新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

「転換X」にのっとった政策

 

さて、ここまで見てきた「転換X」にのっとった政策をまとめておきましょう。それは、政府には、リスクがなく、その都度都度の胸先三寸の判断の余地がない、人々の予想を確定させるルールキーパーの役割が、民間には、リスクのある自由な判断をして、その責任を自分でとる活動が振り分けられるということです。前者が新自由主義の誤解したような「小さな政府」を必ずしも意味しないように、後者は、リスクにかかわる情報が一番あり、判断の責任がとれるところに決定を任せるということであって、新自由主義の誤解したような民間営利会社に何でも任せるという意味では必ずしもなかったわけです。

 

たしかに、事業をする上で、出資が戻らないリスクが一番大きいタイプの事業ならば、仮に経営判断を間違っても従業者にも消費者にも取引先にも迷惑をかけず、きっちり責任をとるかぎり、資本側に主権のある営利会社がその事業を担うのは理にかなっています。──完全には責任をとりきらない影響が残るのであれば、それに応じて、政府の規制を受けたり、労働組合や消費者団体の牽制を受けるべきであるにせよ。

 

しかし、リスクとそれに関わる情報を、もっぱら現場の従業者や利用者が持つならば、そっちに主権のある事業形態が合理的になります。だから第二回で見たように、沿岸漁業では現場の漁師さんが主権を持ち、食品事業で消費者が主権を持つ生協が発生し、病院では医師が主権を持つのが合理的になるわけです。そして、今回は、これからの福祉サービスが、利用者や従業者に主権のある協同組合やNPOで担われるのがふさわしいことを見ました。

 

誤解してはならないことは、これらは法律で「こんな事業形態にしろ」と強制するようなものではないということです。原則は人々の自由な起業と自由な選択によって、事業形態が選びとられていくものだと思います。ただ、胸先三寸の判断の入らないルールとして、政府が、現場の当事者に主権のある事業体を、支援・育成する政策があってもいいと思います。

 

また、何度も言いますが、大事なのは実際に決定権を誰が持っているかであって、形式的な事業形態ではありません。「あそこは株式会社だ」「ここは協同組合だ」という形式にこだわることは、「イギリスは国王主権だ」とか、「北朝鮮は民主主義人民共和国だ」というのと同じく、意味のないことです。自治体だって、十分に小規模で、住民各自がサービスの利用先、税金の支払先として簡単に選べるものならば、それは基本的には協同組合などと同じ性格になり、その都度その都度の判断をするサービスに直接乗り出していいと思います[*50]。

 

[*50] スウェーデンでは田舎では最基礎自治体であるコミューンが福祉サービスを供給するケースも多いが、田舎のコミューンはとても小さな規模のものが多いのでこの原則にあてはまっている。

 

 

左派の側からの「転換X」にのっとる政策

 

私は、雇われて働く人たちや一般庶民の利益の側に立ちたいと思っていますから、同じ「転換X」にのっとる政策の中でも、労働基準や環境基準が高く、ベーシックインカムも給付が高く、雇用のためにインフレ目標が高めの政策を望みます。なるべく多くの分野で利用者や従業者に主権のある事業体が発展し、とくに福祉サービスの分野では、公財政が手厚くそれを支えることを望んでいます。

 

このうち政府が担う「予想確定政策」の方は、どんなに労働者側にとって有利なものだったとしても、それ自体は資本主義体制を超えるものではありません。しかし、民間側の、利用者や従業者に主権のある事業体の方は、資本主義的ではない生産のあり方を直接に作る営みです。労働者が年金組合の株の力で経営に影響を及ぼすことや、労働組合や市民運動がストライキや不買運動などで企業決定に影響を与えることも、資本主義的な生産のあり方を少しずつ変えていくことにつながります。人間の情報処理能力の発展が後戻りせずに一方向に進むものならば、何百年がかりかで、資本主義的でない、一人一人の現場の当事者の自治で営まれる経済のあり方がメジャーになる世の中を、展望することは許されると思います。

 

これは政治権力によって法令で作られるものではありません。ただ、政府はこうした民間の営みが育ってくるようお膳立てすることはできます。安定した好景気を維持することはその大事な一つだと思います。それは、在庫管理技術の発展や消費者との情報のつながりの発展にも支えられて、出資が返らないリスクを小さくするでしょう。そうすると、従業者や利用者が主権を持つ企業でやっていける領域が、福祉サービスなど以外にも、いまよりもっと広がっていけると思います。

 

 

ルールとしての政策は一国だけでは無理

 

ただし、今日、政府の「予想確定政策」を、労働者側にとって基準の高いものにしようとしたならば、重大なハードルとして立ちふさがるものがあります。それは、これらの政策はいずれも、一国だけ他の国と違う基準にするのは限界があるということです。

 

労働基準や環境基準を一国だけ高くすると、その国で生産することが不利になって企業が外国に逃げ出してしまいます。ベーシックインカムの給付水準を一国だけ高くすると、世界中から人が押し寄せてくるかもしれません。アメリカがインフレ目標2%なのに、日本が1%だったら、毎年1%ずつ円高が進んでしまいます。

 

福祉サービスのために公金を投入することも、そのせいで他国より税金や社会保険のために企業に負担がかかるならば、企業が外国に出て行ってしまう原因になります。2012年に鳴り物入りで登場したフランスのオランド社会党政権が、去年から今年にかけて、企業負担を減らすために家族支援給付の削減に手を染めて批判をあびていますが、これは、企業負担がドイツより高いと国際競争に負けてしまうためだとされています[*51]。その点スウェーデンはユーロに入っていない分、為替相場を変えることで国際競争の圧力から逃れられていますが、やはり税金や社会保険の負担が大きいと企業が簡単に逃げ出しますので、社会サービス支出を抑制せざるを得ません(いまは、年金基金を財テクで運用してなんとか福祉水準を維持している[*52]ようですが、失敗しても自分では損をかぶらない人が他人のカネを運用することは、「転換X」の精神に照らして大変危険な気がします)。

 

それゆえ、「予想確定政策」の基準を、労働者側にとって有利なものにしようとしたならば、それは行き着くところ、世界的に高い水準で統一したものにならざるを得ません。そのためには、労働運動や市民運動が世界的につながって、統一した政策要求をしなければならないでしょう(こうした運動自体を押さえ付ける国があったならば、懲罰のために貿易制限することは、一時的な便法としては許されるでしょう)。

 

かくして、恣意なきルールは世界的な高基準へ、時々の判断は細かなニーズを把握しあえる現場へと、同時に逆向きの方向を目指すのが、これからの左派的な運動だということになると思います。

 

[*51] 毎日新聞電子版2014年1月15日。 http://mainichi.jp/shimen/news/20140115dde007030051000c.html フィガロ紙電子版2013年12月3日。翻訳ページ http://francematome.blog.fc2.com/blog-entry-70.html

 

[*52] 湯元、佐藤前掲書179ページ。厚生労働省「スウェーデンの積立金の運用について」。高橋洋一は、日本の公的年金の「財テク」運用の計画に極めて批判的な論評をしている(私も全く同意見である!)が、その中でスウェーデンの公的年金積み立ての株式投資比率が高いことに触れている。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38686?page=2

 

 

資本側にとっても的外れな新自由主義政策

 

読者のみなさんの中にはもちろん、特段労働者側に立つつもりのないかた、資本側に立つつもりのかたがいらっしゃってもいいと思います。その立場からは、新自由主義同様、労働基準や環境基準の緩和や、低い給付のベーシックインカムや、低いインフレ目標、少ない社会サービス支出、民間営利会社の優位が望まれるかもしれません。

 

でもそうだとしても、現実の新自由主義政策が時代の要請に照らしてしばしば的外れだったことは認めざるを得ないはずです。第三回で述べた、役所が民間企業と同じようなことをするのを求める風潮などは、その最たるものです。

 

先頃、学校教育法の改定が国会で成立してしまいました。これは、大学では学長に重要事項の決定権があることを明記し、教授会を、学生の入学、募集、卒業、修了、学位授与その他学長が必要と認めた場合に、学長に意見を述べるだけの諮問機関にするものです。日本で長年続いた教授会自治を否定し、学長独断のトップダウン経営に変えるというものです。

 

株式会社と違って学校法人には、株主総会もないし、株主代表訴訟もありません。中小企業の社長みたいに融資に際して個人保証が求められたりもしないでしょう。ということは大学には、トップが間違った経営判断をしたときに、自腹で責任をとる仕組みが何もないということです。だったら、リスクの高い決定をしほうだいになるところです。大事なことには教授会の承認が必要だった仕組みは、これの歯止めになっていたと言えると思います。

 

世の中にはたくさん私立大学がありますから、ひょっとしたら中には、拡張路線のあげく、学内の反対を押し切って、減価償却費の積み立て金を使って新キャンパスを作り、作り始めたあとになって、当初の収入見通しが甘すぎて実はだいぶ足りませんでしたと言い出すところがあるかもしれません。将来既存キャンパスの建物の修理や建て替えが必要になったときに、おカネが足りなくなって困るかもしれませんが、そのときにはこれを決めた経営トップの人たちは、悠々自適の引退生活をしているか、幸せに天寿を全うしたあとでしょう。一銭も自腹で責任をとることはありません。

 

今度の法律改定の結果、こんな大学が日本中に出現すると思います。二、三十年前ぐらいに、あちこちの自治体で官民共同出資会社の日本型「三セク」が流行ったことがありましたけど、その多くは非効率な事業に手を出して公金をつぎ込んだあげく破綻し、全国に無惨な姿をさらしていました。リスクに対してトップが自腹で責任を負わず、最後には公金で尻拭いできる仕組みである以上、当然の結末です。国立大学法人などは、組織の仕組みがこの「三セク」そっくりです。

 

制度を作った側としては、民間企業同様のトップダウンで大胆に大学改革を進めることが、経済法則にのっとったやり方だとの思い込みがあったのでしょうけど、まったくのお門違いです。

 

*  *  *

 

さて、この連載はここまでのところで、PHPさんからとりあえず書籍化される予定ですが、連載自体は来月以降も続きます。

 

ここまでのところでも、こんな疑問が出てくると思います。「リスク・決定・責任の一致原則」というのは、時代も場所も超えて成り立つ普遍法則のように説明してきました。だったならば、この原則に反していた国家主導型体制は、なぜ70年代になってからやおら崩れたのでしょうか。もっととっくに崩れてもよさそうなものではないでしょうか。崩れない理由があったのならば、なぜ70年代から急に、「リスク・決定・責任の一致原則」が成り立つようになったのでしょうか。

 

そして、このことにかかわることですが、なぜ本来この原則への転換だったはずのものが、世界中で新自由主義やブレア=クリントン路線のような誤解を受けたのでしょうか。

 

次回以降、このようなことを考えていきます。

 

※小田巻友子氏から参考文献の教示を得たことに感謝する。

 

(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

 

サムネイル「Penrose Triangle」gfpeck

http://www.flickr.com/photos/wespeck/4667535253

 

 

 

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