縮小都市、あるいは集積の分散 ―― 政治制度からみた現代の都市問題

▶シノドスの電子メールマガジン「αシノドス」

https://synodos.jp/a-synodos

▶真の教養を身に着ける「シノドス・サークル」

https://synodos.jp/article/20937

縮小都市へ

 

都市の発展が自治体の利益と結びつくというのは、自明のことのように思えるかもしれない。しかし、実のところ両者は緊張関係にあると考えられる。鍵となるのは、都心を利用する/利用していた郊外の住民という存在である。

 

ある自治体の領域の中で、郊外の住民がつねに都心に関心を持ち、都心を発展させることに合意しているとすれば、都心の集積を整備することが自治体の意思として統一されやすい。しかし、都市の集積を合意して維持することはそれほど簡単な話ではない。集積が進むことは、つねに強調されるように規模の経済による利益を生み出すとしても、同時に激しい混雑や地価の高騰などの負の影響を生み出す。日本ではそれほど表面化しないが、貧困層の集住によって治安が問題となることもあるだろう。結果として、都心に居住できる人口は減少し、人口の減少とともに都心部の政治的な影響力は弱まることになる。

 

もちろん、郊外部が都心部の重要性を理解した上で、都心への資源の集中を容認すれば、都心の集積は維持されるだろう。しかし、無条件でそのような現象が発生すると考えるのは、あまりに楽観的な見方に過ぎる。郊外に住む住民は、都心部よりも自分たちが住む地域への資源配分を要請するだろうし、郊外部の人口が増え続けることは、そのような資源配分を可能にする条件となる。なぜなら、自治体の議会のような意思決定の場において、郊外の意思が代表されやすくなるからである。

 

さらに、交通機関が刷新されることによって、従来の都心とは異なる場所に新たな集積が生まれることがある。日本におけるひとつの典型は、交通の要衝となる(とくに新幹線への便利が良い)鉄道駅の周辺に集積が形成されることだろう。伝統ある都市では、しばしば鉄道とその駅が邪魔な存在として扱われ、すでに形成されている中心市街地から見て端に当たるような部分に建設されてきた。しかし、時代が経過するとともに、むしろターミナル駅の周辺の利便性が重視されて、従来の中心市街地をしのぐ新たな集積が形成されることになる。

 

近年では、モータリゼーションの進展によって、わざわざ労力をかけて混雑した都心に出なくても、もっと手軽に高度な集積を利用することも可能になっている。すでにさまざまに分析されているように(*3)、ショッピングモールはその現れのひとつであろうが、都市の域外の巨大資本がリスクをとって膨大な初期投資を行うことで、従来の中心市街地の商業に関する機能を部分的に担うような集積が形成されれば、従来の都心地域にとっては深刻なライバルが出現することになるのである。

 

(*3)谷口功一(2009)「ショッピングモールの法哲学:「市場」と「共同体」再考」『RATIO』6号、講談社、pp. 2-29、速水健朗(2012)『都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代』角川書店、など。

 

東京のような巨大都市では、数多くの集積が鉄道網によってネットワークされ、相互に補完的な機能を果たしていることがある。しかし、それが可能なのは、世界一の規模とも言われる人口を抱える東京都市圏が存在し、海外からも多くの観光客が入り込むという特殊性-異常さと言っていいかもしれない-があるからだ。ネットワークが発達しているだけでなく、地価が高く混雑の激しい東京では、地方と比べてモータリゼーションも進んでいない。

 

それに対して通常の地方都市においては、数多くの集積を抱えるほどには人口が少ないし、それらの集積をネットワークで結ぶような鉄道網が発達することは稀である。路面電車のようなかたちでのネットワークはあり得たが、個人化された車の利便性には及ぶべくもない。

 

郊外の住民にとって、従来の中心市街地-都心部よりも利便性の高い集積が生まれたとき、従来の中心市街地を維持しようとする動機付けが生じることは考えにくい。鉄道や自動車での利便性が高い場所が出現すれば、数に勝る郊外の住民は、むしろそちらのさらなる開発を支持しても不思議はないだろう。その結果として、従来の中心市街地は、新たな集積の拠点との競争に実質的に敗北し、加速度的に魅力を失っていくのである。

 

 

都市圏と自治体の領域

 

このような文脈をたどれば、縮小都市という問題設定を形式的に理解することができる。ポイントは、人口減少による拡大の停止を背景として、社会経済的なまとまりである都市圏と、意思決定の単位である自治体の領域にズレが生じ、中心市街地を核とする都市の発展が自治体として追求すべき利益と直接結びつかなくなってきたことである。都心部が発展していくためには、人口の多い郊外地域からの人口流入をつねに前提としなくてはいけない。言わば、都心部は郊外部への依存を前提とするのである。

 

それに対して、郊外部は都心部の存在に依存する必要はない。従来の中心市街地よりも利便性の高い集積が生まれればそちらを利用するだろうし、政治的にも人口の多い郊外部の意向を無視することはできない。郊外が都心を見放した結果、従来の特権的な集積であった中心市街地は衰退し、それが「縮小都市」として問題化されることになるのである。

 

日本では、このように理解できる「縮小都市」の問題が発生しやすいと考えられる。ひとつの大きな理由は、現在の日本の基礎自治体である市町村、とくに市の領域が非常に広いことにある。1950年代の「昭和の大合併」、そして2000年代の「平成の大合併」によって、もともと都市としての性格が弱いところでも「市」となっているし、伝統的な都市であっても社会経済的なまとまりである都市圏を越えて「市」が形成されていることが多い。

 

そして、すでに形成された「市」が改めて分割されることはほとんどあり得ない。そんな「市」という政治行政のユニットにとって、都心は必ずしも特権的に保護される対象ではなく、あくまでもひとつの集積にすぎないのだ。

 

他方で、例外的に都市圏が「市」の範囲を超えるところでも、「縮小都市」とは名指されないが同様の問題が発生している。政令指定都市である大阪市はまさにその典型的な事例であるが、大阪市という自治体が大阪の都市圏よりも狭いために、自治体が必ずしも都市圏として最適な事業を実施することができないという問題が生じうるのである(*4)。

 

(*4)この点は、砂原庸介(2012)『大阪 大都市は国家を超えるか』中公新書をご参照頂きたい。

 

政治行政のユニットとしての「市」が広すぎるとしても、「縮小都市」の問題に対応するために、自治体は現実にさまざまな方策を考えている。おそらくもっとも熱い視線が注がれているのが、いわゆる「コンパクト・シティー」の試みだろう。分散しているさまざまな施設を集中させるとともに、住民も比較的限定した地域に住まわせることによって、効率的に中心市街地を再活性化させようとするものである。

 

しかし、「平成の大合併」によって多くの自治体が以前よりも市域を拡大化し、中心市街地に居住しないという選択を行っている住民がむしろ増加したことを考えれば、「コンパクト・シティー」の再整備のために大きな投資を行うのは容認されにくくなっている。このような「コンパクト・シティー」の要請を実現するときの政治的な困難は厳しいものになっていると考えられる。

 

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

・植原亮「エンハンスメント論争の行きつくところ――BMIから徳へ?それとも?」

・出井康博「留学生という名の単純労働者」

・堀内進之介「学び直しの5冊〈現代社会〉」
・有馬斉「患者が望まない延命治療を行うことは正当化できないパターナリズムか――『死ぬ権利はあるか』出版に寄せて」
・穂鷹知美「移動の自由がもたらす不自由――東ヨーロッパを揺り動かす移住・移民問題」
・多賀太「男性の「ケア」参加はジェンダー平等実現の決め手となるか」
・吉永明弘「ローカルな視点からの環境論」