震災、原発、首相交代 ―― 霞ヶ関広報の変化の芽を、過去形にしたくない

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[第5期]原発広報 ―― 「再稼働」会見から「30年代ゼロ」戦略まで

 

下村 そして、年度が替わり、官邸サイトなどのリニューアルも済んでいろんなフレームが変わって落ち着いたとき、ちょうど枝野大臣から、相談が来ました。ここから、図らずも第5期が始まります。今年4月前半、大飯原発の再稼働を認めるかどうか、総理、官房長官、枝野経産大臣、細野原発担当大臣の四大臣会合が繰り返し開かれたときです。

 

難波 そこでの下村さんの役割は何だったんですか?

 

下村 枝野さんから頼まれたのは、「毎回、この会合が終わった後に、官邸で自分が記者会見をすることになる。その会見用のメモを仕上げるのを手伝ってほしい」ということです。枝野さんは弁の立つ人ですから、日頃から会見も基本的には自分の言葉で語ります。が、それでも当然、どういう要素をどういう順序で話すかというメモは用意して、登壇します。 基本的な骨子は、経産大臣だから当然、経産省や資源エネルギー庁が作る。そこに、自分、つまり枝野さんの込めたいニュアンスを加えてほしいという要請でした。

 

枝野さんは、いずれ原発をゼロにするという気持ちを明確に持っているから、その目標に向かって現実的に進めていくときに、ほんとに再稼働しなきゃいけないのかどうか、真剣に考える四大臣会合でありたいわけ。その結果、もし、「ここは再稼働」っていう結論が出るとしても、それは本当に仕方なく決めることであり、そこからすべての原発の再稼働へと方向を切り替える初めの一歩ではない。

 

経産省やエネ庁の人が作る原稿案は、当然もっと事務的な文体で、そんな思いは織り込まれていないから、たとえ結論が同じ「大飯再稼働」の方向に決まったとしても、会見で話すニュアンスがかなり違ってくるわけですよ。そのメモの最終仕上げを、枝野さんの思いがわかっている下村が手伝ってくれ、と。それで毎回、経産省やエネ庁の人と話し合って修正作業をやりました。

 

難波 たとえばどんな修正をしましたか?

 

下村 あまり詳しく明かすのは控えます けど、たとえば第6回会合後の会見は、重要な節目となったんですが、その冒頭と締め括りに、あらためて「脱原発依存」方針の念押しを加えました。こういうときにちゃんと大臣発言に刻んでおくことは、なし崩しの方針変更への歯止め効果になりますから。

 

この他、いよいよ原子力規制庁ができるということになってきたときには、「国民が政府の原発広報にもう一回耳を傾けてくれる可能性は、『今度の新組織はどうか?』と 関心を持ってくれるこのタイミングしかない。今までの日本の官庁には前例がないほどオープンな広報を、真剣に考えるべきです」という意見を、原発担当の細野大臣に進言しました。細野さんも強く同感ということで、規制庁の開設準備室とわれわれ内閣広報室との間でやり取りしながら、広報部門の立ち上げ作業をちょっぴりですが手伝わせてもらいました。

 

難波 しかしこの9月に原子力規制庁はスタートするや否や、赤旗新聞入室禁止で話題でしたね。

 

下村 それでも、たとえばホームページとか、当初彼らが保安院カラ―を無造作に継承して作ろうとしていた広報体制より、相当ましになったんですよ。まだまだ理想形には程遠いですけど、彼らの中にも熱いキーパーソンは存在して、頑張って ます。これからです。

 

それから、いよいよ菅さんが退陣直前に敷いたレールが目指した駅である、8月のエネルギー環境会議! それを迎えるための“国民的議論”を展開していく時期になりました。各地で意見聴取会が始まりましたが、最初の3回、野次でけっこう場が荒れる様子が、報道されちゃいました。それに、「どうせ(2030年の原発比率)15%シナリオにするんでしょ、出来レースでしょ」という国民の空気もありました。

 

そんな中で、この国民的議論の担当の古川国家戦略大臣から、「意見聴取会、4回目から司会をやってくれないか」という話が来ました。これは難儀だな、と思いました。それで 、「ほんとにシャンシャン集会にしませんよ。官僚の人たちが完璧な進行表作ってきても、時間制限のメモ出しても、場の空気を優先しますよ。野次でも、いい野次だったら、大臣に『答えて下さい』って振るかもしれません」と大臣に言いました。そしたら、なんと「それでもいい」と古川さんが言うんで、じゃあと言って司会を引き受けたんです。

 

ほんとに、予定調和抜きでやりました。「政府から来てる人たちの顔が見えない!」という声が飛べば、「今来てる役人全員立って、客席に向いて挨拶しましょう」と司会席から呼びかけたり。福島会場でやったときは、ほんとに客席からの声が止まんなかったから、ここはもう特別な場所ですから、大臣たちがスケジュール都合で引き揚げた後も、ぼくともう一人の審議官で居残って急きょ延長戦の会場も見つけて 、結局開会から7時間、最後は参加者の人が「よくここまで聴いてくれたね」って言って下さるまでやりました。

 

パブリックコメントは予想を遥かに上回る9万件近く届いて、これを国家戦略室が集約して、エネルギー環境会議に提出しなきゃいけないんだけど、これだけの数があったら、どんな風に意見をまとめたとしても、「恣意的にまとめたに決まってる」とか「もともと用意していた作文を出したんでしょう」と思われるのを、防ぎようがないわけですよ。

 

これには、国家戦略室の官僚たちも頭を悩ませました。どうやったら、「皆に納得の行く9万件のまとめ方」というものがあり得るの? ここで原子力の専門家なんかに相談したら、また「原子力ムラの意向を聞いた」って勘繰られちゃうから、世論調査について研究している学者さんや、マスコミの世論調査部の部長、そういう人たちに、どういう方法で集約するか相談したいという話になりました。

 

そこでぼくは、「本気でわれわれが相談している、その現場も国民にインターネットで中継しようよ」と提案しました。そこまでオープンにしなきゃダメだと思う、と。それで、「国民的議論の検証会合」が、3回持たれることになりました。マスコミが最初の部分だけ撮って退室といういわゆる“頭撮り”じゃなく、最後までフルオープンです。インターネットでは、岩上安身さんのIWJで全部中継してもらいました。会合で配布する資料 はネットにも全部アップして、インターネットを見ている人にも「資料を見ながら議論を聞いて下さい」と呼びかけ、9万件近いパブリックコメントも個人情報を除いて全部公開しました。とにかくもう考えられる限り、透明にしました。

 

全部の国民の声を資料として出したことで、後々時間をかけてでも、国家戦略室によるまとめ方が恣意的だったか、誰にでも検証できます。

 

そうやって集約した結果が「少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会にしたいという方向性を共有している」というものだったんです。それは、多くの人が「どうせ…」と思っていた“15%シナリオ”より、明らかに脱原発寄りに踏み込んだ表現でした。それを受けて、エネルギー環境会議が開かれました。

 

難波 そこまでは良かったのかもしれません。でも、そのあと出てきた政府の結論である「革新的エネルギー環境戦略」に、その国民的議論はブリッジできたんですか。

 

下村 もちろん! 当然だけど、あらゆる文書には、実際にそれを作文した人がいるわけですよ。詳しくは明かせないけど、そのプロセスに、ぼくも少しだけ関わりを持ったので言えますが、あの“戦略”文、ものすごいせめぎ合いの中で、古川さんたちが「これだけは残そう」としたものは、残しきりました。“30年代に稼働ゼロを目指す”、とくにその中の“ゼロ”という二文字とか、“新増設を認めない”、“40年で廃炉”というのを残せたんです。

 

難波 原案はぜんぜん違うものだったんですか?

 

下村 そりゃ交渉事ですから、第1球は、もちろん高めの球を投げますよ。「原発残さないと日本経済がダメになる」と思っている人たちも、「これを機会に、ほんとに脱原発しなきゃ」と思ってる人たちも、どっちも真剣だもん。「うちの町の暮らし、どうしてくれるんだ」と思っている人たちも真剣だし、「海外との関係、どうするんだ」と心配している人たちも真剣。全部真剣なわけですよ。

 

そのぶつかり合いの中で、ぎりぎりどこに、最終的な文言を落ち着けるかっていうのは、これはもう、最初から当然わかっていたものすごい勝負ですよ。誰もが、みんな自分の立ち位置から、“理想の最終文案”を頭の中に持っているわけですよね。「原発はいずれ基幹電源に戻す」と「ただちにすべてゼロにする」を両端にして、いろんな理想像を思い描いている人たちがいる中で、一本の文章にしなきゃいけない。みんな互いに譲れない一線がありました。

 

最悪は、何も決められないことです。絶対に決めると腹をくくって、「8月中に」と去年菅さんが敷いたレールを9月14日まで延ばして、徹底的にせめぎ合いをして、決まったのがあの戦略です。せめぎ合いの結果として、各論には色んな不整合を併せ呑みましたが、本丸は、震災前の「エネルギー基本計画」で2030年には50%以上を目指していた原発比率を、正式に「2030年代にゼロを目指す」に差し替えました。国民的議論の集約が、本当に大きな力になりました。

 

枝野さんからちょっと手伝ってって言われてスタートした、4月からの第5期。菅さんが辞めて行くときにぼくが残留した理由である原子力の広報に徹底的に関わったこの期間は、このエネルギー・環境戦略をまとめるのを手伝わせて頂けたということで、今できる精一杯の到達点まではこぎ着けられたと思っています。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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