「自殺」を「生き抜く」。

生きていれば、心の中に言葉がある

 

岩崎 本の中にも、末井さんが篠原勝之さんにお母様のダイナマイト心中のことを話されたとき、篠原さんが純粋に、同情を交えず、自然体で聞いてくれたということが書かれていましたが、ぼくもこれまでの歩みの中で「自分のことを話す」って、生きていくなかでとても大事なことだなと思うようになりました。

 

「受けとめてもらえた」「そのまま聞いてもらえた」という体験は、人を力づけるものだと思います。自分の奥底の思いをその一端でもよいから知っていてもらうこと、それだけでも人は支えられることがあると思うのです。また「受けとめてもらえた」という感動は、相手は人だけにかぎらず、1冊の本や1枚の絵など、文学や芸術作品を前にしての場合もあると思います。

 

末井 篠原勝之さんに話す前のことですけど、母親の心中のことを唯一話せる友達が一人だけいて、ずいぶん救われたように思います。自分のなかのネガティブなことを話しても、それを自然に受けとめてくれる人がいると、重っ苦しい気持ちが軽くなって力づけられますよね。

 

受けとめてもらえるということで言えば、『自殺』を書いたことはぼくにとってかなり大きな励みになったんです。

 

ブログで連載をしだして半年ほど経ったころ、ツイッターを始めたんです。それで、「自殺」を更新したことをツイッターで書くと、読んでくれた人が「真っ直ぐ伝わってくる」とか「救われた」とか「心が弱っているとき体に染み込む」とか書いてくれて、それまで自分が書いた本がそういうふうに直接的にほめられたことがなかったもので、それが大きな励みになったんです。SNSをバカにしていたんですが、SNSで力をもらえることもあるんだとつくづく思いました。

 

『自殺』は、生きづらさを感じている人を励まそうと思って書いていたので、逆に自分が励まされるとは思っていなかったですね。だから余計に嬉しかったんです。

 

岩崎 そうですね。ぼくも、詩をこうやって書くようになって、ブログを作ってネットでも出すようになったんです。そうするとたまに、詩を読んでくれた感想のメールやコメントをいただいたりするんです。その中にはご自身のことが書かれていて、読んで助けられたとか励まされたというような言葉があったりするんですね。

 

本当にささやかなものだけどずっとこうやって書いてきて、誰かが見ていてくれて読んでいてくれているという。本当にまっすぐ受け止めてくれて、それで言葉を返してくれているということで、励まされると言いますか、本当に心を支えてもらっている。生きようとする気持ちを後押ししてくれている、そういうふうな気持ちになるんですね。

 

自分のことを話す、というと「自分語り」とか言って揶揄するような見方をする向きも一方であると思うんですけど、もちろんすべてを話す必要はないけれど、何か自分の思いの一端を見せる、語るというのは大事なことだなと思うんです。表現するということは、自分のことを話すということだけではないですけど、大事なことだなと思うんですね。

 

話した人も聞いた人も、心を動かされるんじゃないかと思うんです。別に作家とか詩人とかそういう表現するような立場にならなくても、みんな生きていれば心の中に言葉があると思うんです。自分の思い。そういうのを誰かに話す、聞いてもらう、また、そういう話を聞くということが、人間にとって生きていく上で本当に大事なことなんじゃないかと。心豊かにしてくれることなんじゃないかなと思います。

 

 

東日本大震災の後押しと、自殺者の霊

 

司会 「自殺」をテーマに踏み込んで書いていくことは勇気ともいえる思い切りが必要ではないかと思います。ためらいといったようなものはありましたか?

 

末井 ぼくは自殺を考えたことがないから、そういう人間が自殺をテーマに書いてもいいのか、ということは考えましたが、母親が心中しているので、それを免罪符にすれば誰も怒らないだろうという考えはありました。

 

それよりもまず書けるかどうかっていう、最初に「自殺」を書きませんかっていうお手紙を、朝日出版社の方からいただいて、それでお会いして話をしたんですけど、書けるかどうかっていうことと、書いても面白くなるのかどうかっていう、その2つですね。「面白い自殺の本」という要望でしたから。

 

やはりテーマが「自殺」ですから、あまりふざけたことは書けませんし、そのなかで面白くするには、自分の恥ずかしい体験を洗いざらい書けばいいんじゃないかと思うようになってきて、それで書けるんじゃないかと思うようになったんです。

 

それでも一年ほど書くか書かないか悩んで、最後の後押しは東日本大震災でした。自分も何か人の心に届くようなことをしないといけないと思うようになって。

 

書き出してからは毎回大変でしたけど、ためらいのようなものはなかったです。それより、自殺者の霊のようなものがそばに立っているような気がするときがあって、その人に向かって書いているようなときもありました。読者に届くか届かないかという不安がいつもあるんですが、そういうときはなかったですね。

 

 

東日本大震災と人工呼吸器

 

司会 お話に出ました、東日本大震災についてお聞きしたいと思います。今回のトークの会場にもなっている仙台は、岩崎さんが生まれ育った場所で、震災のその日も仙台にいらっしゃいました。そのときのお話をお聞きしてもいいでしょうか。

 

岩崎 はい。仙台の中心部の方だったので津波ということはなかったんですけれど。全域で長期の停電になってしまったことで命が脅かされました。

 

私は常に人工呼吸器を使っていますので、それを動かす電気がないと生きられないんですね。そこで震災にあって電気が落ちてしまった。人工呼吸器は内部にバッテリーが備わってはいるんですけど、それはあくまで非常用ですからそんなにもたない。

 

呼吸器の機種や使用状況によって時間はまちまちですが、私の場合は8時間くらいは内部バッテリーで動かせます。けれどそのバッテリーが切れてしまえば、あとは手押しで呼吸を確保させる道具を使ってしのぐしかなくなります。

 

それは押すと凹み、緩めると戻る風船みたいなものに接続の管がついた医療器具なのですが、それを人の手で押し続けて、呼吸を確保するんです。これは最終手段なので、そうなるまえにバッテリーで動いているうちに電源のある場所に逃げなくてはいけません。

 

それで、急いで移動しなければならないんですが、私は身体のあちこちの関節がすごい硬くて、手足や腰、首などを動かせる範囲が決まっていて、介助の仕方が細かくあります。無理に動かされてしまうとすぐに痛めてしまうんです。私の介助方を心得ていて熟練した人じゃないとなかなか介助が難しいという困難があったんです。

 

しかもマンションの2階でエレベーターも止まっているので、簡単には移動できず、困ってしまったんですね。その時に、マンションの管理会社の方が、たまたま通りかかって声をかけてくれたんです。そこで今の窮状をお話ししたら、その方が救急車を呼びに走ってくれて。

 

末井 それは幸運でしたね。普段あまり頭にないんですけど、電気が落ちると命が危ない人がたくさんいるわけですね。

 

岩崎 見ず知らずの方なんですけど。だけど震災直後で救急車はなかなかつかまりません。119番をかけても通じないし。どこでどうやって見つけて来てくれたのか、たぶん、すごい走り回ってくれたと思うんですよ。

 

夜も近くなってきたころ、その人が救急隊をつれて一緒に来てくれたんです。それで救急車に乗ることが出来て、電源も確保して、病院に避難することが出来たんですね。

 

ぼくのように呼吸器を使っている、いろんな医療機器を使ってる、使わなければ生きられないんですけど、そういう人は少なからずいるんですね、世の中には。目立たないけれど。

 

そういった医療機器を動かす電気を失うっていうことが、即、命を失う危機に直結することは、頭ではわかっていても、震災に遭って、実際にその大変な危機に直面して身をもって知りました。

 

病院に避難入院して電気が回復するまで過ごすわけなんですけど、そこに着くまでは、情報がほとんど入ってこなくて、周りの状況が今どうなっているのかがわからなかったんです。

 

末井 東京は停電はなかったんですけど、携帯電話がつながらないとか、交通機関が麻痺して大勢の人達が歩いているとか、そういう非日常感に不謹慎にもぼくはワクワクしていたんです。まだ現地の被災状況もまったくわかりませんでしたから。

 

岩崎 病院で初めて新聞の記事を見て、もう、衝撃を受けてしまった。まさかこんなにっていうような。本にも書いていますけど、地元の新聞に載った一面と、大きな被災を伝える、被害状況を伝えた記事を見て、愕然としたんです。自分を揺るがすようなショックを受けた。とても見ていられなくなって、新聞を閉じてもらいました。本当に言葉がなかったんですね。

 

 

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震災と表現

 

岩崎 震災に遭って、それから一ヵ月ほど詩を書かなかったんです。何も書けなかった。なんていうんでしょう、震災のことについて何か言葉で触れるということを恐れたんですね。

 

自分は、電源を失って一時的には命の危機に脅かされ、大変だったということはあるんですけど、家族や近しい人を失ったわけでもなく、住む家がなくなってしまったわけでもない。津波の恐ろしさを知っているわけでもない。

 

そういう自分が、震災のことについて何か表現で触れるっていうことは、とんでもないことじゃないかって思ったんです。

 

もうどんな言葉も出てこないって思っていた。それで一ヵ月詩を書かなかったんです。

 

震災から一ヵ月後にまた大きな余震がありました。民間の避難所に行って電気を確保することになったんですが、そこで、たまたま仙台に来ていた友人と会うことができました。その時、「詩を書いているのかい」って聞かれたんですね。

 

書いていないということ、なんで書けなくなっているのかを一通りお話ししたんです。そうしたらその友人は、文筆に携わる人でもあったんですけれど、「今こそ書く時じゃないか」「今書かないでいつ書くんだ」って私に言ってくれたんですね。そこで心動かされるものがあって、詩を書いていこうと思ったんです。

 

そうは言っても葛藤や、ためらいはあったんですけれど、でも自分の感じたこと、経験したことをそのまま書くしかないと思ったんです。それでも、心の中には、言葉がない。どうにも書けない、言葉が出てこないということを、やっぱりこれから書くのであればそれをはじめに言わないといけないと思って、詩にそのことを書いたんです。

 

末井 その「もう言葉がない!/まして歌など出てこない/なぜできる?/なぜできようか!/心がこわばり動かない」という歌に、岩崎さんのそのときの葛藤やためらいが表れていますね。

 

ぼくは震災に後押しされて朝日出版社第二編集部ブログに「自殺」を書き始めたんですけど、後押しされたのは震災から半月ほど経ってからのことなんです。

 

震災の日には当然テレビなどで報道されますよね、津波の状況などが。ぼくが見てびっくりしたのは、仙台の飛行場に津波が来ているところを、空から撮ってるわけですよ。まるで映画のシーンみたいに。えっ、こんなことが起こってるの? みたいな感じだったんですよ。でもやっぱり人ごとだったんですね。東京にいたし、自分たちに被害が起こってるわけじゃないですから。

 

お祭りというと被災者に申し訳ないんですけど、そのときはそんな気持ちだったんです。町に人が大勢出ているのを見に行ったり、パチンコ行ったり麻雀やったり。ほんとに不謹慎で申し訳ないんですけど。

 

しかし、そのあと、避難されてる方々のインタビューがテレビで報道されて、それを見ていてだんだん自分も何かしないといけない、いけないということじゃないな、何かしたくなるというか、人のために何かをしたいというような、そういう気持ちになってくるんですね。

 

そのとき、ぼくはパチプロの本を作っていたんですけど、パチプロの人なんかもボランティアに行く! とか言い出して、パチプロがボランティア? とか思ったんですよね。パチプロなんて、そういうことに背を向けて、反社会的に生きてる人なのに、そういう人もボランティアに行きたいと思ってるって。ちょっと驚きました。

 

ぼくはボランティアに行こうとは思わなかったですけど、思わないというより行けなかったですね。会社もあったし、年もとってるし、行っても迷惑になるだけだし。だからそうじゃなくて人の心に届くようなことをしたいと思いました。それが書くきっかけになったと思うんです。

 

 

 

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vol.246 特集:「自己本位」で考える

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・寺本剛「高レベル放射性廃棄物と世代間倫理」
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・絵:齋藤直子、文:岸政彦「沼から出てきたスワンプマン」