、本当はごく一部じゃないかと思っています。
たしかに、利用者の変化に伴って、認知症の行動障がいが強かったり、医療ニーズが高かったり、家族関係など複合的な課題を抱えているケースが増えており、ヘルパーに求められる役割は大きくなっています。そしてそれに見合ったヘルパーが不足しており、質が低かったり融通の利かないことに我慢されている利用者も少なくないと思います。事業者としてきちんと教育研修する責任もあります。
一方で、ヘルパーという仕事の評価を、低い報酬のまま周辺的な労働に位置づけつづけている社会の価値観もあります。まるで生産性のない、後始末といった見立てがまだまだまかり通っています。
わたしは“介護の社会化”とともに、“社会のカイゴ化”が必要と考えていますが、誰もが老い、障がいをもつことが身近になり、身内や友だちを介護することもありふれてくる社会では、そういった人たちを排除しないですむようなあり方へ、働き方や暮らし方が変わっていくことが望まれます。そのなかで、自ずとホームヘルプがきちんとした誇りのもてる仕事として認められ、働く条件が整うととても助かります。グレースケアで取り組んでいるのもそのためです。
ひと昔前なら、ちょっとした手伝いなら、隣近所で声をかけて助け合っていた部分が大きかったでしょう。何でもかんでも税金でやるわけにいかないのなら、家族や地域で補い、支え合う必要があります。今後、高齢者はどんどん増えていくのに、今でさえヘルパーが不足しているわけですから、担いきれるわけがありません。一方で家族や地域の力も弱まり、単身で何とかしないといけない人が増えています。
社会保障給付費の内訳をみると、年金が5割を占め54兆円、医療が35兆円、介護は8兆円、障がい者福祉は3兆円です。介護のような相対的には小さな支出のところで、こまごまとヘルパーと利用者が揉めながら、日常生活をめぐる役人向けの作文を整えて、どんなに抑制に努めても知れていますし、介護の担い手のやる気を削ぐことにもなる。年金は生活費の現金給付とすれば、個人がどう使おうともちろん勝手なわけですが、みんなから集めた税金や保険料が投入されていることを考えると、これからはむしろ「社会からのお給料」とみなして、年金受給者には地域の支え合いに役立つ仕事をして頂くという発想もありではないでしょうか。
国民年金のみではとてもそんな余裕はない! と怒られそうですが、厚生年金の平均額は月17万円、元公務員だった人の共済年金は22万円です。ちなみに現役ヘルパーの給与の平均は時給の人で月10万円(78時間勤務)、月給で20万円。ヘルパーの仕事をしていると、利用者とのあいだで格差社会をしみじみ感じさせられることも少なくありません(*4)
*4 平成23年度介護労働実態調査(介護労働安定センター)
実際、知り合いのNPOの女性は70代で、有償ボランティアや介護事業の専従としてフル回転していますが、年金をもらっているので団体からは5万円しかもらっていないとのこと。ぼやきながらも、そういった活動をしていること自体が張り合いになり、自ずと健康維持と介護予防につながっています。
また、実際に身体を動かさなくても、お金の使い方を少し変えるだけでもいいと思います。国の分配機能が硬直化しているとしたら、あとは思いのある高齢者が、自らの判断でもらっている年金を分配し直すしかありません。社会保障費の一部を託されている立場として、海外の観光地へのバラマキや、子や孫への思いやり予算は減らして、地元の支え合いグループや、わたしたちのようなケア専門職のNPOにお金を使ってもらえると、次代の生活支援や介護の担い手という公共インフラの整備につながります。
敗戦後の焼け野原から働きづめで、日本の高度経済成長を担ってきた人たちには、本当に心から敬意を表します。ただ、その結果として、下支えしてきた家族や地域の機能が弱体化してしまった面があります。これからは新たな社会的なつながりや支え合いを高度成長させていく時代になります。とりわけ大企業を勤め上げた方や、公務員だった方には、退職したら厚労大臣になった気分で張り切って頂きたいと願います。社会保障の将来がその使い道にかかっています。天下りが規制される前に、いくつかの法人を回って退職金もがっちりもらって逃げ切れた人には、特に期待しています(笑)。
自分らしく生きるための新しいつながり
―― 制度を変えずに発想を変えるだけで、ものすごいパワーが生まれますね。
ヘルパーの3割は60代だったり、家族介護者に至っては6割以上が60代以上であることを考えると、実際の介護を支えていく力として年金世代のパワーはとても重要です(*5)。そうやって介護や生活支援にかかわる人の裾野を広げられたらいいと思います。
*5 *4及び平成22年国民生活基礎調査(厚生労働省)
はじめにあげた通知では、家事援助に制限を設ける反面、保険外の部分は「市町村の独自事業やNPOなどの住民参加型サービス、ボランティア」で対応するように謳っています。知り合いのケアマネジャーは、「何を寝ぼけたことを言ってるのか? 保険外を担うのは家族かカネよ!」と喝破していました。
たしかに、地元のボランティアグループなどは、利用者よりも高齢化して担い手が不足していたり、家事に加えて認知症や障がいに関わるニーズも併せてあると、対応しにくかったりします。そこでわたしたちの自費サービスに依頼が回ってくることもあります。認知症の方に長時間付き添ったり、家や施設から車いすで遊びに出かけたり、最期を家で過ごすお手伝いをしたり、何でも自由に使うことができ、1時間3,000円の利用料を頂いていますが、依頼はどんどん増えています。
有料老人ホームの入居金に数百万円払ったり、ブランドのある都心の病院に療養名目で入り、月に何十万円も支払っている方もいます。それほどではなくても、特養などの福祉施設に入ると外出は年1回の花見、楽しみは月1回の行事といった暮らしで、年金だけが百万円単位で貯まっている人もいます。そんな方が、たとえばグレースケアを利用すれば、介護保険も併用しながら、家で好きなことをして過ごすことができ、一緒にどこへでも出かけられる。指名制のヘルパーは2割増ですが、一芸に長けたヘルパーを選んでもらうこともできます。利用する人も楽しいし、わたしたちヘルパーも報酬をよりよくして、個別ケアの底上げを図っていくことができます。
ただ、ちょっとした家事のお手伝いや、談笑して一緒にご飯を食べるなど、あえて専門職が介入しなくても、隣近所でできることもたくさんあります。昨年、グレースケアでは、市内の退職者や認知症の家族会、子育てグループなど9つのNPOとともに、古い居酒屋の建物を借りてコミュニティカフェとサロン活動を始めました。いろいろな世代の市民が集まり、繋がり、そして支えあうきっかけになっています。デイサービスで9,000円の保険料と税金を使わなくても、300円のお茶代で、いろんな人と日がな過ごすことができる。また、それとは別に民生委員さんや住民協議会、町内会、商店会などが集まった市の地域ケアネットワークの立ち上げにも参加しています。
家族でもカネでもない、制度や専門職だけにも頼らない、新しいつながりが始まっています。制度も大事ですが、地域でできることはもう自分たちでやっていった方が、気ままで早いし、何より楽しいです。そういった人と人とのつながりのなかで、自分らしい生き方自体も再発見されてくるのではないでしょうか。
(2012年12月10日 NPO法人グレースケア機構事務所にて)
プロフィール
柳本文貴
NPO法人グレースケア機構代表。1970年新潟市生まれ。大阪大学人間科学部卒。在学中から障がい当事者運動に関わったのち、企業でヘルパー養成や派遣を行う。老人保健施設、認知症グループホームを経て、2008年グレースケアを設立。長時間・泊まりケア、娯楽ケア、医療的ケアなどの自費サービスと訪問介護、居宅介護(障がい者)、ケア付き住宅、研修事業などに取り組む。成年後見も受任。社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャー。著作に『ヘルパーが開く自由への扉』(月刊プリコラージュ2011年7・8月号)、『イラストでわかる介護記録の書き方』(成美堂)など。