特集:感情

1.松本俊彦氏インタビュー「『いのちの大切さ』では子どもは救えない」

 

小中高等学校で行われる保健体育や道徳の授業、あるいは自殺予防教育、いじめ防止教育のための講演会などでは、しばしば「いのちの大切さ」「誕生の素晴らしさ」などが説かれ、感動を誘うような物語が語られる。しかし、こうした道徳論を伝えるだけの教育は、子どもの視点を忘れた大人の自己満足に過ぎないのではないか。私たちが、生きづらさを抱える子どもを助けられる大人になるにはどうすれば良いのか。精神科医の松本俊彦氏に伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)

 

◇子どもを追いつめる道徳論

 

――昨年、『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(メタモル出版)が出版され、その中の松本先生の原稿がネット上でも公開されました(【BLOGOS】「『誕生学』でいのちの大切さがわかる?」)。ここでは、公益社団法人 誕生学協会が行っている授業の問題点について書かれていますが、今さまざまな学校において似たような「いのちの授業」が行われているようです。まず、この原稿への反応はいかがでしたか?

 

「いのちの大切さ」を説くことによって全ての子どもが励まされるわけではない、むしろ、もともと精神的に追いつめられている子たちがより一層追いつめられてしまうということに対しては、多くの方から共感の声がありました。これは、私が、15年以上少年院や少年鑑別所で定期的に子どもたちの診療をしたりする中で至った考えですが、特に子ども時代に虐待を受けた経験があるという方からは、「そんな話を聞かされていたら傷ついたと思う」という意見が多かったですね。

 

松本氏

松本氏

 

――どんな状況にある子どもが追い詰められてしまうのでしょうか。

 

十代の子たちの中には、どうしても自分のことを大事にできない子がいます。例えば、リストカットなどの自傷行為に及んでいる。私の調査によると、中高生の約一割の子は自傷の経験があります。同時に、飲酒喫煙を早くからしている、拒食や過食の傾向がある、風邪薬や痛み止めなどの市販薬の乱用をしている、不特定多数を対象としたコンドームを使わないセックスを経験したことがある、知人から違法ドラッグの誘いを受けるなど薬物乱用のリスクが高い環境にいるなど、さまざまな問題を抱えている場合が多いことが分かっています。また、自傷をしている子たちは長期的な自殺リスクも高いんです。ある研究によると、自傷する子が10年以内に自殺で亡くなる率は、自傷をしない子よりも数百倍高いことが分かっています。

 

彼女・彼らの多くは、虐待やネグレクトなどさまざまな理由で緊張に満ちた家庭に育っていたり、学校でいじめを受けたりしているんですね。「これは虐待じゃない、しつけだ」と言われ、人に対する基本的な信頼感が揺らいでいる子がかなり多いんです。そして何よりこの子たちの特徴は、つらい時に周りに助けを求めることが苦手ということです。

 

そういう子に対して、「自分の力で回転しながら生まれたのよ。偉いね」、「みんなに愛されたから、今、元気なんだよ」なんておとぎ話のような話をしたところで何の役にも立ちません。それどころか、「自殺リスクの高い子たちは反社会的で不道徳」、「死のうと思うやつは、親への感謝の気持ちが足りない」、「いのちの大切さを理解していない」などと道徳論を押し付けることにもつながりかねません。

 

こんな話を聞かされて、親から「あんたなんか産まなきゃよかった」と言われているような子はどんな気持ちになるでしょうか。「『いのちが大切』だったら、なんで自分だけこんな目に合うんだろう」と、ますます孤立感に苛まれ、周りに助けを求められなくなってしまいます。

 

――なぜ、周りに助けを求めることが苦手なのでしょうか。

 

虐待やネグレクトを受けている子たちは、実は親のことが好きなんです。好きな人からそうされているから、やっぱり自分が悪いんじゃないかと責め続けて、どんどん自分を嫌いになってしまうんですね。親の愛情は半信半疑なんだけど、逃げ出すこともできなくて、自分の身に起きていることを誰かに伝えることもできない。なぜなら、自分が大好きな人を世間から責められるような目にあわせたくないからです。

 

だから、むしろその子たちに僕らが教えないといけないのは、親だって間違うことがあるし、正しいとは限らない。危険な人からは逃げなさい、ということです。そこで「親を大事にしなさい」と説いてしまうと、ますます危険に満ちた家庭の中にとどまったままになってしまいます。

 

◇「ゆっくりと死にたい」

 

――自殺予防教育や、いじめ・望まない妊娠等を防止するための教育で、結局、「いのちの大切さ」「産んでくれた親への感謝」という感動を誘うような話になってしまいがちなのは、なぜなのでしょうか。

 

僕は「いのちの大切さ」自体を否定するつもりはありませんが、それは大人のためのものだと思うんです。正直、そういうことを主張している講師の方々は、自分たちを楽しませたり慰めたりするために言っているんであって、子どもたちを本当に救おうとは思っていないような気がします。

 

それに、すべての出産がハッピーなわけではありません。出産時にお母さんや赤ちゃんが亡くなってしまったり何らかの障害が残ってしまったり、あるいはレイプをされて誰の子どもか分からない子を身ごもったりと、いろいろなお産があるんです。幸せなお産をした方だけで集まって、自分たちの喜びを噛み締めるのは大いにやってほしいと思います。ただ、それをすべての人に強要してはいけません。マイノリティーを排除してしまうような考え方、幸せな家族、幸せな子育てを当たり前の前提としているような考え方は、僕としては一種の優生思想だと思うんです。「幸せなやつだけ生き残ればいい」というような。

 

また、こう言うと学校の先生批判になってしまいますが、やはり子どもの時に学校で良い体験をした人じゃないと先生にはならないという面があると思うんですよね。学生の頃の記憶を思い出したくないような人は、自分から先生にはなりません。つまり、つらい状況にある子どもたちから見れば、自分たちはすでに「勝ち組」だということを意識してほしい。PTAなどで活躍する人たちもそうです。道徳教育を行うよう教育委員会に働きかけている保守系政党の議員さんたちも、やはり成功してきた人たちです。太陽が当たる場所をずっと歩いてきた人たちが、自分たちの発想で、自分たちの子ども時代の延長で日本の教育を作っていることが問題なのだと思います。

 

最近では学校だけでなく、児童養護施設や児童自立支援施設、少年院などでも「いのちの大切さ」を訴えるような講演を行うことがあるようですが、虐待を受けて保護されている子がたくさん集まっているような場でそんな話を聞かされて、子どもたちは余計に死にたくなると思います。ただ、大人受けはすごく良くて、施設に勤務している人たちの心にすっと入り込むわけです。それはちょっと子ども目線を忘れているんじゃないかなと思います。

 

――薬物乱用防止教育においても同じようなことが言えますか。

 

そうですね。僕が15年以上少年院や少年鑑別所に関わる中で出会った子の一人がこんなことを言っていました。「学校で先生が『人間やめますか、覚せい剤やめますか』と言っていた。それを聞いて、覚せい剤使用で刑務所に入っている自分の親父は人間じゃないんだ、人間じゃないやつの子どもだから俺も人間じゃないんだ、と自暴自棄になった。そして自分から悪い仲間に近づいていって、覚せい剤を使うようになった」と。そういう子が教室の中に混じっている可能性を絶えず考えなくてはならないのが、学校だと思うんです。

 

十代のうちに薬を使う子たちはだいたい、半年以内に鬱状態にあったり、不安障害の診断を満たすような状態にあったり、リストカットをしていたりします。消えたい、いなくなりたい、ゆっくり死にたい。死ぬことは怖いけど、自分の体が蒸発するみたいにじわじわと消えるんだったら、それがいいと思っている子たちなんです。ゆっくりとした自殺企図の一環として薬を使っている。その子たちに、「ダメ、ゼッタイ」と言って薬の危険性を訴えることが、本当に効果があることなのか。むしろ、死ぬために使っているわけなので、「危険ドラッグ」なんて言われると余計関心を持ってしまいます。まずこのことを私たちは理解しておかなければいけません。……つづきはα-Synodos vol.215で!

 

 

2.白岩祐子「『感情的』であることへの嫌忌――裁判員としての市民の実像」

 

裁判員制度の導入以降、裁判員となる市民の「被害者への同情・被告人への嫌悪感」といった個人感情が、重罰化の原因となるのではないかという懸念の声が上がっています。しかし、いざ裁判の現場に立った時、本当に私たちは感情に任せて法的判断を下すのでしょうか。実験を通して検証します。

 

◇はじめに

 

法廷の奥まった席に複数の裁判員が座っている。裁判員法(15条)にもとづき、「法律のしろうと」を代表して選出された6名の一般人である。彼らは今、家族を奪われた被害者遺族が語る話に耳を傾けている。あるいはまた、凄惨な事件の証拠写真やイラストを目にしている。彼らの心中はどのようなものだろうか。彼らの心中で起きていることは、その判断にどのような影響を及ぼすだろうか。

 

この問いは、裁判員法が制定され、市民による司法参加が決定した頃、おそらく最も多く投げかけられた疑問のひとつである。

 

◇市民の司法参加

 

2009年5月、裁判員制度が始まった。抽選で選ばれた一般人は、殺人など重大事件の刑事裁判に裁判員として出席する。求められるのは、被告人が有罪かどうか、また有罪と思われる場合、どのような刑罰を科すかについて、職業裁判官とともに決定することである。

 

裁判員法の制定以後、一般市民の「法的判断者」としての資質を懸念する声は少なくない。具体的には、「市民は証拠にもとづく冷静な判断を下すことが苦手であり、被害者への同情や被告人に対する嫌悪などの感情に任せて、今までより重い刑罰を下すのではないか」という指摘がなされてきた。

 

◇「脆弱な法的判断者」としての市民

 

このような市民像はひろく―司法関係者、メディア関係者、研究者―に見いだされる。例えば、主として被告人の権利を擁護する刑事弁護人は、「被害者や遺族の感情的な発言は、裁判員の情緒に強く作用し、事実認定や刑罰を厳しいものにしうる」と繰り返し述べてきた。主要紙は社説の中で、「被害者の感情的な発言を前にして、裁判員は冷静な判断を下すことができるのか」といった懸念を表明している。

 

法と心理学の分野でも、研究者は同様の予測を立て、数多の実証研究を国内外で行ってきた。これらの研究の多くは、模擬裁判の映像やシナリオを用いて、仮想的な裁判場面を再現している。その中で、同情や怒りなどの感情を喚起しうる証言や証拠を提示する場合と、提示しない場合とで、一般人や大学生が被告人に科す刑罰の重さが比較される。その結果はまちまちであり、「しろうとの刑罰は感情的な証拠に引っ張られて重くなる」という予測は、必ずしも支持されていない。一体なぜだろうか。

 

◇「裁判は理性的であるべき」という信念

 

私たちは、理性と感情をめぐる素朴な二元論を内在化している。つまり社会には、理性と感情を対立的に捉える理解の枠組みが存在する。このうち感情は、本能的で非合理的であり、個人の判断を偏らせ、合理的な思考を妨害する悪しき要素とみなされてきた。

 

司法関係者は、こうした二元論にもとづく伝統的な「神話」を保持している。すなわち、「法的判断は本来、感情に動かされて行うものではなく、証拠にもとづいて理性的に下されるべきもの」という信念が、司法関係者の間で共有されている。例えば最高裁判所が2000年、司法制度改革審議会に提出した意見書の中にも、こうした信念の一端を読みとることができるだろう。

 

このことは司法関係者にとどまらない。「法的判断は、感情ではなく理性にもとづいてなされるべき」という考え方は、二元論に下支えされ一種の社会通念になっていると考えられる。……つづきはα-Synodos vol.215で!

 

 

3.荒木健治「感情を持つ人工知能」

 

人工知能(AI)研究が注目される昨今、必ず話題になるのが「AIが人間と同じように心を持つとどうなるか?」という疑問です。ただ、そもそも人間の感情の実態も、全て解明されているわけではありません。現段階でAIの感情に関する研究はどれくらい進んでいるのか、AIは感情を持つべきなのかどうか、ご執筆いただきました。

 

1. 感情とは

 

近年、人工知能に感情を持たせる研究が盛んになっているが、そもそも人間はどのような感情を持っているのだろうか? 感情は何種類あるのであろうか? 人間の持つ感情は、単純に喜怒哀楽の4種類だけでなく、入学試験に合格して飛び上がるように大喜びすることもあれば、朝の星座占いで今日の運勢が1位で少し喜ぶことがある。このように感情には、その感情の強さ(度合い)といったものがある。

 

また、会社で昇格したのは嬉しいが、責任の重さが心配のように、ほとんどの感情は、一つだけ独立して存在しているものではなく、複数の感情が複合して複雑に絡み合って存在している。このように感情は、非常に複雑でわかりにくいため、その研究は困難を極め、現在でも完全に解明されているとは言えない。

 

2. 人工知能は感情を持つべきか?

 

一方、人工知能の進化は目覚ましく、社会のあらゆる場面で利用されるようになってきている。オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授の研究によると10から20年後には47%の仕事を人工知能が代行することになると言われている[1]。

 

このように社会に人工知能が溢れるようになると、人工知能が人間と同等の能力を持った存在であることが強く求められる。人間と同等という意味は、非常に広く人間のように言語を理解し、感情や倫理観や常識を持ち、ユーモアを理解し、意識や自我を持っているということになる。

 

この点に関する議論は、対立することが多い。つまり、人工知能が感情を持つべきかどうかという点である。

 

感情は時として人間の判断を誤らせることが多い。航空機事故で墜落するという局面で恐怖と緊張のあまり冷静な判断ができず、墜落を回避できなかったということもある。また、そもそもスポーツの多くは感情がない方が圧倒的な強さを発揮する。緊張しないので、普段の力を遺憾無く発揮できるためである。例えば、ゴルフでホールインワンを打ち続けるのは、感情のないロボットの方が格段に有利である。

 

そもそも、人間にはなぜ感情があるのだろうか。ダーウィンの進化論[2]では、次のような議論がある。進化の過程で、なぜ感情を持った人類が生き残って来たのであろうか? 感情を持った存在である人類が淘汰されず生き残って来た理由はなんなのであろうか?……つづきはα-Synodos vol.215で!

 

 

4.有本真紀「感情教育のかたち――卒業式の変遷を通して」

 

何度も練習を重ねてまで「涙の卒業式」を達成しようとする、この日本の学校独特の文化はいつから生まれたものなのでしょうか。私たちの感情を動員あるいは抑制しようとする「感情教育」の働きはいかにありふれたものなのか、考えます。

 

◇卒業式+涙=感情文化

 

黒板の端に「卒業式まであと〇日」の文字。2月、小学校6年生の教室に先生の声が響く。「《旅立ちの日に》と《最後のチャイム》は、もう歌詞を見ないで歌えるようになりましたか? 今日からは、呼びかけの練習も始めます。それでは台本を配ります。」――この担任教師は、「参加者全員が感動する卒業式」を目指しているという。

 

底冷えのする体育館で、行進や礼、証書の受け取り方を繰り返し練習させられた記憶がよみがえる。「つま先まで神経行き渡らせて」「気持ちがこもっていない」などと注意された。足並みをそろえ、礼の角度と速度は深く、ゆっくり、一律に。呼名されたら、タイミングよく「ハイ!」とハリのある声で返事し、手足の動きを間違えず証書をもらってくる。特にこの場面は、視線の中で緊張する身体をコントロールすることに集中しなくてはならなかった。

 

コントロールするのは、身体ばかりではない。そう、感情が問題なのだ。教員向けの実践書や卒業式の歌のCDには、『涙を超えた感無量の卒業式をつくる』「涙で声をつまらせた感動の名曲」「学校生活最後の日、みんなで心ひとつに通わせてうたう歌」などの題名やキャッチコピーが付されている。「涙×卒業式」「感動×卒業式」でネット検索すると、「卒業式で泣けない私はおかしいのでしょうか」とか、「特に感慨深いこともないのに、場の雰囲気にのまれて泣きそうです。どうしたら涙をこらえられますか」という書きこみを目にする。ある中学3年生は、クラスに「卒業式=涙という方程式」があると投稿していた。

 

いや、私は卒業式で泣いたことなどない、現実に卒業式で感動し、涙する子どもの割合を調査したのかと反論されるかもしれない。だが、問題は何人の眼から水分が溢れたか、「感動しましたか」の設問に何パーセントが「はい」と答えたかではない。「涙、涙の卒業式」「感動の卒業式」といったフレーズを誰もが理解可能であり、卒業式で涙する生徒に、「なぜ泣いているの?」と理由を尋ねたりはしない。それがすっかり、私たちの感情文化になっているからである。……つづきはα-Synodos vol.215で!

 

 

5.片岡剛士「経済ニュースの基礎知識TOP5」

 

日々大量に配信される経済ニュースから厳選して毎月5つのニュースを取り上げ、そのニュースをどう見ればいいかを紹介するコーナーです。1月が終わったと思ったら早2月も終わりということで、時の経つのが早いなと実感するこの頃です。3月が終わるといよいよ春の到来。寒さが徐々に和らぐとともに深まるのが花粉症ですが、引き続き筆者にとっては厳しい日が続きそうです。今月は、プレミアムフライデー始まる、若年世代の家計の消費意欲過去最低、ギリシャ支援問題調整難航、日米首脳会談、2017年度予算案衆院通過、についてみてきたいと思います。

 

◇第5位 プレミアムフライデー始まる(2017年2月24日)

 

今月の第5位のニュースは、2月24日から開始されたプレミアムフライデーについてです。

 

経済産業省のホームページから内容を見ていきますと、個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買い物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、①充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革の機会、②地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成、③デフレ的傾向を変えていくきっかけといった効果につなげていく取組とのことです。月末の金曜日を軸に実施の予定で、3月の場合は31日となっています。

 

プレミアムフライデー推進協議会事務局のHPをみると、ロゴマーク申請数は4,855企業・団体と着実に増加している模様です。株式会社インテージは2月3日から6日にかけて東京・神奈川・千葉・埼玉の20~59歳の有職男女1469人にアンケート調査を行っています。

 

結果をみていくと、調査を行った2月上旬時点で自分の職場で「プレミアムフライデー」が奨励・実施されることが決まっていると答えた方は全体の2.5%に留まっており、各社とも導入には慎重な姿勢がうかがわれます。プレミアムフライデーそのものの取組について男女20~30代、同40~50代に印象を尋ねると、男性20~30代、男性40~50代、女性20~30代の4割超が肯定的な印象を持っているのに対して女性40~50代は3割弱の肯定とやや低い結果です。肯定的な印象を持つ方は余暇時間の拡大や経済効果に、否定的な印象を持つ方は仕事上の理由を挙げています。

 

みずほ総研ではプレミアムフライデーが旅行需要に及ぼす経済効果について試算しています。それをみると、普及があまり進まない場合、旅行消費額は0.2~0.3兆円程度の増加に留まるとのことです。だが普及が進展すれば、旅行消費額の増加は0.5~0.6兆円まで高まるとのことです。旅行消費に加えて、外食や買い物といったその他の消費活動にも好影響をもたらすことが期待されますが、消費全体を拡大させていくためには、家計の可処分所得を押しあげるための減税策や、増税等の家計負担の拡大を抑制する政策が必要でしょう。プレミアムフライデーは消費喚起のきっかけにはなるものの、それが現在の消費低迷を覆す力になるには十分でないと考えられます。……つづきはα-Synodos vol.215で!

 

 

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