震災、原発、首相交代 ―― 霞ヶ関広報の変化の芽を、過去形にしたくない

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[第3期]攻めの広報 ―― 菅さんは「延命策」と言われるたびにニンマリ

 

難波 では第3期は?いつからとおっしゃってました?

 

下村 去年の6月2日からです。この日は、菅内閣不信任決議案が国会に提出されて、菅さんが民主党の代議士会で、「一定の目途がついたら若い人に引き継ぐ」と明言した、いわゆる“辞意表明”と言われた日です。ここから、実際に総理を辞める9月2日までの3ヶ月。その間、初めて菅さんが劇的に元気になりました。

 

難波 (笑)

 

下村 要するに、「この人、もう辞めるんだから」となって、それまで「守りの広報」で、皆で菅さんをベッドに縛ってがんじがらめに繋いでいた延命のためのチューブが一気に取れて、かなり自由に動き回れるようになったんですよ、この日から。

 

難波 そうですね。実際に、生き生きしてましたよね。

 

下村 そうでしょ、「攻めの広報」の開幕ですから。みなさんの目にも明らかだったのは、たとえばインターネットでの国民との生の討論会とか。官邸に孫正義さんや元サッカー日本代表の岡田監督、APバンクの小林さんとかを呼んで、エネルギー政策について総理との議論していただいた。これをネットで生中継しながら、ツイッターで国民の質問を受け付け、その場で菅さんが答えていくみたいなことまでやりました。

 

これを主導したのは、内閣官房参与の田坂広志さんです。ぼくは、ツイッターから質問をピックアップして、そのメモを菅さんに入れる役だったんだけど、びっくりしましたよ、ほんとに。もう、画面が読めない。滝。パソコン画面を、ダーッと殺到するツイートが上から下へと流れて行くんです。しかも、始まって最初のうちのツイッターは、菅さんへの質問じゃなくて、「こんなのやってるぞ」と知らせ合うツイートでした。

 

あんなに、今まで、菅さんのやっていることが伝わらなくて苦労していたのに、何だったんだろうと思うぐらい、国民が広報マンになって、どんどん広げてくれた。「これだよ、去年の着任の日から俺がやりたかったのは!」と思いました。菅さんも「これからこういうエネルギー社会を作っていこうよ」と、もう生き生きと発言していました。

 

で、そこから先は、カンフルブログの原稿もすごい勢いで書いてきて、こっちはリライトやアップの調整で骨折れましたけど、どんどん言いたいことを言い、本来の菅さんらしい動き方をしていったんです。菅さんが何か発するたびに、今までのフレームでしかモノを見られないマスコミの政治部の人は、ベテランであるほど、「これは延命策だ」ともっともらしい解説をしてました。でも、解説記事を読んだ菅さんが「へぇ、俺こんな思惑があるんだって」と感心したりして、ホント、おかしかったです(笑)。だって、本当に延命する気なんかなかったんだもん、本人には。

 

延命策だと批判されるたびに菅さんは、「これでまた、野党側の反発が強まる。俺が辞める、というカードの持つ力が、より一段と強まる」とニンマリしていました。要するに、菅辞任は6月2日にもう決めていたけれど、そのカードの価値が、反発が強まれば強まるほど、高まっていったわけですよ。当時、菅さんがよく言ってたのは、「とにかく、菅辞任の価値を上げられるだけ上げて、野党側に飲ませる交換条件を大きくしよう。絶対に譲れないのは、再生エネルギー買い取り法案だ」と。

 

難波 あの時期、テレビで繰り返し放送されて、有名になった映像がありましたよね。菅さんが、「どうしても俺を辞めさせたいか?」と3回繰り返したあとに、「だったら、この法律通した方がいいよ」というシーン。あそこだけ切り取って見ると、菅さんは、変に嬉しそうで、頭がおかしくなったのかと思うような場面でした。

 

下村 メディアはまんまとハマって、たっぷり報じてくれました。あれは、アドリブだったけど戦略的に成功だった。またそこで、菅直人を辞めさせねばというカードの価値が一段高まったんです。ちゃんと再生エネルギー買い取り法案も通ったし。

 

難波 そうでした。将来のエネルギー比率について国民的議論をやるっておっしゃったのも、7月末ぐらいでした。

 

下村 エネルギー環境会議を開いて、「来年(2012年)の8月までにエネルギー環境戦略を決める」というのも、そこで敷いた路線です。じつは、あの3ヶ月間に、いろんなレールを敷いたんですよ。辞任後にも残る法律や体制を、すごい勢いで決めていきました。主なものはカンフルTVの最終回に、動画でまとめて紹介しています。(“最終話【全力】「最後の1日まで」…退任直前の取り組みと、これから” )

 

カンフルブログは今でも、首相官邸ホームページのトップページの右上にある「歴代内閣」をクリックして、菅内閣の所を開くとたどり着けます。

 

エネルギー関係だけじゃなく、とにかく、次の総理が野党側に揺さぶられる材料を、「辞任カード」でなるべく減らしていこうとしていました。とくに、二次補正予算と特例公債法については、「通らないまま俺が辞めちゃったら、次の総理がものすごい苦労する」と言ってました。だから相談して、6月27日の会見の原稿には、辞任の条件としてそのふたつの成立も盛り込んで、結果的にちゃんと通しましたよね。今年は地方交付税の支払い延期にまでなって、あんなに長引いた特例公債問題も、去年は菅さんの“首カード” のおかげで、しっかり通ったわけですよ。すごかったです、ほんとにあの時期は。それで辞任3条件を全部通して、9月2日に菅さんは退陣していきました。

 

 

[第4期]霞ヶ関広報 ―― 震災体制を、元の殻に戻さないために

 

難波 そこで、菅さんに指名されて来た下村さんは、官邸に残って大丈夫だったんですか?

 

下村 ぼくも一緒に辞めるつもりでした。でも、このまま去るには、ふたつ心残りがあったんです。まず、原発事故対応に関する広報が、あまりにもうまくいってない。それから、震災を契機に変わり始めた霞ヶ関全体の広報を、「震災直後だけの思い出話」にしたくないなと思いました。

 

各省庁間の連携とか、何かあったらすぐに知らせる態勢とかを、普段の広報に定着させるのは、今しかないんだと思ったんです。ぼくが民間に戻って外から文句を言うのはお気楽だけど、せっかく内閣広報室という“内側”にいるんだから、その間にしかできない改革努力ってあるんじゃないかなと。だったら、元々の契約期間が2年あるんだから、任期満了までは、やってみようと。「菅直人を助けに行くと言ってたのに、国家公務員の地位が惜しくなったのか」という批判も起きるだろうと考えたけど、でもやる価値あると思ったんです。

 

難波 それにしても、いずれは任期が切れるし、その間ジャーナリストの仕事はブランクになるし、自分としてのデメリットも考えませんでしたか?

 

下村 客観的に見れば、そうかもしれません。しかも、結局菅直人が早々に辞任に追い込まれたということは、彼の広報の助っ人としては、ぼくは失敗者なんです。一般の人からは、「失敗した人間が、なんで居座ってもう一年税金で食っていくのよ」と見えるでしょう。そもそも、「有事の広報態勢を平時にもつなげるんだ」とか、「原発広報を何とかするんだ」とか、そんなことできるのか?と。

 

実際、「居残ればきっと変えられる」という確たる自信はありませんでしたが、「辞めればきっと変えられない」とはかなりの確信をもって思いました。やろうと思えば関われる立場からわざわざ離れて、外から批判はできない。そう考えたのが、9月2日です。

 

難波 そこから第4期の始まりですね。

 

下村 はい。まずは広報体制を震災モードのまま“普段化”することをやりました。内閣広報室のみんなが、「ここまで変わったんだから、元に戻したくない」という気持ちでした。ぼくもそれを一所懸命手伝いました。

 

今年3~4月の年度替わりにかけて、首相官邸ホームページは、全面リニューアルしてだいぶ使いやすくなったんですが、第4期の半年間は、その準備に一番時間を割くことになりました。「キッズページ」を作ったり、「政策ポータルサイト」っていう、政策キーワードを入力すると全省庁のそれに関する政策が省庁横断で出てくる新しい仕組みも作りました。今までの縦割りを、まずはウェブ上からなくしたんです。

 

それはまさに、震災の2日後に各省庁の広報課長を官邸に緊急招集して、「もうこれからは、省庁の壁は取りましょう。情報発信は、『いのち、暮らし、仕事、その他』でいきましょう」と言ったその精神を、平時に定着させる仕組みだったわけです。派手な改革ではないけれど、静かに、じつは霞ヶ関の広報のかたちを変えるプラットフォームを作ったのがこの時期です。今でも広報課長会議は、定期的に開催されてますし、並行して、各省庁の広報の中堅どころが一堂に集まって成功事例や悩みを交換しあうワークショップも始まり、かなり壁は溶けてきました。

 

ほかにも、いろんな“普段化”が進行中です。震災直後に始めた官邸災害ツイッターを広げて、普通の官邸ツイッターも始めました。今じゃ、LINEでも発信してます。枝野さんと始めたラジオの『震災情報官邸発』は、『政策情報官邸発』に名前を変えて、週一回、各省の大臣とぼくのミニトークと言うかたちで、TBS系列で全国放送しています。

 

この番組の副産物は、準備のために、各省の大臣室や、そのとき大臣が話すテーマを担当する部局と、われわれ政府広報が「どんな台本でやろうか」って、打ち合わせるんですよ。そこで各省庁が作ってくる“ザ・お役所広報”みたいな発言案を、「みんなが知りたいことはそうじゃないでしょう。順序はこうじゃないでしょう」と、こっちが具体的に修正注文を出す。これ、すごいオン・ザ・ジョブ・トレーニングになるわけです。

 

本番でも、大臣の原稿棒読みがひどいときは「それじゃ、国民に、リスナーに伝わらないです、ご自分の言葉で語って下さい」って、収録中にぼくが大臣を止めちゃったこともあります。立ち会ってる官僚の人たちにとって、それは驚愕なわけですよ。大臣にダメ出ししてる、大臣よりリスナーの方が大事なんだって。そうやって毎週、ラジオの番組作りを通じて、《伝える》じゃダメなんだ、《伝わる》じゃなきゃダメなんだってことを、みんなにわかっていってもらうことを重ねました。劇的には変わらないけど、姿勢を浸透させていくひとつの取り組みにはなってると思います。このラジオへの関与は、退官したこれからも、少なくとも今年度内は週1で続けます。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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