法を守る理由

なぜわれわれは法を守らなければならないか。

 

この質問は一般的に、たんに法の命ずるところに反する行動を取らないこと(遵守compliance)だけではなく、たとえその内容が自らの信念に反しているとしても、それを尊重すること(服従obedience)の問題として理解されている。

 

たとえばアテネの民会から死刑を命じられたソクラテスは、亡命を選ぶことなく従容と死を選んだといわれている。法に反したときに国家から加えられる制裁を恐れて法を遵守するのであれば、すでに死刑が命じられている場合になお法にしたがう理由はないだろう。亡命を企てて失敗しても、何もせずにいても死刑がまっているならば、成功する可能性にかけて法に反するのではないだろうか。

 

ソクラテスがそうしなかったとき、彼は単に法に《従わされた》のではなく、自発的に《従った》のである。だが、それは何故なのだろうか。

 

 

愛に基づく議論、公正による議論

 

この問題に答えるひとつの典型的な方法は、家族愛ないし同胞愛に訴えることである。

 

ソクラテスがまさにそう述べたように、国家なくして個人は存在しないのだからそれは親のごときものであり、親の命令を子が聞くように、自らを生み出した国家の命令に個人はしたがわなくてはならないというわけだ。

 

だが個人が集まって国家をつくったという古代とは、逆の観念をもっている近代以降の国家において、ソクラテスの議論はそれほど説得的ではないだろうし、多民族国家や人工国家のように「国家は家族である」というシンパシー自体に違和感を覚える場合もあるだろう(もちろん日本でも抵抗感のある人はいるだろう)。

 

そこで次にでてくるのが、公正fairnessにもとづく正当化である。

 

たとえば野党の支持者にも、現在の政権がつくった法を守るように要求できるのは、政権交代が実現したあかつきには彼らもまた、その時点の野党の支持者に法に服従することを求めるからだ。

 

自分たちが求めるだろうものは自らも引き受けなくてはならない、それが「公正」だと、そういうことになろう。

 

だが問題は、第一に、そのような逆転の可能性がない絶対的な少数者にも、この議論で服従を求めることができるかという点にあるし、第二に、これで求められるのはあくまでも、「遵守」であり「服従」ではないのではないかという問題もある。

 

 

《きちんとした》統治

 

すると結局、被治者に服従を求めることができるのは、統治者が《きちんとした統治》を行なっているからではないか、自分が普通に判断するよりも、そのような《きちんとした統治者》の意見を尊重したほうがよさそうだと、個々の市民に思わせるような条件が整っている場合に、人びとは「服従」するのだという可能性が残る。

 

たとえば生活を改善しなさいという医師の指示と自分の意見が違ったり、反発を覚えることもあるだろうが、しかしその医師のふるまいが《きちんとして》いれば、われわれはとりあえず自分の勝手な判断を差し控えて、彼の意見を尊重するのではないか。そのようなことが法の場合にも起きるのではないかというわけだ。

 

だがもちろん問題は、法をつくる統治者のふるまいが《きちんとしている》とはどういうことかという点にあるだろう。

 

医師の場合それは、教育や資格試験を通じた専門能力の認定が基礎となるだろう。だがそれだけでなく、挙措動作におかしな点がないとか(嘘かまことか「人は見た目が九割」という話もあった)、言動が一貫しているかといった要素もあるだろう。いい大学を出てちゃんと免許を持った医者のいうことでも、その内容が朝令暮改されるようなら、やはりわれわれは従いたくなくなってしまうのではないだろうか。

 

 

 

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・竹端寛「「実践の楽観主義」をもって、社会に風穴を開けていく」
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