大きな慣性に逆らって――父親たちの語るPTA

誰がためのPTA

 

木村 そもそも、存続させることによって誰が得をしているのでしょうか。

 

川端 それが不思議なんですよ。ちょっと象徴的な体験があるので、聞いてください。ぼくが住んでいるのは世田谷区の烏山という地域なんですが、「烏山地区教育研修会」という近隣10校の小中学校の校区でつくっている組織があります。古くから住んでいる地元の方によると、「烏山は世田谷区のチベット」だと。まぁ、その言い方は、チベットに失礼なのかもしれませんが(笑)、区の中心から外れているので、教育予算があまりまわってこないと、地域の人がおもっていた歴史があって、奮起して教育熱心になったというか。

 

そこで、毎年箱根の温泉旅館で勉強会を開き、世田谷区教育委員会の方を招いて接待してきたんです。教育予算をきちんとつけてもらうためのパイプづくりのためだったと、地域有力者がはっきり言っていました。そして、それが50年以上続いているんですね。参加者は歴代の校長、副校長、同じく歴代のPTA会長と副会長、それも10校分ですから、下手すると100人以上になります。ホスト・ホステスをつとめるのは現役のPTA役員です。2校づつ組んで、つまり5年に一度、幹事が周ってきて、ぼく達の学校もあたることになりました。つまり、これ、地域の研修会という形をとりながら、現役保護者にとっては、PTA業務なんです。

 

木村 箱根ですか。それはすごいですね。

 

川端 小学生の親なので、夏休みに一泊旅行にいくなんて難しいですよね。母親であれば、夫や同居している両親の理解が得られなかったりもするでしょうし、そもそも子どもを見る人がいないとなると行くのは不可能です。でも、それに誰かが参加しなければならない。ぼくは比較的行きやすかったので行ってきたんですが、ちょっと歪んだ会だなというのが率直な感想でした。

 

世田谷区の教育委員会の課長クラスが講演をして、その後の宴会では教育長の前に副校長が列をつくって、ビールを注いだり。選挙の年には区長が来たこともありました。後々、あれはイケナイ接待なんじゃないかと議会でも指摘されるほどでした。ぼくとしては、余りにも現役の保護者の負担が重いので、PTA会長に相談したんですが、「これは、自分たちではどうにもならない」「地域の伝統だから」「地域のエライ人に怒られる」みたいな理由で取り合ってもらえませんでした。それで、ぼく、頃合いを見て、その時点での仮想ラスボスだった研修会の会長に直談判しにいったんです。

 

そうしたら「そうなんだよね。」と研修会長もわかっているんですよ。PTA会長・町会長経験者で70代のおじいさんです。「ぼくも、現役の時に箱根はあまりにも遠いと問題提起したんだけど、非難の嵐だったんだよ。でも、現役のPTAの人には大変だよねぇ。あれはよくないよねぇ」と。あっけにとられました。研修会のトップですら望んでいないのに、誰ともわからない非難を恐れて延延と続いてきたんです。

 

木村 得をしている人がいないのに、存続していると。

 

川端 本当に不思議です。たぶん巨大な慣性があって、その慣性にあらがうことが不利益なんです。みんな得していなくても、反対することにデメリットがあるから反対できない。さっきの話、研修会の会長はとても物わかりのよい方でしたけど、今も同じように続いているようですから(笑)。

 

木村 巨大な慣性の中にみんなが取り込まれてしまい、現役の人達ではなかなか変えられない。そこと戦わないと体制は変えていけないということですね。

 

これは、日本の社会のいろんなところでも見られる問題だとおもいます。現役で権限をもっている人達でさえも、これまでやってきたという理由で変えられない。だれも得しないのに続いてしまうんですね。

 

 

全員に網をかける

 

木村 PTA活動で誰が得をしているのかを考えましたが、誰が損をしているのかも重要ですよね。多分ソーシャルスキルが高い人はスル-できますし、PTAの側から見てめんどくさいタイプの人は、PTA側からしても追い出した方が楽なので、あまり仕事が回ってこない。

 

本当に損をする人は、義務感があって参加しないといけないとおもっているその一方で、現実にはとても忙しいというタイプでしょう。そういう人達がいることに想像力を持たなければいけないですよね。

 

 

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川端 ぼくの子が通っていたのは400世帯位の規模の小学校なんですが、それぐらいの世帯数だと毎年何人かの親が亡くなります。母親が亡くなった場合、PTA活動も同時にされている方が多いんです。それなりに負担のある役を引き受けたものの実は病気で、夏休みが終わったら亡くなっていたということもあります。でも、PTAは誰が病気かなんて感知できないので、「あの人なんで来ないの」と批判の対象になることもあります。

 

そして亡くなってはじめて、「病気なのになぜ引き受けたのか」という話になります。「そんなに大変なのに押しつけられたなら、PTAが殺したようなものだ」と言う人もいれば「亡くなる前に子どもになにかしてあげたかったのでは」という人もいます。

 

でも、そういう総括はズレているとおもうのですね。ここで、PTA側が噛みしめなきゃいけないのは、死に至る病を抱えていて年度内に亡くなるかもしれない人と、それ以外の人を外から見て区別するのはすごく難しいということです。だいたい、自己申告しても信じてもらえないこともあるんですから。全員に網をかけるということはそういうことなんだということを考えなきゃいけない。でも、そこのところはあんまり共有されないんです。みんながやるのが当たり前だから。

 

木村 みんながやるのが当たり前という道徳的な圧力から脱却しないと、事情があって特別にしんどい人の負担がなくなっていかないですよね。

 

私の専門の憲法学では国家全体を研究対象にしています。国家というのは大きな強制加入団体ですから、そこにいるしんどい人に特別に負担が生じないようにするのが立憲主義の思想なわけです。同じように、PTAの中にいる特別な痛みを追う人への想像力というものを、もっと当たり前に共有するしくみをつくっていかなければならないですよね。

 

川端 それが、想像力では処理できなくて、診断書をもって来て共有してもらおうとする人も出てくるのが現実です。過剰な自己開示ですね。そこまでやらないと信じてももらえない。いや、それでも信じてもらえなかったり、「大変なのはあなただけではない」と言われてしまうことも多い。

 

木村 一部の人に必要以上の負担をかけてしまいますよね。みんなでやるのが当たり前になると、そうならざるを得なくなってしまう。

 

川端 国家や自治体が、そこで生まれたり、住んでいるだけでメンバーになる強制加入団体で、それがひどい方へ転がらないように憲法があるというのは、本当にその通りだとおもいます。ぼくはよく「『都民のための東京都』を『東京都のための都民』と言い換えるとすごく嫌な感じでしょ、と言うんです。『国のための国民』とかいうとすごく物騒でしょう、とか。そもそも、PTAというのは会員にとってメリットがあるべきなのに、でも今のままだと「PTAのための会員」になっているよね、と。

 

木村 それでも響かない?

 

川端 あんまり響かないんですよね。

 

木村 どうしてでしょうね。団体と自分が同一化してしまっているのか。

 

川端 たぶん、「子どものため」というキーワードが間に挟まっていること、あと、適応できている人が中枢部に集まってくるってこともあります。一年間役割をこなすことをミッションにして、なおかつその能力がある人達です。しかし、その人達をもってしても、毎年やりたいとはおもわないのがPTAなので、相当な負担だとおもうんです。「一年無難にやりきろう」とおもっている人達に問題提起をしても、迷惑におもわれるだけなんですよね。

 

木村 それを変えるには多数派の方に全員加入の問題性を気づいてもらわなければいけません。

 

川端 そうですね。声を上げることが非常に重要だとおもいます。しかし、ぼくは不思議なんですよね。PTAって、子どもをもつとほとんどの人が人生のどこかで関わるんですよ。その中には、ぼくのような文筆業も、人権派ジャーナリストと呼ばれるような人もたくさんいたはずなんです。すごく非合理的なことや無茶なことがまかり通っている世界なんだけど、なぜかそれを継続的に、徹底的に考える人は多くなかった。

 

それは法律家にも言えるとおもうんです。今まで、数多くの法律家がPTAの無茶さを見てきたはずなのに、たとえば、人権意識の高いはずの弁護士さんたちもスルーしてきた。これはなんなのだろうとおもっています。

 

木村 私も同僚に「そんなにPTAって大変なの」と驚かれたんです。

 

川端 気づかなかった人ですとか、面倒だからスルーした人もいるとおもいます。そもそも男性だと、パートナーの女性のソーシャルスキルが高くてうまく泳ぎ切れる人だと、気がつかずにすますことも充分できます。キツいがどうかって、結局個々人の感じ方じゃないですか。

 

木村 あと本当に好きな人もいるんでしょうね。

 

川端 そうですね。自分自身もPTAの本を書き始めた当初は、まだ希望をもっていて、好きな部分を探してましたよ。どうにかPTAを軟着陸させたいとおもっていましたから。実際、うまく回ればいいところもたくさんありますから。

 

アンチPTAとおもわれることが多いぼくですらそうですから、PTAの論理を内面化して、こういうのが大好きになる人はいますよね。特に、地域社会の階段を上りたい人にとっては、いったんお役目をつとめあげれば、もうそれほどの負担を背負わなくてもいいので、「私もやってよかったから、あなたも」という発想になるかもしれません。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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