アーキテクチャによる自由と規制は表裏一体である

日々新しい問題が生み出されていくネット社会。見えない監視にどう向き合うか、著作権侵害はどう防げるか、性表現はどう扱うべきか、忘れられる権利はあるのか――。そうしたさまざまな場面の規制を考える際、不安や期待とともに「アーキテクチャ」が口の端に上がります。しかし、見えないところで機能してしまう規制方法でもあり、従来の「表現の自由」論と同じ地平で議論できるのか、もやもや感じることも。

 

アーキテクチャとはいかなる権力なのか、表現の自由はなぜ保障されるのかといった原理的な考察を、アクチュアルな問題に接合させる議論として『表現の自由とアーキテクチャ』にまとめた成原慧さんに、本書のポイントや背景をうかがいました。(勁草書房編集部)

 

 

面白くて役に立つ!? インフォマティブな議論

 

――ノーベル賞を受賞された大隅先生の発言をきっかけに、学問は「役に立つ」べきか、それとも「面白さ」を追求すればよいのかといった問題が話題になっていますが、実は、『表現の自由とアーキテクチャ』の原稿を読み終わってまず「これ、なんか面白くて、役に立つ!」と感じたんです。ちょっと曖昧な言い方ですけれど。

 

駆け出し研究者による初めての単著で、比較法や学説史的研究が中心の学術色が強い本なので、面白かったとしても、そんなにすぐには役に立たないと思いますけれど、そう言っていただけると嬉しいですね。ありがとうございます。

 

 

――成原さんに届いた反応ではいかがですか?

 

たしかに、読者の方からも役に立つという感想をもらいました。例えば、知財・コンテンツ法分野で活躍される弁護士の方や、情報通信に関する法制度を調査されている国会図書館職員の方が、理論的な面白さを感じるだけでなく、手元に置いて何度も参照したいと言ってくださったんです。

 

この本では、「表現の自由」と「アーキテクチャ」について、情報法、憲法学、法哲学、さらには社会科学の議論を参照して理論的に検討すると同時に、性表現のフィルタリング、著作権の技術的保護、ネット監視、忘れられる権利などアクチュアルな問題に即して、幅広く多面的に論じたので、知的好奇心旺盛な実務家の方にも価値を見出していただけたのかもしれません。

 

 

――実務畑の方が役立つというのは、「インフォマティブ」でいろいろ刺激を受けたということなのかもしれませんね。

 

この本の学際的な性格を反映してなのか、法学だけでなく、社会学や政治学などいろいろな分野の方が手にとって読んでくださいました。基本は情報法の本ですが、そうした多分野の方々から、「面白い」という反応をいただけたのは、望外の喜びです。

 

 

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制約もし、可能にもする、両義的なアーキテクチャ

 

――なるほど。おそらく、その要因にはタイトルの「アーキテクチャ」がありますよね。成原さんはどういう意味で使われたんですか? 建築……、ではないんですよね?

 

はい、もともとは「建築」という意味で古くから使われてきた概念ですが、近年ではコンピュータやネットワークの構造も「アーキテクチャ」と呼ばれるようになっています。こうしたアーキテクチャ概念の変遷・展開を踏まえて、アメリカの法学者ローレンス・レッシグが物理的・技術的手段による規制という意味で、アーキテクチャ概念を再構成しました。そこから情報法を中心に、さまざまな分野で「新たな権力としてのアーキテクチャ」による規制が論じられるようになりました。

 

そういった議論状況を踏まえて、私は本書でアーキテクチャを「何らかの主体の行為を制約し、または可能にする物理的・技術的構造」(12頁)と定義しています。

 

ここでのポイントは「制約する」と「可能にする」の両面性です。ともすれば、新たな権力としてアーキテクチャが語られるとき、フィルタリングやブロッキングのように、個人の自由を規制する手段としての側面が強調されがちです。しかし、反面で、アーキテクチャには、個人の行為を可能にする側面もあります。

 

たとえば検索エンジンというアーキテクチャがあって、検索という行為が可能になる。さらにいえば、インターネットのインフラストラクチャに支えられて、インターネット上で情報を発信や収集をする自由が構成される。そして重要なのは、アーキテクチャによる自由の構成と規制は表裏一体の関係にあるということです。つまり、今日の情報社会において、われわれの自由はインフラに依存しているからこそ、そのインフラを通じて規制されるようにもなっているわけです。

 

 

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原理的な問題とアクチュアルな問題を往復する情報法

 

――その「アーキテクチャ」と「表現の自由」をつなげて、テーマにしたきっかけは?

 

アーキテクチャに関心をもったきっかけは、『コード』をはじめとするレッシグの著作、また、それを受けて日本で展開された批評家の東浩紀さんや法哲学者の大屋雄裕先生らによる学際的な議論に接して、知的刺激を受けたのが大きいですね。

 

もともと勁草書房さんが出版されているような言語哲学、法哲学、理論社会学などの本を愛読する変わった学生だったこともあり(笑)、アーキテクチャという新たな権力の浸透によって、個人と国家は解体されてしまうのか、そうだとすれば、自由や民主主義といった近代社会の基本原理はどのように変容していくのかといった、原理的・哲学的な問いに惹きつけられたんです。

 

そうした問題意識をもちながら、東京大学の大学院学際情報学府に進学して、アーキテクチャ論について学際的な研究を試みようと思ったのですが、しだいに、アーキテクチャにもさまざまな種類・性質のものがあり、アーキテクチャが用いられる具体的な場面に即してアーキテクチャが提起する問題を分析していくことが必要なのではないかと考えるようになりました。

 

当時、アーキテクチャと自由の関係がもっとも先鋭的な形で問われる場面が、インターネット上の表現の自由、プライバシー、著作権などの法的問題だと考え、大学院では情報法を専攻することにしました。本の「あとがき」にも書きましたが、原理的な問題とアクチュアルな問題とを往復しながら、議論を構築していくところに情報法の魅力を感じました。

 

 

――プライバシーや著作権などではなく、表現の自由に焦点を当てたのはなぜですか?

 

アーキテクチャとの関係が問題となりうる各種の権利・自由のなかでも、表現の自由に焦点をあてた理由は2つあります。

 

第一に、インターネット上でアーキテクチャによって規制されるのは、情報の発信・流通・受領に関する行為であり、なんらかの形で表現の自由が関わってくることが多い。たしかに、アーキテクチャによるプライバシーや著作権の保護も重要なテーマですが、それらもやはり表現の自由との関係で問題となることが少なくない。表現の自由という切り口は、インターネット上のアーキテクチャと自由の関係について包括的に論じる手がかりになりそうだと思いました。

 

第二に、日本や米国をはじめ多くの立憲民主国家において、憲法上保障された権利・自由の中でも表現の自由は、民主主義のプロセスに不可欠であり、また、個人の自律とも密接に関わるため、とりわけ重要視されてきました。つまり、アーキテクチャと表現の自由の関係に着目することを通じて、アーキテクチャが個人の自律や民主主義といった近代社会の基本原理にいかなる挑戦をしているのか明確にできるのではないかと考えたのです。【次ページにつづく】

 

 

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vol.218+219 特集:表現の自由とポリティカル・コレクトネス

<ポリコレのジレンマ―政治・芸術・憲法から見た政治的正しさと葛藤>

・第一部 テラケイ×荻野稔(大田区議会議員)

・第二部 テラケイ×柴田英里(アーティスト/フェミニスト)

・第三部 テラケイ×志田陽子(憲法学者)

<『裸足で逃げる』刊行記念トーク>

上間陽子×岸政彦「裸足で、いっしょに逃げる」

<連載エッセイ>

齋藤直子×岸政彦「Yeah! めっちゃ平日」

○シン・編集後記(山本ぽてと)