核・放射線のイメージ史――3.11後の語りづらさをめぐって

『美味しんぼ』の鼻血騒動

 

人気グルメマンガ『美味しんぼ』の「福島の真実編」(『ビックコミックスピリッツ』2014年5月12日・19日合併号)が騒動になったのは記憶に新しい。

 

問題視されたのは、福島第一原発を取材した主人公が鼻血を出す場面だった。さらに、実在する人物が実名で登場して原発事故後は鼻血を出す人が増えているとの見解を述べる場面や、除染作業が終わっても福島には住めないのではないかと研究者が言う場面もあった。

 

これらの表現について、政府要人たちが「風評被害を与えることがあってはならない」と発言し、福島県も「人びとに不安と困惑を生じさせる」と声明を出したのである。

 

『ビックコミックスピリッツ』の編集部は抗議の電話が鳴り止まなかったという。『美味しんぼ』の原作者の雁屋哲は2015年の2月に反論本『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻舎)を出版し、健康被害に関する議論の継続を訴えている。

 

この騒動が明らかにしたのは、多くの人びとが原発災害後の様々な問題にいまなお関心を抱きながら、「原発や放射線については、発言しにくい」と感じている現状だったのではないだろうか。

 

例えば、放射線の専門家ではない私たちは、低線量被曝による健康被害の可能性について、何か発言することに困難を感じざるをえない。そうなれば、自然と沈黙が多くなるが、関心を失ったわけではないため、時おりメディアに表れる健康被害に関する言説や表現に対して敏感に反応する。

 

このように、『美味しんぼ』の鼻血騒動は、「不適切表現へのバッシング」という側面だけでなく、依然として高い健康被害への関心という側面もあわせもっていたと考えられる。

 

核や放射線をめぐる問題に限らないが、特定の社会現象に関心が集まるとき、その現実とイメージとはしばしば乖離するものだ。そして、私たちはイメージに引きずられて現実を語りがちである。

 

「原発は必要/不要」、「放射線に汚染された土地には住めない/住める」、「低線量被曝でも身体がなんらかの影響を被る/被らない」という議論に必要な情報を、予め自らのなかにあるイメージに沿って取捨選択してしまってはいないだろうか。

 

当然ながら、現在の私たちが抱いている核や放射線のイメージは、原発災害後に始めて形成されたわけではなく、戦後日本の長い時空間のなかで作られてきたものだ。特に興味深いのは、核と放射線のイメージには、広島・長崎への原爆投下の問題が大きく影響しているということである。

 

イメージを形成する要素には、直接体験やメディア言説などがあるが、本稿では、ポピュラー文化に注目し、核と放射線のイメージの変遷を概観していく。まずは時計の針を原爆投下後の1940年代後半に戻し、そこから時系列に沿って核と放射線に関するイメージの変遷を確認しよう。

 

 

新たなエネルギーの新奇性

 

意外に思われるかもしれないが、占領下の子どもむけポピュラー文化では、核が新奇で親しみやすいものとして提示される傾向があった。例えば、ヒーローの名前に「アトム」の語が使われた『超人アトム 怪奇城の巻』(1948年)や、主人公のあだ名に核兵器の名前が使われた『ピカドン兄さん』(1951年)、『水素ばくちゃん』(1951年)などのマンガがそれにあたる。

 

このようなイメージが量産された一方で、この時期のポピュラー文化は被爆の惨禍や後遺症をほとんど描いていない。占領軍による検閲制度があり、原爆被害を明らかにするような報道や言論は検閲による削除の対象になっていたからである。

 

このような状況で、ポピュラー文化が核の恐怖を描くのは困難であった。核のイメージは、人類に新時代をもたらす無尽蔵のエネルギーとして固定化したと言える。輝かしい原子力のイメージを取り入れたマンガとしては手塚治虫による『鉄腕アトム』(1952年~)があるが、そのイメージは既に占領下に形成されていたのである。

 

 

「薄幸の被爆者」

 

その後、核のイメージは現実との関わりを強めていく。広島・長崎の被爆者の姿が描かれるようになるのである。

 

契機は二つあった。一つは占領終結。これにより、広島と長崎の原爆被害が明らかになりはじめた。もう一つはビキニ事件である。

 

1954年3月、南洋で操業していた日本の漁船がアメリカの水爆実験に遭遇し、被曝するというビキニ事件が起こった。「原爆症」と診断された第五福竜丸の無線長が死亡したこともあり、当時の日本社会は船員たちの被曝を「三度目の核被害」として受け止めた。そこに、食品の汚染や放射性降下物を含んだ雨への不安が高まり、原水爆禁止署名運動が起こる。運動の高まりのなかで、広島・長崎の被爆者もまた、注目を浴びることになった。

 

この時期にポピュラー文化は被爆者を描き始める。そこで描かれるのは、病弱ではかなく死んでいく女性の被爆者だった。当時の人気マンガ家、オオトモ・ヨシヤスによる『マリちゃんの小さな宝石箱』(1957年)や、井上智による『原爆の悲劇』(1957年)、白土三平の『消えゆく少女』(1959年)などが、女性被爆者をか弱く描き、感動物語の設定として使用したのである。「薄幸の被爆者」の定型は、放射線被曝と健康被害とを強く結びつけるイメージとして浸透した。

 

 

原子力平和利用とマンガ

 

1950年代は広島・長崎の被爆者問題への社会的関心が増すと同時に、原子力平和利用への期待感もまた高まっていた。核の負の側面が強調されればされるほど、それをプラスに転化した際の恩恵が期待されたのである。

 

1950年代後半には、原子炉の臨界実験に成功し、原子力発電所の建設に向けて動き出す。科学技術の発展の象徴である原子力発電の必要性は全く疑われなかったが、原子力施設の危険性もまた、広く認識されていた。

 

それをよく示すのが、前谷惟光の『ロボットゴールデンボーイ』(1959年)である。前谷は『ロボット三等兵』(1958年)で人気を博した後、主人公の「ロボット君」を使って時代劇やサラリーマンものなど様々なマンガを書き継いでいた。『ロボットゴールデンボーイ』は、「ロボット君」が主人公の野球漫画である。

 

職を探す「ロボット君」は、目についた大きな工場に入る。入口には「原子力研究所」との表札があるが、彼はそれに気付かない。防護服を着た職員たちは放射線の影響を受けない「ロボット君」を歓迎し、「危険な仕事」を彼に与える。任された仕事を終えると、被曝の影響からか、「ロボット君」は力がみなぎって速球を投げられるようになっていた。

 

ここには、原子力研究は人体に有害な放射線被曝と不可分だという認識と、放射線を浴びたロボットが、なぜか能力を上昇させるという空想が描かれている。前者の認識からは、「平和利用は善いものだ」という理解とともに、「平和利用といえども人体に悪影響を及ぼす」という理解も、当時の社会に広まっていたことがうかがえる。後者の空想は、その後のポピュラー文化のなかで荒唐無稽なイメージとともに再生産されていく。

 

 

荒唐無稽な被曝変異譚

 

荒唐無稽なイメージというのは、被曝による超能力の発現である。

 

新型兵器の実験で被曝した右腕に超能力が生まれたり(鈴木光明「Zの世界」1961年)、宇宙線の研究用装置の事故により被曝して超能力に目覚めたり(『8マン』の「魔女エスパー」の回)、近未来を舞台にしたマンガでは、被曝による超能力の発現が描かれた。

 

被曝による超能力の発現は、未来社会を舞台にしたときにだけ描かれたわけではない。過去を舞台にした作品でも被曝による超能力が描かれていた。映画『真田風雲録』(1963年)では、主人公の「猿飛佐助」が超能力に目覚める原因として、隕石の放射線を浴びたという理由づけがなされている。

 

このように、被曝や被爆による超能力の発現という設定は1960年代前半のポピュラー文化のなかでステレオタイプ化していた。

 

 

「薄幸の被爆者」から「怒れる被爆者」へ

 

荒唐無稽な被曝変異譚と合わせて、1960年代の核とポピュラー文化を見る上で重要なのは、被爆者像の転換であろう。1950年代から継続して再生産されていた「薄幸の被爆者」から「怒れる被爆者」へという転換である。

 

例えば、石森章太郎「時間局員R」(1966年)や山上たつひこ「ヒロシマ一九六七」(1967年)では、被爆者としての自らの境遇を呪うあまり、世界にもう一度原爆を落とそうとする人物が描かれる。

 

また『はだしのゲン』で有名な中沢啓治は、のちに「黒いシリーズ」と呼ばれることになる被爆者を描いた一連の作品を立て続けに発表し始める。その第一作目は「黒い雨にうたれて」(1968年)で、被爆の怨みからアメリカ人を標的とする殺し屋が主人公だった。「ゲン」に描かれるような国家の戦争責任を追及するような激しい怒りは、すでに1960年代のポピュラー文化にその萌芽を見出すことができる。【次ページにつづく】

 

 

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