辺野古移設を強行すれば日本への怒りが広がる──大田昌秀インタビュー

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沖縄の怒りと独立論

 

──ちょっと話が戻るんですが、知事選のときの翁長陣営の「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉について。イデオロギーって、まだ交渉の余地がある。でもアイデンティティって交渉できないですよね。

 

沖縄の政治って、いろいろ複雑なのですが、ひとつは基地に対して70年間も途切れずずっと闘ってきた歴史があります。それと同時に、ものすごく粘り強く日本と交渉してきた歴史があると思うんです。でも今回、アイデンティティという言葉を出すことによって、沖縄のひとびとは「本気だ」という感じがとても伝わってきます。でもまた同時に、このところ、日本政府もかなり強引ですよね……。海上保安庁の行動で、実際にけが人が何人か出たりしています。

 

こないだの山城くん(沖縄平和運動センターの山城博治議長)が引きずられている写真[※5]を見て、みんなすごく怒っているわけです。沖縄人は虫けらかという投書さえ出ている。

 

[※5]「平和センター議長ら逮捕 県警、刑特法違反疑い 米軍が拘束」2015年2月23日 

 

いま沖縄でいちばん問題なのは、沖縄人が、日本人やアメリカ人と同じ人間なのに、人間扱いされなくて、絶えずモノ扱いされているということです。他人の幸せをつくるための手段もしくは政治目的取引の具に供されている。それに非常に怒っている。

 

 

──沖縄の一般市民がそういう言葉で新聞に投書するようになってきているんですね。怒りが充満していると。

 

そうそう。いま独立論が広がってきている。これまでの独立論というのは政治家が言っていたんだけど、いままでとぜんぜん違うのは、大学の教授たちが言っている。

 

たとえば「琉球民族独立総合研究学会」という学会もできているわけです。ぼくも発起人の一人に入れられたが、アメリカの大学院なんか出た若い女性たちもそれに参加している。それがシンポジウムとかで独立を唱えるようになっているわけです。日本の代議制民主主義、これが機能しなくなっているから、直接民主主義に訴えるべきだと。

 

 

──独立論の話ですけども、独立論って復帰前はわりと保守的なところから出てきたりもしてたんですが、最近また、ここ10年20年ぐらいで、独立論が盛んに言われるようになりました。たとえば川満信一さんとか、それから『沖縄独立宣言』の大山朝常さんですね、コザの市長をしていた。それから、比嘉康文さんとか、松島泰勝さんとか。その背景として、やっぱりそうした怒りがあるのでしょうか。

 

そう、本土の沖縄政策に対して、怒りが強まっている。

 

昔から、本土と沖縄の間には心理的溝があると言われている。米軍はこれを徹底的に勉強して、1943年ごろ、ニューヨークのコロンビア大学に沖縄研究チームというのを作って、イエールとかプリンストンとかハーバードの教授たちを集めて、徹底的に沖縄研究をやらせたんです。

 

そのときに一番問題になったのは、日本本土と沖縄の間の心理的な溝。戦争が始まったらその心理的溝を拡大する方向を取ると、米軍は簡単に沖縄を占領できるということに気づいた。対日戦後政策は、海軍省と陸軍省が一緒になって作った。ところが、沖縄の戦後政策は、海軍の戦略研究所だけで作ったんです。

 

20年間、アメリカの公文書館通っているうちに、沖縄関係の機密文書がいろいろ出てきました。それを見て驚いた。戦後なぜ沖縄が、平和条約を締結するときに日本から切り離されたのか、理由がわからなかった。国際政治学者たちが書いた本を読むと、日本が無条件降伏をしたから沖縄が切り離されたと書いてあるわけです。でも、沖縄が戦争を始めたわけでもないし、沖縄だけが降伏したわけでもないのに、なんで沖縄だけが切り離されるかということが、ぼくらには当事者として、ずいぶん長い間疑問だった。

 

それをぼくは、なんとしても明らかにしたいと、それでアメリカに通い続けて、5年めにやっとわかったわけです。米軍が沖縄に上陸したとたんに、ニミッツ布告といってね、米国海軍軍政府布告第一号です。そのなかに、日本が戦争をしかけたから、それに対応して、軍事戦略上、沖縄を占領する必要があると。それから、日本の間違った国策をつくった軍閥を徹底的に破壊するために沖縄を軍事占領する必要があると、軍事占領の目的がちゃんと書いてある。

 

そのときに、南西諸島およびその近海を米軍の占領下に置くと。南西諸島とはどこかというと、奄美大島の屋久島の下の線になるわけです。口之島のところ。奄美大島は鹿児島県ですよね。それがなぜ奄美も含めて切り離したかというと、ディーン・アチソンという国務長官が記者会見で、北緯30度という線は、純然たる日本民族と琉球民族の境目の線だと言ったんです。

 

そもそも、戦争のときにも、沖縄守備軍司令部というのが首里城の地下にあって、その沖縄守備軍司令部の防衛範囲は北緯30度から南とされた。そこから北の方は本土防衛軍と呼んで、完全に区別していたこともあった。

 

 

──かなり早い時期に、もともと違う民族で違う国だったからっていうことをアメリカも知っていて、それを利用したということですね。

 

一貫して、日本本土と沖縄のあいだには心理的な溝がある。これを拡大することによって、キャラウェイという高等弁務官は、離日政策、日本から切り離す政策を取ったわけです、露骨に。

 

それをライシャワーがね、アメリカのほうに財政負担がかかるから、日本政府から金を出させようということで、ライシャワーは日本政府に復帰させようとして、財政負担はみな日本にまかせようという計画を立てて、キャラウェイとは意見が合わなかったわけです。

 

 

──琉球政府のときに沖縄と言わずに琉球と言ったのは、日本と切り離して琉球国を思い起こさせるような言葉を意図的に使ったんだと言われています。いまでも沖縄の人びとのあいだには、その感覚が続いているんですね。

 

そう、琉球という言葉はね、昔のひとたちというのは、使いたがらなかった。ところが戦後になって、琉球銀行ができて、それから製糖会社も琉球製糖とか、みんな沖縄と対比するような会社ができちゃったわけです。そんなわけで、奄美も含めて琉球という言い方をするわけなんだけどね。あんまり琉球という言葉は、昔は歓迎されなかった。ところが米軍がそれを使いはじめた。

 

 

──最後に。辺野古が大きく動き出して、沖縄の知事も、これからは難しい舵取りをせまられています。国もものすごく強硬になっていますし。1995年から20年たって考えてみると、あのときの少女暴行事件と代理署名拒否、そして県民大会というものが、沖縄に世界中の目が向いたきっかけになりました。

 

もちろん80年代にもいろんなことがありましたが、沖縄が世界中から注目される島になったことの原点に、ちょうど20年前のあの事件と県民大会と普天間のことがあった。そこの中心にいつも大田昌秀さんがいたと思うんです。

 

何といいますか、その渦中にいて、この20年、大田さんの目から見て、沖縄の歩んできた道、あるいは日本との関係というのは、どうだったんでしょうか。

 

 

さっきも言いましたが、沖縄は人間扱いされてこなかったというのが非常にはっきりしましたね。たえずモノ扱いされてきた。日本本土の何かの目的を達成するための、政治的な取引の具に供されてきた、手段に供されてきた。

 

復帰が決まろうとするときに、屋良知事が建議書[※6]を作ったんです。沖縄を復帰させる返還協定の中身が、沖縄の住民が期待するものとぜんぜん違っているから、これを住民が望むような形にしてほしいという建議書を持って羽田に着いたとたんに、国会はそれを見もしないで強行採決をして、返還協定を通してしまったわけです。

 

[※6]沖縄県公文書館のウェブサイトで、この建議書の現物のスキャン画像を見ることができる。

 

知事がわざわざ建議書を持っていっても、それにも見向きもしないということで、それから沖縄の日本に対する不信感は非常に強まりました。

 

復帰したあと世論調査が何回かあって、復帰してしばらくたったら、復帰してよかったという、建物とか港湾、道路なんかが国費で良くなったからね、復帰してよかったって言っているが、依然として心のなかでは、日本政府の沖縄政策に対して不満を持っている。年月がたてばたつほど、復帰すべきでなかったというのが強まってきている。

 

復帰10年、20年、30年、40年の節目ごとに意識調査の結果が出ている。それが、年月がたつほど反発が強まっているんです、復帰とは何だったのかということで。それがいまの独立論と結びついて、こんな日本には復帰すべきじゃなかったと。

 

その典型なのが、大山朝常です。あのひとは社大党を作ったひとなんですよ。社大党というのは、沖縄独自の政党。その中心人物だった大山朝常さんがね、日本は復帰すべき祖国ではなかったということを明言しています[※7]。

 

[※7]大山朝常、1997年、『沖縄独立宣言―ヤマトは帰るべき「祖国」ではなかった』、現代書林

 

あのひとは、コザ市長をしてるときに、命を狙われてね、基地賛成論者の連中から。Aサインバーというのがあって、これがオフリミッツになった。そうしたらそれを市長のせいにして、命を狙われて、一時期身を隠していたことがありました。その大山さんは、お母さんと、お兄さんと、子ども3名を沖縄戦で亡くしています。

 

そういう体験を述べて、沖縄というのはこういうところだとこの本のなかで例示している。アメリカ人の家庭で、沖縄人の女性がメイドとして働いているときに、そこの主人から強姦された。それが奥さんにバレたら、奥さんが怒って、メイドに命じて庭に穴を掘らせた。そしてメイドを銃で殺して、そこに埋めた。

 

そしてそのまま罪にもならずにアメリカに帰ってしまった。これが沖縄だと書いているわけです。そして、日本は帰るべき祖国ではなかったと明言して、独立宣言を書いた。

 

最近どういうことが起こっているかというと、ニューヨークタイムズの記者がふたり来て、タイムという雑誌の女性記者がふたり来て、ニュージーランドやオランダの記者が来て、ほんとに独立するんですかと、非常に関心を持たれているわけです。しょっちゅういろんな記者が来る。

 

今月も、こないだはロイターの記者が来て、今月もテレビ局が2局ぐらい来ることになっている。海外からも、独立論に非常に関心が持たれているんです。これがじわじわと浸透してきている。おそらく、政府が辺野古を強行したら、独立論が一挙にひろがる可能性が出てくる。それが沖縄の近い将来に起こりうるとみています。

 

 

──この20年で、日本との関係が、県民の目にもはっきりとわかってきたと。

 

 

そう。日本の沖縄政策というのが、明治のころからぜんぜん変わってない。この20年間の歩みを見ていると、沖縄の日本離れというものが、確実に進みつつあるなということがはっきりしている。

 

 

──ほんとうにそうですね。ところで、辺野古はこれからどうなるんでしょうね……。

 

政府は強行しようとしているね。海上保安庁が必死に抵抗運動を弾圧してるけど、それにくじけるようなひとたちじゃないですからね。強行すると独立論が一挙に燃え広がる可能性がある。

 

 

──日本の右翼も最近よく入ってきてますね。日章旗をみんなで振ってましたからね。

 

そうそう、そうそう。ほんとに、日本は憲法を変えようとしているからね……。そういう動きが、いたるところに出ている。これはおおごとだなと思う。

 

 

──これからは沖縄独立の方向が出てくるのでしょうか。

 

じわじわとそういう雰囲気が強まってきている。政府が強行すると一挙に日本離れが進むだろう。もうほんとに、みんなうんざりしていますよ、日本の政策に対してはね。沖縄を、まるでモノみたいに、都合のいいときには引き取って、都合の悪いときにはすぐ切り捨てて、捨て石にする。

 

新聞の投書を見ていると、最近ほんとに、ごく普通のひとたちが怒っていますからね。普通の市民たちが、沖縄人を虫けらだと思っているのかと、そういう投書をする。だから、怒りが鬱積していて、いつ爆発するかわからない。

 

だから何か血が流れる事件事故が起こったら、ほんとうに心配される事態になると思っているんです。コザ騒動どころじゃなくてね。コザ騒動はコザ市民だけだったけど、いまはもう至るところで怒っているからね、だから何が起こるかわからないです。

 

 

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