精神病棟転換型施設を巡る「現実的議論」なるものの「うさん臭さ」

病棟の「有効活用」?

 

その「意図」の具現化として、5月20日の検討会では、これまで議論に出てこなかった新たな概念が、厚労省の論点整理の中でさりげなく、入れられていた。ちなみに、中央官僚が審議会で出す論点整理なるものは、議論全体の論点を「整理」する風を装って、実は自分達が持って行きたい議論の方向性を示すだけの、お手盛り論点整理である場合が少なくない[*7]。今回の論点整理も、多分にその傾向が見られる。それは、この新たな概念をみれば、わかる。

 

[*7] 国の審議会の構造的問題については、以前シノドスに次のように書いた事がある。「誰を呼んで、どのような議論をさせるのか、の主導権はあくまでも官僚側が握っている。ゆえに、厚労省がコントロールできる範囲での議論が展開され、ときとして国の都合の良いように「まとめ」が修正された上で、答申される。ここから、御用学者やアリバイ審議会、なる批判が出てくる」https://synodos.jp/welfare/1805/3

 

 

「生活の場」に近い病床

<論点>

※「生活の場」に近い病床、患者が退院した病床をどうするか。

※急性期等必要な医療への資源集中のためにどうするか。

※なぜ、長期入院精神障害者の住まいの確保が難しいのか。

 

 

本来、病院のベッド(=病床)とは、治療が必要な人のためのベッドのはずだ。それが「生活の場に近い」とは、一体何を意味するのか。一言でいうなら、入院する必要がない人の「病床」である。そこが、「生活の場」として機能している実態がある人のベッドだ。普通に考えれば、地域で住まいを確保し、その病床を削減すればよい。なのに、最初から「長期入院精神障害者の住まいの確保が難しい」と結論づけた上で[*8]、「「生活の場」に近い病床、患者が退院した病床をどうするか」と、既得権益保持者のご都合を心配する。そして5月29日の検討会では、このストーリーを「具体化」する為に、厚労省は「これまでの議論を踏まえた整理」なるものを提示した。

 

[*8] 「長期入院精神障害者の住まいの確保が難しい」というのが、医療関係者の思い込みであることは、実は本文でも引用した5月20日の作業チームに参考人として呼ばれた、「不動産屋のおばちゃん」阪井ひとみさんの資料を見れば一目でわかる。彼女は、アパートの大家という福祉専門家ではない「民間」の立場から、生活保護を利用する元入院患者が安心して暮らせる居住支援の仕組みを創り上げ、岡山で450人の精神障害者に住宅提供を行ってきた。こういうイノベーションが全国に広まれば、住まいの場の確保は格段に進むはずである。

 

 

<不必要となった病床の有効活用について>

不必要となった病床の有効活用については、以下の場合が考えられるが、ここでは、(2)のアについて議論してはどうか? (略)

(2)医療等を提供する施設以外としての活用  ア、居住の場

 

不必要となった病床を削減し、病院資源を医療等を提供する施設以外の居住の場として有効活用する場合、どういう条件を設定することが適切か?

 

 

ワープロ業者が「食べていけるような裏付け」として、使われなくなった敷地の「有効活用」まで、国がご丁寧に考えてくださる。そんなことは普通の業界ではあり得ない。故にこの「政策誘導」には、かなりの「配慮」と「恣意性」が見られる。

 

「不必要となった病床を削減」=Aとし、「病院資源を医療等を提供する施設以外の居住の場として有効活用」=Bとしよう。国の論理は、「A and Bの条件は?」という問いである。だが、AとBは本来、全く違う問題である。もちろんAについて国は責任を持つべきだが、Bについては、本来なら民間事業者の敷地の「有効活用」にまで、国が親切に段取りするべき問題ではない。なのに、国はAとBのセットを暗黙の前提にしている。ここからは、民間病院の病床削減には、「病院資源の有効活用」=「食べていけるような裏付け」が必要不可欠だ、という厚労省の「配慮」や「恣意性」を感じる。

 

 

「事業経営」は患者の声より優先すべき課題?

 

昨今の社会保障改革の流れの中で、病床削減や在院日数を減らすことを通じた医療費抑制は、大きな政策課題になっている。この大きな流れと照らし合わせると、精神病棟を転換して居住施設とすることで、厚労省は医療費を削減でき、病院側は入院患者を敷地内の福祉施設で収容でき、Win-Winの関係になれる、という構図が見て取れる。

 

ただ、最大の課題は、そのWin-Winの関係を勝手に構築しているのが、癒着関係にある厚労省と精神科病院経営者であり、入院させられている精神障害者の声に基づいていないどころか反している、という点である。厚労省がこの検討会用に委託した入院患者への実態調査でも、73%もの患者が「退院したい」と望み、「退院後の住まいが病院の敷地内なら」と聞くと、60%の人が「病院の中はいや」「退院した気にならない」などの理由で敷地内を望まなかったという[*9]。つまり、まったく患者の声やニーズに基づかない、勝手な構想なのである。

 

[*9] 福祉新聞5月19日 http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/3997

 

この点に関連して、先述の岩上氏だけでなく、同じくこの検討会の委員である毎日新聞論説委員の野沢和弘氏は、次のような発言をしている。

 

 

この問題というのは利用者、障害当事者が中心で、障害当事者をいい生活にするための議論ですが、その理想を追求するためには事業経営に踏み込んで考えていくリアリティを持たないと、なかなかそういう理想には近づけないのではないかと思っているのです。

(第7回精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会議事録)

 

 

「病床削減」という「理想を追求する」ためには、「事業経営に踏み込んで考えていくリアリティ」が必要不可欠という論理。これは、二通りの解釈が可能である。一つは、精神科病院という事業モデルの限界を示し、病院を縮小・廃業し、職員達も再トレーニングを受け、地域支援の担い手として活躍できるように、ある種の業態変化の支援にまで「踏み込んで考えていくリアリティ」である。

 

だが先の「不必要となった病床の有効活用」という厚労省の主張を重ね合わせると、もう一つの選択肢が浮かぶ。病床削減とセットで、病院敷地内に、病院関連法人が経営する「居住の場」を作り、患者はそこに「紙の上だけの退院」のための「退院」をさせられる。すると「事業経営」も実質的に脅かさず、「食べていけるような裏付け」が担保されるので、民間病院経営者も納得するのではないか、という「リアリティ」である。

 

確かに後者だと、経営者は納得する。だが、それは「障害当事者が中心」の議論ではない。「学習性無力感」に陥っている当事者にとって、「希望を取り戻すための退院」ではないのである。この二通りの解釈のどちらを選ぶかで、全く異なる展開になるのだ。

 

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2 3 4
シノドス国際社会動向研究所

vol.263 

・武井彩佳「ホロコーストを学びなおすための5冊」
・児玉聡「ピーター・シンガーの援助義務論」

・穂鷹知美「「どこから来ましたか」という質問はだめ?――ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション」
・岩永理恵「生活保護と貧困」
・迫田さやか「挨拶をしよう」
・山口浩「自粛反対論と「戦士」の黄昏」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(7)――「シンクタンク2005年・日本」立ち上げ期」