誰のためのリハビリテーションなのか?――障害という経験を哲学する

先入観、価値観をどこまでもカッコに入れて進む

 

上述した現象学というアプローチには、「現象学的還元(エポケー)」と呼ばれる思考操作がある(注5)。これは、目の前に現れている事象をありのままに受け入れ、細部に目を向けることで、体験の深みを発見する最初の手続きである。

 

それは、私たちが知らずに用いている価値観や思い込みを徹底的に排除し、それらが自分の判断や行為の中に忍び込むことを回避することから始まる。

 

この世界に同じ人間はいない。その意味で、人間は一人一人が他者である。そして他者とは、私ではなく、理解できないからこそ他者である。私たちがコミュニケーションをやめないのは、他者が理解できないからに他ならない。

 

以心伝心のように、何もかもが共有されてしまえば、そこにはもはや他者はいないし、対話も、議論も必要がない。

 

本来の他者という理解できないものを、分かった気になって対処することがないよう、自分の価値観や思い込みを、くりかえしカッコに入れる必要がある。典型的には、「障害を抱えていてかわいそうだ」、「自分は障害者への差別はもっていない」、「この障害者はこうしてほしいはずだ」という善意による健常者的思考や判断こそが、一番注意し、警戒しなければならない価値観である。

 

今も綿々と続いている職人などの徒弟制度で、親方は弟子に何のアドヴァイスも与えないことがある。生活をともにしながら、とにかく自分が仕事をしている様子を、ただじっくりと眺めさせ、何度も同じ場所にとどまらせて、安易な判断や、言葉で表現することなく、とにかく経験を蓄積させる。そうした局面を潜り抜けることと、臨床において他者に近づく試みは少し似ているところがある。

 

現代はとかく、写メに取ったり、SNSに言葉を陳列することが容易な時代である。一度写メを取り、SNSにアップすれば、それで分かったこと、経験したこととして済まされ、素通りされてしまう。そうした経験の本来の深度は、そこにじっととどまり、佇んでみなければ、見えてこないものだ。

 

 

想像力のヴァージョンアップ

 

かつてフランスの精神分析家J.ラカンは、人間は、自分の中にある非人間的なものを知っているがゆえに、「自分は人間である」とあえて断言することで人間になると述べていた(注6)。

 

それは、自分が人間ではないことを、非人間的本質をもつものだということを暴露されないために、自分の外に人間ではないものを見出すことで安心する心理の裏返しである。「あの人は人間ではないと判定できるから、私は人間である」というように。これは、お互いの行動を監視し、非人間的ふるまいをするものを告発する管理社会的な不穏さにも通ずるところがある。

 

何が正常であるのかを特定するのはとても難しい。それなのに人は、異和的なもの、異常なものを見抜く抜群に優れたセンサーだけはもっている。偏見や差別が止むことがないことの背景には、こうした心の機制が関係している(注7)。

 

また認知科学の成果が示しているように、人間の脳は、進化と文化の歴史の中で、多くのバイアス(偏見)をかかえるようにそもそも組み立てられている。その方が生存戦略上、有利だったからでもあろう。

 

しかし人間は、それらバイアスですら自覚できる存在である。そして明示的に、あるいは無意識的に働いている偏見や差別を乗り越えていくほど自分の経験を高め、拡張する能力も同時に手にしている。

 

それはつまり、社会に貢献できたり、生きるべき価値があったりという健常者的判断のずっと手前で、ただ生命として生きるということを、生きているその有り様を、人は深く感じ取ることができ、そこから豊かな経験を汲み出せるということだ。

 

他者のもつ経験の深さに想像力をじわじわと染み込ませていけること、それは人間のもつ優れた特質である。だからといって、楽観できるものでもない。

 

すでに現代は、「相手に対する、他者に対する、想像力をもちなさい」というだけでは足りない局面に、しかも圧倒的に足りないところにきている。問われているのは、その先にある想像力の質であり、多方向性であり、深さである。

 

「地獄への道は善意で舗装されている」という格言があるように、差別や偏見は、全くの善意の中にも混入する。健常者や正常者、邦人といったカテゴリーに対置される障害者や病人、外国人といった人に対して、配慮をし、気を回し、どこかよそよそしくなるとき、すでにそこに偏見の芽が生まれている。

 

腫れ物扱いと配慮することとの間には広大な経験がある。にもかかわらず、「配慮しさえすればいい」と言葉で表現してしまうことほど簡単で暴力的なこともない。

 

だから自分では理解できない他者に出会うとき、実は、自分の想像力の底が見透かされている。そのとき私たちは、リハビリテーションという、自分の経験を拡張し、展開していくためのエクササイズが本当に必要なのは、障害を抱えているといわれる人なのか、健常者だと自認している人なのか、本当は誰なのかが、身に迫る問いとして突きつけられることになるのだ。

 

 

参考文献・脚注

(注1)人見眞理『発達とは何か―リハビリの臨床と現象学』(青土社、2012)。

(注2)太田博樹・長谷川眞理子『ヒトは病気とともに進化した』(勁草書房、2013)。

(注3)稲垣諭『リハビリテーションの哲学あるいは哲学のリハビリテーション』(春風社、2012)。

(注4)EBM(根拠に基づいた医療)が、リハビリテーション医療の世界にも広がり始め、科学的に根拠がない治療法が取り除かれつつあるのは確かだ。しかし他方、複雑な人間の身体や心を扱うには、科学的データがまだ圧倒的に少なく、そのためリハビリテーション医療に非科学的なものが多分に含まれているのも事実である。

(注5)E.フッサール『イデーンI 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想(1-2)』(渡辺二郎訳、みすず書房、1984年)。

(注6)J.ラカン『エクリ I』(宮本忠雄、竹内迪也、高橋徹、佐々木孝次訳、弘文堂、1972年)。

(注7)稲垣諭『大丈夫、死ぬには及ばない―今、大学生に何が起きているのか』(学芸みらい社、2015)。

 

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