この保守政権は「日本の家族」を守るのか?

特定の家族のありかたやかたちに価値を置く根拠とは?

 

このような整理を踏まえたうえで、以下では、家族を守ることをめぐって筆者が重要だと考える2つの論点を提示したい。どちらの論点も、現政権を支持するか否かにかかわらず、日本の家族を守ることを願う人にとって素通りはできないはずのものであり、またこれらの論点の提示を通じて、政権が「日本の家族」を守ろうとするときにとるべき方向性も浮かび上がってくるだろう。

 

第1の論点は、特定の家族のありかたやかたちに価値を置くことをどのような根拠によって正当化できるかということである。そして、これに関連して指摘しておきたいのは、何らかの家族のありかたやかたちが他のものよりも正しく、したがって、守る価値があると判断されるとき、その価値判断が事実誤認にもとづいている場合があるということである。

 

たとえば、「女性が家庭で家事や育児に専念する」という家族のありかたに価値を置いて、それを守るべきだと主張がなされるとき、その価値判断や主張はそのような家族のありかたが「日本の伝統」だという理解にもとづいている場合がある。

 

しかし、家族社会学を学んだ者には常識に属することだが、このような理解は、端的に事実に反する(注8)。1960年から1995年までの国勢調査のデータにもとづいて、25歳から59歳の結婚している女性の専業主婦率を算出した結果によると、その値は最高値を記録する1975年においても約46%に過ぎない(注9)。この時点においては、年代別にみると、20代後半と30代前半の専業主婦率はいずれも約56%と半数を超えているものの、戦後の日本社会において、専業主婦が大多数を占める時期は一度もなかったこと、裏返せば、専業主婦率がピークであった高度経済成長期においても、「働く女性」は少数派ではなかったことがわかる。

 

(注8)これから3段落分の記述は、以下の拙稿の一部に修正を加えたものである。松木洋人(2017)「日本社会の家族変動」永田夏来・松木洋人編『入門 家族社会学』新泉社, pp.12-27。

 

(注9)山根悠一(2000)「団塊の世代の親子関係」明星大学人文学部社会学科岩上研究室『団塊の世代の親子関係――団塊世代は50代になった』社会調査実習報告書

 

そもそも、家族社会学者の落合恵美子らが指摘してきたように、大多数の人びとが農業で生計を立てている伝統的な社会では、農家では女性も男性と職住一致で一緒に働くために、女性の労働力率は極めて高い(注10)。しかし、産業化が進むと、農業人口が減少して、雇用労働者が増加する。この雇用労働者のうち、妻や子どもを養う収入のある男性が、「夫は仕事、妻は家庭」という性別役割分業型の家族を形成しはじめる。このように、多くの社会では、社会の近代化に伴って、女性の労働力率が低下して、結婚した女性が家庭で家事や育児に専念するという家族のありかたが広がっていく。いわゆる女性の社会進出は、この女性の主婦化の後に生じるのである。

 

(注10)落合恵美子([1994]2004)『21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた 第3版』有斐閣

 

日本社会についていえば、明治期から農業人口の減少が始まり、第1回国勢調査が行われた1920年(大正9年)には、第一次産業従事者の割合はすでに約54%に低下している。この大正期は、第一次世界大戦後の好況を背景として、ホワイトカラーのサラリーマンが都市部で増加した時期である。このサラリーマン層のなかで、夫が会社などで働いている間、妻は専業主婦として育児や家事を担当するという家族のありかたが広がっていった。

 

戦後、農業人口の減少は加速し、高度経済成長期が始まった1955年には約41%であった第一次産業従事者の割合は、それが終わった1975年には約14%にまで低下した。これに伴って、「サラリーマンの夫+専業主婦」という家族のありかたはさらに広がる。それでも、先述のように、この家族のありかたを実現していた結婚している女性は、5割に満たなかったのである。そして、1970年代後半以降は、女性の雇用労働力化が顕著になり、専業主婦率は減少に転じて、1995年には約36%である。

 

このように、「女性が家庭で家事や育児に専念する」というありかたが「日本の伝統」だという理解は、近代化とともに一時的に広がった生きかたを伝統だと誤認しているという意味で、端的に誤っている。もちろん、仮に「日本の伝統」であっても、そのありかたを守ることがただちに正当化されるわけではないが、ここで重要なのは、特定の家族のありかたやかたちに価値を置いて守ることを主張するのであれば、価値観の異なる他者を説得できるだけの合理的な根拠が求められるということである。

 

そして、少なくとも、「女性が家庭で家事や育児に専念する」という家族のありかたが「日本の伝統」だから守る価値があるという主張は、明らかに根拠を欠いており、それを主張する者が抱えている幻想を守ろうとしているに過ぎない。ここで詳しく議論することはできないが、三世代同居や夫婦同姓という家族のかたちを守るべきだという主張についても、同様の観点から検討が必要だろう。

 

 

家族を守るその先にどのような社会を目指すのか?

 

第2の論点は、家族を守るという目標のその先に、どのような社会を目指すのかということである。たとえば、「女性が家庭で家事や育児に専念する」という家族のありかたを守ろうとするのであれば、日本社会における専業主婦率の増加や維持が目指されることになるだろう。また、前述の自民党の改憲草案には、より多くの家族が、身体的なケアや経済的扶養などを通じて助け合うようになることが望ましいという前提があるだろう。

 

しかし、近年、よく指摘されるように、このように特定の家族のありかたを守ろうとすることが、結果として、人々による家族のありかたをめぐる希望やそもそも家族を形成するという希望の実現を妨げる可能性がある。たとえば、福祉国家の国際比較研究で知られるイエスタ・エスピン=アンデルセンは、欧州諸国を中心とする実証研究の成果を踏まえつつ、子育て支援の充実によって女性が仕事と育児を両立しやすくすることには、出生率の低下を防ぐ効果があると指摘する(注11)。

 

(注11)イエスタ・エスピン=アンデルセン(2009=2011)『平等と効率の福祉革命――新しい女性の役割』大沢真理監訳, 岩波書店

 

なお、エスピン=アンデルセンは、子どもによる親の介護と祖父母による孫のケアが行われている場合が多い社会では、それらが行われる場合に使われる時間が短いとも論じている。また、社会学者の山口一男によると、日本でも韓国でも、育児休業が取れる女性は取れない女性よりも子どもを産む確率が高く、その効果は育児休業制度がより充実している日本のほうが高いという(注12)。ここから示唆されるのは、家族の育児や介護の負担が重く、働くことと家族をケアすることの両立が難しい社会では、子どもを持ったり、親子が助け合ったりすることが難しくなるということである。

 

(注12)山口一男(2018)「少子化の原因と対策――実証結果の意味すること」『家族研究年報』43:5-23

 

つまり、「女性が家庭で家事や育児に専念する」という特定の家族のありかたを守ろうとしたり、家族がお互いに助け合うことを前提として社会のしくみを設計したりすることは、子どもがより生まれない社会、家族どうしの助け合いがより行われない社会につながる可能性がある。

 

これに対して、働くことと家族をケアすることを両立するという人々の希望を実現する条件の整備は、人々の子どもをもちたいという希望の実現や家族どうしの助け合いにつながりうる。特定の家族のありかたを守るべきだと主張する保守派の人々には、これらの示唆を真面目に受け取ること、つまり、安倍が「国難」とまで呼んだ日本社会の少子高齢化を自分たちの主張の実現が深刻化させたり、自分たちが望んでいるはずの家族の助け合いの実現を結局は難しくしたりする可能性に向き合うことが求められるはずである。

 

 

この保守政権は「日本の家族」を守るのか?

 

そして、人々の家族生活についての希望を実現する条件を整えることが、家族を形成する希望の実現や家族の助け合いを促すのであれば、現政権に併存する2つの方向性のうち、どちらを推し進めることが、ほんとうに「日本の家族」を守ることになり、また、家族を大切なものだと考える多くの人々にとって、より望ましい社会につながるのかは明らかだろう。

 

他方で、安心して子どもを産み、子育てと仕事を両立するという人々の家族生活についての希望を実現する環境の整備を目指しているように思えると同時に、一部の人々が「伝統」だと考える特定の家族のありかたやかたちのみの正しさを前提とするような動きも現政権に見られることは、車のアクセルとブレーキが同時に踏まれているようなものである。

 

安倍は昨年の参議院本会議で、保守とは何かを問われて、「保守と改革は矛盾するものではありません。…常に変革を求めていく気持ちこそ大切なものを結果として守ることにつながる、それこそが私が考える保守であります」と応じている。この主張は、家族を守ることにもあてはまる。この政権が「日本の家族」を守りうるかは、保守派が「伝統」と考えるような家族のありかたやかたちを相対化して、家族のありかたについての人々の希望を実現するための「改革」をどれだけ進められるにかかっているのである。

 

とはいえ、安部はこの発言の直前には、「日本の大切な文化や伝統といった守るべきものをしっかりと守っていくべきと考えています」とも述べており、彼にとって守るべき「大切なもの」は、あくまで自分が「伝統」と考えるものに限られているようにもみえる。この保守政権が、これからどのような意味で家族を守ろうとするのか、そして、憲政史上最長を記録すると予想される長期政権の後にどのような結果が残されることになるのかを注視していかねばならない(注13)。

 

(注13)最後に、ここで詳しく論じる余裕はないが、付け加えておきたい論点がある。それは家族を守ることを人々が願うときに、守るべき価値が置かれているのは、ほんとうに家族それ自体なのかということだ。むしろ、「家族を守りたい」という願いにしばしば込められているのは、子どもや要介護の高齢者などの他者に依存せざるをえない人々が適切なケアや生活水準を保障されるようにという願いではないだろうか。たとえば、前述の「寡婦(寡夫)控除」の仕組みによって、「未婚の母」のもとに生まれた子どもが不利益を被ることを理不尽に感じるのは、どのような親のもとに生まれたかにかかわらず、すべての子どもの幸せを願うからでもあるだろう。とすれば、重要なのは、「未婚の母」を「寡婦(寡夫)控除」の対象に含める変更のように、特定の家族のかたちを越えて家族を守ることにはとどまらないはずである。つまり、それが家族であるか否かにかかわらず、依存を抱えた人々に対するケアとそれを担う者の単位が政策による保護の対象にならねばならない。このような家族を超えたところに生活基盤を構築する構想については、以下の文献を参照されたい。牟田和恵(2009)「ジェンダー家族のポリティクス――家族と性愛の「男女平等」主義を疑う」牟田和恵編『家族を超える社会学――新たな生の基盤を求めて』新曜社, pp.67-89。久保田裕之(2011)「家族福祉論の解体――家族/個人の政策単位論争を超えて」『社会政策』3(1): 113-123。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

入門 家族社会学

入門 家族社会学書籍

クリエーター永田 夏来, 松木 洋人

発行新泉社

発売日2017年3月25日

カテゴリー単行本(ソフトカバー)

ページ数240

ISBN4787717049

Supported by amazon Product Advertising API

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.256 

・熊坂元大「「道徳教育」はこうすれば良くなる」
・穂鷹知美「終の住処としての外国――スイスの老人ホームにおける 「地中海クラブ」の試み」
・徳山豪「アルゴリズムが社会を動かす」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(1)――シンクタンク創設への思いとその戦い」