2013.06.15

テレビにうつるセクシャリティ ―― “オネエ”の先に観たいもの

牧村朝子×宗方美樹

社会 #LGBT#セクシュアルマイノリティ#オネエ#まきむぅ#セクマイ#レズビアン

笑えるオネエ、泣ける性同一性障害 ―― テレビにうつるセクシャルマイノリティのイメージは固定化され、勝手につくられたストーリのなかで消費されていく。誰も傷つけず、笑いものにせず、みんなで笑ってお茶の間でセクシャルマイノリティを観るにはどうしたらいいのだろうか。2013年2月に放送されたニコニコ生放送「“オネエ”の先に観たいもの」より抄録をお届けする。(構成・山本菜々子)

 

 

牧村 こんばんは、レズビアンタレントのまきむぅこと牧村朝子です。

杉本彩の事務所に所属して活動し、フランス人女性とフランスの法律「PACS」で準結婚してパリで生活しています。今日は特別版のスタジオ放送!ということで、パリから東京に飛んできました。

今回は「オネェの先に観たいもの」というテーマで、お送りしたいと思います。日本のテレビ番組、とくにバラエティー番組において、オネエを含むセクシャルマイノリティが今までどう扱われてきて、これからどう扱われていくかということをみなさんとお話できればと思います。

今日は、実際の制作の現場を知っている、ゲストの方をお呼びしています。宗方美樹さんです!

宗方 どうも、こんばんは。

牧村 美樹さんは、わたしと同じシェアハウスに住んでいた仲間です。彼女は自分のことはノンケだと思っています。元ADで、いまは会社員兼特撮オタク兼ライターをされています。今度、宗方さんと共著で星海社から「百合のリアル」という本を出版することになっています。今日はよろしくお願いします。

宗方 宗方です。今日は牧村とリビングで話すような気持ちでやってきました。よろしくお願いします

牧村 今日は「オネエの先に観たいもの」ということで、いままで日本のテレビ番組においてどういう風にセクシャルマイノリティが扱われてきて、これからどういうふうに扱われていくべきかを議論する60分間です。セクシャルマイノリティもマジョリティーも誰も傷つかず、誰も笑いものにせず、みんなで笑ってお茶の間でセクシャルマイノリティを観れるようになるには、どうしたらいいのかしらね、というのを考えていきたいと思います。

まず、「テレビに出ているセクシャルマイノリティのタレント」と言えば誰が思い浮かびますか? みなさんコメントいただけますか。

宗方 (コメントを見ながら)ああ、マツコ・デラックスさんが大人気ですね。

牧村 うーん、でも、あがってくるのって、みんなオネエですよね。「オネエ」っていっても、ゲイの人もそうだし、女装している方もそうだし、性同一性障害といったトランスジェンダーの方もそうだし。それぞれのセクシャリティを無視して、一緒くたにされていて。とにかく、男が好きな男か、女っぽくみえる男はみんな「オネエ」になってる。

「オネエ」が確立したのって、日本独特かなと思うんですけど。どうしてだと思う?

宗方 やっぱり、2000年代半ばからドラマの勢いが減って、個人のキャラ立ちが重視されるようなバラエティー番組が増えました。そうすると、セクシャリティの特徴がより武器になりやすくなったというのが大きいんじゃないかなと思う。

あと、「オカマ」という言葉よりも、「オネエ」という方がソフトですよね。

 

牧村 やわらかいよね。ちょっぴり使いやすくするために、「オネエ」って始まったんじゃないかな。

なぜ、“オネエ”が定着したか

牧村 じゃあ、ちょっとわたしからひとつ主張していいかしら。「なぜオネエがジャンルとして確立したか」を考えるとき、わたし、「LGBTフレンドリーが日本の伝統だから」というのがあると思うの。

まず、テレビ登場以前のことから時系列で考えてみたいと思うのね。もともと日本では、異性の格好をするということが伝統芸能としてありました。テレビ放送が始まる250年前、西暦1603年に、すでに出雲阿国という女性が歌舞伎で男装しています。当初の歌舞伎は女性や少年によって演じられてきたものです。そういう女性や少年たちは、売春も兼業していた。元服っていって、当時の制度での成人前、つまり10代前半の男の子たちが、男も女も相手にして売春していたわけよね。

さすがに衛生と風紀上まずいでしょってことになって、女や少年による歌舞伎は禁止されました。で、野郎歌舞伎という、成人男性による歌舞伎が成立した。でもここで、だんだん「女役を演じる男は男に抱かれることが役者修行」という考え方が広まってくる。そこで芝居小屋と、陰間茶屋って呼ばれる売春小屋が併設されるようになってきました。

つまりまとめると、日本の伝統として、同性と寝たり、異性の格好をしたりすることはまったく悪いことじゃなかった。むしろそれはりっぱな役者修行であり、芸術表現だった。当時の流行小説「好色一代男」だって、主人公の男性がバイセクシャルよね。北斎とかの浮世絵師もレズビアンを描いている。芸術の世界じゃなくったって、「色の道はふたつ」って言われたりして、むしろ「ヘテロは半人前。男とも女とも寝てこそ玄人」と考えられていた。

この伝統は、明治維新で「伝統=ダサい、西洋サイコー!文明開化しようぜ!」ってなって切り捨てられるまで数百年続いた。でも、伝統って捨てようと思って捨てられるもんじゃないでしょ? だから現代にもどことなく息づいているところがあると思うのよね。

日本は神話からして、ヤマトタケルが女装したり、神功皇后が男装したりしてきた国です。同性愛ダメ、女装ダメ、男装ダメなんて言うのは、日本の伝統じゃなくて近代の価値観なのよね。戦争中になよなよした男性が「それでも日本男児か!!」って殴られたりしたけど、「いえいえ、伝統的な日本男児です。」って話。

ということで、日本にはオネエタレントがすくすく育つ文化的土壌があったとわたしは考えています。

宗方 そうとは言い切れないんじゃないかな。たとえば中世では戦国武将のあいだで男色が盛んだったけれど、それは家臣との忠義の意味で行われることもあったんだよね。言い換えれば、政治的行為の手段だったし、上の者に取りいる手段だった。いまとは違う意味での上下感や差別意識はセットであったと思う。

牧村 なるほど。そういう変な上下感って、かたちを変えていまでも受け継がれちゃっている気がするな。本来ならセクシャリティって、誰が偉いとか誰が上なんてないのよね。でも、最近「高学歴LGBT」と言われたり、ファッション業界でレズビアンが来るよと言われたり。レズビアンやゲイをはじめとして、「LGBTをかっこいいとみなす風潮」と、一部のオネエタレントみたいに、「笑っていい対象としてさげすむ風潮」があるなと思いますね。

コメントをみてみましょう。「アニメ界では完全にネタ化した」というのがきてますね。たしかに、アニメや漫画の世界は実際の人物がいないからこそ、もっとネタとして消費しやすくなっていますよね。

たとえば、「やらないか」とかもそう。あれも、ゲイ雑誌「薔薇族」掲載の漫画「くそみそテクニック」に出てくるゲイのキャラクターを元ネタにしているんだけど、みんなそれを笑いものにしているんだよね。アスキーアートとかをつくっちゃったり。それをみて本当のゲイの方がどう思うかと。

宗方 そう言うのを、どう当事者の方が観ているのかって、ヘテロ側は想像力が及ばないものだと思う。

牧村 楽しんでいる人に悪気はないのよね。いま、コメントが来たように、「ゲイだけど、「やらないか」とか、「ホモォ」とか不快」。やっぱり。傷ついている人もいるんだよね。どうして笑いものにしたり、性欲の対象にしたりして消費していっちゃうのかというと、江戸時代に比べていまの方が周りにいるという実感がないんじゃないかなと思いますね。

日本はもともと娯楽の世界でいまも昔も、ずっとセクシャルマイノリティは表象されてきた。でも、「隣にLGBTが実在する」という実感がいまの方が薄いよね。

宗方 かといって、「昔はいまよりLGBTフレンドリーだった」とは確実に言えないんじゃないかな。いまの牧村のようなカップルが江戸時代にいって一緒に幸せに暮らせるかといったら、そうではないよね。日常的な恋愛や、結婚生活に根差して同性愛が認められていたということではないと思うよ。でも隣にいるという実感の強さは違うだろうね。

「笑えるオネエ、泣ける性同一性障害」

牧村 次は、現在に目線を移し、テレビ番組におけるセクシャルマイノリティについて考えたいと思います。

日本のテレビ番組におけるセクシャルマイノリティの扱いについて、ツイッターとメールで何度かご意見を募集していますので、いくつか読み上げたいと思います。

「性指向と性自認の区別すらついていない。ゲイも女装もトランスジェンダーもすべて『オネエ』ネタにされるだけの存在。しかも、いじられているのは生物学的性別が男性の人ばかり。」

たしかに、レズビアンとかFtMだとか、生物学的に女性の人は出てきてないですね。

「そもそも、トランスジェンダーを生物学的性別で扱うこと自体かなり失礼」

たとえば、男として生まれ、女として生きることを選んだ方に対しても、男の声で喋ってみてとか、本名なんとかさんでしょとか、そういうことを言う側面があるよね。

「薬物疑惑、汚職疑惑と同じ感じで、ゲイ疑惑、レズ疑惑と言うのはやめてほしい。言葉の選び方が間違っていると思う」

ということで、みなさんから頂いた意見を紹介しました。このコメントからもわかりますが、頂いた意見は残念なことに、いままで100%が批判です……。

出演側にも制作側にもセクシャルマイノリティ当事者や理解者はいるはずなのにね。だって人口の5%がセクシャルマイノリティと言われているのよ。出演側にも制作側にも当事者が絶対いることはたしかなんだよね。なのに、100%の批判。なんで批判しかこない状況にあるのか。

制作現場にいた側からみて、宗方さんはどうしてこうなったと思う?

宗方 やっぱりテレビはどうしても分かりやすさを求めています。でも、分かりやすいということは、何かを取りこぼしていることでもあるんだろうね。それがつもりつもった結果が、この100%なのかもしれないね。

牧村 分かりやすくするってことは、視聴者が求めるセクシャルマイノリティしか出さないってことなのかな。

宗方 そうだね。想像の範囲内のキャラクターだけが集まってしまうということだよね。

 

牧村 実際、クレームしたいと思っても、恐さがあるよね。「セクシャルマイリティーがこう扱われていて、わたしは傷つきました」というと、「そうですか。じゃああなたはセクシャルマイノリティですね」となってしまう恐さが、出演者側にも視聴者側にもあるんじゃないですか。

わたし個人の経験をお話させていただきます。わたしは最初からレズビアンタレントとしてデビューしたわけではありません。もともとは、ミス日本2010のファイナリストに残していただいて、それをきっかけに憧れだった杉本彩さんの事務所で「普通の」女性タレントとしてデビューしました。レズビアンであることは言っていなかったんです。さまざまな番組に出させていただいたんですが、そのなかでも、おかしいなと思うような経験をしました。

女性アイドルが集まる恋愛トークバラエティーに出たときに「彼氏がこうだったらどうしますか」「いままでつき合った男性でどんな人が印象に残りましたか」だとか、異性愛者が基本なんです。ひな段状態で40人位いたのかな。それだけいればたぶんセクシャルマイノリティっているんだけども、実際わたしもいたし。でも、完全にヘテロの目線でお話をしている。

そのなかで、でもわたしはレズビアンでと答えることによってその場の番組の空気を壊してしまうのが恐かったし。レズビアンであることは恥ずかしいことではないんだけど、事務所の許可を取らないといけないかなとわたしは思ったし。だから、おかしいなと思っても言えなかったという経験が実際にあります。

宗方 そもそも、ヘテロを前提としない番組を観たことがないよね。

牧村 テレビに限らず社会全体として、ヘテロであることが前提なんだよね。ヘテロの世界と、セクシャルマイノリティの世界とが分けられてしまっている。たとえば、セクシャルマイノリティの人たちは、セクシャルマイノリティとわかっている人に対してはカミングアウトできるけども、ヘテロの人たちの前では隠してしまう、とかね。

逆に、ヘテロの人たちは、そのなかではヘテロですといえるけれども、セクシャルマイノリティに興味を持って勉強会に来たときにヘテロですというと、ノンケは悩まなくていいわねという空気が生まれてしまう。

やっぱり、数として多い方が前提で世界ができ上がってしまう。いまの話ってすべてのマイノリティーに通じることだと思います。でも、絶対的なマイノリティーっていないよね。

たとえば、セクシャリティの面で見たときはこの人はマイノリティーです。でもこの地域で民族的にみたときに、この人はマジョリティーだったりするんだろうね。マイノリティーマジョリティーって切り取り方によるものなんだろうね。

結局、多い人を前提として社会をつくってしまうということは、多い人にとっても損である気がするの。商売の話をするとさ、ヘテロ前提で番組をつくった場合、ヘテロじゃない人たちが嫌な思いをすることがあると、その番組を観てくれない、視聴率が上がらないということが起こるわけですよね。

ここで、専門家の方の意見をご紹介します。荻上チキさんの「社会的な身体」という本です。

「2000年代のテレビはキャラの時代」、ということを荻上さんはおっしゃっています。「出演者のキャラクターが前面に押し出される。」と。つまり「アメトーーク!」で「ぼくたちは○○芸人です」ってやってるみたいに、キャラを見せること自体が番組になる時代なのよね。

「キャラの時代」のテレビで、「おバカキャラ」と「歴ドル」や「熟女好き芸人」といった延長線上に「笑えるオネエ、泣ける性同一性障害」といったキャラとしてのセクシャリティが描かれてしまったのかなと。

で、ちょっと本を引用させていただきます。「芸人でなくても、それなりにキャラ分けを求められ、異なるキャラの相手と同じ場所=「ひな壇」で会話をしなくてはならないわたしたち現代人にとって、『一発屋』は重要な参照事項である。」

まあ、特定の芸能人の方を批判するわけじゃないんですが、たとえば「ラブ注入☆」とか「どんだけ~」「いうよね~」が、テレビを飛び出して、飲み会などのコミュニケーションの場で使われていくわけです。

そこで自分とは異なるキャラを理解しようとするときに、テレビを参照しちゃうわけ。それで現実世界での会話で「ゲイなの?オネエ言葉喋ってみてよ!」とか「性同一性障害なんだ……つらかったんだね……かわいそうだね……」みたいなことが起こってきちゃうのよね。「笑えるオネエ、泣ける性同一性障害」みたいな。

 

宗方 先入観というか……。そこに物語ができ上がっているわけだよね。

牧村 ここで、みなさんから寄せられたコメントを紹介したいと思います。「テレビだとセクマイはいじめられキャラになってしまう。テレビでセクマイがいじめられキャラになっているからこそ、現実世界でもそういう風に扱っていいんだ、そういう風に扱うものなんだと感じてしまうんだと思います。」うーん、そうだよね。セクマイであることで、からかわれてつらい思いをしている方って沢山いると思うのよね。

ちょっとここでサイトの御紹介をしたいと思います。「ストップいじめナビ http://stopijime.jp/」というサイトです。そういったいじめでつらい思いをしている方がいたらぜひ読んでほしい。

これは必ずしも、セクシャルマイノリティのサイトではありません。日本にありつづけるいじめにどうやって立ち向かっていくか。いじめ対策を講じるというよりは、いじめられている本人に寄り添うものです。いじめを周りでみている人たち、いじめを止めたい大人たちにも有用なサイトであると思います。実際に何をしたらいいのかに繋がるアクションを得ることができるんです。

なぜ、わたしがここで紹介したのかというと、「よくある質問」の一番最後に「周りからオカマっぽい、男らしく、女らしくと言われるけど、自分じゃいけないの?」というクエスチョンがあるからなのね。ここの答えだけでも素晴らしいのよ。さらに、参考として挙げられている、性的マイノリティーといじめという資料がボリュームたっぷりなので、ぜひ見ていただきたいと思います。

“オネエ”の先に観たいもの

牧村 ここまで日本のテレビ史を振り返り、「なぜオネエが確立したか」ということで過去を、「笑えるオネエ/泣ける性同一性障害」ということで現在を語ってきました。最後に未来を語るパートとして、「オネエの先に観たいもの」を考えていきたいと思います。

ノンケの人のなかには「このままテレビが何も変わらなくたって支障ない」って人もいると思うのね。わたしはすごく、「ノンケしか楽しめないノンケ前提のテレビなんてやだわ~」っていう単純な動機でやってるんだけれど。マイノリティーの方でも、テレビとかで出さないでくれ、オレは幸せだしテレビとかで出すようなことはしないでくれという人もいると思うんですよね。

宗方さんはどうですか、これからテレビが変わったらノンケにとってもメリットがあると思いますか。

宗方 今日のテーマの「オネエの先に」というのにフォーカスさせていただくと、ある意味特権的な特別なポジションで乱用されているのは、男とはこういうもの、女とはこういうもののちょうど中間にあると思うんだよね。

「オネエ」というのは、男が女に言いにくいこと、女が男に言いにくいことを代弁させる存在として有効なんだなって。たとえば「ブス」って女に強めに言えたりだとか、「こんなんじゃあんた駄目よ」と男に強めに言えたりだとか。

でもそれって、すごい都合のいい使い方だと思う。結局、ヘテロのかっちり決められた男と女の世界だからつくられている環境であって、それがオネエの先に行けたら、「男らしさ」「女らしさ」という偏見も変わると思うんだよね。それは、ノンケにとっても、わたしのような特撮好きな女にとっても、すごくありがたいことだと思うよ。

牧村 ヘテロで日頃からセクマイに関わっていない人でも、男らしさや女らしさを押しつけられているんですよね。男がピンクのTシャツを着ていることを批判したり。

宗方 そうだよ!女が特撮好きでもいいよね(笑)。

牧村 そうそう(笑)。変だよね、男が編み物をするときにオネエじゃないといけないだとかさ。

そういう「男らしさ」「女らしさ」が、セクシャルマイノリティがきちんと扱われるようになったら、取り払われていくのかなと。

今日は、わたしと宗方さんで考えた「オネエの先に観たいもの」の企画を発表したいと思います!

(プレゼンテーションは動画にて視聴できます:http://www.youtube.com/watch?v=3zezYlyUkk8&

「オネエの先に観たいもの」はこの放送にとどまらず、実際のテレビ放映を目指したプロジェクトとして進めていきたいと考えています。どうぞ、応援よろしくお願いします。

宗方さん、今日はゲストでいらっしゃいましたが、どうでしたか?

 

宗方 「オネエの先に観たいもの」はこれから考えていかないといけないテーマだと思いました。ノンケの人のなかでも、現状のオネエの扱いに飽きている人がいると思うんだよね。男と女とオネエと、社会のなかで可視化されるのがそれだけというのは不自然です。分かりやすさを求めたら、いまある素材でしか料理できないけど、その先を見つめることがエンタメ業界の底上げにもなるだろうし、いままで観たことのない面白いものが観れる可能性がありますね。

牧村 隠しもしないし、キャラとして強調もしない、社会にいるそのままの「リアル」をテレビでも描かれたらいいよね。最後に宣伝しちゃうけど、わたしたちの本「百合のリアル」にも期待しててくださいね。

(2月27日放送「まきむぅ&こゆたんのレズビアンチャンネル」より http://www.nicovideo.jp/watch/1369805360

 

プロフィール

牧村朝子タレント

1987年生まれ。タレント、レズビアンライフサポーター。2012年にフランス人女性と同性婚(PACS)、現在パリ在住。セクシャリティをテーマに、各種メディアで執筆・出演を行う。将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに”レズビアンって何?”って言われること」。

この執筆者の記事

宗方美樹ライター

1987年生まれ。ライター。2012年に星海社ジセダイエディターズ新人賞を受賞。現在、著者の牧村朝子と共に「レズビアンの〝リアル”を明るく楽しく伝える本」、『百合のリアル』を制作中。

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