多様性を棄て、同質性を求める戸籍と「日本人」――「排除」と「連帯」を生み出す制度のゆくえ

「血」の幻想を呼び起こす戸籍

 

世界がグローバル化の波に覆われる現在、複数の国家の支配領域を往来する人の移動は拡大の一途である。外務省によれば、2016年10月1日現在、海外に在留する日本人は133万8,477人であり、永住者は46万8,428人にのぼる。いきおい日本人の海外での出生や国際婚姻などの越境的な身分変動も輪をかけて増加し、重国籍の子が生まれる確率も高くなる。国別在留数1位は米国で42万1,665人(全体の約32%)であるが、米国の国籍取得は出生地主義を採用しているため、日本人が同国で子を産めばその子は日米二重国籍となる。

 

また、厚生労働省「人口動態統計」によれば、2016年の日本における国際婚姻件数は、21,180件である。夫妻の片方の国籍をみると、1位―中国(6,316件)、2位―韓国・朝鮮(3,658件)、3位―フィリピン(3,522件)の順である。いずれも血統主義の国であり、二重国籍を禁止している中国を除けば、当該夫婦の子は二重国籍となる。だが、戸籍は外国人を記載しないため、外国籍の親と日本国籍(重国籍を含めて)の子からなる“国際世帯”は戸籍上では引き裂かれる。

 

近代日本では、壬申戸籍がそこに登録された者を「日本人」とすると定めたことにより、「国民」を「民族」と同一視し、「血」を「日本人」という国民共同体の絆とする風土が醸成された。

 

それが国籍法にも如実に反映された。日本の国籍法は1899年に成立して以来、血統主義を維持している。つまり「日本人」との親子関係にもとづいて子は日本国籍を取得するのであるから、血縁の証明となる戸籍は「日本人」の法的認定において重要な位置を占めることとなった。そして、戸籍は日本国籍者のみを登録するという大原則は、1898年制定の戸籍法において明文化され、その後は自明の不文律となっている。

 

だが、戸籍上に確認される血統の連続性というのは、生物学的な根拠にもとづかない、擬制を色濃くする観念である。古代では大陸からの渡来人があり、近代以降は植民地出身者や外国人も婚姻や養子縁組などを通じて日本の戸籍に入り、「日本人」として統合されてきた。戸籍に公示される「血統」なるものは、そうした積年の‟血の混交”の履歴なのである。戸籍によって証明される「日本人」なるものは、いわば‟紙の上の「日本人」”にほかならない。

 

 

“家の系譜”としての戸籍の価値

 

日本人は戸籍に管理されることを疑うことを知らない。むしろ、戸籍をもつことが「正しき日本人」の姿であると理解されてきた。だが、戸籍に登録されることが国民の「義務」であるという規定は戸籍法にはないし、政府からそのような「義務」を明示した通達や訓令が発せられたこともない。これは、「日本人」にとって戸籍が法的な「義務」としてよりも道徳的な「義務」として存在し続けているといえよう。

 

そうした戸籍への服従意識は、家の思想に根ざす国家観によるところが大きい。近代日本は、家を国家の基盤とし、家の継続と安定が国家発展の土壌となるものと国民に教育してきた。何人も必ず一つの家に属し、一つの氏を持つ、「一家一氏」が「日本人」の生活上の原則となった。家の構成員は、戸主を軸として父、母、妻、長男、二男・・・という戸籍上の「続柄」が付され、“分相応”に生きることが美徳とされた。

 

そして個々の家をひとまとめに統率する国の家長となるのが天皇であった。庶民は各自の家を守ることが、天皇家を宗家とする日本国家の安寧を導く、すなわち「国体」の護持に資するものとされた。こうした家族国家思想を学校教育において教化せんとしたのが1890年発布の「教育勅語」である。

 

このような家の秩序にもとづく国家像において、個人はあくまで“家の一員”として把捉される存在でしかない。いわば家への服従を通じて個人の対国家的なアィデンティティが醸成される形である。そこでは西欧近代の社会契約説に依拠した、自律的な「国民」という想定はない。個人は戸籍に登録されることで、「天皇の赤子」であると同時に「忠良なる臣民」として画一化される。そうした家族国家思想のなかで、家の系譜として戸籍は個人と家の関係を「国体」へと結合させる役割を担ってきたのである。

 

しかしながら、戸籍の精神的価値といっても、あまねく庶民を帰服させるだけの普遍性をもちえなかったのも確かである。近代社会は欲望の赴くままに移動を重ね、生産活動に勤しむ人々が躍動する。そこに現れる、定住生活を選ばない職業人、浮浪する貧民、海外に定住する移民、徴兵逃れのために戸籍を消す者、山地に住んで国家と交わらない「サンカ」など、家の秩序と無縁に生きる人々は戸籍の徳義など理解する余地もなかった。

 

もともと戸籍は本籍で人を管理する静態的な制度である。血縁的統合にもとづく定住型社会には適しているが、地縁的統合にもとづく移動型社会には適さなかった。戸籍のもつ国民管理機能は、個人の生活実態を的確に把握できないという弱点を早々にさらけ出していたのである。

 

現代の国民管理は、個人単位の方式が適切であることを国家も理解している。その確たる証拠が、すべての住民を国籍を問わず「個」として管理するマイナンバー制度である。

 

目下、政府は戸籍事務へのマイナンバーの導入を進めている。法務省は戸籍とマイナンバーとの連携によって関係行政機関に戸籍情報を提供できる情報ネットワークを整備し、国民の戸籍証明書の提出を不要とするよう、必要な法整備を2019年度までに実施する方針である。ただし、この構想は戸籍制度を現状維持のまま安置しておく前提で進められている。

 

戸籍は、家の価値の下に個人を秩序化するという、マイナンバーには不可能な力をもってきた。戸籍に祖霊の崇拝、血縁の証明という心理的保障を見出す人々は今も少なくない。現実的な管理機能においてはとうに病巣が広がっている戸籍制度を国家が延命させる価値はこの辺にあるのだろう。

 

 

戸籍に縛られる社会は理想的か?ーー多様な「個」の生き方を

 

本書を執筆する動因となったのが、無戸籍のまま生きてきた人々が“不幸”である、とする言説や風潮への疑問であった。戸籍がないと参政権、旅券発給、就学、社会保障受給、婚姻も不可能である、という具合に、あたかも戸籍が「国民」としての権利、ひいては「人間」としての生存を律するもののように過大評価するこうした言説こそが、無戸籍者に対する社会の差別的視線を誘引し、また助長してきたのではないか。無戸籍者が社会から白眼視されるようになるほど、戸籍を取得せねば無権利状態に陥り、かつ「非国民」として誹謗を受けるのではないかという強迫観念を国民に植え付けるのである。

 

だが、現実の法制度をつぶさにみればどうであろう。たとえば、選挙権は住民登録がなされている地区で行使しうるものである。就学や社会保障は、戸籍の有無に関係なく住所がある市区町村で保障される。すなわち、現代の日本社会では戸籍よりも住民票、本籍よりも住所が重要な意味をもつのである。ただし実際の市区町村の窓口では、無戸籍者に対して戸籍がなければその届出や手続きは無理だという紋切り型の対応を続けるところが少なくないようだ。

 

近年、無戸籍者に対して条件つき(民法772条に起因する無戸籍者が対象)ながら、住民票の作成や旅券の交付などを認める行政措置が特例的に講じられつつある。だが、無戸籍者に対するそうした措置があくまで「特例」である限り、戸籍をもつことが「日本人」として当然の姿であるという社会通念、すなわち「戸籍意識」が人々を呪縛し続けるであろう。

 

戦後の「民主化」において家制度は廃止されたものの、戸籍法が維持する「夫婦同氏」の原則や、出生届における「嫡出」「非嫡出」の記載義務などは、家の観念が払拭されていない証左である。だが、多くの国民はそうした規定に異議を唱えることなく、「自然に」順応する。たとえ違和感を覚えても、戸籍法の規定に恭順すれば、その見返りとして「正しき国民」としての安心感を得られる。かくして戸籍の作り出した境界線の内と外に「まつろわぬ者」としての排除と、「正しき国民」としての連帯が形成されるのである。

 

いうまでもなく「家族」とは、個人の自由意思にもとづいた結合関係であるのが自然である。事実婚、家族で国籍が異なる混合世帯、同性カップル、離婚後も同居する元夫婦、父母が離婚して父の戸籍に残りながら母と暮らす子、など「家族」の情景は多様化を極めている。戸籍はそうした個々の生活共同体ではなく、戸籍法の規格に適合する「家族」のみを公認するものであり、「同質性」を求めることで個人の自由な結合関係を委縮させる結果を伴ってきた。

 

イデオロギーを越えて必要なのは、国民の多様な生活実態を把握して平等に行政サービスを保障する弾力的な身分登録制度である。戸籍が描くのは「日本人」の“輪郭”にすぎない。“輪郭”よりも大事なのは、その‟表情”である。日本が民主主義国家であるならば、政治に求められるのは、多様な‟表情”をもつ個人の参与を受け入れ、権利の均霑をかなえる社会を築いていく工夫であり、努力である。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭

著者/訳者:遠藤 正敬

出版社:人文書院( 2017-05-20 )

定価:

Amazon価格:¥ 4,536

単行本 ( 380 ページ )

ISBN-10 : 4409241176

ISBN-13 : 9784409241172


 

 

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