「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念

前回は、責任概念には「自己決定の裏の責任」「集団のメンバーとしての責任」の二種類があるというお話をしました。

 

前者は自分で決めたことの結果は、他人に及ぼさずに自分で引き受けることで、典型的な責任の取り方は補償です。後者は自分で決めたかどうかにはかかわらず、集団の中で決められた役割を果たすことで、典型的な責任の取り方は「詰め腹を切る」ことです。

 

どちらが主にとられるべきかは、その行為がなされる社会システムのあり方によって決まってくるのですが、それが食い違うとおかしなことになるということでした。

 

前回のお話でも、「自己決定の裏の責任」は人間関係が流動的な社会システムにマッチして、「集団のメンバーとしての責任」は人間関係が固定的な社会システムにマッチするということに触れましたが、今回は、どうしてこのような対応関係が成り立つのか、そもそもどうして社会システムがこのように二種類の人間関係のものに分かれるのかを考えてみたいと思います。

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

 

 

「ジョブ型責任とメンバーシップ型責任」

 

前回のウェブ記事が掲載されたあと、濱口桂一郎さんが早速拙稿をとりあげて下さいました。

 

 

「ジョブ型責任とメンバーシップ型責任」hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

 

 

拙稿の議論を応用し、日本企業で一時流行った「成果主義」が、どうして「糞」なものになってしまったのかを、「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の混同から説明しています。

 

濱口さんは、以前から、雇用のあり方は「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分かれると言っています。欧米企業は主に「ジョブ型」で、これまでの日本企業は「メンバーシップ型」だったと言うのです。

 

「ジョブ型」というのは、百パーセントの典型は、特定のイベントをするのに通訳を雇うとかデザイナーを雇うとかいうようなものだと思います。事業をするための「職務」が具体的に決まっていて、その職務のために、それぞれ報酬などの条件を決めて雇用されるものです。だから、その職務を必要とするプロジェクトがなくなれば、雇用がなくなってもおかしくありません。

 

それに対して「メンバーシップ型」というのは、具体的な職務は未定の状態で先に従業員という「メンバー」になり、あとで事業の進み方に応じて仕事が決まってくるというものです。

 

それで、濱口さんによれば、「自己決定の裏の責任」というものは「ジョブ型」の仕組みに合う責任概念だと言います。というのは、自己決定の裏の責任が問えるためには、どこまでが自己決定できるか、出てきた結果のうちどこまでがその決定の結果なのかがはっきり確定できないといけないからです。「ジョブ型」の場合は、そうした権限があらかじめはっきり決められた上で雇用されます。典型的には、イベントの失敗が通訳の選んだ訳語のミスのせいか、企画のせいかは、間違いようがないということをイメージすればいいと思います。「ジョブ型」では、もっと普通の事務仕事でも同様だというわけです。

 

濱口さんによれば、成果主義はこういう仕組みを前提してはじめて成り立つのだということです。事業の出来不出来が、どこまでその人の決定の結果かがはっきりするので、報酬と連動させるのもはっきりできます。そこでは、報酬が低いのは、自己決定の結果の成果の悪さを自分で引き受けているだけで、「懲戒」とは次元が違うのだと思います。

 

他方、「メンバーシップ型」だった従来の日本企業の多くは、職務も権限もはっきりしないのが特徴だったと言います。事業の出来不出来が誰のせいかよくわからないわけです。ということは、そもそも「自己決定の裏の責任」を問うことができない仕組みだったわけです。だから、責任追及も個人ではなくて、集団単位でやっていたのだと言います。

 

そこで個人の責任を問うことがあったとすれば、それは「集団のメンバーとしての責任」の方だったわけです。つまり、本来果たすべき役割を果たさないこと、典型的には、サボったり、経費を私物化したりといったことが、個人責任を問われるケースだったということになるのだと思います。つまり、「懲戒」事案とひと続きのことというわけでしょう。悪意なく人並みにがんばっているかぎり、個人責任を問われることはなかったわけです。

 

ところが、そんな仕組みがそのままの中で、「成果主義」が導入されるとどうなるか。自己決定の権限もはっきりしないのに、成果の不出来について個人に責任を負わせろというのです。濱口さん曰く、「「集団のメンバーとしての責任」の過剰追求が始まってしまう」「「みんなに迷惑かけやがってこの野郎」的な責任追及にならざるを得ず、「俺だけが悪いわけじゃないのに」「詰め腹を切らす」型の個人責任追及が蔓延するわけですね。まさに、自己決定がないのに、自己決定に基づくはずの責任を、集団のメンバーとしてとらされるという、「悪いとこ取り」になるわけ」です。

 

 

人間関係のシステムの二大原理

 

とてもわかりやすいケースだと思います。濱口さんの「ジョブ型」「メンバーシップ型」については、最近の『若者と労働──「入社」の仕組みから解きほぐす』(中央公論新社)や『日本の雇用と中高年』(筑摩書房)にも大変わかりやすく解説されているので、興味のある人は是非お読み下さい。

 

私から見ると、この「ジョブ型」「メンバーシップ型」というのは、それぞれ流動的人間関係と固定的人間関係の社会システムの典型例だと思います。私は、2009年に出した拙著『商人道ノスヽメ』(藤原書店)の中で、流動的人間関係の社会原理のことを「開放個人主義原理」、固定的人間関係の社会原理のことを「身内集団原理」と呼んで、その違いを整理しています。

 

もちろん、社会原理をこの二つにわけることは昔から言われつくされた話で、有名なテンニースの「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」はじめ、マルクスもウェーバーも大塚久雄も共同体と市場の関係として真正面から取り組んだとおりです。そんな中でも現代では、社会学や社会心理学で、実証的な分析が進んでいます。もちろん私はしろうとでそうした議論をすべて知っているわけではないのですが、拙著では愚見の及ぶかぎりで整理紹介しました。

 

とくに、なぜ社会システム原理がこの二つに分かれるのかについて、拙著では山岸俊男さんの議論を筆者なりに敷衍して説明しています[*1]。ここで基本に出てくるのが、やはり「リスクへの対処」ということです[*2]。

 

[*1] わかりやすい一般書としては、『安心社会から信頼社会へ』(中央公論新社、1999年)を勧める。ほか、専門書として『信頼の構造』(東京大学出版会、1998年)。

 

[*2] 以下主に拙著『商人道ノスヽメ』36-38ページでの議論。

 

 

固定的人間関係による解決

 

人間は社会的生物で他者と関係しなければ生きていけないわけですけど、他者と関係することにはリスクが伴います。もちろん一番大きなリスクは、悪いやつにあたって食い物にされてしまうリスクです。そのほか、自分の必要にフィットした能力の人や自分を必要とする人にあたるかどうかというリスクもあると思います。

 

これを処理する一つの方法は、人間関係を固定して、その中でできるだけ社会を完結することです。一番典型的には、数家族でムラを形成し、みんな一生そのムラの中で過ごし、必要なものはあらかたそのムラの中で自給自足してしまうというやり方です。

 

この場合、悪事をしたらムラのみんなに知れ渡るので、人格的には実は悪いやつでも、簡単に人を裏切って食い物にすることができません。だから、この固定された人間関係の中にいる限り、食い物にされる心配をせずに安心していられます。自分が必要とする技能をまあまあ持っているのが誰かということも、よくわかっています。

 

しかしそのかわり、リスクはすべて集団の外に押し出されます。ムラの外は魑魅魍魎の住む世界とみなされるわけです。「内は安心、外は危険」という図式になるのです。固定的関係の外の人、「ヨソモノ」は、本当はいい人かもしれないし、協力しあえばとても利益がある人かもしれませんが、もし悪いやつだった場合、こっちが裏切られてもムラのメンバーによる制裁が届きません。だから、とりあえずはみんな危険なやつとみなして排除しておけば安心ということになります。

 

この方法をとったならば、固定的関係の中にいる限りは、絶対の安心が保障されなければお話の大前提が成り立ちません。それゆえこの場合、「身内を裏切ることは最大の悪」という倫理観が必要になります。そうなると、周囲に対して身内への忠誠心をアピールするよう気を遣うことが自分を有利にします。

 

しかし、固定的関係の外の人は、もともとすきあらばこちらを食い物にしてくる人ぐらいに思っておけば間違いないわけですので、こっちもすきあらば相手を食い物にすることは、あまり悪とはされません。それで身内のために資するならば、かえって良いこととみなされるかもしれません。

 

このやり方ならば、いちいち他者の信頼性を見極める努力をしなくていいので、情報コストがおおいに削減されます。しかし、もっと別の人間関係、もっと別の場所ややり方に変えた方がいい場合にも、なかなかいままでどおりの人間関係や場所ややり方を変えることができない欠点を持っています。だから環境の激変に対応できず、メンバーがまくらを並べて絶滅ということもあり得ます。

 

 

 

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