都市に「緑地」はなぜ必要か――「市街化調整区域」を真面目に考える

今も続いている緑地開発と保護運動

 

この本を読むと、鎌倉の市民たちの奮闘ぶりに圧倒される思いがあるが、近隣の緑地を残したいという市民の要求が実現するために25年もかかることにも驚きを感じる。それが日本の現状なのである。そして今でも緑地の開発は各地で行われている。

 

横浜市の港南区と栄区の区界付近にある「瀬上沢緑地」は、鎌倉市まで続く横浜市内最大の一大緑地帯である。ここに東急建設による開発計画が持ち上がっている。この計画に対して、市民団体「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」(http://livegreenyokohama.com/)が住民投票を行うことで市民の意思を示そうとしている。

 

緑地の特徴、開発計画の概要、それに対する市民団体の対応などは「グリーンアクティブ」の公式サイト(http://green-active.jp)にコンパクトにまとめられている。論点はいくつかあるが、本稿の観点から指摘したいのは、横浜市がこの緑地の地域を「市街化調整区域」から「市街化区域」に変更することによって、この開発を可能にしようとしている点である。

 

神奈川県が線引きしていた時代は、東急建設の開発計画も、「市街化区域」への線引き変更も却下されていたという(2008年)。しかし、地方分権によって基礎自治体に権限が委譲され、神奈川県に代わって政令指定都市である横浜市が線引きを担うことになってから、このような変更が計画されたのである。

 

住民に近い自治体に多くの権限を移譲するというのは、一見素晴らしいことのように見える。だが、基礎自治体の判断が必ずしも良いものになるとは限らない。「市街化区域」に変更することによって、宅地や商業施設の建設が可能になると、一時的に人口増加による税収や雇用が増加する。そこから基礎自治体は短期的なメリットをねらって開発を許可する方向に進みがちである。しかし、日本が人口減少に向かっていることを考慮すると、長期的には正しい判断とは言えないだろう。

 

また、本稿の観点からは、この変更計画は「市街化調整区域」の理念を無視するもののように思われる。何のために「市街化調整区域」があるのか、が考えられていないから、安易な線引きの変更計画が起こるのだ。「市街化調整区域」を、都市に「空地」を確保するための制度としてもっと積極的に評価すべきである。そして、自治体の短期的な都合によって安易な線引きの変更が起こらないようなしくみをつくることが望ましいと考える。

 

 

瀬上沢1

 

 

「地域エゴ批判」に反論する

 

最後に、こうした住民運動に対して出される「地域エゴ批判」について書いておく。以前に拙論(「地域エゴ」の何が悪いのか?)でも取り上げたが、「地域エゴ批判」には穴がある。権利主張をすること自体は正当なことだし、行政は地域住民の意思をきちんと受け止めるべきだが、「地域エゴ批判」は住民の権利主張を最初から封じてしまう効果をもつ。加えて今回は、(1)「地域エゴ」と言われるけれども実際には合理的な判断に基づいていることもある、(2)「地域エゴ批判」は都市計画や保護地域(線引きをして、あるエリアは開発をしないと決める)という制度そのものを掘り崩す言説だ、ということを述べておきたい。

 

先にふれた鎌倉広町の運動に対しても、古くから住んでいる人たちから、「自分たちが分譲地に住んでいながら開発に反対するのは矛盾ではないか、あるいはエゴではないか」という批判がずっとあったという。しかし、その人たちにていねいな説明を行い、理解を得てきたという。どういう説得をしたのかは定かではない。ただこの論法は実は近年ではさまざまなところで実質的に論駁されている。

 

例えば「反原発」ではなく「脱原発」という言葉には、原発の恩恵をこれまでは受けてきたがこれからは危険性が大きいのでやめよう、というニュアンスがある。これは合理的な言説といえよう。これまで恩恵を受けてきた人が原発に反対するのはおかしい、とは言われない。同じように、これまでは緑を削っても他に十分に緑があったので何とかなっていたが、これ以上削るのはまずいのでやめよう、という判断は合理的といえるだろう。

 

瀬上沢緑地の場合は、「開発を抑制すべき区域」なのに、それが変更され開発されそうになっているという点がポイントである。地域エゴ批判者は、「そこに宅地を建てて住みたい人もいるのにそれを許さないのは先に住んでいる人のエゴである」と言うかもしれない。だがそれは、例えば、すでにそのアパートに住んでいる人が、空いている部屋に新住民が入居するのを嫌がって断るのとは異なる。なぜならこの場合、入居を断られる部屋は「空き部屋にしておく」ことが決められた部屋だからである。このような取り決めを気軽に否定できるのならば、都市計画という制度の意義が掘り崩されることになる。

 

例えば「史跡」を保護することに対しては、地域エゴ批判者は特に何も言わないだろう。それは国民や人類の「共通の財産」とされているからかもしれない。しかし地域の森もその地域住民の「共通の財産」である場合が多い。「名のある」場所に対しては、保護するためのコンセンサスが得られやすい。しかし「無名の」場所、明確には意味づけられず留保されている場所も、都市住民にとっては重要である。それを明確に主張したのが、大谷の「空地の思想」であり、制度上担保しうるのが「市街化調整区域」なのである。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

都市の環境倫理: 持続可能性、都市における自然、アメニティ

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作者吉永 明弘

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ページ数250

ISBN4326602600

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