ヘイト・スピーチ規制論について――言論の自由と反人種主義との相克

ヨーロッパとアメリカの歴史的文脈

 

■ヨーロッパ

 

ヨーロッパ諸国では、ワイマール共和国がファシズム国家に変化していくのを目の当たりにした1930年代以来、人種主義的な言論の規制を議論するようになった。第二次世界大戦後には、非ナチス化を目指したドイツやオーストリアが、ナチスのレトリックや象徴を禁止するようになった。

 

それ以外の国家が、人種主義的な言論の規制に乗り出すのは、1960年代中葉から1970年代にかけてであった。この時期には、反ユダヤ主義的な言論や反移民的な言論が吹き荒れていた(なお、このような反ユダヤ主義は、人種差別撤廃条約の採択のきっかけともなった)。1990年代には、排外主義の波が押し寄せ、各国は徐々に規制を強化していった。

 

このような歴史的経緯により、ヨーロッパ諸国は人種主義的な言論を規制する法を発展させ、近年では、違反を繰り返す者に対しては、より厳しい罰を科すようになっている。

 

ただし、多くのヨーロッパ諸国は、単に不快なだけである人種主義的な言論の規制には消極的である。多くの法の内容は過剰に見えるが、実際には、限界事例においては適用しないことも多い。また、適用されるとしても、懲役刑ではなく、たいていは罰金刑や執行猶予にとどまる。これには1つの例外がある。それが、ホロコーストの否定に対する規制である(*7)。

 

(*7)なお、ホロコーストにもとづく人種主義には、ホロコーストという出来事を、(1)露骨に是認する、賞賛する、あるいは正当化するもの、(2)矮小化するもの、(3)否定するもの、といった3つの類型がある。

 

1980年代以降、ホロコーストの否定を禁止する法は徐々に範囲を広げ、「私は、ホロコーストはなかったと信じている」と述べただけで刑罰を科される。罰金等にとどまることの多い人種主義的言論禁止法とは異なり、ホロコーストの否定を禁止する法の場合は懲役を科すこともある。このようなホロコーストの否定への対応が、「規制に積極的なヨーロッパ」という印象を強くしているとの指摘もある。

 

 

■アメリカ

 

アメリカでは、言論の自由が厚く保護されているといわれるが、建国以来、市民が言論の自由を享受してきたわけではない。むしろ、集団的名誉毀損法を合憲とした1952年のボハネ判決(Beauharnais v. Illiois, 343 U.S. 250 (1952))にみられるように、1940年代から50年代の合衆国最高裁判所の判決は、アメリカが、ヨーロッパと同様の、言論規制的な方向へ進む可能性があったことを示している。

 

アメリカがヨーロッパとは異なる方向に進んだのは、1960年代から70年代にかけてのことである。この時期になると、公民権運動やベトナム反戦運動などにおいて、民族的マイノリティなどが現状に挑戦するための最大限の自由を欲するようになった。それゆえ、多くの集団は、人種主義的言論を規制する法は、彼らの表現の自由を制約しうるものと考え、政府に対し、人種主義的言論を規制する法の制定を求めなかった。そして、合衆国最高裁判所も、公民権運動の時代を通じて、アメリカの核心的な価値としての言論の自由を定着させていった。

 

こうして、例外はあるものの、概して表現の自由はアメリカの法制度に深く浸透した。このように、アメリカが言論保護的なアプローチをとるようになったのは、決して必然ではなく、アメリカ社会の選択によるものだった。アメリカは、1960年代に言論の自由の保護と人種主義的な言論との戦いとの間のバランスをとることを求められたヨーロッパとは「異なる挑戦」を受けた、「異なる国」だったのである。

 

このような歴史的な文脈により、ヨーロッパ諸国とアメリカは異なるアプローチを採るようになったと指摘される。もちろん、歴史的文脈がすべてではないが、ヨーロッパとアメリカの軌跡を把握するために重要な要素となるであろう。

 

 

むすび

 

以上みてきたように、ヘイト・スピーチ規制については、アメリカとヨーロッパとの対比がしばしば指摘される。アメリカでは、人種差別行為には厳しい規制を課しているのに対し、人種主義的な言説も言論の自由として保護されるため、その特殊性あるいは例外性がしばしば指摘される。

 

このような違いは、歴史的文脈によるものであると指摘される。すなわち、ヨーロッパでは、ナチスや反ユダヤ主義に対応するために、ヘイト・スピーチなどの過激な言論を規制するようになり、アメリカでは、公民権運動やベトナム反戦運動などでの「反対者」の自由を保護するために、過激な言論をも保護するようになったのである。

 

ヨーロッパでは、人種主義に対応するためにも言論の規制が必要されたのに対し、アメリカでは、人種的平等を達成するために、言論の自由が必要とされたのである。

 

そうであるならば、日本がどのようなアプローチを採るべきか。この点は、日本における歴史的文脈に着目し、慎重に検討する必要がある。仮にヨーロッパ的なアプローチを採るとしても、言論に対する過度な規制にならないよう、規制範囲を厳格に限定しなければならず、立法化のハードルは非常に高い。

 

なお、ヘイト・スピーチの規制が憲法上可能か否かという問題と、規制の政策的適否は別の問題であることにも留意すべきである。ヘイト・スピーチ規制法の効果や影響などを、日本の現状等を踏まえて慎重に考慮する必要がある。今後のさらなる議論が期待される。

 

サムネイル:「20130317_0021」Kurashita Yuki

http://www.flickr.com/photos/94208774@N08/8566674533/

 

 

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