なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

さて、これまでの連載で見てきたのは、次のようなことでした。

 

──1970年代までの国家主導的なやり方が世界中で行き詰まったのは、うまくいかない理由があった。それを指摘した自由主義的な経済学者の巨匠たちが言っていた要点は何だったのか。

 

それは「競争がないとみんな怠けて駄目になる」といった議論ではなかった。それは、「リスクと決定と責任が一致しないと駄目になる」という議論だった。ここから、「リスクのあることの決定はそれにかかわる情報を最も握る民間人の判断に任せ、その責任もその決定者にとらせるべきだ」ということが導かれる。

 

そしてこれと裏腹に、下々の情報を把握しきらず責任もとりきれないのが当り前の政治権力者や官僚は、リスクのある決定からは手を引き、自ら民間人のリスクのタネになったりしないよう、民間人の予想を確定する役割に徹すべきことが導かれる。

 

これが、この連載で「転換X」と呼ぶ、70年代までのシステムからの転換の本来の課題である。実際には、できるだけ民間企業の自由な営利競争に任せようという「新自由主義」政策がこの転換を担ったが、それは、「転換X」の本来の課題を誤解し、しばしばこれを裏切る逆行をもたらしてきた──

 

では、新自由主義でないならば、いったいどんなやり方が「転換X」に本当にのっとったやり方なのでしょうか。上のまとめからもおわかりの通り、いわば「ミクロ」と「マクロ」の両極に、まったく違う課題が振り分けられます。

 

「ミクロ」、つまり現場レベルに近いところでは、事業リスクにかかわる情報を一番持ち、いろいろな影響への責任を一番負えるところに、事業の決定と責任をゆだねるべきだということがわかります。するとこのことは、何でも出資者が主権を持つ資本主義企業にしてしまえばよいということにはならないことは明らかです。

 

この連載でも、第2回で漁協や医療法人や生協などの例をあげたように、従業者や利用者が、出資者よりもリスクをかぶり、それにかかわる情報をよく把握しているときには、従業者や利用者が事業主権を持つ事業体の方が、出資者に主権のある資本主義企業よりも合理的になります。

 

また、大資本が力まかせに吸収合併を繰り返して巨大マンモス企業になった結果、現場からはるか遠く離れて事情の届かないところで意思決定が集中されたらどうでしょうか。政府主導の経済がなぜ駄目かというハイエクたちの批判が、そのまま当てはまるようになってしまいます。

 

これからの日本のように高齢化が進んだ社会では、介護はもちろん、ちょっとした買物のようなものにもケアの要素が入ってきて、現場の具体的な顔のある関係の中ではじめてニーズとリスクが把握できるタイプの事業がもっと増えるでしょう。ですから、資本主義企業だけでなく、協同組合やNPOなど、さまざまなタイプの事業体がコミュニティの中で活躍して、利用者や従業者が直接にニーズを把握しあって、現場の個々人の手の届くところで決定する事業が、もっと発展していくことが展望されます。

 

このことについては、後の回で詳しく論じることにします。

 

他方「マクロ」、つまり公共政策のレベルでは、上でもまとめたように、不確実性を減らして人々の予想を確定することが役割になります。

 

注意すべきことは、このことは財政規模についての「小さな政府」とは何の関係もないということです。行政担当者が、あれこれの具体的な命令を、胸先三寸で決めることはしないというだけです。胸先三寸で決められては、民間人は事前にその内容を予想できませんから。そうならないように、人々の予想が確定するように、行政担当者の判断を縛るという意味では、「権限の小さな政府」かもしれませんけど、財政規模は「大きな政府」であってもかまわないわけです。

 

さらに、政策の積極的介入も否定されたわけではありません。

 

これまでの連載で見てきましたように、つじつまのあった人々の予想には、いろんなバージョンが複数あるかもしれません。「つじつまがあった」という意味は、人々が互いの行動の予想のもとで、各自自分にとって一番マシになるように振る舞ったら、もともとの予想が実現されるという意味です。このような、自己実現的に再生産される予想が、2パターン以上あるかもしれないのです。

 

例えば、ちょっと油断すると詐欺にあうとか、しょっちゅう強盗に遭うとかいう予想のもとでは、誰も他人に投資しないし、取引も萎縮してしまいます。へたに正直にしてカモにされるよりは、すきあらば自分も他人を食い物にした方がましということになり、当初の予想は再生産されます。逆に、詐欺も強盗も滅多に遭わないという予想のもとでは、他人を信頼して投資して、のびのびと取引できます。みんな、自分も正直に商売にはげもうと思い、当初の予想はやはり自己実現されます。

 

そうすると、人々の予想を後者の「詐欺も強盗も滅多にない」という方に確定した方が、世の中全体にとっていいことになります。これが政府の役割になるわけです。どんな新自由主義者でも、詐欺や強盗を取り締まるのは政府の役割だと言うと思いますが、それは、複数ある秩序均衡のうち、みんなにとってよい方を実現するために、それとつじつまの合う方に、人々の予想を確定しているのだと言えます。

 

連載第3回でご紹介した、ハイエクが必要とみなした政府の役割はみなそうです。その中には例えば、「工場法」のような労働時間を制限するルールや、公衆衛生がありました。工場法も公衆衛生も、19世紀イギリス自由主義国家でもみられたことです。「小さな政府」の典型だった時代なのに……。当時のイギリス政府が労働者階級をまともな人間として見ていたとは思えませんが、労働時間が長過ぎて労働種族が根絶やしになるのも、労働者街区に伝染病が流行って労働者が全滅するのも、資本家階級にとっては困ります。そんなリスクを排除して、労働力が安定的に利用し続けられる予想を確定する政策だったわけです。

 

そうするとこれ自体、資本家階級の意に反して、労働時間制限が厳しい工場法もあり得るし、公衆衛生に巨額の税金を費やすこともあり得ることになります。人々のリスクを抑えて予想を確定させるという機能が、それで弱まることは何もありません。だから労働者階級にとっては、このシステムを前提した上でそれらを労働者にとって有利なものにするように闘争することに意味があるのです。実際、19世紀のイギリスの労働者は労働時間制限の強化のために階級闘争を闘ってきて、それを受けて現実の労働時間制限も進んでいったわけです。

 

今回はとくに、このような、担当者のさじ加減を排除した「ルール」としての政策の典型的にわかりやすい例として、「ベーシックインカム」を取り上げてみます。「転換X」にのっとることが、かならずしも「小さな政府」を意味しないということが、明確に理解できる例だと思います。【次ページにつづく】

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

 

 

 

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