STAP細胞問題とは何だったのか?

「STAP現象の検証」の名の下で

 

ところが理研は、「不正の有無」の確認よりも「再現性の有無」の確認を優先した。実際、後者である「STAP現象の検証」の最終報告は2014年12月19日になされ、前者である「研究論文に関する調査」の最終報告はその後の同年12月26日になされた。

 

「再現性の有無」という問題は早い段階でほぼ決着がついていたはずである。疑惑浮上から間もない2月後半の時点で、カリフォルニア大学の幹細胞研究者ポール・ノフラー氏は、これまでに約10の研究室が追試したが、再現に成功したところはないことをブログでまとめている。実際には、もっと多くの幹細胞研究者たちが再現実験に取り組んだと見られる。その後も小保方氏らが開発した方法で第三者がSTAP細胞をつくることができた、つまり再現できたという報告はなかった。

 

理研が「再現性の有無」にこだわり続けた経緯を見てみよう。理研は「刺激による分化細胞の多能性誘導現象」、すなわち「STAP現象」が存在するか否かを検証することを目的として、4月1日から「STAP現象の検証」を開始した。実験統括責任者は相澤慎一特別顧問であったが、研究実施責任者は論文の共著者でもある丹羽仁史チームリーダーが担当した。

 

しかも、7月1日からは問題の当事者である小保方氏も加わった。さらに論文には書かれていない方法まで試された。客観性に疑問があるどころか、追試でも再現実験でもない「新しい実験」が、なぜか「STAP現象の検証」の名の下で行われたのである。

 

7月2日には、日本分子生物学会が「研究不正の実態解明」が「済むまではSTAP細胞再現実験の凍結」を声明で求めた。

 

8月27日には、「中間報告」が行われ、STAP現象と思われるものは何も観察されなかったことが明らかになった。そして最終的に、「検証」の結果、STAP現象は、何も再現されなかったことが12月19日に確定した。この計画には1500万もの予算がかかったという。

 

 

2つの調査委員会

 

優先されるべきであった「不正の有無」についての調査も、理研は迷走を続けた。理研は2月13日に職員からの相談を受けて、同日から17日まで内規に基づいて予備調査を行った。その結果を受けて、2月17日に「研究論文の疑義に関する調査委員会」を設立して、調査を開始した。この委員会は後に「第一次調査委員会」と呼ばれることになる。この第一次調査委員会は3月14日の中間報告を経て、3月31日に調査報告書をまとめた。

 

この調査では、ネット上ではその時点で、図表と文章合わせて十点以上の不正が疑われていたにもかかわらず、調査項目を6点に絞ってしまい、そのうち2点のみを不正と認定した。

 

 

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出典:同委員会の報告書および『朝日新聞』2014年4月2日付などを参考に筆者作成

 

 

これを受けて理研は、4月4日、野依良治理事長を本部長とする「研究不正再発防止改革推進本部」を設立し、その下で、外部の有識者からなる「研究不正再発防止のための改革委員会」が設置され、提言をまとめるための調査と検討が行われた。また4月8日には、やはり野依理事長の指示で、外部の有識者からなる「CDC自己点検検証委員会」を設置し、STAP細胞問題が起きた原因を究明し、その対応策を提言することになった。6月12日、「検証委員会」の報告書と「改革委員会」の「提言書」が同時に公表された(前者は10日付)。

 

改革委員会から批判されたこと、そして当事者である若山照彦氏や非当事者だが理研の研究者である遠藤高帆氏による解析の結果、STAP細胞とみなされていたものはES細胞である可能性が高いことがわかってきたことなどに応じて、理研は6月30日より研究不正についての二度目の(!)予備調査を開始し、9月3日、「研究論文に関する調査委員会」を設置した。この委員会は後に「第二次調査委員会」と呼ばれることになる。第二次調査委員会は前述の通り、2014年12月26日に最終的な報告書をまとめた。

 

 

第二次調査委員会の会見(14.12.26)

第二次調査委員会の会見(14.12.26)

 

 

第二次調査委員会は、STAP細胞とされたもの(正確にはSTAP幹細胞とFI幹細胞)の全ゲノム(遺伝情報すべて)解析を行った結果、それら全部が既存のES細胞に由来するものであると判断した。しかし、そのES細胞の混入が「故意」なのかそれとも「過失」なのか、また、誰が行ったのかは決定できない、とした。小保方氏を含む関係者は全員、ES細胞の混入について否定したという。報告書は結論を出せなかったことについて「本調査委員会の能力と権限の限界」だと述べている。

 

また、同委員会は不正の可能性を指摘されていた図表18点を精査したところ、さらに図2点を「捏造」、つまり不正であると認定した。

 

しかしながら、この調査にも疑問がないわけではない。報告書では、不正とは認定されなかった図表16点についても、「小保方氏にオリジナルデータの提出を求めたが、提出されなかった」、「提出されなかったため、不適切な操作が行われたかどうかの確認はできず、研究不正とは認められない」といった記述が散見される。怪しいと疑われた図表について、オリジナルのデータを示して反論できないのであれば、それは捏造、つまり不正とみなされるべきではないか? これで不正とみなされないなら、捏造や改ざんを疑われてオリジナルデータを出せといわれても、何からの理由をつくってデータを出さなければ不正とはみなされない、ということになってしまう。

 

実際、報告書も「ここで認定された研究不正は、まさに「氷山の一角」に過ぎない」と認めている。同時に「STAP論文の研究の中心的な部分が行われた時に小保方氏が所属した研究室の長であった若山氏と、最終的にSTAP論文をまとめるのに主たる役割を果たした(故)笹井(芳樹)氏の責任は特に大きいと考える」と、理研の研究体制そのものについても厳しく批判している。

 

筆者はこのときの会見でも、「研究論文に関する調査」よりも「STAP現象の検証」のほうが優先されてきたように見えることに強い疑問をあらためて抱いた。前者は「不正の有無」を調べるための調査であり、後者は「再現性の有無」を調べるための実験である。前者で不正があることとその内実が確認されれば、理研自身による検証実験≒再現実験など必要なかったはずだ、と。

 

理研理事の会見で筆者がその件を質問したところ、研究担当理事の川合眞紀氏は「4月の段階では予測できなかった」などと答えたが、明瞭とはいえない説明だった。

 

 

事後処理を誤った悪い例として

 

理研は共著者や理事などの幹部にはごく軽い処分を下し、野依理事長は給料の一部を自主返納しただけで、「引責辞任」を否定しながら、任期途中で2015年3月31日に退任した。一方で理研は、小保方氏に対して「運営費交付金から支払われた論文投稿料」として約60万円のみを請求することになった。

 

当然ながら研究にかかる費用は投稿料だけではなく、小保方氏の給料、研究室の設置や維持、動物実験になどにも多額の費用がかかるはずである。この処分は、今後また研究不正があっても、当事者は投稿料のみ返還すれば済む、という悪しき前例になってしまう危険性がある。

 

しかし一方で、小保方氏個人に給料や研究費の全額を返還させれば、すべての問題が解決するわけでもない。この研究不正が起きた背景には、悪い意味での成果主義があったことや、たとえば「運営・改革モニタリング委員会」が2015年4月に述べたように「科学的批判精神」にもとづく厳格なチェックが不足するような環境があったことなど数多くの要素が指摘されており、小保方氏個人の問題に還元できるものではないからである。

 

歴史を語るのに「もしも…」ということは禁物かもしれないが、せめて、理研が「再現性の有無」よりも「不正の有無」を確認するための調査を優先し、4月ないし5月の時点で、第二次調査委員会のレベルの調査結果を出していれば、真相は少なくとも現在よりはもっとクリアになっていただろう。自殺者も出なくてすんだかもしれない。

 

理研も早稲田大学も文部科学省も、研究不正の再発防止に取り組むとしているが、どんなに努力したところで、減らすことはできてもゼロにはできないだろう。再発防止だけでなく、同じかそれ以上に、組織としての事後処理体制が重要である。理研は事後処理を誤った悪い例となり、科学という営みの前提であるはずの信頼を内部から崩壊させたといわざるを得ない。

 

誰がES細胞を混入したのか? それは故意だったのか過失だったのか? 故意だとしたらその動機は? 日本を代表する研究機関で起きた不正問題は、真相がわからず、多くの国民が納得しないまま、幕を閉じようとしている。

 

 

ELSIと新しいバイオ医療技術

 

最後に、仮にSTAP細胞論文に研究不正がなくて、再現性があったとしても、ELSI(倫理・法律・社会的問題)を検討する必要がある、ということも繰り返しておこう。研究不正がないこと、再現性があること、この2点が健全な科学の必要条件ではない。ELSIが十分に検討されていることもまた、必要条件である(おそらく十分条件ではないが)。つまり「ELSI検討の有無」は、「研究不正の有無」や「再現性の有無」と並んで、ある研究を評価するために不可欠な項目である(研究不正(公正)、再現性、ELSIの間の複雑な関係についてはより深い検討が必要である)。

 

念のため確認しておくと、韓国の獣医学者ファン・ウソクらが2004年と2005年に、今日では「ヒトクローンES細胞」とも呼ばれるものの作成に成功したと称したのだが、よく知られている通り、2005年に不正が発覚し、2006年初頭に論文が撤回された。このことにより、ヒトクローンES細胞を利用する「セラピューティッック・クローニング」という医療モデルの探求は振り出しに戻った。しかしその後、2013年から2014年にかけて、3つのグループがヒトクローンES細胞の作成成功を報告した。ファンらが目指したセラピューティック・クローニングは、技術的には一歩実現に近づいたのである(前出「STAP細胞事件が忘却させたこと」参照)。

 

一方、STAP細胞あるいはSTAP現象と称されたものについても、重要なことは、体細胞に何らかの刺激を与えて多能性や全能性を持たせるというアイディア自体が否定されたわけではない、ということだ。否定されたのは、“小保方らの方法論”である。いつの日か、DNAに触れることなく体細胞に多能性を持たせる方法が見つかる可能性がないわけではない。そうしてできた細胞が、STAP細胞と称されたもののように、胎盤にも分化する能力を持つ可能性もある。そのときには、持ち札として揃った“万能細胞”すべての科学技術的問題とELSIを整理し、メリットとデメリットを慎重に比較検討する必要が出てくるだろう。このことはここでもあらためて繰り返し強調させていただく。

 

また、日本国内ではマスコミの科学部記者をはじめ、科学について高い感性があり、情報発信能力のある人たちのリソースがSTAP細胞問題に集中してしまい、そのために見えにくくなってしまった話題もある。ここでは詳述しないが、いま生命科学の世界では「ミトコンドリア置換治療(提供)」や「生殖細胞系のゲノム編集」といった新しいバイオ医療技術がELSIとして議論され始めているが、日本国内ではよく知られているとはいい難い。それらについての情報も広く行き渡り、ELSIとして深い議論がなされることを筆者は希望している。

 

 

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STAP細胞の問題はどうして起きたのか」片瀬久美子

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