「保守/リベラル」という図式ははたして有効か

「行き過ぎた格差やそれを背景にした不平等を是正し、差別をなくし、多様な価値観を認め合える社会に――」

 

このような意見は「保守」だろうか? それとも「リベラル」だろうか?

 

多くの人は「リベラル」だと答えるかもしれない。しかし、「保守」を自認する人も、上記のような意見を否定はしない。むしろ積極的に掲げる向きさえある。

 

そうであるがゆえに、保守政党を自認する自民党の政策が、一見すると「リベラル」にみえるということも起こる。幼児教育の無償化、企業に対する賃上げ要請、女性活躍。これらを掲げてきた安倍首相は、一年前に「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ」と口にしたと伝えられた(『朝日新聞』朝刊、2017年12月26日)。

 

なるほど、消費増税による再配分を進めている姿は、「大きな政府」を志向する社会民主主義的な方向性にみえる(生活保護費は段階的に削減されているため、実際は違うが)。そもそも、対立する党派や連立を組む他の政党が掲げる「リベラル」な政策を、適宜取り入れていくというのは与党の定石であって、特筆するようなことでもない。他方で、現代日本においては、「天皇はリベラルで素晴らしい」というような意見が提出されるようになった。さらに、「政権交代可能な反自民勢力」としての「リベラル」が、2017年9月の民進党の迷走と事実上の解党により、明らかに発言力を低下させたのは周知の通りである。

 

これらを改めて確認したのは、現代日本社会において「保守/リベラル」という構図が、政治勢力の対立としても、思想・信条の対立としても不明確になり、ほとんど機能していないことを示したいからだ。

 

筆者は、かつて、近現代の日本において、「リベラル」という言葉の意味がいかに変化し、いかに多様化してきたのかを整理したことがある(https://synodos.jp/politics/17702)。そこで筆者は、現代日本の「リベラル」には二つの類型があると述べた。少し言い換えた上で再掲すると、一つ目の類型は、「反自民政権のための勢力結集とそれを可能にするための社会民主主義な政策体系」。もう一つは、「『平和』『脱原発』『反基地』などの人道主義的価値観」である。その上で、この両者を架橋することによって「リベラル」が存在感を持ち得るのではないかと提起した。

 

しかしながら、「保守/リベラル」の境界線自体が不明確になるなかで、筆者は「そもそも「保守/リベラル」という対立図式が妥当なのか」を問うてみたいと思うようになった。

 

勢力や概念の外枠が不明確になると、「真の○○とは何か」を問い、境界線を引き直す議論が起こりがちだ。言葉の指す意味は時代とともに変わるのが当たり前なのだから、時代に応じた線引きが必要だというのは理解できる。しかし、むしろ「保守/リベラル」という構図にこだわることの問題が出てきているようだ。

 

 

憲法の価値観をめぐる対立

 

では、「保守/リベラル」という対立の図式で現代社会の政治的・社会的構図を理解することは妥当なのか、考えてみたい。

 

政治勢力のマッピングや思想・信条のマッピングを行う際には、なるべく多くの人が、自分をそのなかに位置づけられるような構図が望ましい。しかし、前述したように、現代日本社会では、社会民主主義的な政策という面でも、人道主義的な価値観という面でも、「保守/リベラル」の対立がみえにくくなっている。

 

では、逆にこう問うてみよう。現代日本で「保守/リベラル」の対立が機能しているところはどこだろうか? おそらく大方の読者も予想がつくだろうが、それは安全保障問題、沖縄の基地問題など、憲法が提示する価値観に関わる対立である。

 

軍事費を増大させ、沖縄に米軍基地を集中させ、特定機密保護法を通し、集団的自衛権行使容認に踏み切り、改憲を目指す。こうした勢力が「保守」であり、それに反対する勢力が「リベラル」だ。こうした理解にもとづく「保守/リベラル」の構図は、たしかに今なお有効なのだろう。大きな対立軸として人びとの関心を引きやすいという利点もある。

 

この場合の「リベラル」の主張は、窮極的には現在の憲法の理念に集約される。しかし、仮に護憲勢力を指して「リベラル」と呼ぶのであれば、それはかつての「戦後民主主義」とほとんど変わらない。「無責任」「空想的平和主義」「権利ばかりを主張する」というような「戦後民主主義」への非難の言葉は、現在の「リベラル」に向けられる言葉に酷似している。

 

「戦後民主主義」が「リベラル」に看板を掛け替えて一定の支持を集めているのか、あるいは「リベラル」が「戦後民主主義」を継承しているのか。どちらの理解も可能だろうが、ここで提起したいのは、憲法の価値観にこだわるのであれば、なにも「リベラル」という言葉にこだわることはないという点だ。むしろ「戦後民主主義」と呼び直したほうが、戦後日本の歩みを射程に入れることができるし、「戦後民主主義」の欠落部分を議論することもできるのではないか。かつて「戦後民主主義」という言葉は、曖昧なままに論壇から退場していったが、「リベラル」も同じ轍を踏むのではないかと危惧する。そうなる前に、憲法改正問題という大きな争点を掲げて、議論の土台作りをするのが良いと考えている。【次ページにつづく】

 

 

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