精神病棟転換型施設を巡る「現実的議論」なるものの「うさん臭さ」

既得権者の「本音」

 

先日開かれた厚生労働省の検討会の詳細を報じるウェブニュースの一部を引用してみよう。

 

 

<精神病床の削減、どうやって実現?- 厚労省検討会の作業チームで議論>

2014年5月21日 キャリアブレインニュース

厚生労働省の「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会」の作業チームが、3回目の会合を開いた。この日の議論では、長期入院している精神障害者を地域社会に戻すためには病床削減が不可欠とする意見が大勢を占めた一方、その実現の難しさを指摘する声も上がった。

(略)

千葉潜委員(青仁会青南病院院長)は、長期入院している精神障害者をグループホームに移行させた場合、赤字経営を強いられる可能性が高いとする試算を紹介。それでもあえて入院患者の地域移行を進める病院は、精神医療の改革を意識した良質な病院であるとし、「そうした病院が病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない」と訴えた。

葉梨之紀委員(日本医師会常任理事)も、現行制度では民間の精神科病院が自ら病床を削減するのは、ほぼ不可能に近いとし、「削減を進めるための、なんらかの新たなモデルが必要」と述べた。

 

 

民間精神科病院の経営者が、「病院が病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない」という。これは、自分の病院に長期入院させている患者を外に出そうとするなら、その「裏付け」=財源保障がないと、「出来ない」という論理である。治療上の理由ではなく、経営上の理由で退院させられない、との本音である。

 

また、その日精協幹部である民間精神科病院の院長と「お仲間」の医師会委員も「現行制度では民間の精神科病院が自ら病床を削減するのは、ほぼ不可能に近い」と、援護射撃をする。そういえば、1957年から81年まで日本医師会の会長を務めていた武見太郎氏は、「精神科医は牧畜業者だ」と1960年に発言していた。長期の入院患者を「固定資産」と考えれば、その収用ビジネスだけで食べていけるのは「牧畜業者だ」という比喩である[*4]。この比喩は、50年以上経ったいまも、残念ながら「死語」にはなっていない。

 

[*4] この武見太郎氏の「牧畜業者」発言についても、詳細は先述の大熊一夫氏の著作を参照。

 

 

「病院内」という問題の本質

 

では、「病院が病床を減らしても食べていけるような裏付け」として、どのような「論理」が構築されようとしているのであろうか。その象徴として、精神障害者の地域生活支援に携わってきたソーシャルワーカーである岩上洋一氏(NPO法人じりつ代表)が、この検討会上で提起した、次の発言を見てみよう。

 

 

長期在院者への地域生活への移行に力を注ぐ。また、入院している人たちの意向を踏まえた上で、いろいろ御議論があることとは思いますが、病棟転換型居住系施設、例えば介護精神型施設、宿泊型自立訓練、グループホーム、アパート等への転換について、時限的であることも含めて早急に議論していく必要があると思います。

最善とは言えないまでも、病院で死ぬということと病院内の敷地にある自分の部屋で死ぬことには大きな違いがあると考えるからです。

(第6回精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会議事録)

 

 

「病院で死ぬ」とは、病棟の自分の居室で死ぬ、ということである。一方、「病院内の敷地にある自分の部屋で死ぬこと」とは、病棟を建て直した部屋で暮らして死ぬ、ということである。病院側にとっては、病棟改築で対応出来るので「食べていけるような裏付け」にもなる。

 

だが、これは「大きな違い」ではない、と筆者は考える。その理由は、入院患者さんの視点(収容されてきた側の内在的論理)に立って見るとよくわかる。以下に示すのは、精神科病院に入院中の患者から寄せられた「声」の一部である[*5]。

 

[*5] これはNPO大阪精神医療人権センターが行っている電話相談で聞かれた「声」である。http://www.psy-jinken-osaka.org/ この「声」については、拙著で分析している。『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)。

 

・しょっちゅう保護室にいれられている。保護室の使われ方に疑問を感じるが、どこに聞けばよいのかわからない。

・任意入院。退院させてもらえない。「今はまだ退院の段階ではない」の一点張り

・退院したいが、主治医が「一生ここにいたらよい」と言う。

・「退院したいと言うのなら医療保護入院に替える」と言われた。

 

 

これらの「声」が意味すること、それは、入院患者にとって精神科病院という場所は、絶対的な権力を持つ人の支配下から逃れられず、自由が制限され、これらを受け入れざるを得ない環境である、という実感である。誰しも、望んで長期入院している訳ではない。病院は治療の場なのだから、治療が終われば、即座に退院したい。ところが、この日本では、「家族が受け入れないから」「地域に受け皿がないから」「まだ退院の段階ではないから」という理由をつけて、退院の望みは退けられ、地域生活を諦めさせられてきた人がたくさんいる。その諦めや絶望的な境遇の中で、長期間、病院での生活を余儀なくさせられてきた。これは、「学習性無力感(learned helplessness)」とも呼ばれている。強いられた暮らしの中で、「無力」が社会的に構築されてきているのである。

 

そんな「学習性無力感」にある長期社会的入院患者にとって、精神病棟から病院内の福祉施設に変わっても、病院の敷地内にあり、病院と同じ法人(または関連法人)が経営している場所であれば、本人にとっては単に入っている病棟が変わった、という認識である。大切なのは、本人がその「学習性無力感」を脱する為の支援だが、それは「諦めさせられた、強いられた環境での暮らし」から抜け出す支援とセットになっている。つまり、病院の「外」に出ないと、この「学習性無力感」はなくならないのだ。

 

上記のことは、実は岩上氏自身、よくわかっている「はず」である。なぜなら、彼自身が、長期入院患者の退院支援に取り組み、「患者さんの退院促進は退院のための退院ではなく、患者さんの希望を取り戻すための退院でなくてはならない」[*6]とまで言っている。

 

[*6] http://www.nisseikyo.or.jp/about/katsudou/katsudouhoukoku/640.html

 

精神科病院の敷地内に作る入所施設への退院は、岩上氏の言葉を借りて言えば、「退院のための退院」である。この問題点は、それでは「学習性無力感」から脱する事が出来ないことだ。「患者さんの希望を取り戻す」退院とは、病院の支配下という「無力感」が構築される環境から外れ、地域で暮らし始める事によって、初めて獲得されるものである。岩上氏は、ある種自己矛盾する発言をしている。ここには、何らかの「妥協」なり「意図」が感じられる。病院-厚労省の癒着・固着関係と軌を一にする何らかの「意図」が。

 

 

 

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