2016.02.05

社会は縦割りにできていない――専門分化を越境するための4つの型

太刀川瑛弼氏(NOSIGNER)インタビュー

科学 #サイエンスコミュニケーション#synapse#科学#SYNAPSE Project

SYNAPSEとSYNODOSのコラボ連載、今回が最終回です。前回は、「つながり」をテーマにしたイベントレポートでした。 広告、アートと町づくり、アートとテレビメディアなど、様々な分野で異なる文化同士をつなげ、新しい価値を創造しようとしている人々と議論を深めました。

しかし、こういった人々がいろいろなところで、ある意味、突出した存在として活躍しているにもかかわらず、日本や大学、地域などのコミュニティ全体としては、未だ浮上感が見られないのはなぜか。そんな疑問も同時に浮かびました。

今回は、「コミュニティ全体をアップデートすること」をテーマに、デザイナー集団であるNOSIGNERの代表、太刀川瑛弼さんにインタビューをしました。デザイナーとしての活躍だけでなく、行政関係のお仕事もされており、2014年8月に発行されたクールジャパン提言』(PDFでは、デザインおよびコンセプトディレクターを担当されました。また、太刀川さんは我々SYNAPSEが発行した2冊のフリーペーパーのアートディレクターもしてくださっています。

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多くの人が問題意識を共有できるような提言を作成するにいたったお話や、ここ数年の日本における社会活動、コミュニティ全体としての成功やその持続可能性、それらを実現するために必要な多様性についてなど、横浜のNOSIGNER Office でお話を伺いました。

菅野 以前、我々が行ったカンファレンス(前回の記事参照)の冒頭で、実は「クールジャパン提言」の序文を使わせてもらったんです。というのも、序文の中の単語をいろいろ置き替えると、どの分野にも共通する問題提起になりうると思ったからです。

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例えば科学技術に関する単語(青文字)を上から重ねて見ると、共通する構造の問題が浮かび上がる

同じような構造の問題がいろんな分野で起きているのだと思います。実際に、他の領域に問題意識やアイディアなどを伝えること、多様性や越境性など、そういうことの重要性がいろんなところで叫ばれている。僕らがSYNAPSEを始めたのも、そうした問題意識を共有していたからでした。

太刀川 今から5年くらい前、例えば学術では、専門領域間に壁があり、どんどん細分化されて狭くなっていく中で、社会と学術の間に距離が出来ていました。同時に、学術内でも各領域間の繋がりが希薄になって、「別のところにもいろいろ発見があるのかもしれないけど……どうしたものか」みたいな雰囲気があった。洞窟の中にいるような感じですね。

研究のみならず、社会も細分化していったので、お互い交差することがなくなってしまった。そのことに危機感を覚えて、SYNAPSEを始めました。

菅野 「クールジャパン提言」は越境性を意識した提言になっていました。省庁の縦割りの弊害のように、国の観点から考えても「越境」の必要性を感じられるものがあります。

太刀川 なぜ「クールジャパン提言」を作ったかというと、クールジャパンも神社の人、アニメの人、アイドルの人みたいに、内部で専門分化していたからなんです。クリエイティブってツールに過ぎないんだけど、自分の領域以外のツールは、何のために使うのかがわからない。

まずはお互いのツールを理解したら、「一緒に面白いことをやろう」という機運が高まるんじゃないか、と思ったんですね。領域を超えたクリエイティブインダストリーを作ろう、みたいな感じです。

専門分化している状態が課題になるというのは、もう、どこの分野でも起きてることなんです。それを超えるためのやり方にはどうも「」がある。それが分かっていれば、意外と課題を乗り越えることができる。

菅野 なるほど。どんな型なのでしょうか?

太刀川 実はたったの4つしかないと思うんです。一つは、多様性を許す。その上で、話す人数を減らすことです。同時に話せる人は少ない。多様性が担保された状態だけではなく、互いに「話を聞いた」-「聞いてもらった」という交換が起きるような環境にすることが重要だと思うんです。

菅野 だから提言を作る際も、多彩な職種の人たちで、しかし少人数のワークショップを繰り返し行ったんですね。

太刀川 そうですね。参加者がちゃんと一回、相手の話を全部受け取ることが必要なんです。しかし、このインターネット時代では、人は3秒しか話を聞いてくれなかったりする。でも、3秒で伝えられることなんてほとんどない。だから一瞬で笑えるものだけがバイラルメディアで広がるし、選挙ではただ名前を連呼することになってしまう。でも、大事なことは、その人が言ったことが吸収されることです。だから、そのための間口をつくることが必要だと思うんです。

領域横断のための型に話を戻すと、衆愚ではなく集合知にするには、相手と意見や主張をぶつからせるときに、必ずお互いが共感できるポイントまで磨かなきゃいけません。最大公約数を見つける、と言ってもいい。きっと、誰だって何パーセントかは正しいことを言っているんですよ。

だったらまずは相手の「正しいこと」をきちんと受け止めないといけない。だからこそ話し合うときは少人数である必要があるのだと思います。きちんと受け止め合うために。

その上で、いろいろ意見をぶつけた結果、「共通の祈り」みたいなものが見つかるんです。何かお店を作ろうと思って、内装、建築、広告、いろんなプロをあつめても、そもそも「どういうお店にしたいか」、その共通理解ができていなければなにもできないわけですね。

まず「共通のミッションを明確にするための型」が、「多様性」と「少人数」というわけです。また、その公約数を見出すためにも、まだ序盤では、誰が良い意見を言うかわからないので、開かれていること、オープンネスを確保することが大事です。

まとめると、(1)多様性、(2)スモールチーム、(3)共通のミッション、(4)開かれていること、となりますが、なぜこれらが必要なのかというと、誰かと一緒にものを作る場合に、しかし、当事者がそれぞれ「私が作っている」という感覚も同時に持つために必須のことだからなんですね。お気付きのように、最近では当たり前のように言われていることなんですけど。

菅野 なるほど。プロジェクトに関わる一人一人が「参加している」という感覚を持ち、集合知を作り上げていくためのメソッドですね。

グリッドの檻からの解放、クリエイティブの民主化

太刀川 こういう流れがここ数年で明確になってきたとは思うんだけど、ムーブメントになるためには条件があります。さっき言った共通の祈りのようなものを明確に、もしくはシンプルに設定する必要があると思うんです。

例えばモダニズムのデザインは、いろんな業種の人があつまって、産業革命からの工場生産に見合うように、作り勝手が良いことや、使い勝手が良いことを求めた結果、シンプルになっていった。Less is more ですね。まだ、方法論として答えが見つかっているわけではないけど、まず、多様性があって、でもそこから共通の祈りを見つけていくと、シンプルになる。

菅野 様々な仕事でハンコを押すことや書類を作ることばかりが増えて、実質的な生産以外の所に時間が取られ「そういうものなんだ」と言い聞かせているうちに、シンプルだったものが、どんどん複雑になっていく。本当はもっと簡単なことのはずなのに、煩雑で余計な作業に諦観、あるいは鈍感になっている。

クールジャパン提言ではそうした問題を解決しようとしているように感じました。行政資料のあり方の見直しであれば、フォーマットを変えて、インフォグラフィックを増やして、見やすくわかりやすくしようとか、「調達の仕方の改革をしよう」とか。そういったものが盛り込まれていて、複雑化してしまった様々なものを、フォーマットの面からも、機能的に、シンプルにしていこうという意図が感じられました。

塚田 組織での意思決定は複雑で時間がかかる、という弊害がありますよね。でも、そうした時に、領域横断的に動いて他の領域のトップの人にいきなりアクセスして、通常の過程をすっ飛ばして何かを始めるっていう例が意外と最近多い気がしています。

いきなりトップに話を持ちかけるって、同じ領域だとなかなか出来ないわけですが、他領域からだと意外としやすくて、すんなりやってしまえることもある。そういう道もある気がするんです(参照:前回の記事の西村氏談)。

菅野 例えば、研究の世界で言えば、学会などで他の研究室の先生と直接話せる機会があります。分野が違うと思わぬアイデアが生まれ、共同研究が始まることもあります。大学同士とか研究機関同士だと共同研究に至るまでの過程が多くなってしまいますが、研究室を主宰しているトップと話すと、案外話が進むことがあるかも。

太刀川 うん。縦割りは本当にどこにでもあって、さっき言ったようにクールジャパンでも問題になりました。領域を越えられない縦割りの問題もあれば、他の領域の人であっても同じようなポジションの人としか話さないという横の縛りもある。横にも縦にも縛りがある感じがあります。僕らは、縦にも横にも、格子状の箱に閉じ込められているみたいですね。ここを、超えるための提言にしたかった。

ワークショップには、各領域の偉い人たちも呼んだんですけど、領域問わず、みんな意見が似ていましたよ。例えば、クールジャパンでは英語特区を提唱して、それが軽く炎上したけど、お呼びした方々はみんな「それくらい、当然だよね」ということが分かっている。英語が話せないと自分の意見を伝えられませんからね。そうすると、色んなことが変わらない原因はトップが悪いから、というばかりではないわけです。

領域の多様性の他に、立場の多様性というのも必要で、互いのリスペクトも必要。それぞれの立場で大変なこともあるんだけど、立場が偉さになっちゃってるんで、分断しちゃうんでしょうね。外人がファーストネームで呼び合うの、立場を気にしないための生存戦略なんじゃないかと思うんですよ(笑)。

でも、最近は徐々に変わってきましたよね。繰り返しですが、共通の祈りの設定、領域という縦の縛りと立場という横の縛りからなるグリットの檻からの解放・流動性の向上、みんなの中にあるクリエイティビティを萌芽させる、これを、クールジャパンでやりたかった。クールジャパン政策では、市場で消費されるコンテンツを作るだけじゃなくて、ファンダメンタルな変化を起こしたかったんです。

菅野 いうなれば、クリエイティブがもっている社会機能を民主化する、そんな感じですね。

太刀川 そうですね。その結果、ああいう提言になりました。

その後の影響――ソーシャルインパクトについて

塚田 ちなみに、提言を作ったあと、その後は何か動きがあるんです?

太刀川 あの後、内閣改造があったので、いろいろ変わっちゃいましたが、行政の中にいる人やクリエイターの方々からはとても評判が良くて、いろんな省庁・部門にいる人でイノベーションに興味を持っている人がたくさん読んでくれました。クールジャパンはもともと経産省からはじまったので、他の省庁の事業まで広がるには時間がかかるし障壁も多いんですが、内容以外に、モノゴトの進め方のフォーマットが残ったりしています。

京都市では、ソーシャルイノベーションセンターができて、僕がそこでクリエイティブディレクターをやることになりました。実は、ああいう方向での提言に共感してくれる人がいることは分かっていたんです。現状を打破してイノベーションを起こしたい人の課題は似ていますから。その共感を社会に一石も二石も投じる、暖簾も何度も押すという気持ちでやったら、やっぱり、日本中から反響があったし、じわじわ効果も見えています。

ただ、いろんな活動は萌芽しているんだけど、今はまだ、ソーシャルインパクトが低すぎるんですね。一発ではものごと変わらないので、みんなで10発くらいいれましょう、そんな気持ちですし、そういう人は、集まりつつあると思います。

塚田 そうですね。わたしも、みんな「わかってる」と思います。でも「わかってる」だけで終わらせないためにも、ソーシャルインパンクトが大事ですね。

菅野 僕が最近感じるのは、多くの人が「変わったら良いな」と思っているわけではなくて、「別に変わらなくて良いんで……。むしろ変わって欲しくないです」っていう人が思っている以上に多いのではないか、ということです。依然としてこういう雰囲気が存在するので、そこを払拭するためにもソーシャルインパクトというものは、非常に重要な位置を占めてくるように思います。

太刀川 本当は、社会は縦割りにはできてなくて、お互い影響を及ぼし合っているんです。こういうことをたくさん言っていけば、僕がやるかやらないかは別にして、どこかで盛り上がっていくはずだし、そういうアイデアの流動性みたいなのが段々向上して、クリエイティブで対話的なものが増えていくと思います。「これ、最初に誰が言ったんだっけ?」そんな状況で良いと思うんです。

必要な「場」とは何か?

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菅野 これまで話してきたようなことを実現するために必要な「場」もしくは「環境」とは何か。それについてお話したいです。太刀川さんの考えを教えてください。

太刀川 そういった「場」とか「環境」というとシリコンバレーを思い浮かべる方が多いと思います。でも、シリコンバレーにいる人たちの方が僕らよりもクリエイティビティが高いのかというと、必ずしもそういうことではないと思います。日本にだって、素晴らしい人はいっぱいいますよ。

問題は、クリエイティビティとソーシャルインパクトがつながらないことなんです。これも、僕が言うほどのことでもなくて申し訳ないんだけど、シリコンバレーでベンチャーキャピタルみたいな人が何をやってるかっていうと、基本的にはさ……学校をやっているんだよね!

塚田 確かにそうかも。

太刀川 学校で何をやっているかっていうと、教え合ってるんですよ。自分が投資したスタートアップの人たち同士に、学ばせ合っている。もっと言うと、ツッコミを入れさせあっている。日本だと、空気読みあっちゃうから、褒めあったりしちゃうんだけど、そうじゃないんですね。先生は、壇上にいる人じゃなくて、壇の下にいる人たちが互いに先生になっている。シリコンバレーには、そのカルチャーがあったから上手く行ったんです。

互いに聞き合うってこと。これはさっきの話にも通じるけど。そうすると、どこが本質でそうじゃないか、これが自ずと浮き彫りになっていくし、この過程が、非常に集合知的。互いに助け合う集合知的状況がそこにあるんですね。一見、際立った個人が目立つ気がするけど、実は、みんなで教え合うという環境こそが背景にある。

そして、そこで先生になる人、壇上にいる投資する側にいる人のほとんどが元プログラマーだったりするんだけど、言ってみればその人たちはもう成功者たち。もうアガリの人なわけです。でも、彼らは成功者だけども、もう現在の主流とか流行とか、必ずしも自分たちがそういうものではないという自覚があって、コンテンツそれ自体よりも、問いを作り出す方法みたいなもの、それを教授することに注力している、自覚的に。「隣の人から学べよ」ってことを、とにかく教え込んでいる。日本の教育は、そこをやらなすぎた。つまり最後は、教育の話になるんですね。

塚田 なるほど。実は、今日はまさに教育の話をしたかったんです。

太刀川 プロフェッショナルな人はみんなわかっていると思うんだけど、誰から一番学べるかって、段上にいる先生よりも、ちょっと上の先輩とか、頑張っている人、先を行っている人、そういう人と話したりしながら、実際に何かをやって創って、という、そういう過程から学べるし、それが気持ちいいんですよね。だから部活って良いんだと思うんですが。そういう仕組み、部活以降ないですよね、日本。

菅野 そういう学び合いの環境というものが、領域横断的だと素晴らしいですよね。学者の中では若輩者として扱われる僕ですが、異分野の人たちが集まって話し合う場に行くと、かなり年上の人でも、同分野では味わったことがないくらい対等に扱ってくれることがあります。しかも上の人たちは、他の領域の上の方の人と知り合いだったりして、むしろそういうことが縁で、自分の専門分野の上の人とも繋がって話せるようになったりする、そんなことはありますね。

太刀川 そうそう、まず横をつなぐと、そういうことが起こる。専門分化すると、ヒエラルキーがどうしても形成されちゃって、権力を維持したいという方向に行きがちになる。でもそれじゃあ、将来的にはその領域自体がシュリンクしちゃって、守りたかった物自体がどんどん小さくなっちゃうんですよね。だから、ボリュームのある新しいものを生むためにも、横のつながりが必要になっていくんだと思います。

僕は、デザイナーだし、デザインが好きだから、デザインに対して貢献する気満々なんなけど、だからといってその領域の中でだけ一生懸命になっていても「新しい価値はどこにあるのか?」ということが見えづらくて。別の領域の人と話をしていると、むしろ、そっちの人たちがデザインの価値、使い道みたいなものに気づいて教えてくれるんです。

デザインが役に立つって見出してくれるのはデザイナーじゃなかったりする。でも、そのことがデザイン自体のためにもなる。それに、それぞれの専門の山を登っている人たちは、そういう価値に気づける人が多くて、だからこそ、その領域で上に登って行ったんだと思うんですよね。

菅野 確かにその通りです。そこで気になるのは、価値がわかる人はどの領域にもいるし、この数年で異分野の人と話そう、越境的な何かをしようという機運はかなり高まって、そういう場も増えているはずなのに、なぜ、あまり具体的な変化が起きている気がしないのか、ということになると思います。

結局、話としてはわかるんだけど、実利が見えてこないってことなのではないかと思います。もしくは、新しいアイデアだけではなく、新しい何かを実質的にクリエイト出来てはいない。異分野の人と何かしたら、それが実利として、各領域にもリターンされて、発展する。そういうことが積み重なって、やっとものごとが動き出すんじゃないかと思うんです。その意味では、まだ話し合っているだけで、各領域全体が動きたくなるほどはアウトプットが出ていない、ということなのかもしれません。

みんなそれぞれのポジションで、いろいろ制約やしがらみもあるので、それ相応のインセンティブというか、保守的な人たちでも動きやすくなる条件や論理が必要というか。

太刀川 その通りその通り。領域内でおこる議論って、クオリティの議論なんですよね。それに対して、異分野で起こる議論って、フィロソフィーの話なんですよ。クオリティについては、専門家じゃないとわからない部分が多いから。

でも、地盤となるフィロソフィーは、クオリティを支えるものにもなるし、そうじゃないと対話する意味がないんですね。だから、対話の結果、よりフィロソフィのレベルが高いものを生んでいかないと、領域の縦の流れでは登って行けないんだなぁ。きっと、どこの領域でもそうなんでしょうね。また逆に、クオリティの高いものには、伝播力もあるんだと信じてもいるしね。

塚田 そういうフィードバックのシステムがおざなりっていうことは、ありそうですね。

菅野 どうも、ソーシャルとかコミュニケーションと言われる活動には、奉仕という意味でのボランティアみたいなイメージがあって、自分達から時間やリソースが出て行っちゃうだけで、何も返って来なさそう、そんなイメージを払拭できていないような気がしますね。

異分野コミュニケーションで必要なこと

太刀川 例えばサイエンスコミュニケーションでも多いと思うんだけど、非専門家にも伝えるために、わかりやすくしようとしている場合が多く感じられます。でも本当はそこがコミュニケーションの根幹ではなくて、やるべきことは、似たアーキタイプを探すことなんですよ。「建築のこの構造と、細胞のこの構造、似てないか!?」みたいな。

サイエンスって、こういう説明が得意なはずで、サイエンスコミュニケーション的なスキルを活かして、他の異分野間コミュニケーションにおいても似たアーキタイプを見つけていくってことに繋がる気がするんだよね。

菅野 最近では、どの分野でもプログラミングとかシミュレーションが盛んなので、他の領域で別の目的で作られたプログラムなんだけれども「これ、ウチの分野の解析にも使えるんじゃない?」みたいなことって、今後たくさん出てくるんじゃないかと思います。「え、それ出来るよ」みたいなことを、他の領域の人から言われるみたいな。違うテーマだけど「要は、流体とみなして解析できればいいんですよね?」みたいな。

塚田 翻訳作業、みたいな感じかな。領域ごとに違う「言語」を使っているので、対訳を作ることができるかどうか、他の分野に伝わる編集が出来るかどうかということだと思うんだけど、サイエンスコミュニケーションを通じて培われうるそういう職能って、編集一般に活かせるような気がする。

太刀川 そうなんですよね。ウチの事務所ね、人数そんなにいないから、プロダクトデザイナーの隣にグラフィックデザイナーが座っているの。そうすると、いつの間にかプロダクトデザイナーの絵が上手くなって、グラフィックデザイナーが3DCG書いていたりするんだよね。

こういうのって、起こそうとしなくても、教育しようとかしなくても、システムを用意するだけで、自然と起こってくるんですよ。例えば大学でも、一つの部屋を、二つの研究室で共有するとか、そういう仕組みをつくるだけで、自然と起こってくる。建築計画の段階からの問題にもなってくるけど。

菅野 一部の研究所とか、ハーバードとかではそうしているとこもあるみたいで、中にいる人にも評判が良いらしいですよ。僕は時折言ってるんだけど、シェアラボみたいなのが増えると良いと思います。人の交流が起こるだけじゃなく、資金面でもメリットがあるはず。

「必ず必要なんだけど、1つのプロジェクトでは3年に1回しか使わない」みたいなものもあるわけですよ。そういうのをシェアすると、経済的にもメンテナンスの面でも効率が良い。DMMが秋葉原に作ったラボとか、Fab Labとかも、そういう考えの中でできたものだと思いますし。

太刀川 「領域を作るぞ!」とか「架け橋を作るぞ!」って、実は意気込めば良いものではないというか、意気込まなくたって出来るんですよ。システムを作れば。頑張ってつくるものではない。システムを導入しなきゃいけないですね。

そういえば、建築学科から、グラフィックとかプロダクトとか、いろいろ人材が輩出されやすいのって、ひょっとしたら、各大学の製図室って、かならずデカいのが一つあって、そこで学年も超えたコミュニケーションがあるからかもしれないね。

塚田・菅野 あー、なるほど!

太刀川 別の課題やっているやつとかも隣にいたりして。そこで泊まり込んでコンペとかもやっていたりして、ダイバーシティと学び合いがあったのかもしれない。

菅野 例えば行政がやるべきものって、いろんな会社の人とかが出向してきて実験的なことができる場、各社で持つのは大変だけどどこかにはあって欲しい、みたいなものを、東京だったら2-3カ所作るとか、そういうことなのかもしれないですね。そういう場が、大学であってもいいと思いますし。

太刀川 その際に、重要なのは、場のクオリティというか、共通のマインドセットを持った人、さっきの話でいうと「共通の祈り」を持てる人をどう集めるか、送り込むかってことで、それがないと、ただ集めても議論が斜め上にいっちゃたたりする。そこのマネジメントが重要ですね。

この人とこの人に話してもらうと、面白いことが生まれるだろう、みたいな「人物編集者」みたいな存在が大事なんだろうね。異分野ならなんでもいいわけじゃなくて、この組み合わせなら絶対盛り上がる、みたいな相性って、大事じゃない(笑)

塚田 そういうことをやろうって話は結構出てきているんですけど、まだオープンな場でそういう計画が練られることってないから、世に出てきづらいんですよね。機運はあっても。だから、そういう場から作りません?って、色んな人によく言うんですけど(笑)

菅野 それこそ、絶対大学に作るべき。企業とかも入れて。

塚田 いわゆる産学連携じゃないカタチで。

太刀川 実際、大学でも起こり始めてますよね。こんな感じで、今日の話まとまりますか?(笑)。とりあえず、なんか盛り上がったね。さあ、領域を繋いで古くなった構造を揺さぶるぞ! 近い上下で繋がって切磋琢磨して学び合うぞ! というのが、今日のまとめですね。そういうことを、みんなでやっていきましょう。

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これまで、今回を含め5回の連載、インタビューを含めると6つの記事を掲載して頂きました。この連載を通して、我々の活動の趣旨や目的、周辺学問分野の事情、実際の活動のレポートなどの具体例も交え、その全体像を描き出したつもりです。

そこで描き出されたものは、小さな団体のそれなりにうまくいった例ともとれるかもしれないし、こういった活動の一般的な現状・限界ともとれます。ものごとは、一次関数の様に単純に右肩上がりに成長するものもあれば、S字曲線を描く様に、あるところから急激に伸びるものもある(伸びる前は、変化が感じられない)。

あとから見ればよくわかることでも、只中にある場合、その判断は難しい。また、どの個別事例がその様な成長をするかの予測をするのも難しい。

一つ言えることは、多様性と一定以上の数が担保されなければ、つまり、裾野が広くなければ、突出した何かは生まれづらい。

自分の周りのちょっとした問題を、自分たちで少しずつ改善していこうという気概・姿勢を、気長に持ち続けて、そういった人々や活動体が一定以上増えたとき、いつの間にか何かが起きているのではないか。最近では、そんな風に考えながら、過ごしています。連載にお付き合い下さいましたみなさま、ありがとうございました。