2011.12.01
迷走する運命にあるワーク・ライフ・バランス政策
萩原久美子による『迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ』は、ワーク・ライフ・バランスの問題が、「両立支援が整備されていない」ことの問題であるというよりは、「両立支援が充実してきた環境で働いているのに、仕事と家庭を両立することの苦しみは依然として存在する」ことの問題であることを見抜いた貴重なエッセイである。
両立支援が充実しても……
両立支援が制度として整備され、それを活用できるようになっても、それを利用して実際に両立をすることによって、何かしらの妥協やストレスがある。同年代の男性社員(一部には専業主婦のサポートがある)と差をつけられる、夫が家事に協力的であるといっても専業集やパートの妻に比べて「子どもを十分にかまってあげられない」という負い目を感じてしまう、同僚の女性が時短勤務に不公平感をいだいている、などなど…。
そして結局のところ、子持ちの働く女性たちは、「これだけ苦労して両立する価値がこの仕事にあるのか?」という気持ちにたどり着く。
「働いていても、仕事を続ける目標が見えない。なのに、このあわだたしさ。神経を張り詰める日々。何もかも中途半端な気がする。これが、「家庭も仕事も」と走り続けた結果なのだろうか。ただ「働き続ける」だけならば、このさき、なにに夢を持てばいいのか。」(33頁)
少子化対策としてのワーク・ライフ・バランス
もともとワーク・ライフ・バランス推進の理念のひとつとしてあるべきなのは、「男女均等待遇」である。濱口桂一郎の『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)』が指摘しているように、北欧諸国のみならずEU諸国では、より包括的な、つまり時間(フルタイム・パートタイム)・雇用契約(無期・有期)を含めた「均等待遇」の規制の一面として男女均等待遇が位置づけられている。むしろ各種の休業制度はこれを補完するものである。このような労働市場では当然男女の賃金格差も小さくなるし、子育て後の仕事復帰も容易になる。
これに対して日本の政策立案者のあいだでは、ワーク・ライフ・バランスに「少子化対策」という意味づけを与えることが多い。そのため両立支援政策がどうしても「出産・育児」促進にひっぱられ、したがって「出産・育児休業を充実すればよいのだろう」という方針に帰着してしまう。
むろん少子化対策を講じること自体は非難されるべきことではないのかもしれないが、問題は、この戦略が現在の社会経済的環境では失敗を宿命付けられているということだ。
理由は簡単である。出産・育児休暇のみを充実させても、その他の仕事のやり方は依然としていわゆる「男性的働き方」のままである。改めて強調しなくてはならないのは、出産・育児休暇だけを充実させても、女性は男性のように働くことができるようになるわけではない、ということだ。
萩原が描いたのはまさにこの問題である。長時間労働や転勤を伴なう日本的な「男性的働き方」は、専業主婦あるいはパートの妻がいてはじめて可能になるものなのだから、フルタイムの仕事を持つ夫の妻がフルタイムで働くことには最初から無理があるのだ。
労働市場の硬直化と男女不均等は同じ問題
この戦略はまた、男女均等を疎外するだけではなく、以前の記事で述べたように少子化対策としても失敗する運命にある。それだけではない。エスピン=アンデルセンが指摘したように、「男性稼ぎ手モデル」を尊重する体制においては、労働市場が硬直化・分断する傾向がある。したがってグローバル化・サービス労働化への対応が遅れ、経済パフォーマンスを悪化させる可能性さえある。
要するに労働市場の硬直化と男女不均等は、最初から同じ問題なのである。前者を放置したまま後者を緩和しようというのが、主にフルタイム雇用の女性に向けた出産・育児休暇を主軸に据える日本のワーク・ライフ・バランス政策なのであり、そこに相当な困難が伴うことはある程度予測ができたことなのだ。
もちろん労働・雇用の構造を一気に変えることには困難が伴う。女性の就労の面では日本などの保守主義の国よりもよいパフォーマンスを実現している北米地域や一部EU諸国では職務給の伝統があり、それが雇用の柔軟化の下地になっている。また、コーポラティズムの伝統のある国々では、労使のあいだでの合意形成が同一労働同一賃金制度を支えている面もある。
こういった伝統のない日本にとっては、ワーク・ライフ・バランスの実現は最初から手を縛られた上での模索にならざるを得ない。とはいえ、もはや「つぎはぎの社会政策」を積み重ねることの限界もみえはじめている。その犠牲になっているのが女性である。
最後にもう一度、萩原の本から引いておこう。
「復職するまでは育児・介護休業法が守ってくれる。でも、復職したら、”子どもがいて働けるだけでもありがたいだろう”と言われながら、あとは低空飛行を続けるだけ。」(43頁)
推薦図書
プロフィール
筒井淳也
立命館大学産業社会学部教授。専門は家族社会学、計量社会学、女性労働研究。1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部、同大学院社会学研究科博士課程後期課程満期退学、博士(社会学)。著書に『仕事と家族』(中公新書、2015年)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書、2016年)、『社会学入門』(共著、有斐閣、2017年)、Work and Family in Japanese Society(Springer、2019年)、『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書、2020年)、『数字のセンスをみがく』(光文社新書、2023年)など。