2010.11.25

「バブル」が「バブル」でなかった頃  

山口浩 ファィナンス / 経営学

社会 #バブル#地価高騰#南海泡沫事件

テレビを見ながらツイッターをしている人はけっこう多いらしい。先日テレビで映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」(2007年公開)が放映されたが、その後ツイッター上の私のタイムラインは、一時、映画の舞台となったバブル期に関する思い出話で埋め尽くされた。

それを眺めながら思ったのは、「バブル期」の「バブル」という言葉は、多くの人にとってまず、あの頃のばかばかしい浪費やハイテンションなどんちゃん騒ぎをイメージさせるものであるらしいということだ。なんだかんだいって、経験者には楽しい思い出なのかもしれない。

「地価高騰」としてのバブル

当時そうしたものとはあまり縁もなく過ごしていた、わたしにとっての「バブル」のイメージは、その「語源」により近い。ご存知の方も多いだろうが、この「バブル」は、当時不動産をはじめ、株やゴルフ会員権などに広くみられた資産価格の「バブル」からきていて、元をたどれば18世紀イギリスで起きた投資ブームとその崩壊後の一連の金融スキャンダル、世に言う「南海泡沫事件」(the South Sea Bubble)に由来する。

当時もブームに乗って浮かれた世相がみられたそうだから、それもまた「バブル」のひとつの顔ではあろうが、個人的にはやはり、「バブル」でまずイメージするのは実体を離れて高騰した資産価格、なかでも当時の仕事に直接関係していた不動産価格の高騰のことだ。

実際これは当時、社会的にも大問題だった。それを反映してか、NHKはこの時期、地価高騰問題を取り上げた連続ものの特集番組を二度組んでいる。最初は1987年9月から3回にわたって放映された「土地はだれのものか」というシリーズ、2回目は1990年10月10日~14日まで五夜連続で放映された「緊急・土地改革 地価は下げられる」というシリーズだ。どちらも書籍化されている。このうち後者については、少し前に自分のブログで取り上げた(http://www.h-yamaguchi.net/2010/11/post-8c0b.html)ので、ここでは最初のシリーズを書籍化したものを取り上げたい。

本のタイトルは「NHK特集 緊急リポート 世界の中の日本 土地はだれのものか」。元となった番組は、「世界の中の日本」という大きなシリーズの一部だった。1987年10月30日に刊行されたこの本は、3回分の放映内容に合わせて、「第1部 地価高騰が日本を変える」「第2部 国際比較・これが地価対策だ」「第3部 土地問題をどう解決するか」の3部で構成されている。

第1部、第2部ともなかなか興味深い内容なのだが、もっとも面白いのは第3部だ。ここでは、番組の一環として開催された、政治家や学者などの識者と視聴者代表の計450人が、激論を交わす討論会の模様が収録されている。

討論が行われたのは1987年9月13日。10月19日のいわゆる「ブラックマンデー」の約1ヶ月前にあたる。経済指標や世論調査ではなく、また政治家や学者の意見だけでなく、庶民を含むさまざまな人びとが、実際に当時考え発言していた内容を、そのまま知ることができるのがよい。個人的に興味があったのは、当時、地価「バブル」はどうみられていたのか、また、誰がどんなことをいっていたのか、といった点だ。

1987年後半といえば、ちょうど東京の地価が急激にはね上がり、行政がその抑制に躍起になっていた時期にあたる。自治体が民間の土地取引に際して価格を審査する監視区域が都内ではじめて指定されたのが、同年1月1日だった。このときは500㎡以上の土地取引が対象だったが、その後この面積は2度にわたって引き下げられ、11月1日からは100㎡以上が対象となる(討論会時点では300㎡以上の土地取引が対象)。

また、金融機関へも、大蔵省から不動産関連融資の抑制を求める行政指導がたびたび行われていた。地価高騰の地方への波及はまだ一部ではじまったばかりだったが、都内では1年で70%以上地価が上昇し、まさに抑制策が目の前で進行していく最中だった。当時の人びとの目に地価の「バブル」はどう映っていたのだろうか。

先にちょっと種明かしをしてしまうと、じつは、この本のなかに「バブル」という言葉は一度たりとも登場しない。念のためこの年の「経済白書」(正式には「年次経済報告」)をみてみたがやはり同様で、「バブル」という言葉が登場するのは、翌88年8月に刊行された昭和63年版からだ。

記憶が定かでないが、たしか誰かが「バブル景気」「バブル経済」などと表現したのが定着したのではなかったか。それがこの間の時期だったのだろう。ともあれ、いまやこの時代を語るには欠かせないキーワードとなった「バブル」という形容は、まだこの時点では存在していない。いわば、当時バブルはまだ「バブル」ではなかったのだ。

では何と呼ばれていたかというと、文字通り「地価高騰」。当時すでに株価はかなりのスピードで上昇し、ゴルフ会員権や美術品などの高騰も伝えられ始めていたが、人びとがまず懸念したのは地価だった。一般的には、株価や美術品価格が上がって困る人より、不動産価格が高騰して困った人の方がたくさんいたということだろう。

しかし、それより重要な点は、地価高騰という表現が、「バブル」とちがって「やがて下がるべき」というニュアンスを必ずしも含んではいない、という点だ。このことは、一見同じように地価高騰を懸念している人たちの中に、「地価を抑制すべき」、つまり地価を下げるべきと考えている人と、「地価高騰を抑制すべき」、つまりそれ以上上がらないようにすべきと考えている人がいたということを示唆する。

当時この差に言及する人はあまりいなかったように記憶しているが、じつはここにカギが隠れているのではないかと思う。

NHKの「大討論会」

その「カギ」は、この本の、地価高騰問題をめぐる大討論会での議論にも表れているので、やや長くなるがおおまかに再現してみる。

討論会は基本的に、それまで2回の番組をもとに構成された、番組からの地価高騰対策の提言に沿って進んでいく。具体的には、まず当面の策として、国土利用計画法にもとづく規制区域指定によって当面「地価を凍結」して時間を稼ぎ、その間に「市街化区域内農地を宅地化」「固定資産税を引き上げ」「容積率制限を緩和」といった土地供給増加策を打つ、というものだ。経済学的な観点からの適否はひとまず措いて、ここでは議論の展開にご注目いただきたい。

議論の皮切りは地価凍結論。日経連会長が「緊急対策として地価を凍結せよ」とぶち上げ、労組役員がそれに同調するところからはじまる。主婦も賛同、しかし男性会社員、会社役員が相次ぎ、地価抑制策の実効性や弊害といった現実をふまえた指摘で異議を唱える。

しかし異議は無視され、批判は規制区域の指定を行わなかった行政へと向かう。これは指定区域内の全土地取引を許可制にする「劇薬」だ。埼玉県知事は「県内での指定は難しかったが地価高騰で先行した東京都が先にやってくれればよかったのに」と責任を丸投げする。

ところが東京都知事は「事務量が激増するから無理」とにべもなく、制度をつくった国土庁の長官は、「規制区域指定自体は自治体の仕事、代わりに使いやすい監視区域制度も作ったからそちらで対応して」と守りに入る。いずれも鉄壁の防御。ここで識者が相次ぎ、市場メカニズムをゆがめる策に慎重な見解を示すと、さすがに無視できず、戦線は膠着状態に陥る。

ここで労組役員が心機一転とばかりに、「競争入札による国有地売却が地価高騰を加速させているからこれをやめよ」と戦線を拡大する。犯人扱いをされた国土庁長官が一般競争入札を義務づけた会計法をたてに反論するも、建設大臣が政治的配慮からか国有地売却反対に加勢、政治的圧力による売却抑制をちらつかせる。

本来これは、この番組が提唱しようとしていた土地供給増加策とは逆行する話で、どのくらい本気でいっていたのかはわからないが、実際この動きはその後具体化して、たとえば汐留地区などの開発を大きく遅らせる結果となった。この場では、大臣発言が「ガス抜き」となったのか、議論は土地を高値で売ることへの批判から、「土地で儲けている奴はけしからん」という嫉妬めいた非難へ、矛先も国や自治体から、民間の「土地ころがし」とそれを支える「過剰融資」へと移っていく。

こうした嫉妬にもとづく議論はプリミティブだが強い。会社員が企業の「財テク」(このことばも懐かしい響きだ)を批判し、主婦が地価高騰で「もう家を買えない」と嘆く姿は、場内の共感を呼ぶ。すると日経連会長が、とばっちりを受けては大変と「土地ころがしをやっているのはごく一部の企業だ」と逃げを打つ。

出席すれば吊るしあげに遭うと予想してか、VTRで参加した全銀協会長は、「融資は厳しく審査している」と木で鼻をくくった建前論に終始するのみ。ここで1人の識者が冷静に、「過剰融資の原因となった金融緩和は景気対策を求めた国民にも責任がある」と指摘すると、やはりそこで議論はどん詰まり、司会の進行で話題は土地供給増加策に移される。

供給増加策として最初に持ち出されたのは、市街化区域内農地の宅地化問題。これに対して東京都農協中央会長が、「防災のため都会の農地は必要」だの「都市に安全な野菜を供給する」だのと強弁する。それを会社員からごまかしだと責められれば、「いや企業保有の未利用地だって多いじゃないか」と逃げる。

とばっちりを食った不動産会社会長は、「企業の未利用地はほとんど市街化調整区域だから誤解だ」と防戦し、批判の応酬となる。しかし、この戦いも「固定資産税を引き上げよ」との番組提言の前には終息し、一致団結した抵抗をみせる。結局、容積率緩和その他、土地の高度利用を促進する方策について、私権をある程度制限すべきだとの指摘がなされたところで時間切れとなる。

隠れた利害の対立

見事なまでの同床異夢。議論の流れからはっきりみえるのは、地価高騰に対する問題意識という点で共通するはずの450人が、その内容や動機においては多種多様だったということだ。

その理由は、当然ながら個々がもつ利害のちがいにある。土地を「持たざる者」については、比較的わかりやすい。端的にいえば、地価高騰によってコスト増のみを押しつけられ、自分が「持てる者」の側に回ることができなくなったことへの不満からくる、土地で利益を得る者への怨嗟が中心的な動機だ。

地価の値下がりを望む彼らにとって、地価上昇はバブルであってほしいだろう。「バブル」という表現が使われるようになったのはちょうど、東京発の地価高騰が地方へ、あるいは海外へ波及し、または他の資産価格や消費活動にまで影響するようになっていった時期にあたる。まだバブルが「バブル」でなかったこの頃は、こうした人たちが、全国的にみればまだ少数派だったということなのだろう。

一方、「持てる者」のなかには、さまざまな立場がある。売却や担保化を具体的な視野に入れている者にとっては、地価高騰は基本的に歓迎すべきことだ。そうでない者も、将来的に売却等の可能性がないとはいえない以上、強く文句をいう立場ではないが、とりあえず保有税負担増は歓迎しない。

苦しい立場なのは、農家や企業など、大規模な低利用地の主な保有者層だ。土地を売却すれば「地価高騰を加速させた」と批判され、売却しなければ「土地をためこんでいる」と批判されるからだ。嫉妬からくるこの板挟みを逃れるためには、できるだけ目立たないよう静かにしていて、市街化区域内農地や企業保有の未利用地など、自らに影響するイシューが持ち出されたら、「自分には正当な理由があるから他をあたってくれ」と主張する戦略をとるしかない。

小規模土地を住宅敷地として利用する者にとって、地価高騰よりも周辺の開発による住環境の悪化のほうが心配事だから、地価高騰も高度利用の促進策などはいい迷惑でしかない場合も多かったろう。しかしこれもまた一枚岩ではなく、繁華街の小規模住宅所有者のなかには、自ら開発を行うために容積率緩和を強く望んだ者が少なからずいた。結局、保有者全体の利害が一致するのは、税負担増は困るという点ぐらいだったろう。

行政や政治家は、特定の誰の味方というわけではない。彼らは無策を責められるのを恐れるが、よけいな仕事を抱えることはそれ以上に忌避する。彼らにとって、地価にバブルが含まれると認めることは、対処すべき問題の増加を意味するから、できれば認めたくないだろうが、否定できないとなれば、むしろ対処してポイントを挙げようという行動原理に変わる。バブルが「バブル」と呼ばれるようになったことではじめて、地価高騰は彼らにとって真剣に対処すべき課題となったといえるのかもしれない。

番組は、こうしたさまざまな声をすべて拾ったわけではなかったが、それでも人びとの多様な利害があちこちで摩擦や衝突を起こしているさまを浮き彫りにした。当時の地価高騰対策は、こうした同床異夢、もっとはっきりいえば隠れた利害対立の産物であった。取引規制にせよ融資抑制にせよ、私権制限にせよ、いずれの面においても中途半端ないし実効性に乏しい対策にとどまったのはそのためだ。

わたしたちが何であれ制度の議論をするとき、その裏ではたいてい、わたしたち自身の利害への考慮がうごめいている。利害対立から目をそらしたまま表面上の合意形成だけをしようとすると、こうしたあまり効果のない、実体のない結論に至るのだ。実際、上記の討論会はそのように推移した。対立の存在を認めたくなかったのだろう。

バブルから学べること

討論会では、1人の識者が、そもそも地価高騰を招いた金融緩和が、庶民や零細企業など「弱者」の声を聞いた結果の景気対策としてなされたものだと指摘している。これがバブルの引き金を引いた最大要因だというのが現在の標準的な解釈で、その意味でこの指摘はきわめて正鵠を射たものだが、議論はそれ以上進まなかった。

庶民を「悪者」にしないという配慮だろうが、これこそが上記の「対立を直視しない」傾向の根底にある。わたしたちは誰も、わたしたち自身にも問題があるとは認めたくないのだ。問題は外にあるといってもらわねば困るのだ。

ここから得られる含意はきわめて汎用性が高い。この当時の地価高騰への対処だけでなく、その後の金融危機への対処においても、その他のさまざまな大きな問題への対処にも、同様の傾向はみられた。もちろん今でも生き残っていて、たとえば格差問題や少子化問題にも、似た構造が存在するように思う。

もちろん、わたしたちの心がけで解決できる問題などそうそうないだろうが、だからといってそこから目をそらしていていいというものではない。諸々の方策の策定や実施に際して、そうした「内なる問題」の存在が大きな影響を与えるからだ。バブルが「バブル」でなかった頃の討論会を記録したこの本は、そのことを如実に物語っている。

わたしたちがバブルの教訓から学べることは、まだまだあるようだ。「いい思い出」にしてしまうのは、ちょっと早いのかもしれない。

推薦図書

上記の本文で紹介した本は、当然ながら絶版となっていて、ネット販売などで買うこともできるが、必ずしも入手容易ではないかもしれない。バブルに関する本ということで一冊あげるなら、ということで、この本をあげる。これも古くて絶版のようだが、こちらの方が入手しやすいだろう。

日経新聞の特集記事に加筆してまとめられた力作。バブル崩壊後の対処についての記述が主を占めるが、バブルの発生から崩壊までの過程についても、当事者の証言を含む詳細な分析がなされている。上記の本文で書いたような、隠された利害の対立構造は、本書でも垣間見ることができる。この不況期にバブル期の話など場違いといわれるかもしれないが、逆にいまだからこそ、とも思う。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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