新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

ニューパブリックガバナンスで重要なのは個人の参加

 

これに対して、新スウェーデンモデルなどでのシステムの回り方は、「ニューパブリックガバナンス」(以下NPG)と呼ばれます。ここで「ガバナンス」と言っているのは、特定の中心から特定の意図で全体つじつまが合うようにビシーッと統制する「ガバメント」と違い、特定の中心がなく、いろいろな主体の相互作用で、なんとなく自生的に秩序が作られている様を表しています[*42]。NPGの場合、行政や民間営利会社やさまざまなNPOや協同組合などが、互いに対等に関係しあいながら、公共的な政策を実現しあうことを指しています。

 

このとき気を付けるべきことは、行政が民間事業体と対等だからと言って、「あそこが話したときにはおカネが出たのに、ここが話したときにはおカネが出ない」といった無原則な判断になったらよくないということだと思います。行政の判断が恣意的になって予測がつかないと、民間人のリスクのタネになるからです。例えば行政の民間へのおカネの出し方にしぼってみても、委託であったり、医療や介護保険のような出来高制だったり、あるいは「バウチャー制」だったり、どんなやり方がいいのか、具体的な制度ごとに熟慮して定めればいいことだと思いますが、大事なことは、みんなが事前にどうなるか予想できるように、裁量の余地なくはっきり原則を定めておくことだと思います。

 

それがNPGに対して、団体間交渉的なイメージを持ってしまうと、融通無げな対行政交渉による恣意的統治と誤解されるかもしれません。しかし、立命館大学の大学院生である小田巻友子さんによれば、ノーベル賞経済学者のエレノア・オストロムや、藤田暁男さんとも直接交流のあったスウェーデンの協同組合研究家ビクトール・ペストフさんら欧州の多くの論者が、NPGのキーとなる概念として「コ・プロダクション」という言葉を打ち出していて[*43]、この言葉が意味するのは、団体間の関係と言うよりは、第一義的には、福祉サービス供給についての、一人一人の利用者自身や従業者やときには地域住民による参加のことだとのことです。

 

小田巻さんはこの概念を実例に則して検討し、利用者が事業意思決定に参加して自らのニーズを反映させることを特徴としてあげています[*44]。すなわち、本連載で言う「リスク・決定・責任の一致原則」からして、効率的事業運営がなされるということです。

 

藤田暁男さんも、「コ・プロダクション」の日本語訳として使われている「協働」について、「「協働」という用語は、地方自治体とNPOが連携して地域おこし活動や事業を立ち上げていくような場合にしばしば使われている[*45]が、ここではそのような組織間連携の意味も含むが、それよりはNPO組織内での人と人の関係や、組織間連携の中で活動する人と人との関係、その中で培われる協働意識・連帯意識、社会的活動意識等の内的関係を念頭において使っている」[*46]というように、団体間関係というよりは、個々人の参加にかかわる概念として使っています[*47]。

 

[*42] 「ガバナンス」の概念について詳細は、宮本前掲書192ページ。

 

[*43] Pestoff Victor; Taco Brandsen and Bram, Verschuere. (2012). New Public Governance, the Third Sector and Co-production, New York: Routledge.

 

[*44] 小田巻友子「コ・プロダクション論と協同組合」(未発表)

 

[*45] 小田巻は、多くの自治体ホームページに見られる「コ・プロダクション=協働」とした上でのこのような理解が、総じて日本語版ウィキペディアの解説と一致することを見出している。この解説は、最初に「協働」という訳を使った荒木昭次郎『参加と協働―新しい市民=行政関係の創造―』(ぎょうせい、1990年)に基づくと思われるが、小田巻によれば、荒木は「協働」と「コ・プロダクション」の二語を慎重に使い分けている。

 

[*46] 藤田前掲論文11ページ。

 

[*47] 今村肇も「「協働」が“Co-production”の訳語として扱われているのを目にするが、両者の意味するところは決して同じではない。「協働」には組織の垣根を越えて個々の人材が移動し、共通のプラットホームでの“Co-governance”や“Co-management”を共有することで、社会的サービスの“Co-production”に至り、その過程でいわば「摺合せ」的にスキルを共有・蓄積するという、人材育成のもっとも重要なメカニズムがはっきり見えないからである」と指摘している。清家篤・駒村康平・山田篤裕[編著]『労働経済学の新展開』(慶應義塾大学出版会、2009年)第9章。

 

 

実質的に個々人の意見をくみ上げることが大事

 

さて、藤田さんは、NPGという言葉もまだない時代に、今日言うNPGと同様のことを提唱しています。もっとも藤田さんの場合は、公共財供給にかぎらないもっと広い活動を含む概念として考えていて、「協議経済」と称していたのですが、そこでの意思決定参加については、「インフォーマルな対話関係も含む、コミュニティの「共感意識」のもとでの自主的創造的な協議関係をイメージして」います。そして、欧州の従業員持ち株制度をはじめステークホルダー株式会社やさまざまな労働者による企業決定参加を検討し、「形式的な一人一票ではない、グレーゾーンの多様な形態が見られる」[*48]としています。実際、形式的な決定機関への参加もさることながら、日々の事業運営に、利用者や従業員などの関係当事者のさまざまな意思を、リアルタイムに反映していくチャンネルがどれほどあるかが重要なのだと思います。

 

逆に、どれだけ規約に「民主的に」とか「一人一票」とかと掲げたとしても、実際には分厚い資料ばかり渡されて、一部の人だけが決めたことを無理矢理承認させられるのでは、むしろオーナー独裁会社の方がマシになります。ワンマンオーナーは、経営判断を間違えたら、自分の財産がパーになります。個人保証で借金していたら、私財で弁償しなければなりません。自分の決定に自分で責任を取る以上、むやみにリスクの高い決定には自ずと歯止めがかかります。しかし、協同組合やNPOで、実質的にはワンマンが決めたことを、形式的に「民主的」な機関決定していた場合には、その決定の誤りはみんなの責任とされて分散し、ワンマンが自腹でかぶる必要がありません。この場合、リスクの高い決定に歯止めがかからなくなるでしょう。

 

[*48] 藤田前掲論文8ページ。

 

 

リーダーに決定と責任が集中するフェーズとその終わり

 

もちろん、現実の事業運営の中では、合意の取りにくい、リスクのあることを、迅速に決める必要に迫られることはあるでしょう。

 

ニーズというものは、当初は本人の自覚すらされないものです[*49]。しかしそれが満たされないために、本当は多くの人々が困っていることはあり得ます。その場合は、「こんなニーズがあるのではないか」ということを、誰かが仮説として自由に立てて、新規事業としてやってみるしかありません。

 

でもそれはあくまで仮説で、本当は間違っているかもしれません。元手のおカネをかけて、協力者を巻き込んでも、そのおカネや労力が無駄になるかもしれません。いくら善意でやっても、助けるはずの人たちにかえって迷惑をかける結果になるかもしれません。そんなリスクがある以上は、みんな尻込みして、真の合意なんかとれないのが当り前です。

 

だからこんなときには、仮説を信じる人が、自分の判断で「この指とまれ」と新規事業に乗り出すしかないのです。その代わり、その判断が間違っていたときの責任も全部自分でとって、他人に被害を及ぼさないことが大事です。借金は自分で返すし、当たってもはずれても、働いてくれた人には十分な賃金で報いる。他人に迷惑をかけたら謝って弁償するということです。この段階では、おカネの損をかぶることが主要なリスクですので、(形式的な事業形態は重要ではないとはいえ)出資者に主権のある営利会社の形態をとるのがどちらかというとふさわしいことになります。

 

ところがこの仮説が当たって、賛同者が集まってきて、事業が発展していったならば、やがてどこかの段階で、この事業の利用者や従業者の間で自分たちのニーズが自覚されていきます。そうすると、仮説を提起した創業リーダーよりも、現場の利用者や従業者の方が、事業にかかわるいろいろなニーズを、よほど正確に把握しているということになります。事業が軌道に乗って年々継続していくと、リスクは小さくなり、カリスマではない普通の一般当事者でも、みんなでリスクをシェアしあえるようになります。ところが、この段階でもなおリーダーが自分だけの判断を押し付けていたら、現場で自覚される個々のニーズとのギャップが感じられて不満を呼んでいくことになるでしょう。

 

[*49] 宮本前掲書66ページ。

 

 

一般当事者の合議にもとづくフェーズとフェーズ交代

 

そこでこの段階になると、リーダーはフェードアウトして、現場の利用者や従業者や、ときには地域住民などの間の熟議と合意で事業をまわし、みんなで責任をシェアしあうことが、言葉の真の意味で「効率的」になります。

 

もともと、福祉サービス事業は労働集約的で、巨額の出資を必要とするものではありませんので、この段階では、出資側のリスクよりは、日々の職がなくなったり、生活の一部になったケアが受けられなくなったり、介護事故が起こったりすること等々が主要なリスクとして優ります。それゆえ、(やはり形態にこだわる必要はないのですが)現場の利用者や従業者に主権のある協同組合やNPOが事業形態としてふさわしいことになります。

 

しかしここで話は終わりではありません。事業が成熟すると、意思決定に参加できるメンバーが固定していきます。そのメンバー間で共通の価値観や組織文化が形成されていくと、新しいメンバーが入ってくるのに敷居が高くなってしまいます。すると、事業の影響を好なり悪なり現に受けている人々、あるいは本来この事業で解決できるニーズを持った人々で、メンバーとされず意思決定に加わらない人々が増えていきます。すると、事業がカバーしていない満たされないニーズが、見えないところに溜まっていくことになります。これが進行すると、事業は先細りし、やがて衰退することになります。

 

そこでこうなる前に、また誰かが、未知のニーズに向けて「この指とまれ」と仮説を作って新事業に乗り出す必要があるわけです。

 

すなわち、リスクと決定権と責任が一致しつつ、状況に応じてこの三つが特定の人に集中するフェーズと、関係当事者にこの三つが広く共有されるフェーズが交代することが必要になるということです。具体的にどのような組織上の工夫をすればいいのかは難しい問題ですが、一つの関連グループの中にNPO・協同組合と営利会社があってフェーズに合わせて分担するとか、NPO・協同組合の下位部局として新規事業の営利会社を作るなどの実例が見られます。

 

リーダー主導のフェーズでは、一般の参加者は責任を負う必要がないので、誰でも気軽に集まってくることができます。それによって未知のニーズを掘り起こすことができます。つまり、開放的でしがらみがないということです。それに対して共同決定のフェーズでは、決定権を持つメンバーが確定されて、仲間としてそれなりの責任を共有することになるので、閉鎖的になる危険が高いです。開放性と合議性が両立することが理想ですが、短期的には「あちらを立てればこちらが立たず」の関係にありますので、両フェーズが交代しながら、長い目で見て両者が両立する方向へ進んでいけばいいのだと思います。

 

このフェーズ切り替えの問題については、私が西川芳昭さん、伊佐淳さんと共に編集した共著『市民参加のまちづくり[戦略編]──参加とリーダーシップ・自立とパートナーシップ』(創成社、2005年)の冒頭章と終章で詳しく論じました。ご関心がありましたら是非ご検討下さい。

 

また、ここに述べた、NPOや協同組合における決定のあり方についての考察は、詳細は、拙著『新しい左翼入門』(講談社、2012年)の後半3分の1ぐらいで論じましたので、これもご参照下さい(この本は本当はこのようなことを扱う本のつもりだったのですが、具体的な検証例として書き出した歴史の話が長引いてしまったのでした)。

 

 

 

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