わたしたちは何を見ているのか――写真とサイエンス 視野を拡張するビジュアル表現

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第3回:超次元編「11次元空間は可視化できるか?」

 

第3回は、理論物理学の世界において、数式で語られる次元を如何に可視化するかという試みで、過去の2回とは少し異なる。第1回と2回のように、可視化されたものから考えるのではなく、可視化されてこなかった数学的思考を可視化しようという話しである。

 

まずは、橋本さんから超ひも理論の解説をしていただき、その後、我々の視界(2次元もしくは3次元)に通常は落とし込めないもの(多次元)を、橋本さんと山口さんが共同して画像化する現在進行形のプロジェクトの一部を見せて頂いた(6次元の可視化など)。

 

SYNAPSEの塚田と、サイエンス会社員を自称する成田真哉氏がこのプロジェクトを数年にわたってコーディネートしている。

 

鳴川さんからは、自作の全方位カメラを用いて立体を写真という平面に落とし込む話、立体である地球上の位置関係を正確に地図という2次元に落とし込む話、2次元(設計図)からは想像しづらい構造物の話をしていただき、2次元と3次元を行ったり来たりする心地のプレゼンをしていただいた。

 

直感的には理解出来ない、容易にはイメージ出来ないものを、会場全体が頭をひねりながら想像していた。そんな抽象度の高い回だった。鳴川さんの話しが、建築という我々の日常に寄り添ったものを通したものだったので、我々の理解を助けてくれたように思う。

 

生物学が主な専門で、現代物理学を理解していない我々が解説文を書くことはいささかはばかられる想いがするのだが、橋本さんの話で印象的だったのは、超ひも理論とは、一つの美学である、という言葉だった。

 

宇宙の誕生までも説明し得るこの世界の理を、いかに美しく説明するか。そのためには、6次元や11次元といった、我々の直感では扱えないものを想定する方が、かえってキレイに説明が出来るというのだ。

 

もちろん、そのような次元を考えるには、橋本さんをはじめとする理論物理学者でも「切り口が必要」だという。4次元を切れば3次元になり、3次元の断面は平面になり、一般人にも分かりやすくなる。その切り口をどのように物理学者の頭は把握しているのか、見ているのか。それを映像化しようというのが、山口さんと橋本さんらのプロジェクトだ。

 

第3回は、非専門家が理解するには非常に難しい、かなり非日常的な思考を要する回であったが、しかし、1-3回全てを通して感じる共通点もある。

 

それは、いずれも人間の認識論に深く関わるということ。何かを観察しようとするとき、そもそもヒトはそこに何があると想定しているのか。何を見ようとしているのか。逆に、何を見ないままでいるのか。見ていないことに気付いているのか、いないのか。

 

それらに自覚的であるにせよ、ないにせよ、我々は何らかのカタチで世界を切り取って見ている。もしくは、切り取ってしか見ることができないのかもしれない。

 

そもそも、世界に存在する情報が膨大すぎるため、切り取らなくては認識が出来ないのかもしれない。昨今は、科学の領域はもちろん、経済学や社会学、マーケティングにおいても、膨大な量のデータを扱うことが出来る時代になりつつある。

 

しかし、コンピューターを用いてもそれらを扱うにはコストと時間がかかるし、それら膨大な情報の中に世界の理を説明し得る意味のある構造があったとしても、その構造が人間の認識を越えていた場合、捉えることが出来ない可能性もある。

 

科学の力をもってしても、人間の認識や思考体系にそったものしか理解しえないのではないか。つまり、科学も結局のところは、人間がリアリティを感じるものをディテクトしているに過ぎないのではないかという疑問がわいてくる。

 

同時にそこから「人間は一体何にリアリティを感じるのか」という問いも立ち上る。写真というものも、必ずしも我々が普段見ているように世界を切り取っているわけではない。

 

しかし、世界を静止画として認識しているわけではない我々にとっても、妙にリアリティを感じたり、涙が溢れるような感情を誘起したりする写真がある。我々にとってのリアリティとはなんなのか? 最後は、そんな我々の認識論そのものをテーマとする回である。

 

 

第4回:SR(代替現実)編「現実と虚構が交わるイメージ」

 

ゲストは「マインドゲーム」、「ピンポン」などで知られるアニメーション監督の湯浅政明さん、元STDUIO 4℃創設メンバーであり、「次元爆弾」や「アニマトリックス」、「SHORT PEACE」のオープニングアニメ、さらに近年では演劇の一部演出も手がけた同じくアニメーション監督の森本晃司さん。

 

そして、ヘッドマウントディスプレイ上でリアルタイムの映像と過去に撮影した映像とをシームレスに映し出すことが出来る代替現実(SR)システムを開発した脳科学者の藤井直敬さん。アニメイション監督と脳科学者という異色のクロストークは、私たちが認識する「世界の現実感」を揺さぶるものとなった。

 

講義は森本さんと湯浅さんのこれまでの映像作品の紹介から始まった。色とりどりのアニメイションがスクリーンに映し出された。独特の映像はすぐさまスクリーンへと人の意識を集中させる。時間の都合上、ほんの短い紹介だったが、冒頭から濃密な時間が流れた。

 

ノイタミナで放送された松本大洋原作「ピンポン」

宇多田ヒカル「Passion」に登場するアニメイションパートは本当に美しい

 

その後、同じスクリーンに、現実と虚構の狭間という観点からSRシステムについて説明したスライドが映された。これまでのバーチャルリアリティシステムとの違いや、SRだからこそ可能になった体験などについて、藤井さんから熱のこもった概説がされた。

 

「ヘッドマウントディスプレイを使って人の感覚をハックする。その限界をスペックのせいにしてもしょうがない。大事なのはそのシステムを使う人間を見つめること」

 

スペックに逃げるのではなく、それを使う人間の認識のことを考えなければ、人がリアリティを感じるような体験を与えるシステムは作れない。脳機能を研究する藤井さんだからこそ達した結論だといえる。

 

事実、SRシステムは現実に追いつくために映像などのスペックを上げるのではなく、虚構と現実を同一のビデオ映像として扱い、見ている人が現実だと思っている「体験(映像)」のクオリティをシステムで実装可能な質まで落とすことで、体験者の感覚を騙すことに成功しているという。

 

虚構のクオリティを現実に合わせるのではなく、現実のクオリティを虚構に合わせるという意味で、これまでとは真逆の発想だ。このことで、現実と虚構は地続きになり、境界は曖昧になる。

 

代替現実(Substitutional Reality:SE)システム

 

“リアリティ”を追求したからといって、そこに大きな意味があるとは限らないことを、SRシステムは明確に示している。とくに、藤井さんが開発した段ボールとiPhoneで構成されたスマホVR・ハコスコは、ハイクオリティの追求とは別の道への可能性を示している。

 

 

photo3

X Realityの付録となっているハコスコXを体験するSYNAPSE Lab. Kと某ショップ店員

 

 

興味深いことに、トークが進むにつれ、全く同じことをアニメイションも示唆していることが徐々に明らかになっていった。CG技術が発展し、本物に迫るクオリティの映像が作られるようになった昨今、アニメイションにも積極的に3DCGが取り込まれるようになった現状がある。

 

その一方で、森本さんや湯浅さんのアニメイションには物理演算エンジンが苦手とするデフォルメや、物理法則に縛られずに縦横無尽に動き回るキャラクタァ達が頻繁に描かれている。

 

宙を舞い、輪郭を絶えず変化させながら踊る女や、ビルを飛び越える主人公。ギラギラと光彩を放つ大きな瞳。急勾配を勢いよく駆け上がる家族の姿。現実世界ではあり得ない光景が広がっているにもかかわらず、私たち視聴者はそこに妙なリアリティを感じ、感情移入する。

 

「昔のテレビゲームって、森とか自然とか全部ドットで描いてあって、本物と全然違う。けれど、ぼくらにとって、あれは本当にワクワクする森だったんだ。下手なCGよりよっぽどリアル」

 

「シンプルな線でデフォルメされているのに、ちびまる子ちゃんに懐かしさを感じてしまう不思議。」

 

緻密に描けば視聴者の感情を喚起できる訳ではないという森本さんと湯浅さんの言葉は、先の藤井さんの言葉と驚くほど重なる。

 

もちろん、映像への没入感という意味ではSRとアニメイションには大きな違いがある。しかし、パノラマ映像へ没入するキッカケと、アニメイションに感情移入するキッカケには「リアルにすればいい訳ではない」という重要な共通項が存在しているように思えた。

 

その後、視覚と聴覚に依存するアニメイションとSRはその他の感覚に訴えかけることが可能なのか、仮想現実は私たちの社会にどんな影響をもたらすか、その先にどんな未来が待っているか、など壮大な話が膨らんでいった。しかし、やはり根底には「私たちは何を現実として認識しているのか」というテーマが常に潜んでいた。

 

ここまで見てきたように、連続講義ではこれまで「宇宙」、「細胞」、「次元」、そして「虚構と現実」をテーマに講義が重ねられてきた。毎回、それぞれのテーマに基づく議論が深められたが、そのどれにも、見えないモノを見ようとする人間の根源的欲求と、その先に何を認識しようとしているのかという認識論があった。

 

最終回であるこの講義は、人の視野に直接訴えかけるビジュアル表現がテーマの中心に据えられており、これまでの講義を束ねる回となったと言える。

 

私たちは何を見ているのか、そして、見ようとしているのか。夜空に輝く星は、あなたの掌の細かな皮膚は、あるいはあなたがいるその部屋の空間は、本当に目に見えている通りの姿なのだろうか? 今感じているモノの見方を少し変えてみると、また別の世界が浮かび上がってくるかもしれない。

 

芸術などの創作物はクリエイターの研ぎすまされた感性とロジックで、科学は研究者の積み上げたデータと理論で、このテーマに向き合っているように思えて仕方が無い。異なる階層で様々なモノを見つめ続けるヒトはいったい何を見たいのか、その疑問に少しでも近づくためのヒントがたくさん散りばめられた講義だったのではないかと思う。

 

今回、IMAさんから「写真をテーマに」というお題を頂き、IMAのファンの方々が期待するようなイベントが出来るのかどうか、我々としてはとても不安を感じたのではあるが、このイベントに来て下さった皆さんが実際にファインダーを覗くときの視野が、少しでも拡張さていれば幸いである。日常を捉える視野を拡張することで、講義の内容がさらに拡張することを期待しつつ、レポートを閉じる。

 

(文:おかべしょうた・菅野康太)

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

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