2012.09.05

高等教育の量的拡大はどのように行われるべきか?

畠山勝太 比較教育行財政 / 国際教育開発

教育 #OECD#高等教育の量的拡大#大学改革ワーキングチーム#Over Education Theory#人的資本

民主党の「大学改革ワーキングチーム」で大学や短大などの修了者を同学年人口の95%にまで増やす計画を含んだ、高等教育の量的拡大を柱とした大学改革の報告書がまとめられ、この計画に4兆円を投入する方針が次期総選挙のマニフェストに盛り込まれる予定である事が7月に公開され、ニュースを賑わした。「大学生は多過ぎるのか、大学に行く価値はないのか?」の記事(https://synodos.jp/education/1336)の中で、大学に行く価値があるのかどうかの議論の方法論を提示し、全体の平均で見ると大学に行くベネフィットが大学に行くコストを上回っているため、大学に行く価値はあるし、大学生は多すぎる事もないと議論した。95%という数字の妥当性はさておき、現状からの高等教育の量的拡大それ自体は必要な事であり、この報告書の方向性は評価されるべきものだと考える。

しかし、「大学生は多過ぎるのか、大学に行く価値はないのか?」で議論した内容はあくまでも大学生全体の平均である。大学といっても、国公立・私立・文系・理系・全日制・社会人入学、とその内容は多岐に渡り、それらが如何に雇用や収入につながるか、すなわち如何に学生の人的資本の形成に結びつくのかは、それぞれ大きく異なっている。さらに、その記事中で提示した平均は現在大学で学んでいる学生にとっての平均であって、現状から就学率を増加させる政策を執る事によって新たに大学へ進学するようになる学生にとっての平均とは決して一致するものではない。つまり、「大学生は多過ぎるのか、大学に行く価値はないのか?」の議論は大学の量的拡大を図るという方向性の妥当性は示すものの、いかにして量的拡大をすべきかを議論したものではない。

今世紀に入ってからOver Education Theoryが注目を集めている。この理論は、教育が教育を受けた人の生産性を下げる場合もある事を示したものである。つまり、Over Education Theoryは、日本がむやみやたらと大学の量的拡大を図っても、場合によっては新たに大学教育を受けた人達の生産性を上げるどころか下げるだけの結果に終わる可能性がある事を示唆している。

そこで、今回は方法論の提示を主な目的とした「大学生は多過ぎるのか、大学に行く価値はないのか?」の内容から一歩踏み込み、大学で学ぶ事が如何に学生の人的資本の形成に結びつくのか、大学の多様性を考慮した議論を行う。もちろん、大学で学んだ事で形成される人的資本がどの程度雇用や収入につながるのかについては卒業時の労働市場の状況も大きく影響するが筆者の扱える範囲を超えるので、大学で学んだ事が如何に人的資本の形成に結びつくのか、すなわち大学で学ぶ価値を教育側の要因に絞って議論を進める。

まず2章では大学で学ぶ事が人的資本の蓄積にどの程度結びつくのかを決める要因について、理論的な背景や外国での研究結果を簡単に紹介する。次に、3章でそれらに基づいて現在の日本の大学の状況を概観する。4章では、過去20年間の日本の高等教育の量的拡大の在り方を概観しつつ、なぜ大学生の数が過剰であると言われるようになったのか、その背景も考察する。最後に、今後の高等教育の量的拡大の在り方を議論する。

大学で学ぶ事の人的資本形成を規定する要因

いつ大学へ進学するか?

人的資本形成からはやや外れるが、大学をいつ卒業するかは大学教育で形成した人的資本の価値を変化させる要因となるため、ここで少し触れる事とする。高校卒業後直ちに大学に進学した場合と、社会人入学・ギャップイヤー等を経験して高校卒業後数年してから大学に進学した場合では、大学教育で形成した人的資本の価値が異なり、前者の方が金銭的価値が高くなる。これは、下記の図1のように放棄所得の違いと大学卒業後の労働期間の違いによって引き起こされる。図1の黒線は高卒者の賃金、赤線はストレートで大学に入学・卒業した者の賃金、青線は大学に社会人入学した者の賃金である。大学に18歳で入学した場合と社会人で入学した場合を比較すると、水色で塗りつぶされた部分の分だけ社会人入学者は放棄所得が高く、かつピンクで塗りつぶされた部分の分だけ社会人入学者は生涯所得が低くなる。

(図1)
(図1)

具体的な数字に触れる事とする。厚生労働省の賃金構造基本統計調査のデータを用いて男性が18歳と25歳で大学へ進学した場合を比較すると、高卒男性が18歳から4年間で稼ぐ金額は約878万円であるが、高卒男性が25歳から4年間で稼ぐ金額は約1290万円に達し、その差は約412万円となる。この412万円が上記の図1で水色で塗りつぶされた部分となる。大学卒業後の労働期間についても、ストレートで大学に入学・卒業し、何事もなく62歳まで働けたとすると、大学教育のベネフィットを享受できる期間は41年間となる。これに対し、社会人入学した場合、大学教育のベネフィットを享受できるのは34年間となり、前者と比べて大学教育のベネフィットを享受できる期間が20%近くも短くなる。この20%が上記の図1でピンク色で塗りつぶされた部分となる。

このように、大学に進学するのが遅くなればなるほど、大学で学ぶための放棄所得も大きくなり、かつ大学で教育を受けたベネフィットを享受出来る期間が短くなるため、大学教育で形成された人的資本の価値が小さくなっていく。

社会人入学をすると、高校卒業後直ちに大学進学した場合と比べて大学教育で形成した人的資本の金銭的価値がどれぐらい落ちるのか? という研究は、社会人入学の割合が最も高い国の一つであるスウェーデンで盛んに行われている。それらの研究結果を紹介すると、1)30歳以上であったとしても、大学を卒業する事によって賃金も上昇するし、失業するリスクも減少する、2)社会人入学については、賃金が高かった者よりも低かった者の間で、男性よりも女性の間で、その効果が大きい、3)大学に行くのが1年遅れる毎に、30歳の時の賃金が約3%減少する、と言った事が明らかとなっている。さらに、ギャップイヤーの経験年数と生涯収入の減少額の関係については下記の表1で示している。

(表1)
(表1)

大学で何を学ぶか?

人的資本の形成に話を戻すと、大学で学ぶ内容も人的資本の形成に影響を与える。日本のメディアでも「理系vs文系年収比較」といったテーマが取り上げられて盛り上がる事がしばしばあるが、これはゴシップ記事としての価値は高いのかもしれないが、政策的示唆を持つものではない。まず、ネット調査や特定の人材サービス会社に登録している人材を調査対象とするなどサンプルに偏りがありすぎるし、それに加えてもともと優秀でかつ家庭環境が良い人物が特定の学部へ進学している影響を考慮していない。さらに、特定の学部の教育の質が他学部よりも良い可能性、ある学部の卒業生が収入の良い業界に固まって就職している可能性、も存在する。

この分野で政策的示唆を得るためには、大学で学ぶ内容が人的資本の形成に与える影響からこれらの影響を取り除き、大学で何を学ぶ事がより人的資本の成長につながるのかを知る必要がある。

ここでは大学で学ぶ内容が人的資本の形成に与える影響について、各国での研究結果の一部を簡単にご紹介したい。下記の表は、国別にある特定の学部の卒業生と比較して別の学部の卒業生の収入が何%高い/低いのか、それとも収入に差があるとは言い切れないのかを示している。例えば下記の表2を見ると、イギリスでは経済学部卒業生の年収は、物理学部卒業生と比較して5.6%高いが、ビジネス系学部の卒業生の年収は物理学部卒業生の収入と比較して差があるとは言い切れず、歴史・哲学系卒業生の年収は物理学部卒業生の収入と比較して6.9%低い事を示している、といったものである。

(表2)
(表2)
(表3)
(表3)

上記の一連の図で紹介した研究結果もそのような傾向を示しているが、この分野の他国の研究結果を参照しても、質的なものを扱った系統を学ぶよりも、統計や数学といった量的なものを扱った系統を学ぶ方が、より人的資本の形成につながる傾向がある。具体的には、工学部・理学部・経済学部といった系統が人的資本の形成につながりやすい一方で、総合系・体育・芸術系・社会科学系・人文科学系といった系統は人的資本の形成につながりづらい傾向が各国で存在している。

医学部(特に公衆衛生系統)・教育学部については、卒業生の多くがヘルスワーカーや教師といった公務員になるため、そもそも賃金が市場原理によって決まるわけではない上に、各国の公務員給与が民間と比較して高いか低いかによって大きく左右されるため、上記で紹介した学部ほどには各国で一貫した傾向が確認できない事も記しておく。

どこの大学で学ぶか?

大学で何を学ぶかに加えて、どこの大学で学ぶかも人的資本の形成に影響を及ぼす。「理系vs文系年収比較」と同様に、「出身大学別年収比較」というゴシップ記事もメディアをにぎわせる事があるが、これもまた政策的示唆を持つものではない。この手の記事は東大・慶応・早稲田といった難関大学の卒業生の年収が高いという結論を出すのが常である。しかし、この難関大学卒業生ほど収入が高いという傾向は、生まれつき収入へと直結する能力を持った人物が難関大学へと進学した結果に過ぎず、難関大学自体が卒業生に人的資本を付与しているわけではない可能性は十分ある。つまり、難関大学ほど人的資本の形成に成功しているのかどうかは、単純な出身大学別年収比較では分からない、という事である。

この分野で政策的示唆を得るためには、大学・学部の難易度別年収から大学に入る以前の能力の影響を取り除き、どのような大学で学ばせると学生の人的資本をより成長させられるのかを知る必要がある。

ここでは、入学の難易度の高い大学ほど学生の人的資本を伸ばしているのか否かについてアメリカでどのような議論が行われているのかをご紹介したい。人的資本の形成に関連しそうな大学の指標として入学難易度(入学生の平均SATスコア(*1))、教員一人当たり生徒数、財務状況など様々なものがある。この中で最も人的資本形成と関連が高いと考えられているのが、入学難易度である。

大学の入学難易度が人的資本形成に与える影響であるが、そこから内申点や通っていた高校の質など大学入学以前に学生が既に持っていた人的資本の影響を取り除いて考える必要がある。その上で大学の入学難易度と人的資本形成の関係を見ると、入学者の平均SATスコアが100点上昇すると、卒業後の賃金が約6.5%上昇しており、やはり入学難易度が高い大学ほど学生の人的資本をより成長させる傾向がある。これには様々な要因が考えられるが、入学難易度の高い大学ほどピア効果が大きい、より幅広い内容をより深く教える事ができる、といった事が影響していると考えられる。

(*1)日本のセンター試験のようなものであるが、試験の科目数・試験の受験可能回数に大きな違いがある。

日本の大学の状況

日本の学生はいつ大学に進学しているか?

(図2)
(図2)

上記の図2は、OECD.StatExtractからのデータで、2009年における大学入学者に占める25歳以上の入学者の割合、すなわち社会人入学者の割合を示している。図が示すように、半分以上のOECD諸国で大学入学者に占める社会人入学者の割合は20%を超えている。さらに、日本を含む二カ国を除いて社会人入学者の割合は10%を上回っている。このように、多くの国が一定割合の社会人入学者を抱える中で、日本では社会人入学の割合がわずか5%しかなく、大学生の殆どは高校卒業後直ぐか数年以内に大学へと進学している事が分かる。

社会人入学者の割合が高くなることで大学教育の質が向上する可能性が存在するし、社会人入学生が少ないという事は一度社会に出た後で学び直す事が出来るという社会の柔軟性が欠如している事を意味しているのかもしれない。しかし、大学教育で形成される人的資本の金銭的価値という点に限って言えば、日本の学生の大学に進学するタイミングは極めて効率的であると言える。

日本の学生はどの学部に在籍しているか?

世界銀行のEdStats及びWorld Development Indicatorsのデータを利用して、新卒に占めるある学部の卒業生の割合をOECD諸国で比較してみる。諸外国での研究結果であまり一貫した結果が出ておらず、かつ卒業生が主に公的セクターで就職し労働生産性が賃金に反映されづらい教育学部・医学部及び、OECD諸国で割合がほぼ一様である農学部は比較対象から除外する。

(図3)
(図3)
(図4)
(図4)

まず人的資本の形成により結びつきやすいと考えられる学部の卒業生が新卒全体に占める割合について考察する。上記の図3は工学系統の卒業生の割合を示している。日本の割合はOECD諸国の中でも6番目に位置されるほど高い。しかし、図4で示されているように、工学系統に次いで人的資本の形成につながりやすいと考えられる科学系統の卒業生の割合はOECD諸国の中で最下位の割合である。

(図5)
(図5)

図5は人的資本形成に与える影響が中程度であると考えられる社会科学系統の卒業生の割合を示している。全卒業生に占める社会科学系統の卒業生の割合は、日本はOECD諸国の中でも下位に位置している。

(図6)
(図6)
(図7)
(図7)

最後に、図6・7で人的資本形成に結びつきづらいと考えられる学部の卒業生が新卒全体に占める割合を提示する。まず、人文科学系統の卒業生の割合であるが、これはOECD諸国の中で6番目に高い。さらに、サービス系統の卒業生の割合についてもOECD諸国の中でも日本は最も高い国の一つに分類される。

また、図示はしなかったがその他の特徴として教育系統・医学系統の卒業生の割合はOECD諸国の中では低い方に分類され、分類できない系統の卒業生の割合についてはOECD諸国で最も高くなっている。

以上をまとめると、日本の大学生は人的資本形成に結びつきやすいと考えられる学部からの卒業生がOECD諸国と比べてやや少ない一方で、人的資本形成に結びつきづらいと考えられる学部からの卒業生の割合はOECD諸国の中でもトップクラスに高い事が伺える。

日本の大学の入学難易度が人的資本形成に与える影響

日本の大学の入学難易度と人的資本形成の関係については、小野浩氏が2008年に出版した論文が詳しい。その内容を紹介すると、卒業した大学の入学難易度が上がるほど将来の収入も増加、具体的には卒業した大学・学部の偏差値が1上がるごとに、将来の収入が2-5%程度上昇する結果となっている。さらに、私立大学出身の学生はそうでない学生よりも収入の上昇スピードが遅い事も確認されている。

上記の結果は優秀な人物ほど入学難易度が高い大学に行っているだけではないか、と思われる方もいるかもしれない。しかし、中学校3年生時の通知表の成績が同じであった場合の結果である上に、2種類存在するスクリーニング仮説を立証する方法のうち1つを用いてスクリーニング仮説が成立していなさそうという結果を得ているので、上記の結果は入学難易度の高い大学ほど人的資本形成に成功している、と考える方が妥当である。

また、初回で紹介したものよりも、より洗練された手法を用いた教育投資の内部収益率の計測も行われている。男性の平均的な大学投資に対する内部収益率は7%である一方、サンプルの中で最も入学難易度の高い大学のそれは12.9%、最も入学難易度の低い大学の場合は2.7%となっている。さらに、国立大学を卒業した場合の平均は7.9%、私立大学を卒業した場合の平均は6.7%となっている。

過去20年間日本の高等教育はどのように量的拡大を果たしてきたのか?-大学生過剰論の背景

文部科学省の学校基本調査によると、この20年間で大学在籍者数は約74万人増加し、現在では大学在籍者は300万人近い数となっている。

まず、大学の種類別にこの20年間での在籍者数の増加数を見ると、国立大学で約11万人、公立大学で約8万人、私立大学で約57万人、在籍者が増えており、この間の学生数の増加の3/4以上は国立大学よりも学生に人的資本を蓄積させられていないと考えられる私立大学によって担われている事が分かる。

そして、関係学科別に見たこの20年間での学生数の増加は下の図8のようになっている。人的資本の形成につながりやすいと考えられる理学・工学・保健系の医学といった分野では殆ど学生数が増加せず、この間の学生数の増加は主に人的資本の形成にゆるやかにつながると考えられる社会科学分野、及び人的資本の形成につながりづらいと考えられる人文科学・保健系の看護&その他・家政・芸術・その他に分類される分野が主に担ってきた事が読み取れる。

(図8)
(図8)

以上のデータから分かるように、この20年間の大学生数の急激な増加は、主に人的資本の形成につながりづらいと考えられるセクター・分野によって主に担われてきた事が読み取れる。加えて、ここは推論になるが、近年出来た大学の入学難易度を考えると、この20年間の大学生数の増加は、これまで大学に行けていなかった層を入学難易度の高い大学にアファーマティブアクション的に取り込むという形ではなく、その層の上から順に輪切りにして、新設された入学難易度の低い大学に取り込むという形で進んできたと考えられる。

大学生の数が多過ぎるという言説は、この20年間の大学の量的拡大の在り方を反映したものである事が推測される。従来の大学生像は国立・理系・入学難易度の高い大学という、人的資本形成に極めてつながりやすいものであったが、この20年間で増加した大学生の姿は私立・文系・入学難易度の低い大学という、人的資本形成に極めてつながりづらいものである。

教育の収益率は個々人によって大きなばらつきがあり、かつこの20年間で新たに大学に行くようになった層を考えると、この20年間で大学を卒業したそれなりの数の人が大学に行かないほうが良かったという結果に終わっている可能性がある事も事実である。大学に行く価値はない・大学生の数は多過ぎるという言説が誤りである事は3章で紹介した研究・データが明らかにしているが、その主張自体は極めて重く受け止められなければならないものである、と考えられる。

まとめ

大学教育が人的資本形成に与える影響を規定する要因に基づいて、過去20年間の高等教育の量的拡大及び現在の高等教育の状況を考えると、このまま同学年人口の95%が高等教育を修了するという高等教育の量的拡大を図っても、コストだけが無駄に費やされて効果は殆ど見込まれない。それに加えて、高等教育の量的拡大を図るための方法として、大学教育で形成される人的資本の金銭的価値を押し下げると考えられているにも拘わらず、社会人入学の促進が中央教育審議会で議論されている (*2)。

確かに今回言及した方法に基づく教育政策には限界がある。まず、現在のデータを元に議論を行っているので、今後もその傾向が続くかどうかの保証はなく、景気状況によっては教育の収益率に大きな変化が生じる可能性がある。次に、今回の議論は労働力の供給側に焦点を絞ったもので、需要側の労働需要は一切考慮していない。労働需要の動向に今後大きな変化が生じる事が予想される場合には、今回の議論の妥当性は弱くなってしまう。最後に、今回提示した学部別・大学別で予想される教育の収益率もあくまでも平均であって、同じ学部・同じ大学の中であっても大きなばらつきが存在している。さらに個々人のレベルでみれば、教育の収益率が多少低くてもばらつきが小さい学部へ進学した方が得策という事は充分ありうる。今回議論した内容は、国全体の施策として考えた場合に妥当性を持つ物であって、決して個々人にどこの大学のどの学部に進学するのが良いと薦める物ではない。

このように、教育の収益率に基づく教育計画は万全なものではない。しかし、マンパワー計画を始めとした過去に失敗してきた教育計画の立案方法よりは妥当性が高いと考えられている。そして、この教育の収益率に照らし合わせて日本の公教育の量的拡大を考えた場合、このまま日本の高等教育の量的拡大を図ってはならない事が明らかとなる。今後の高等教育の量的拡大は、ここ20年間行ってきた事から大幅に方針転換を行い、文系や所謂カタカナ学部ではなく理系を中心として、私立大学ではなく国立大学を中心として、新たに入学難易度の低い大学を許認可するのではなく既存の入学難易度の高い大学にアファーマティブアクション的に社会経済状況に恵まれない生徒を取り込む形で、高等教育の量的拡大を図っていく必要がある。さらに、社会人入学を拡大させる事で高等教育就学率の向上を図るのではなく、より多くの18歳人口を高等教育へと取り込んでいく方法の模索が行われなければならない。

教育の量的拡大は教育計画の最も基本的な要素である。この教育計画が杜撰であった場合、確かに教育計画を策定した政府も被害をこうむる事になる。しかし、一度しかない人生の貴重な数年間を大学で無駄に過ごす事になる個人の被害は、取り返しが効かない分だけ政府の被害よりも甚大なものであると私は考える。この事を考えると、データに基づく洗練された教育計画を立案する事が如何に重要であるかは、より明白なものとなるだろう。

(*2)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/1293381.htm

(本記事は日本で無所属の時期に書かれたもので、どの組織と関連する物でも、どの組織の意見を代表するものでもありません。本記事はチャリティとして書かれたものです。謝金相当額の半分は東北の被災地の子どものために活動している「一般社団法人プロジェクト結」へ、残りの半分は途上国の子どものために活動している「特定非営利活動法人日本ネパール女性教育協会」へと、シノドスさんのほうから寄付して頂いております。)

 

記事中の図表の出所(掲載順)

• Holmlund, B., Liu, A., and Nordstrom Skans, O. (2008). Mind the gap? Estimating the effects of postponing higher education. Oxford Economic Papers, 60, 683-710.

• Chevalier, A. (2011). Subject choice and earnings of UK graduates. Economics of Education Review, (30), 1187-1201.

• Kelly, E., O’connell, J. P., and Smyth, E. (2010). The Economic Returns to Field of Study and Competencies among Higher Education Graduates in Ireland. Economics of Education Review, 29, 650-657.

• Buonanno, P., and Pozzoli, D. (2009). Dearly Labour Market Returns to College Subject. Labour, 23(4), 559-588.

• Ono, H. (2008). Training the Nation’s Elites National-Private Sector Differences in Japanese University Education. Research in Social Stratification and Mobility, 26, 341-356.

プロフィール

畠山勝太比較教育行財政 / 国際教育開発

NPO法人サルタック理事・国連児童基金(ユニセフ)マラウイ事務所Education Specialist (Education Management Information System)。東京大学教育学部卒業後、神戸大学国際協力研究科へ進学(経済学修士)。イエメン教育省などでインターンをした後、在学中にワシントンDCへ渡り世界銀行本部で教育統計やジェンダー制度政策分析等の業務に従事する。4年間の勤務後ユニセフへ移り、ジンバブエ事務所、本部(NY)を経て現職。また、NPO法人サルタックの共同創設者・理事として、ネパールの姉妹団体の子供たちの学習サポートと貧困層の母親を対象とした識字・職業訓練プログラムの支援を行っている。ミシガン州立大学教育政策・教育経済学コース博士課程へ進学予定(2017.9-)。1985年岐阜県生まれ。

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