未完のマックス・ウェーバーを引き受ける人生――レジェンド・インタビュー01

初期の大作『危機における人間と学問』

 

橋本 折原先生の大作『危機における人間と学問』(1969)は、その当時の学園紛争問題を背景に、独自のウェーバー像を提示された重要な書物であると思います。またこの時期とその前後には、日本においてウェーバー研究が一つの最盛期を迎えています。大塚久雄、山之内靖、内田芳明などの研究者たちが、それぞれ独自のウェーバー像を提出し、重要な問題提起をしました。

 

折原先生のウェーバー像は、端的に言うと、近代的な啓蒙主体の意義を体系化したものであります。私はかつてこれを「近代主体」と名づけて論じたことがあり、合わせて「問題主体」という別のウェーバー像を提出しました。

 

お伺いしたいのは、折原先生のウェーバー理解、とりわけウェーバー像は、『危機における人間と学問』の段階から、発展ないし変化してきたのかどうか、ということです。

 

折原先生はこれまで、さまざまな社会問題について、その都度、ウェーバーに引き寄せてご発言をされてきましたが、その際の視角は、この『危機における人間と学問』において確立されたものでしょうか。あるいはその後発展していったのでしょうか。

 

折原 意図して自己点検したことはないのですが、大掴みにはこうもいえましょうか。

 

『危機における人間と学問』は、前半の「境界人」論と、後半の「マックス・ヴェーバー」論に二分されます。

 

 

・「マージナル・マン」論

 

前半では、R・E・パークとE・S・ストーンクィストによる文字通りの「マージナル・マン」理論を、1920-30年代のアメリカ合衆国における(東欧他からの)移民と移民二世の「窮境」という理論触発基盤に遡って、要約して紹介はしました。

 

しかし、小生の関心は、「二文化の『狭間』『境界』に置かれて、双方からの『交差圧力』を受け、『ふたつの自我の間で動揺』を繰り返しながら『人格解体』に陥る」という「境界人」の消極面ではなく、むしろ、「二文化双方を、『外部生』『余所者』の視点から『客観的に捉え返す』ことができ、場合によっては二文化の『総合』も追求できる(あるいは『文化的ハイブリッドcultural hybrid』という『新しい個性』に転生しうる)という積極面に向けられました。

 

力点は、そうした可能性を開示する議論を展開しているG・ジンメルやK・マンハイムからE・デュルケームにいたるまで(注38)、さまざまな思想家・理論家をとりあげ、いわば「境界人」として積極的に生きるための「参考素材集(ソース・ブック)」をしつらえる、というところに置かれました。体系的な理論を構築するよりもむしろ、参考になりそうな素材を、手当たり次第に掻き集めて遺漏のないように書きとめておこうとした次第です。

 

(注38)とはいえ、この三人はいずれも「ユダヤ系マージナル・マン」です。

 

 

・「マージナル・マンとしてのマックス・ヴェーバー」論

 

後半では、「マージナル・マンとしてのマックス・ヴェーバー」と題する架橋の一章から、「ヴェーバー論」に転じ、(「人種的ハイブリッドracial hybrid」ではないとしても)「文化的ハイブリッド」としての「境界人」の可能性を、フルに体現して生きた一思想家として、ヴェーバーを捉えようとしました。

 

そこでは、「カテゴリー論文」を主たる典拠として、「合理化=没意味化」問題を掘り起こすと同時に、この問題を逸失している林道義氏の解釈と邦訳に批判を加えました。ところが、小生としては、林氏を矢面には立てても、「ヴェーバーの『合理化』論は、『合理化』批判ではなく、『道具的合理性』の擁護に帰着する」という趣旨の「フランクフルト学派」の論難に対抗したい、という動機が、じつはむしろ勝っていました。

 

そのため、これはじつは「勇み足」ではあったのですが、「ヴェーバーの『目的合理性』概念には、ただたんにそのときどきの『所与の目的』にたいする『合理的手段』の選択という平板な意味だけではなく、個々の『目的』の背後にある『究極の価値理念』に照らして、個々の『目的』の『意味』を反省し(学者だったら、自分の研究主題とその目的の「意味」を検証し)、『明晰に』制御していく、そういう高度の意識性が含意されている、だからこそ、ヴェーバーの『合理性』論には、『実存理性』による『没意味化』批判という意義がある」と主張したかったのです。

 

これにたいしては、社会学出身で「フランクフルト学派」を研究しておられた敬愛する先輩の徳永恂氏から、「目的合理性」にかんする折原の解釈は「思い入れが過ぎる」と窘められましたが、「だが自分は、その思い入れのほうに共鳴する」という評言をいただいて、たいへんうれしかった記憶があります。

 

 

・「責任倫理」的行為主体における「価値理念」から、「各人の生の糸 (複数) を繋ぎ止めて離さない『ダイモーン』と『根基』」にかかわる議論へ

 

それ以降、大筋ではこの「思い入れ」――正確に規定すれば、自分の「価値理念」に照らして、そのときどきの「目的」を吟味-制御する「自己責任性」と、当の「価値理念」から(「心意「倫理」一辺倒にはならずに)そのときどきの状況における「目的」を「意味-論理整合的」に導き出すと同時に、当の「目的」を「状況に投企」し、「目的合理的」に手段を選択し、「随伴結果」も含めた「結果」を予測して、これにも責任を執ろうとする「責任倫理性」、要するに「『責任倫理』的行為主体」という人間理念=「明晰な」生き方の理念――を主軸に据え、自分の状況内「投企」と、学問における個々の研究主題の価値検証-制御の規準、ならびに、他者にたいする批判の規準としても、活かそうとつとめてきました。

 

もっとも、東大闘争のさいに、なにかいきなり、こうした「過大な規準」を翳して、東大教員を「なで斬り」にした、というのではありません。そこでは、前問への回答でも触れたとおり、「科学者ならば、教授会-当局の見解と学生の主張とが、甲説と乙説として対立しているとき、『自分は教授会メンバーであるから』と初めから甲説に荷担するのではなく、『どちらが妥当か』、双方の内容を比較-対照し、吟味-検証し、互いに自分の所見を持ち寄って議論することはできよう」という、ごく普通の規準にしたがったにすぎません。

 

それはともかく、「『責任倫理』的行為主体」論に戻ると、やがて、個々の目的の背後に、それらを統べ括る「価値理念」があることは確かだとしても、それをただちに「究極の価値理念」に見立て、「理念」の次元で「絶対化」してしまってよいものかどうか、それではやはり「観念論」に陥るのではないか、という疑念が目覚めました。そしてその後、そういう「個々の価値理念」を「根底から」問い返す必要と、そうした「根基radix」の実在と規準を模索して、現在にいたっています。ヴェーバー自身においても、晩年には、「価値理念」から「ダイモーン」や「各人の生を繋ぎ止めて離さない糸(複数)」といった議論に、力点が移っている、という印象を受けます。

 

しかしこれは、小生には未解決の難問です。この論点について、小生に考えられるかぎりのことは、HP 2016年欄の「記録と随想1: 『職業としての学問』末尾の『デーモン』とは何か――マックス・ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあったか」と「記録と随想3:1960年代における滝沢克己『原点』論の登場とその意義」に書きとめ、問題提起はしていますので、よろしかったらご参照ください。 

 

 

右派としてのウェーバーをどうみるか

 

橋本 次の質問は、「右派としてのウェーバー」をどうみるか、です。

 

ウェーバーは、「国民国家と経済政策」と題するフライブルク大学教授就任講演(1895年)において、ポーランドからの季節労働者を受け入れるべきかをめぐって、ナショナリストとしての価値関心を明確にしています。

 

ウェーバーは次のように述べます。

 

「われわれの事業に意味を失わせたくないならば、その事業を未来のため、すなわちわれわれの子孫のための配慮として行うほかありません。……われわれ自身の世代が墓場に入った後のことを考える際に、われわれが心を揺さぶられる問いは、未来の人間がどのような暮らしをするかということではなくて、どのような人間であるかということですが、これこそはまさしく経済政策上のすべての事業の根底に横たわっている問いでもあるのです。われわれは、未来の人々の無事息災を請い願うのではなくて、人間としての偉大さや気高さを形作るとわれわれに感じられるような資質を、彼らのうちに育て上げたいと思います。」

 

「われわれが子孫に餞(はなむ)けとして贈らなければならないのは、平和や人間の幸福ではなくして、われわれの国民的な特質を護りぬき、いっそう発展させるための永遠の闘いです。」

 

「その究極的な価値基準は『国策』です。……究極的・決定的な裁決を与えるのは、ドイツ国民とその担い手であるドイツ国民国家との、経済的および政治的な権力的価値関心でなければならない、という要求です。」(『世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集』田中真晴訳、所収)

 

ここでウェーバーは、一方では、未来の人々の無事息災を願うのではないという意味で「反福祉国家」の立場をとりながら、他方では、ポーランド移民を受け入れるべきではないとして「反グローバル市場経済」の立場をとっているように思われます。この立場を何と呼ぶべきかは難しい問題ですが、ウェーバーはここで、広い意味での倫理的なナショナリズムにコミットメントしているといえるでしょう。

 

日本ではしかし、多くのウェーバー研究者たちは、福祉国家に反対することはなく、また、国民的特質だとか国策といった価値基準に対しては、むしろ批判的なリベラルの立場をとってきたのではないかと思います。

 

端的にお伺いしますが、この「国民国家と経済政策」に照らして、折原先生はこれまでどのような価値関心に立脚されてきたのでしょうか。

 

折原 小生、「前期」ヴェーバーの就任講演「国民国家と経済政策」(1895)からは、例の「上に向かっても、下に向かっても、自分の属する階級に向かっても、『嫌がられること』をいってのけるのが、われわれの科学の使命である」という言表をたびたび引用しました。しかし、「いってのけなければならない内容」は、引用者と被引用者とで、異なっています。ヴェーバーの当時のナショナリズム、あるいは「国益至上主義」には、小生は批判的です。そうした側面を再評価しようとする昨今の日本の研究動向にも、批判的です。

 

 

・ヴェーバーの生涯における「生の危機」と、「難船者」の「実存-理性」による「学問の再建」

 

むしろ小生は、ヴェーバーの生涯が、1898年の精神神経疾患を境目として、「前期」と「後期」とに大きく分かれている事実に始終注目してきました。それまで順風満帆だったかれの「航海」が、思いがけず「座礁」して、急転直下、再起も危ぶまれる苦境に陥り、学問のみか、生そのものが「危機」に瀕しました。かれは、この「危機」からの脱出を求めて「藁にも縋る」思いで「難船者の生」を開始し、「学知-理性」ではなく「生-理性」「実存-理性」によって「学問も再建」し、その学問も織り込む「責任倫理」的実践によって、後半生を生き抜いたといえましょう。

 

小生は、その軌跡に、重要な意義を認めます。「職業人しか完全な人間とは見ない」近代的職業理念や、生の「人間的側面」には目の届かないピューリタニズムや合理的禁欲への疑念も、この「生の危機」のただなかで孕まれましたが、それらの「全否定」にはいたらず、(「比較歴史社会学」に通じる)「再建された学問」によって相対化され、位置づけられることになります。

 

 

・後期ヴェーバーにおける学問と政治理念の深化

 

とはいえ、「前期」ヴェーバー研究など「あらずもがな」とはいいません。「学知上」の価値ある研究であれば、それはそれとして、そのかぎりで尊重したいと思います。ただ、「前期」と「後期」とを同平面に並べ、「二流受験秀才」よろしく、アングロ・サクソンへの劣等感とスラヴへの優越感との間で交互に揺れる「ヴェーバー」像を描き出すような研究には、ほとんど興味を感じません。

 

「前期」には無反省のままに使われていた「種族」「民族」「国民」といった概念にも、「後期」ヴェーバーは根本的反省を加え、それぞれを構成する諸契機をひとつひとつ精細に研究する必要を説き、それが達成された暁には、そうした集合名辞は捨ててもよい、とまで断言しています。

 

また、第一次世界大戦の末期、なるほどかれは、ヨーロッパ亜大陸で、海洋大国イギリスと、地続きの大国群(とくにロシア)との「狭間」にあるドイツが、「無併合・無賠償の早期講和」を実現して「大国」としての存立を保つべきことを力説しました。しかし、その根拠は、「前期」とは異なっています。

 

すなわちかれは、ドイツが「ロシアの官僚制」または「アングロ・サクソンの『社会(ソサエティ)慣習』」の世界制覇にたいする防波堤となることを「歴史的責任」として強調しますが、そのさいかれは、「ドイツ文化」ないし「ドイツ民族の資質」の「優越性」を唱えず、そもそもドイツ文化の「内容」ないし「特性」に言及すらしません。

 

かれの主張の根拠は、「強大国群の勢力均衡のみが、小国群の自由を保障する」という一点にありました。ヨーロッパ亜大陸の個性的な諸小国が、列強間の狭間で、「西洋中世内陸都市」と同じように「漁夫の利」を占め、「中世都市自治」と等価の、それぞれに独自の自由な発展を遂げられるように、もっぱらその外的な条件を確保しようと説くのみでした。

 

なるほど、こうした主張は、穿った見方をすれば、「『諸小国の保護者』を自任して自国の権力主張を『正当化』する『大国のイデオロギー』」とも解されかねません。しかしその主張は、「ヨーロッパに独自の自由な文化発展」にかんする(古代と中世に通じる)社会学的知見に媒介され、裏打ちされており、そのかぎり「国家」や「国民」を越える普遍的な理念の表明でもあります。

 

この理念によって、自国の権利主張が意味づけられると同時に、相対化され、限定されています。その点でヴェーバーは、単純な「国民主義者」ないし「国益論者」ではありませんでした。「ヨーロッパの多様で自由な文化発展」を保障しようと、そのかぎりで、狭間の大国ドイツに権力を留保し、歯止めを欠く「権力のための権力」あるいは「権力の威信のための権力」を戒めて止まなかったのです。小生は、かれの「政治思想」も、「後期」のこの側面に注目して、継受-発展させていきたい、と念願しています。

 

 

日本マックス・ウェーバー論争、その後

 

橋本 「羽入-折原論争」についてお伺いします。

 

羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』ミネルヴァ書房(2002)が刊行されると、ウェーバーの解釈をめぐって、一連の論争が展開されました。その一部は私のホームページにも掲載され、さらに成果の一部は、橋本・矢野編『日本マックス・ヴェーバー論争』ナカニシヤ出版に、加筆修正のうえ収録されています。

 

折原先生はこの論争に深くコミットメントされて、『学問の未来 : ヴェーバー学における末人跳梁批判』未來社 (2005)という大著を刊行されました。合わせて、『大衆化する大学院 : 一個別事例にみる研究指導と学位認定』未來社(2006)や『ヴェーバー学の未来 : 「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』未來社(2005)などの著作も出版されています。

 

その後、羽入先生からの応答がありましたが、この応答に対する応答は、ほとんどなされていないようにみえます。私も応答していません。折原先生は、この羽入先生の応答に対する追加的な応答をされましたか。あるいは応答をしない理由をお持ちですか。このあたりについてお伺いします。

 

折原 貴兄が、貴兄ご自身のHPに、「羽入-折原論争コーナー」を開設して、寄稿を呼びかけ、「短期集中-、短期決戦型論争」の完遂に寄与された功績は、多大だったと思います。そうした「場の提供者」として、貴兄が「形式的公平」の規準を遵守されたことは、あの期間、大いに意義がありました。しかし、羽入氏は、貴兄のコーナーに「応答」を寄せなかったばかりではなく、寄稿が「峠を越して」「論争としては『けり』がついた」と「衆目がほぼ一致」する(注39)状況になってから、ずっと後で、『学問とは何か』と題する著書を、ミネルヴァ書房から刊行しました。

 

(注39)『VOICE』誌上の「谷澤-羽入対談」は、谷澤氏が羽入氏を「窘め」、「幕引き」をはかった、とも読めましょう。

 

小生は、貴兄の「形式的公平」原則は尊重し、寄稿集中期にはそれにしたがい、必要に応じて他の寄稿者に応答したり、丸山尚士論文を評価したり、できるかぎりの寄与はしたつもりです。しかし、はるか時期遅れの羽入著『学問とは何か』(2008、ミネルヴァ書房)は、その延長線上にはなく、むしろ「コーナー」とは切り離して、独自に対応し、評価すべき一問題と受け止めました。そして、早速一読はしましたが、応答する必要は、まったく認められませんでした。答えのない、答えられるべくもない『学問とは何か』は、内容上、論争への「追加的な応答」の体もなしてはいません。

 

そもそも、羽入氏の前著『マックス・ヴェーバーの犯罪』(2002、ミネルヴァ書房)を採り上げたのも、同書に、相応の意義を認めたからではありません。「倫理論文」一篇さえ、まともに読まずに大言壮語し、罵詈雑言を振りまいて自画自賛に耽るような人物を、まともに相手にする理由は見当たりませんでした。なるほど、それにもかかわらず、『犯罪』を採り上げて批判しましたが、それはなにも、羽入氏個人を戒慎させようと意図したからではありせん(表向きはともかく、そんなことをしても「無駄骨」とは、初めから分かっていました)。

 

むしろ、(1)東大文学部倫理学教室が博士号を与え、(2)日本倫理学界が学界賞「和辻賞」を授け、(3)養老猛司・山折哲雄・中西輝政・松原隆一郎ら「評論家」連中が「『よいしょ』して持ち上げる」など、「学界-ジャーナリズム複合態」の無責任な体質が露呈して、「これを放置しておくのは、日本のヴェーバー研究総体、社会科学総体にとってよくない」と判断せざるをえなかったからです。

 

しかし、小生はそれ以上に、研究上の実績は挙げている若手や中堅までが、あれほどの駄作に「びびり」始め、「口籠もり」「口を閉ざす」様子に、危惧を感じました。「これはいけない」と、重い腰を上げ、(それ自体として内容上はごくつまらない) 批判の筆を執り、執れば徹底させるほかはありませんでした。「学界-ジャーナリズム複合態」の惨状にたいする、一学者としての「責任倫理」的対応でした。

 

さて、『学問とは何か』にいたっては、流石、かつての空騒ぎも弱腰も「なりを潜め」ました。「八つ当たり」で誹謗中傷された第三者が、苦情を訴えてきたくらいです。とすれば、他に「応答」すべき「恵贈著作」を数多く(年平均約50点は)抱える小生が、再度「無駄骨を折る」のは、無意味で無責任と判断しました。

 

「羽入書事件」に目を瞑り通した「ヴェーバー研究者」は、どう評価されるべきでしょうか。

 

 

人生の究極的な意味とは?

 

橋本 ウェーバーは「職業としての学問」(岩波文庫、尾高邦雄訳)のなかで、学問の意義について語っています。

 

なるほどトルストイが言うように、学問は、「われわれはいかに生きるべきか」に対しては、なにも答えない無意味なものかもしれません。ウェーバーはこのことを認めたうえで、しかしもし正しい問い方をすれば、学問は別の貢献をすることができるといいます。

 

例えば、「いかに生きるべきか」という問題に対して、私たちがある世界観に立脚して、その答えを与えたとしましょう。すると学問は、その世界観の根本的な態度から「内的整合性」をもって意味をたどることを可能にする、とウェーバーは言います。この場合の学問とはすなわち、生きる意味を整合的に解釈する営みであり、学問は、「各人に対して彼自身の行為の究極の意味についてみずから責任を負うことを強いることができる」のだとウェーバーは言います。

 

しかし、どうでしょう。学問を営む人々の多くは、世界観についての根本的な態度を築いているわけではないでしょう。またかりに、ある世界観を根源的なものとして引き受けたとしても、その意味を整合的に解釈していく作業を引き受けている人はあまりいないでしょう。ウェーバーから見れば、そのような人たちは、二流の学者に過ぎないということなのかもしれませんが。

 

お伺いしたいのは、折原先生にとってこの「行為の究極的意味」はどのようなものでしょうか。またそのような究極的意味から、どのようにして生きる意味を整合的に解釈ないし展開していらっしゃったのか、という問題です。いわば「生きる意味の整合的体系化」という問題です。

 

折原 社会学的範疇としての「学者」すべてに、「みずから哲学する人der od. die Philosophierende」として生きよ――「究極の『根基』-個人としての『価値理念』-諸『目的』」という関連を自覚し、整合的に制御し、なおかつ「当の目的を状況に投企して、結果-随伴結果を予測し、『責任倫理』的実存として、生涯をまっとうせよ」――と要求するのは、現実にはいかにも無理でしょう。しかしそれでは、そうした規範的理念は引っ込めて、現実に歩み寄ればよいのか、というと、けっしてそうではありません。

 

 

・人間学的範疇のかぎりで、「批判的少数者」としての「知識人」と、「大衆」との区別を堅持

 

小生は、社会学的範疇ではなく、人間学的範疇としての「みずから哲学する人」という、いうなれば「知的英雄の理念」は、撤回せず、あくまで堅持することが、可能かつ必要と考えます。ただ、それをなにか「普遍的な」理念として、万人に期待し、押しつけようとすると、かえって途端に奇怪しくなり、「主権的独裁」にも通じかねません。ですから、そういう誘惑に屈してはならない、と思います。

 

そこでやはり、あくまで人間学的範疇として「大衆」と「知識人」(というのは、この場合、あくまで「みずから哲学すること」を辞さない「批判的少数者」)とを区別し、「自己責任」的かつ「責任倫理」的実存という理念を、後者に限定して堅持することが肝要と思います。この意味における「知識人」は、下手に「多数派工作」などに乗り出して「政治価値」に絡め取られてはなりません。あくまで「批判的少数者」に徹し、「他領域への転移」に「足を掬われない」ように、「ガードを固めて生きる」ことが肝要でしょう。

 

まさにそうすることによって、一見「逆説的」でも、「大衆社会」のただなかで、(人間学的範疇としての)「大衆」には想到不可能な選択肢を、提起-温存-確保し、いざ「危機」というときに、採用可能な選択の幅を広げて、「多数派」の柔軟な「危機」克服にも資することができましょう。そこに「批判的少数者」に固有の(「普遍化」はできず、してはならない)「使命」がある、と思います。

 

小生における「根基-価値理念-諸目的」関連については、「根基」のほかは、上記 (1) への応答で触れています。「根基」問題については、前記のとおり、ヴェーバー自身における「根基」の問題とあわせて、HP 2016年欄の二記事「記録と随想1: 『職業としての学問』末尾の「デーモン」とは何か――ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあったか」および「記録と随想3:「1960年代における滝沢克己『原点』論の登場とその意義」で、できるかぎりは論じています。

 

 

人生とは何か?

 

橋本 折原先生は、ご自身の人生を振り返って、いまどのように捉えているでしょうか。このインタビューの最後に、「人生とは何か」、「生きる意義とは何か」という大きな質問について、素朴にお伺いしてみたいと思います。

 

念のため補助線として、ウェーバーの「世界宗教の経済倫理 中間考察」(『宗教社会学論選』大塚久雄/生松敬三訳、みすず書房(1972)所収)から引用します。

 

「自然的因果律の秩序界を創造した科学は、自分自身の究極的な前提について確実な解明を与えることはできないにしても、『知的誠実性』の名において、科学こそが思考による世界観察のただ一つの可能な形態だ、という主張を携えて立ち現れてくる。そして、知性が……人間のあらゆる人格的・倫理的な諸資質からまったく独立した、したがって同胞関係に反するような合理的文化所有の貴族主義を作り出すことになる。」(156頁)

 

「ところが、……このような文化所有には、倫理的罪過のほかにも、さらに、文化所有をそれ自体の尺度で評価しようとする場合さえ、その価値をはるかに決定的に喪失せざるを得ないようなものが、つまり無意味化という事実がまとわりついている。ひたすら文化人へと現世内的に自己完成を遂げていくことの無意味化、言い換えれば、『文化』がそこに還元されうるかに見えていた究極的価値の意味が失われてしまったことは、宗教的思考からすれば、……死が意味を失ってしまったということから帰結したのであって、死の無意味化こそが、ほかならぬ『文化』という諸条件のもとにおいて、生の無意味化を決定的に前面に押し出したのだということになる。」(156-157頁)

 

「『文化』なるものはすべて、自然的生活の有機体的循環から人間が抜け出ていくことであって、そして、まさしくそうであるがゆえに、一歩一歩とますます破滅的な意味喪失へと導かれていく。」(158頁)

 

ウェーバーはこのように述べています。この文脈でウェーバーはまた、ますます専門分化し多様化する学問における「無意味化(意味喪失)」、あるいはまた、現世を実践的・倫理的に合理化しようとする努力がもたらす矛盾としての「無意味化(意味喪失)」についても指摘しています。いったい近代人としての私たちは、死の無意味化や、仕事・研究の無意味化、あるいは実践的・倫理的振る舞いの無意味化といった事態に直面して、どのような態度をとることがふさわしいのでしょうか。

 

以上は補助線であり、無視していただいても構いません。

 

折原

 

・ヴェーバーは「中間考察」では「現世否定の諸契機」を理念型的に構成

 

ヴェーバーは、『中間考察』では、「現世肯定的・現世適応的」と見た「儒教」の文化圏から、「現世否定的・遁世的」とみなす「ヒンドゥー教と仏教」の文化圏に、考察を転ずるにあたり、「儒教」と同じく「現世に志向させられているweltangewendet」欧米近-現代人の読者を、対蹠的なインド文化圏に、なんとか内面的にも導き入れようとしました。

 

そこで、「およそどういうところで、現世拒否・現世否定のスタンスが孕まれうるのか」と問い、その諸契機を「理念型」的に極限化して提示します。そのコンテクストで、「現世的文化財」の創出や享受が「『知』や『趣向』のカリスマ」による「貴族主義」を欠きえず、これが「宗教的同胞愛倫理」に抵触する、という論点を提起するだけではなく、「現世的文化財そのもの」の観点と規準に照らしても、いわば「現世内在的(非宗教的)」にも「当の現世の否定」に通じる、という帰結を、理論的に導こうとしたわけです。

 

そうした理論的目的のもとに、「文化財の総量が、個々人一生涯の摂取量を越えてしまった近-現代には、個々人がどうあがいても、死以前はもとより、死の時点にも、なんらかの文化的『飽和』『完成』には至りえない」、「そのようにして『死』が『文化財総摂取の未完了』という意味で『無意味』になるとすれば、翻って生も(そういう『無意味』な帰結にいたるほかはない過程として)同じく『無意味』とならざるをえない」という「帰結」が、大がかりでもなにか特異な論理操作によって、導かれます。

 

この論説は、文化的「飽和」「完成」を求めて止まない欧米近-現代人には、一定の説得力をもち、異質な対極としての「遁世的瞑想・観照」文化への格好の導入部とはなりえたかもしれません。

 

しかし、古代インド人はともかく、近-現代人がどう生きるか、という実践の問題になると、話はちょっと変わってきます。近-現代人が、欧米の近-現代人であれ、「無意味」感の前提となる「文化財の総量を総摂取し、一望のもとに俯瞰せずには止まない」というような「『文化人』としての(そのじつ、度はずれた)野望」をまだ抱いているでしょうか。ヴェーバー自身はともかく、おおかたは、すでに捨て去っているのではないでしょうか。

 

 

・文化財の一領域・「学問」の「固有法則性」にいかに向き合い、自分の生涯をいかに「意味」あらしめるかが肝要

 

とはいえ、そうした局面で、個々人が「文化財の総量」とまではいわないとしても、文化財の「固有法則性」に巻き込まれると、はたしてどうなるか、――これはこれで、ひとまずは別個の、問うに値する、重要な問題です。じつは、この問題が、ヴェーバー最晩年の講演『職業としての学問』で再提起され、展開され、答えられています。

 

たとえば学問に「完成」を求めると、「学知」の限界は「旅人にたいする地平線」のように、一歩進むごとにそのつど後退しますから、どこまで行っても無際限で、「完成」にはいたらず、「きり」がありません。

 

そこで、そういう「学問」に固有の本質、この「固有法則性」が、なおかつそれに携わろうとする学者に課する「完成に至りえない」という宿命をしかと見据えて「悪あがき」(注40)を捨てるとき、そのときにこそ、問題は、「では、そういう『きりがない』『一見無意味な』仕事に携わることで、この自分の人生に、どういう『意味』が与えられるのか、あるいは、自分の限られた人生に、どういう『意味』を与えることができるのか」というふうに、再定立されましょう。

 

(注40)それが、あたかも「完成」にいたっているかのように振る舞う「似而非科学」、ヤスパースが警告して止まなかった「科学迷信Wissenschaftsaberglaube」にほかなりません。

 

そしてこのとき、「意味への問い」も、「近代合理主義の帰結にいかに抗するか」というような(なんといっても)気楽な一般問題ではなく、自分の「実存にとって切実な」問いに転化し、各人に回答を迫ってくるはずです。

 

この問いに答えるには、「文化財の『完成』の『高み』に立とう」などという、その度外れた野心と幻想は捨て、歴史的時期の限られた生涯に、自分として、また、「過去すべての死者と、未来すべての、不本意な死に脅かされかねない世代者とにたいする、その意味で二重の責任性存在」として、「いったい何をなしうるか」というふうに、問いの立て方そのものを改め、「身の丈にあった、等身大の実践」に踏み出せばよいのではないでしょうか。

 

このことは、「各人の生をしかと捉えて離さない『ダイモーン』の声に耳を傾け、なんの『けれん』もなく生きていこうと決意し、『その日その日の要求』にまっとうに取り組みさえすれば、いとも容易に達成されましょう」。

 

このインタビュー、とくに最初の二つのご質問への回答は、「1935年生まれ世代」の小生が、「戦中・戦後の限られた一時期」を、「二重の責任性存在」として、どう生きてきたのか、みずから総括し、「後から距離をとって接近してくる世代」に「批判と乗り越えの素材」を提供しようとする試みでした。(2017年4月10日、脱稿)

 

 

橋本 この度は小生のインタビューに応じていただき、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。小生がインタビューを依頼したのは2016年12月のことでしたが、その後折原先生はご自身のホームページで公開されていますように、癌の摘出手術をされました。現在、大変過酷な生活を余儀なくされているのではないかと察します。

 

とりわけ手術後に、お身体の状態を細心の注意で労わらねばならない状況のなか、本インタビューにお答えいただくことは、小生の想像を超える労苦を伴ったにちがいありません。術後の経緯は改善に向かっているとのことですが、どうかお身体の具合を最優先にご自愛いただき、そしてまた天職としてのご研究をお続けくださればと願っております。

 

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