世論は存在しない? ―― 「世論調査ポリティクス」の功罪 

「暴力」としての世論調査

 

世論調査がもつさらなる問題は、調査の回答がまったくの社会的影響や関係性と無関係になされていると、しばしば受け止められていることだ。しかし、実際には、調査の回答者はそれまでに自分が見聞きした社会の雰囲気や他人の言動を忖度し、自らの回答がどう受け止められるかを計算した上で、調査に回答する可能性がある。こうして世論調査の結果は、「予言の自己実現」(皆が信じることで実際に出来事が生じる)の場合と同じく、多くの人が信じていると考えられているものへと収斂していくことになる。

 

個人の意見は真空のなかで形成されるのではなく、さまざまな社会関係(ブルデューの言葉でいえば「場」)のなかで形成される。そして、個人が選択した回答が、どのような背景や力学によって選ばれたのかを明らかにできないのであれば、それは個々人の選好を明らかにしたことにはならない。

 

ブルデューの分析は、階層なり党派なりによって、社会が比較的構造化されていることを前提としたものだったが、「世間」からの圧力が内面化されやすいとされる日本では、この最後の指摘はかなり有効と思われる。しばしば「世論調査は民意の写真」と表現されることがあるが、それは半ば暴力的なかたちで(この言葉が強すぎるのであれば、不自然な形で)「世論」は、人為的に生産され、可視化されているのである。

 

 

民主政治にとって有用なのか?

 

もちろん、ブルデューが指摘するように、この議論は世論調査そのものを否定するものではなく、世論がいかに作為的なかたちで形成されていくものであるかに注意をうながしているにすぎない。世論調査でもってみえる現実もあるが、他方で世論調査が中立的な数字であるかのようにとらえる単純さを、彼は批判しているのである。数年に一度しかない選挙だけで「民意」を計るのが間違っているのと同じように、一ヶ月に数回行われる世論調査だけで「世論」を計るのも間違いなのである。

 

もっとも、政治家も有権者も、もちろんマスコミも、世論調査のもつこうした「当たり前」の特徴を忘れて、それぞれに都合良く結果の数字を解釈するようになる(先にあげた第1の問題)。いわゆる「世論調査の数字が1人で歩きだす」状況である。

 

しかし問題はそのことよりも、それぞれが勝手な解釈を施すことによって、政治家は民意を間違って読み、有権者は政治家に間違ったメッセージを送る「ミス・コミュニケーション」が生じ、双方の便益が低下してしまうかもしれないことにある。

 

たとえば、子供手当てや高速無料化のように、調査で肯定的な回答が出たからといって、そのまま政策に移せば世論が納得するとはかぎらない。世論は、こうした新規な政策に賛成すること自体に、メッセージを込めているかもしれないからだ。そして「民意」の「真意」は、世論調査では明らかにはならない。

 

また、たとえば内閣支持率が低いからといって、有権者は必ずしも首相の交代を求めているともかぎらない。支持しないことで、たんにその行動のあり方の変更を求めているだけかもしれないからだ。

 

こうした、メッセージの送り手と受け手側のあいだでボタンの掛け違いが続けば、相互不信は増していくことになる。世論調査の結果を「生」のままに解釈することで生じる誤謬であり、世論調査が必ずしも民主政治にとってプラスとはならない理由のひとつである。

 

比喩的にいえば、「民意」と「世論」は太陽と鏡の関係に似ているかもしれない。太陽は裸眼でみることはできないから、鏡に反射させて存在を確認するしかない。しかし鏡に反射される太陽は、実際の太陽の姿ではないのである(比喩をつづければ、鏡に反射させた光線の方が強力な熱線となる)。

 

 

「世論調査」に対するリテラシー

 

冒頭でいったように、民主政治が、統治する側とされる側とのあいだに介在する、さまざまな媒介手段や集団を排するかたちで民主的圧力を強める方向に進めば、政治はますます「インスタント」で「直接的」な結果を求める方向へと向かうことになる。いまの民主政治は、少なくとも内在的には、この傾向を押し留めるロジックをすでにもち合わせていない。為政者は「民意」の代表者であるがゆえ、「世論」というかたちで不完全に表明されるわれわれの意識や感情に追従するしかないのである。

 

民主政治にまつわる多くの事柄と同じく、簡単な解決策はない。世論そのものを無視しては統治できない。かといって世論にとらわれていても統治はできない。求められるのは、為政者も有権者も、そしてメディアも、かくして圧倒的になりつつある「世論調査ポリティクス」に対する適切なリテラシーをもつことである。そうすれば、「世論」は民主政治のなかでの適切な地位を、改めて見出すことになるだろう。

 

 

推薦図書

 

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「世論は存在しない」というエポックメイキングな言葉を経て、それまで「実証的」であることを命にしてきた社会科学はさまざまな方向性(批判理論や社会構成主義)へと分化し、発展を遂げてきた。これらが目的にしているのは、この世の中を分析する視座を内在的に再編することである。「世論は存在しない」の翻訳は、ブルデュー著『社会学の社会学』に所収されているが(「世論なんてない」)、こちらはQ&Aの形をとった、より平易なブルデュー社会学への入門書。「リフレクシヴ=反省的に考える」ことが、「世論調査ポリティックス」に埋没しないための第一歩である。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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