高橋克也被告裁判・証言草稿──地下鉄サリン事件20年に際して

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オウム事件に対する宗教学者の責任

 

第四のテーマに話を移します。以上のようにオウムは、世界や日本で流布されていた諸思想にその起源を持ち、また、各種の宗教団体やメディアのみならず、学者さえもが不用意に拡散させてしまった観念を集積することによって社会に生み出され、やがては猛威を振るうことになった、と理解することができます。

 

オウムによって為された個々の犯罪については、教祖の麻原彰晃を始め、それらに関与した信者たち一人一人が刑法上の罪を負うべきであることに異論の余地はまったくありませんが、しかしその場合にも、オウム真理教の形成と発展を後押しした周囲の人々が、思想的・道義的責任を免れうるというわけではありません。

 

なかでも、オウム事件に関して宗教学者が負わなければならない責任はきわめて重いと、私は考えています。ここで、著名な日本の宗教学者たちが、1995年の地下鉄サリン事件以前にオウム真理教をどのように評価していたのかについて、批判的に論評しておきたいと思います。

 

 

(1)中沢新一氏

 

最初に言及しなければならないのは、やはり中沢新一氏です。中沢氏は、1981年の『虹の階梯』に続き、83年に『チベットのモーツァルト』という書物を公刊しました。

 

この書物は正確に言えば、学術的研究書というより、一種の幻想文学といった内容であり、そのなかにはオウムの教えに繋がる要素がいくつも含まれていたのですが、まさにそれゆえにこそ大衆的人気を博し、ベストセラーとなっていきました。

 

また、同書に対して「サントリー学芸賞」という学術賞が授与されたこと、中沢氏が大学教員のポストを獲得したこと等により、学術とオカルト的幻想のあいだの垣根が限りなく低くなってしまった、ということを指摘しなければならないでしょう。

 

中沢氏は、89年12月と91年12月の二回にわたって、雑誌の企画で麻原彰晃と対談しています。それらは、「“狂気”がなければ宗教じゃない」(週刊SPA!)、「オウム真理教はそんなにメチャメチャな宗教なのか。」(BRUTUS)と題されており、その基本的な論旨は、宗教の本質は「狂気」や「反社会性」にあり、真の宗教は、宗教に本来的に備わる激しい生命力によって、既存の社会を突き崩していかなくてはならない、というものでした。その一部は、次の通りです。

 

 

麻原 オウムは)「反社会性」をもった宗教とも言われています。でも反社会性と言われれば、たしかにそのとおりだと思いますね。オウム真理教は、もともと反社会的な宗教なのです。

中沢 あらゆる社会的なスタンダードを乗り越えていく生き方を追求することが宗教の生命ならば、たしかにあらゆる宗教は本来「反社会性」を内に秘めているのだ、とぼくも思います。(中略)現代社会は、あらゆる手段をつかって、人間に人間の世界の外部にあることを見せないでいようとしているでしょう。これはもう、何かの陰謀です。宗教がそのニヒリズムを突き破って、生命と意識の根源にたどりつこうとするならば、どうしてもそれは反社会性や、狂気としての性格を帯びるようになるのではないでしょうか。ですから、その点については、オウム真理教の主張していることは、基本的に、まちがっていないと思います。

(『週刊SPA!』1989年12月6月号、18頁)

 

 

オウム真理教に対しては、この対談が行われた1989年から、「被害対策弁護団」や「被害者の会」による反対運動が開始されており、また、オウムの内情を取材したジャーナリストからも、危険な団体であるという警告が発せられるようになっていました。

 

しかし中沢氏は、そうした意見を浅はかなものと一蹴して耳を貸さず、「オウム真理教の弁護人」を自称し、反オウムの動きは、宗教の生命力を圧殺しようとするマスメディアの「陰謀」であると公言し続けました。

 

日本でもっとも著名な宗教学者と言っても過言ではない中沢氏が、オウムを一貫して擁護し続けたことは、教団の拡大と暴走を少なからず後押しした、と見なす必要があります。

 

 

(2)島田裕巳氏

 

次に島田裕巳氏は、1990年から、オウム真理教に対する論評を開始し、同教団と接触するようになりました。同年の年末には、熊本県波野村に建設されていた教団施設を訪問、麻原彰晃と面談し、オウムの施設は「予想以上にしっかりとしたものだった」、麻原は「思っていた以上に理性的な人物だった」と、好意的な評価を下しています。

 

また島田氏は、翌1991年、新興宗教団体の一つである「幸福の科学」を批判的に論じたことから、同団体による激しい抗議を受けるようになりました。

 

その直後の同年9月28日、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」という番組において「激論! 宗教と若者」という企画が催され、オウム真理教と幸福の科学による公開討論が行われたのですが、麻原彰晃とともに同番組に出演した島田氏は、それまでの経緯から不可避的に、オウム真理教を擁護し、幸福の科学を批判するといったスタンスを取ることを余儀なくされました。

 

同番組を受け、翌月に執筆した「平成の『宗論』を読む」(『週刊朝日』1991年10月11日号)において島田氏は、「日本の仏教は世俗化しているために「オウム」が特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる」と論評しています。

 

そして91年11月4日には、気象大学校において、島田氏と麻原彰晃の対談講演が行われました。実はこの対談なかで麻原は、先述の「人類の種の入れ替え」に当たるような考え方、具体的には、物質文明と精神文明の対決が近いうちに勃発し、その際に「魂の二分化」が生じる、といった危険な思想を口にしているのですが、島田氏はこれに対して、目立った反応を示していません。

 

むしろ、幸福の科学への批判に関して麻原の主張に同調し、「朝まで生テレビ」の論争を振り返りながら、「とにかく、討論に積極的に加わったことで、オウム真理教がおかしな宗教ではなく、お話の中にありましたように仏教の伝統に根ざしていることが理解されてきたのではないでしょうか」(麻原彰晃『自己を超えて神となれ!』オウム出版、212頁)と述べています。

 

地下鉄サリン事件以前に島田氏は、日本の新宗教に関する専門家として、オウムについての見解を求められていたわけですが、実際には、オウムがどういう宗教であるかをまったく理解していなかった、と言わざるを得ないと思われます。

 

 

(3)山折哲雄氏

 

第三に、山折哲雄氏は、1991年の年末に麻原彰晃と対談、その内容は、「輪廻転生」を特集した『別冊太陽』(1992年春号)という雑誌に、「より高い世界へ転生するために」というタイトルで掲載されました。

 

そこではもっぱら、麻原が神秘体験や輪廻転生に関する持論を展開しており、山折氏はその話に何の批判も提起しないまま、宗教家としての麻原の資質を高く評価しています。

 

また、当時オウムは、違法行為を伴う熊本県波野村への強引な入植によって、地元の人々の激しい反発を引き起こしていたのですが、山折氏はそれについて、「宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ」(100頁)と発言しました。

 

オウムはすでに、1989年の坂本弁護士一家失踪に対する嫌疑を掛けられ、1990年には国土利用計画法違反事件で逮捕者を出していたわけですから、やはり山折氏の発言は、不見識かつ無責任であったと見なさざるを得ないでしょう。

 

実際に、その頃オウムは、教団の拠点を熊本県波野村から上九一色村に移し、数々の兵器類の開発を本格化させることにより、文字通り「最後まで俗世間の法律は無視」しようとしていたのです。

 

 

(4)池田昭氏

 

最後に、池田昭氏について簡単に触れます。池田氏は、オウム真理教の顧問弁護士であった青山吉伸氏の著作『ファッショは始まっている』(1991年、オウム出版)において同氏と対談し、そのなかで、現在の日本の国家体制は「柔らかなファシズム」と呼ぶべき状態にあり、オウムへの取り締まりは不当な宗教弾圧であるという主張を展開しました。

 

また、地下鉄サリン事件直前の95年2月には、『週刊金曜日』という雑誌に「拉致された坂本弁護士の周辺に漂う権力介在の疑惑──坂本弁護士が関わっていたもう一つの事件」という記事を寄稿し、坂本弁護士を拉致したのはオウムではなく国家権力だったのではないかという、明確な根拠を欠いた陰謀論的憶測を表明しています。

 

地下鉄サリン事件から20年が経過した現在、当時の宗教学者たちの見解を改めて振り返ってみると、全体として言い得ることは、何人もの著名な宗教学者たちがオウムを肯定・擁護していた一方、その実態を正確に理解しようとした者、また、その危険性を明確な仕方で社会に伝えようとした者は一人もいなかった、ということです。

 

なぜこのような事態が生じてしまったのかということについては、ここで詳しく申し上げることはできませんが、その大きな原因としては、当時の宗教学が実は、中立的な立場よりもむしろ「反社会的」な立場に傾いていた、具体的には、物質文明から精神文明への転換を起こすというニューエイジ的な革命思想に密かに感染・同調していたということが挙げられると思われます。

 

現在の日本社会は、憲法にも明記されている通り、「信教の自由」が国民一人一人に対して保障されています。伝統主義的な考え方の持ち主からすれば、こうした近代的観念にこそ、すでにさまざまな問題が孕まれているということになるのでしょうが、そのことをいったん措くとすれば、「信教の自由」という原則が曲がりなりにも正常に機能するためには、世の中に存在する個々の宗教に対して、一体それがどのような来歴や性質を有しているのか、可能な限り中立的かつ客観的に明らかにする、という営みが必要とされることになります。そして宗教学は何より、そのような役割を果たすことを社会から期待されているわけです。

 

しかしながらオウム事件は、遺憾にも現在の宗教学が、そうした役割を果たすことができていないということを如実に露呈してしまうという出来事でした。私はこの場をお借りし、過去の宗教学がオウム真理教に対して判断を誤ったことを認め、一人の宗教学者として、深く謝罪の意を表したいと思います。誠に申し訳ありませんでした。

 

現在も日本の国内外では、宗教をめぐる問題が日々新たに引き起こされており、宗教学が担わなければならない役割は本来、大変重いものであると考えます。

 

また同時に、それゆえにこそ宗教学は、社会や歴史を考察する上で、大きな可能性を持った学問であると思います。今後は、過去の過ちから目を背けることなく、宗教学の立て直しに努力していくことをお誓い申し上げます。【次ページに続く】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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