2015.09.24

つながるSYNAPSE――世界制作のための(x,y,z)

Synaptogenesis phase.2 イベントレポート

科学 #サイエンスコミュニケーション#synapse#科学#SYNAPSE Project

SYNODOSとSYNAPSEとのコラボ連載第4回です。私たちは研究者と編集者・ライター・プランナーによるチームで、異分野の人達とのコミュニケーションを通して科学を広める活動をしています。連載第1回ではその活動の歴史的・理論的背景を、第2回と3回では実際の活動であるイベントのレポートをお届けしました。

これまでの記事こちら

今回は、2014年の10月に我々が行ったカンファレンス「つながるSYNAPSE−世界制作のための(x,y,z)−Synaptogenesis phase.2」で話し合われた内容を受けての論考をお届けします。

連載第1回ではサイエンスコミュニケーション以外の分野でも課題となっている「異分野との繋がりの重要性」を指摘してきましたが、このカンファレンスでは科学や大学以外の分野で、異領域同士のコミュニケーションを軸に活動を展開している以下の6名の方々と共に議論をしました。

江口晋太朗(編集者、ジャーナリスト、NPO法人スタンバイ理事)

緒方壽人(takram design engineering)

西村真里子(元バスキュールプロデューサー、現Heart Catch代表取締役)

松倉早星(ovaqeinc.代表クリエイティブディレクター)

鷲尾和彦(Future Catalysts/博報堂クリエイティブプロデューサー/写真家)

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このカンファレンスの目的は、様々な領域において越境やシステムの再編が必要とされる昨今、既にその架け橋となり活動されている実践者たちが集うことで、新たな働き方や職能、その社会的意義を問うこと。

そして、「つながるSYNAPSE」と題したイベント名の通り、肩書きや領域は違えど、似たようなビジョンを持つ人々同士の「つながり」を生むことでした。

さて、議論の出発点を決めるために、私たちは最初に以下のお題を立てました。

1.「既存の体系を壊さずにハックする方法とは何か?」

2.「それぞれの活動の社会的意義とは何か?」

現在を振り返ってみると、2000年代から2010年代にかけて、ソーシャルネットなど新たなWeb上のツールやICT技術が一般化し、それらを強みとするベンチャー企業も数多く登場しました。

一方、大企業では情報や消費者の多様化によって、トップダウン型のものづくりや従来の分業制による組織体系の再編が求められるようになってきています。また、地域拠点のNPO法人などの活動がますます盛んになり、新たなコミュニティが多数形成されたはずです。

そして2011年の震災以降は、さらに人と人の関係性が重要視され、コミュニティへの意識が高まったように思います。

近年、既存の体系では対処しきれないモノゴトに対し、新たなアプローチが数多く試みられ、固有の領域を超えて活躍するクリエイターも増えてきました。

しかし、10年代も折り返した今、「異分野融合」といった言葉も一人歩きしはじめ、「新しいコト」であったはずのものの中には、もはや新しい「既存の体系」になりつつあるものも目立ち始めているように感じます。

「新しい」アプローチが既存の体系を打破することは叶わず、また、打破することで失われるものも実際には大きく、それを失ってまで変化を望む人は多くはない。

そして、小さな新しい分野は周辺コミュニティの中で体系化、もしくは権威化し、同じことが再起的に繰り返され、状況はあまり昔と変わっていない。そんな風に感じることがしばしばあります。

一方で、最近面白い動きをしていると僕らが感じる人たちは、むしろ既存の体系とうまく付き合い、少しずつ目的を達成しているようにも思えます。

そのヒントは、既存のシステムを壊すのではなく順応しながら、したたかにそれらをハックしていく方法。カンファレンスでは、登壇者の実践的な活動内容を探ると共に、その根底にあるビジョンや方法論をここでもう一度確かめ、我々の今後の活動に活かしたいと考えました。

本稿ではディスカッションの中でゲストから語られた内容の一部を以下に紹介します。

広告代理店から、アートを都市・産業の触媒にしていく(鷲尾和彦)

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博報堂のクリエイティブプロデューサーとして働きながら、写真家としても活動する鷲尾さんは「これまでの広告手法だけではリーチできないものがある」と、冒頭に語りました。たとえば、従来の産業においてアートとビジネスは全く別の物だと考えられる傾向にありました。

もちろん、分野としては別物かもしれませんが、産業の裏には必ず文化があり、人々の欲望や情動を掻き立てるものがあった。その媒介が文字通り「メディア」だったわけですが、企業も広告会社も、消費者の動向ばかりを気にするマーケティングビジネスをはじめ、短期的な利益追求を求めるばかりでイノベーションとはほど遠く、大きなビジョンが描けていない。

こうした疑問に立ち向かった矢先、鷲尾さんが8年前に出会ったのがオーストリア・リンツ市にあるアートセンター、アルスエレクトロニカでした。テクノロジーを主軸に、メディアアート分野に強いアルスエレクトロニカの掲げるテーマは「アート、テクノロジー、社会」。1979年に発足したこのアートセンターは「灰色」のイメージがあったリンツという工業都市において、これからやってくるエレクトロニクス産業を見据えたテクノロジーのあり方を考察する場として広く機能し、今日ではユネスコの認定する「創造文化都市」に選出されるまでに至りました。

では、アルスエレクトロニカの果たしてきた功績とは何なのか?鷲尾さんはその真意を知るべく、アートが都市の触媒となる姿を探求してきました。8年の歳月が実を結んだのは2013年の終わり頃、社内から新たな風が吹き始め、博報堂とアルスエレクトロニカによる共同事業「Future Catalysts」が2014年に始動したのです。広告代理店とアートセンターという異色のコラボレーションが、産業や都市にどんな影響を与えていくかがこれからの課題だと鷲尾さんは語っていました。

トップの人間のホンネをくすぐる(西村真里子)

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一方、大きな組織が変革していくにはまだまだ大きな課題が残ります。クリエイティブとビジネスの架け橋をつなぐ実践的プロデューサーの西村さんもまた、その一つの原因として、組織における決裁権が一部の人物に集中している点を指摘しました。

そもそもの組織構造の問題として、決裁権を持つ人物に対して、組織の中からでは意見を上げにくいといった状況も目立つ、と。だからこそ、トップにくすぐりをかける「異人(まれびと)」的存在が求められているのではないか、と。

西村さんは持ち前のパワフルさと人を魅了するキャラクターで、たとえばテレビメディアのような企業に飛び込みで押しかけ、自身の得意とするデジタル領域とのコラボレーションを実現させています。1対1で話をしてみれば、企業の上層部にも悩みを抱える人は多いことがわかってくる。その打開策を共に編み出していく戦法こそが、これからの鍵を握るのかもしれません。

時には子ども目線で、コミュニティの輪に飛び込んでいく(松倉早星)

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京都を拠点に「Ovaqe」という会社の代表を務める松倉さんは、「新しいこと」成し遂げるための人のつながりを作るには、「古いやり方の方がうまくいくこともある」と指摘しました。

松倉さんの会社のメンバーは3人。ゲストの中でも最も少人数の組織で仕事をしているといえます。松倉さんの仕事はWebから広告プランニング、地域のコミュニティ作りと幅広く、「自分でも何屋といっていいかわからない」と仰っていました(「何屋とも呼べない人々を集めた」というのが今回の主旨だったりもしますが)。

そんな松倉さんの近年の活動の一つに、「小豆島醤の郷プロジェクト」におけるクリエイターレジデンスの経験があります。そこで松倉さんが得たヒントとは、「何をしていいかもわからないときは、まずそのコミュニティの人々の輪に飛び込む」ということ。

小豆島で1週間の滞在を始めたとき、港に停まっていた漁船を見て、船長たちに「築地丸、かっこいいっすねー」と声をかけ、飲み始めた。それがコミュニティ作りのきっかけとなったそうです。

それから毎晩、地域の人々と飲み会を開き、仲良くなり、島にある「こわい話」の採集を始めました。また、レジデンスの最後には島の子どもたちと遊びながら、彼らしか知らない「秘密基地の地図」を描くというプロジェクトを実施したそうです。

そこでは長年住む大人たちでも知らなかった「まちの新たな地図」が出現し、とても面白かったと語る松倉さんですが、それはきっと、人の目線で描かれた「地域と人の関係性が浮かび上がる地図」だったのでしょう。

聞いているだけでもワクワクする話ですが、松倉さんは「新しいことをするからと言って、昔ながらの方法が通用しないということではない」と言います。そして、2児の父でもある松倉さんにとって、「子どもは最高にクリエイティブな存在」。何か先鋭化された方法を探すより、見た目はいびつであっても、色々なものごとに可能性を見出せる「こどものような状態」が望ましい、と語りました。

クリエイティブな衝突から生まれるイノベーション(緒方壽人)

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デザインとエンジニアをつなぐtakram design engineeringの緒方さんは、彼ら独自のメソッドをまとめた書籍『イノベーションの振り子』について語ってくれました。

本のタイトルにもなった「振り子」とは、たとえば異領域の人々が集まったとき、全員の中庸的意見に合わせるのではなく、それぞれの先端的な思考と思考の間を「振り子」のように行き来すること。この緊張状態を保持しながら互いの視野を取り入れることがイノベーションにつながるのではないか、と緒方さんは言います。

またネガティブな問題解決から始まるデザインにおいても、多様性を取り入れることで思わぬ発見につながることがあることを自身の経験から話してくれました。たとえば、乳幼児専用の内部被ばく検査装置「BABY SCAN」(東京大学早野龍五教授、山中俊治教授、キャンベラジャパン株式会社と共同開発)の開発にあたっては、緒方さんご自身の子どもにも体験者となってもらい、子どもが寝転がっても不安にならないようなデザインを考案されたと言います。

「終わりのデザイン」が必要な時代になった(江口晋太朗)

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ここまで話を伺っていると、ゲスト個々人の活動は非常に成功しているようですし、実際そうだと思います。しかし、では何故、全体としての「浮上感」を味わえていない気がするのか。これら個別の成功例を一般化し、様々なプロジェクトを成功させるための方法は「全く確立されていない」と外山さんも断言しています。ここで、編集者の江口さんは近年何度か大きな「変革」ブームはあったものの、大きな変革にはつながっていないものが多いことを指摘しました。

福岡県出身で、陸上自衛官出身という異色の経験から、国家や社会の仕組みやあり方に目を向けるようになったという江口さんは、編集者の仕事の他にもネット選挙運動の解禁という公職選挙法の改正に向けて活動したOne Voice Campaignの発起人や地域課題に取り組むNPO法人スタンバイが運営するWebマガジン「マチノコト」の運営、市民参加型のコミュニティを通してテクノロジーを活用した公共サービスの開発運営を支援する「Code for Japan」に携わるなど、多領域の活動を続けています。

いくつものスタートアップやNPO法人の立ち上げなどを見てきた江口さんから出た一つの提案は、「終わりのデザイン」の必要性。NPO法人などは毎年右肩上がりで増え続けていますが、何かを始めるときはいいものの、その後は継続が目的にすり替わり、主軸を持たずにぬるぬると続く「Living Dead」の状態が日本の至るところで見られると言います。

事実、発起人として活動したOne Voice Campaignは、法律改正という目的を達成したことによってキャンペーンの活動を収束させています。ネット選挙解禁の次なる活動に歩みを向けてもいいところを、キャンペーンとしての活動を終了させ、活動に関わったメンバーそれぞれが個々にさまざまなアプローチで社会に対して変革を起こす動きを起こしはじめているとのこと。始まりではなく、終わりをデザインするとはどういうことか。

ここで言う「終わり」をどのように捉えるかについては、まだまだ議論の余地がありそうです。

「共感」をデザインし、多様なバージョンを重ね合わせる

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新しいことがたくさん起きているにも関わらず「なんか世界変わんないなぁ」という感じを、おそらく多くの人が持っている。全体が変化していくために、江口さんは「大きな編集が必要」だとも語っています。

大きな編集とは、変革のターゲットをある一部の層だけに留めず、それらを他ジャンルの層にも広く伝搬する仕組みを作ること。その方法についても様々な議論が登壇者たちと交わされましたが、たとえば鷲尾さんから出た言葉の一つには、世代間におけるギャップに対して、「インタージェネレーション・ラブ」が必要ではないか、ということ。異なる人々同士の「共感」または「愛着」をデザインしていく必要があるのでしょう。

あっという間の議論(3時間だが)が交わされた後は、ゆるやかな交流会がスタート。ここまで振り返ってみても、もちろんこの日の抽象的な議論がすぐに社会変革につながるとは私たちも思っていません。

しかし、この日の第一の目的は、登壇者同士、そして参加いただいた人々同士が顔を合わせ、互いのビジョンを共有すること。イベント名の副題にある「世界制作のための(x.y.z)」にはそんな意味も込められています。

「世界制作」とは思想家ネルソン・グッドマンの著作『世界制作の方法』からインスピレーションを得た言葉ですが、グッドマン曰く、「われわれはバージョンを作ることによって世界を作る」。社会が多層化した21世紀の今日、社会を一変させるような革命を待つよりも、様々な「バージョン」がそれぞれアップデートされ、互いに重なり合うことでゆるやかにこの社会にも風穴が空いてくるのではないか。これは今回の企画者の一人、SYNAPSEの塚田の勝手な拡大解釈ですが、この日は登壇者たちが個々に持つ「バージョン」が少しだけ重なり合う1日だったと思っています。

いつしか、私たちの「バージョン」と読者の皆さんとの「バージョン」が重なり、また新たな道が開ける日を楽しみにしています。

(文:塚田有那)