現代労働問題の縮図としての原発 ―― 差別の批判から、社会的基準の構築へ

原発被曝労働の類型と下請労働・下請労働者

 

原発における労働は、そのほとんどが下請会社の労働者によって行われる。藤田祐幸『知られざる原発被曝労働―ある青年の死を追って』(岩波書店、1995年)によれば、原発被曝労働は以下の三つに分類できる。第一に、原発の制御系や保安系の維持と管理をするグループである。彼らの主な業務は設備の保守・点検であるが、これは経験や知識など専門的な能力を要する業務であるため、特定の労働者が継続的に従事することになる。そのため、もっとも被曝量が多くなりやすい。

 

第二に、原子炉やタービンを納入したメーカーが行う機械の検査や修理である。実際の検査等はメーカーの技術者や、これに動員される下請企業の労働者が、定期検査の期間だけ短期間の作業を行う。第三に、専門的な作業従事者が作業する現場の放射能を除染する清掃作業などを行う技能を要さない下請作業である。彼らは農村や都市スラムから動員される。

 

こうした下請企業の労働者を動員することで、大元の電力会社の負担は小さくなり、責任もあいまいになる。電力会社の社員が労災で死亡した場合には、3000万円前後の上積み補償金が支払われる労使協定が結ばれているというが、下請企業の労働者にはそれがないことが象徴的だ。また、第二のグループや第三のグループでは、作業に従事しているあいだは健康診断を受けることができるが、離職した後に「確率的影響」が現れたときには原発とは関係のない場所にいる。農漁村や都市スラムの病院で「原因不明」の病として処理されるのだ。こ原発で利益を享受している何者もこの責任をとることがなく、まさに危険の「隠蔽」がなされる。

 

 

差別と共通原則

 

だが、こうした「間接化」だけでは原発被曝労働は成立しない。原発を稼動するためには、「差別された労働力」そのものの確保を必要とする。原子力産業における被曝労働は、世界的に先住民族や黒人に課せられてきた。

 

日本の原発において、もっとも抑圧された労働者のグループは前述の第三のグループ、清掃等の業務に従事する日雇い労働者たちである。原発におけるこのグループの労働力は、こうした不安定労働のカテゴリーそのものである。原発の立地自体が首都圏や大都市圏を避けられているが、現地の兼業農家がこの代表格となる。これに加え、釜ヶ崎などの日雇い飯場からの労働力調達が行われてきた。いわゆる「都市下層」、「スラム」と呼称されうる労働力供給源だ。

 

差別労働に対し、先住民族や黒人の場合は、人種や民族などにもとづく差別を禁止する方法を取ることができる。だが、こうした「差別批判」の政策論は、日本のパート労働の場合にみられたように、市場を経由した差別を批判できず、むしろ強化しかねない。「雇用形態差別や過酷な労働は、労働者自身の選択の結果である」、すなわち、「市場の取引は自己責任だ」と。

 

原発労働者への差別に抗するためには、どのような人であれ、どのような事情であれ、たとえ市場の取引の結果であれ、差別は許されないという「共通基準」の思想こそが有効である。これは、現代労働問題としての派遣労働や有期雇用に対し、同一(価値)労働同一賃金という共通基準を獲得することが課題となっている事態と同様である。

 

 

「リスク」は社会が決定する

 

最後に、原発被曝労働を「リスク」として受容する「政治」について考えたい。これは、原発による放射線被曝による被害が、どの程度認定されるかにかかっている。すでに述べたように、放射線被曝の被害は確定が難しいため、この因果関係は常に判然としない。そのため、どこまでを原発労働の被害として社会的に認定するかが、リスクの範疇を決定付ける。

 

この認定の基準の程度が小さいほど、原発のリスクは低く評価され、原発のコストも低いものとみなされる。逆に多くの事例において原発労働との因果関係が認められれば、リスクは社会化され、原発のコストは高く見積もられることとなる。

 

労災における疾病の認定は、ケガの場合と異なり、一般的に事実的因果関係の証明は困難である。そこで疾病リストが作成され、このリストに記載のある場合には賠償がなされることとなっている。最近ではアスベストの被害の事例がわかりやすい。誰かが肺ガンを発症した場合、その原因がアスベストであるのか喫煙であるのか、科学的な特定をすることは不可能である。だが、アスベストを扱った労働者に関しては、肺ガンの場合に因果関係が認定される。労災認定においては、事実的因果関係そのものを社会的に判断する(相当性)しかないのだ。これはすぐれて政治的・社会的問題である。

 

こうしたことは、私たちがこれまで問うてきた過労死・過労自殺の問題とまったく同じである。過労死の場合には脳・心臓疾患が主な疾病となるが、この因果関係を特定することは、極めて困難である。

 

長時間労働やパワーハラスメントが過労死・過労自殺を引き起こすということが社会的な合意となり、労災認定の基準がより厳格につくられれば、こうした非人間的労働は抑制される。同様に、放射線の影響は科学的な探究だけによるのではなく、それと連動した社会化によってこそ、抑止されるのだ。

 

 

おわりに

 

原発事故がなければ、助けられた命がたくさんある。震災後の寒気の中で、奪われていった命がある。そうした人命の特定すら、もはや容易ではない。物資や救援の遅れ、そして政府の意識が被災者に集中できなかった事態を招いた大きな原因は、原発にある。私は、自分自身の手では何もできなかった。せめて労働問題を問うことで、このようなことが二度と起きないようにと思わずにはいられない。

(本記事は『POSSE vol.11〈3・11〉が揺るがした労働』掲載記事のダイジェスト版となります。)

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

・島村一平「学びなおしの5冊・「モンゴル」、あるいはコロナ禍の中でモンゴルを考える」
・石川義正「社会の分断を見つめる──現代日本「動物」文学案内」
・志田陽子「「捏造」という言葉の重さについて――批判の自由か《排除》か」
・馬場靖人「なぜ私は「色盲」という名にこだわるのか?」
・菅(七戸)美弥「アメリカ・センサスと「人種」をめぐる境界――個票にみるマイノリティへの調査実態の歴史」
・平井和也「コロナウイルスでグローバリゼーションは終焉を迎えるか?」