バハマのイルカの暮らしから、日本の水族館のことを考える――海洋生物学者デニース・ハージングの『イルカ日誌』を訳して

水族館で、引退後のセンターづくりは可能か

 

野生動物を利用したアトラクションについて、最近二つの報道を目にしました。一つはナショナルジオグラフィック日本版の記事で、旅行クチコミサイト大手のトリップアドバイザー(本社アメリカ)が、この10月、ゾウに乗ったり、イルカと泳いだり、トラに触ったりできるアトラクションのチケット販売を、動物保護の観点から中止すると発表した、というもの。もう一つは、朝日新聞(10月17日)の記事で、日本動物園水族館協会(JAZA)に加盟する全国62カ所の水族館では、ここ数年大規模なリニューアルが相次ぎ、ITや光の演出をまじえたエンタメ性の高いアトラクションや、癒しを提供する演出が人気を呼んでいる、というもの。イベントを行なう水族館関係者によれば、ライバルはよその水族館ではなく、遊園地やテーマパークだといいます。

 

人間の娯楽や癒しに、野生動物を利用することへの是非論は、日本ではあまり活発ではありません。トリップアドバイザーのチケット販売停止は、ロンドンに拠点を置く動物愛護団体の1年半に及ぶ反対キャンペーンの影響によるものでした。

 

 

アメリカ合衆国や西ヨーロッパの法律では、いっしょに泳ぐイベントやイルカショーのための野生のイルカの捕獲をやめさせようとしているが、それでもなお動物たちが一時拘留され、書類上「野生ではない」とされることがある。疑うことを知らない観光客はあまりに多く、アジアやカリブ海、その他の場所で「イルカと泳ごう」イベントにたくさんの人が参加している。その人たちは、多くのイルカが太地町のような場所で、自分の家族が目の前で殺戮されるところを見たあと連れ去られていることも知らず、年の若い、調教可能なイルカだけが世界中の「イルカと泳ごう」イベントに選ばれていることにも思い至らない。

 

 

野生動物の娯楽利用は、捕獲の問題だけでなく、飼育環境に置かれた動物が、そこで娯楽に奉仕する生涯を送ったのち、どのような終末をむかえることになるかへの疑問にもつながります。

 

 

囚われの身のイルカたちに、生き生きと暮らせる環境で、仲間とともに、尊厳をもって生涯を過ごす能力をどうやって発揮させたらいいのだろう、という問いが浮かぶ。イルカの社会復帰および引退後の施設づくりにおいて、いくつもの試みが失敗していた。それは人間本位の発想から生まれたものだからだ。十分な資金と適正な目的意識があれば、引退後のイルカ施設をつくることは可能に思える。他の社会的で感受性のある種のための引退用施設の成功例には、霊長類のための「類人猿センター」、ゾウのための「ゾウの聖域」があり、惨めな死や悲惨な隔離をもたらさない方法に道を開いた。イルカの聖域づくりは、裏部屋にある小さな水槽でひとり泳ぎ、誰にも気づかれず、忘れられたまま死期を迎させる、という心の重荷を軽減させる。そこは個体ごとの履歴やイルカが求めることを基本にした、調査や教育のための場所にもなる。

 

 

タイセイヨウマダライルカの母と子(ローズモールと最初の子どもローズバッド)。著者撮影

タイセイヨウマダライルカの母と子(ローズモールと最初の子どもローズバッド)。著者撮影

 

 

去年、JAZA(日本動物園水族館協会)に対して、WAZA(世界動物園水族館協会)から「漁によるイルカ獲得」の禁止勧告があり、日本の水族館はJAZAを脱退するか、イルカの買い付けを止めるかで追い詰められました。世界の水族館では、イルカショーやイルカの展示は衰退の一途をたどっているようです。それは一つには、市民運動の高まりもあって、国が捕獲や飼育を禁止しているから。欧米だけでなく、南米各国やインド、ニュージーランドでも法規制ができています。日本についでイルカ展示の盛んなアメリカでは、水族館のイルカの7割は、捕獲ではなく人工繁殖によるものといいます。日本では人工繁殖は費用、時間、技術が必要なため、まだ1割程度にとどまるそうです。

 

欧米や南米の市民のあいだで、イルカを見世物にすることに反発があってショーが衰退しているとしたら、日本の市民も、このことを議論のテーブルに乗せてもいいのではないでしょうか。日本の新聞報道を読むかぎりでは、「うちの子がイルカショーを楽しみにしている。もしなくなったら子どもがかわいそう」というお母さんたちの意見が多く紹介されているのが現状です。

 

 

子どもたちが飼育されているイルカを観察するとき、何を教えたらいいのかと強く思う。わたしたちは、道徳的に悪い見本を見せているのだろうか。イルカの飼育に反対しないとしても(最低でも、現在いるイルカたちのための引退後の施設が用意されるなら)、野生のイルカを捕まえることには反対する。商売のためにイルカを展示することは、子どもに(大人にも)イルカを人間の娯楽のためにつかい、指令で飛んだり跳ねたりさせ、水の中で人間を牽引させ、人間が背ビレをつかんだり、さらにはイルカやシャチの背に乗って支配下に置いて見せびらかすことが、かまわないと示すことになる。わたしたちは子どもたちに、動物を檻の中に入れてもかまわない(それがからだの大きな知性ある動物、長期の記憶力や相互関係をもち、複雑な心のありようを見せる動物であっても)という見本を示している。とはいえわたしはリアリストであるから、イルカのための引退後のセンターや回復施設ができるまでの間(多大な時間とお金がかかるものだが)、消費者がイルカによる娯楽やセラピーをもとめる限り、様々な形態の飼育施設は存在しつづけるだろうと推測する。

 

 

大人のオスの陰に隠れようとするラティテュードと、しつけをしようと腹を上にむけて後を追う母親。ニコール・マトラック撮影

大人のオスの陰に隠れようとするラティテュードと、しつけをしようと腹を上にむけて後を追う母親。ニコール・マトラック撮影

 

 

野生のイルカが生息地から連れ出され、見知らぬ飼育環境に置かれ、人間の娯楽のために訓練を受けている、という事情をひとたび知れば、おそらく誰にとってもイルカショーは、気持ちのいいものではなくなるでしょう。ハージングのように、25年にわたって野生のイルカがどのようなものか、どんな能力をもち、どんな社会をつくり、どんな暮らしをしているのか、間近に観察してきた学者にとっては、それはきっと耐え難いものです。しかし海にいるイルカのことをそれほど知らなかったとしても、彼女の話を聞き、少し想像力を働かせれば、人間社会がどんなことを野生動物に強いているかに思い至ることは、それほど難しいことではありません。

 

すでに飼育施設にいるイルカたちを海に返すことは不可能でも、ハージングの提案する引退後のセンターづくりは、関係者の理解が進み、そこにお金を投資する意志さえ生まれれば、実現可能に思えます。エンタメ性を向上させて人気を得ているイルカショーは、グローバルな規制の影響下で、日本の関係者が考えるほどには長く続けられないかもしれません。将来に向けて、水族館は何に投資すべきか、何を展示し、提示するかを再考する機会をもってほしいと願います。飼育環境下にいるイルカに、よりよい終末を迎えさせる事業を進めることは、動物に幸福を授けるだけでなく、人間社会にとっても、子どもたちへの教育としても、よい影響をもたらすのではないでしょうか。

 

 

 

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