2015.01.22
報告5 ロシア・ウクライナ問題と日本の対露政策
ロシアからの日本に対する3つの批判
新潟県立大学教授の袴田です。今日は「ロシア・ウクライナ問題と日本の対露政策」という題で、最近騒がれているウクライナ問題に関して、東アジアを視野に入れつつお話したいと思います。
先日、ウラジオストクで日本とロシアの民間レベルのシンポジウムを非公開で行いました。お互いが非常に率直にものを言い合ったのですが、その場でロシア側から日本に対して、ウクライナ問題に関連して3つの批判がありました。
第1は、ウクライナのクリミア半島で住民投票が行われ、大多数の賛成によってロシアに併合されたことについて世界中がロシアを批判したが、その後5月に行われたスコットランドでの住民投票では批判が起きなかった。どうしてロシアだけが批判されなくてはならないのか、というもの。
第2は、日露両国は最近、政治的にも経済的にも関係を深めていた。日本にとってウクライナは、経済その他の深い関係のない遠い国にもかかわらず、なぜ日本が対露制裁に加わるのか。アメリカの圧力とG7に歩調に合わせただけではないか。日本はもっと主体的に対外政策を行うべきだ、というもの。
第3は、アジアでは中国が、南シナ海のほぼ全域を自国領だと言わんばかりの横暴な行動をして、周辺国と衝突し、また東シナ海でも尖閣諸島で日本と対立している。欧米や日本は対露制裁をしながら、中国に対しては制裁をしていないが、これは不公平ではないか、というものです。
このような批判に対して、みなさんならどう答えますか。ロシア側の言い分にもそれなりの理がある、と思われる方は挙手して下さい。かなり多いようですね。
批判に対する答え
私はこの三つの批判に対して、次のように答えました。
まずクリミアの住民投票については、ロシア軍統制下のもので純粋な住民投票ではなかったという問題点があります。しかし、それはいったん脇に置いて考えるとしても、クリミアとスコットランドの住民投票は本質的に異なると私は指摘しました。
なぜならクリミアの住民投票は、ウクライナの憲法、政府、議会が認めていないからです。たとえば世界中にあるチャイナタウンで、中国系の住民が「この街は中国領にする」と住民投票で決められるか。国際法では、ある国の政府や議会が認めていなければ、一地域が住民投票で勝手に独立や他国への併合を決めることは認められていません。クリミアとスコットランドは、この点で根本的な違いがありました。
第2の批判ですが、次のように答えました。おそらく日本へのアメリカの圧力も、また日本がG7に歩調を合わせたという側面も、あったでしょう。ただし、日本とウクライナは、ロシアに対して共通の問題を抱えているという意味で決して遠い国ではない。つまり、北方領土問題とクリミア問題ですが、日本の観点からすれば、ロシアに主権を侵害されているという共通点があるのです。その意味では、G7の他のどの国よりも、日本には主体的にロシアを批判する権利も、そして義務もあると言えるでしょう。
そして、もしこの問題で日本が国際社会に何の批判的なシグナルも送らなかったら、主権問題に対する日本の真剣度を注視している中国が、尖閣諸島だけでなく「琉球は元々中国のものだった」とエスカレートさせる可能性も否定できない。そうなっても、日本はそれを批判する権利も失ってしまいます。主権侵害の問題については、きちんとした態度を示さなくては、今後のわが国の外交・安全保障政策全般に影響を及ぼすのです。
第3のロシアへの制裁問題ですが、中国の行動は国際法的に到底許されるものではありません。ただ、いまの段階では、中国が中国領だと宣言しているのは、人がほとんど住んでいない小さな島や岩礁です。クリミアのように大都市を含め200万もの人びとが住んでいる地域ではない。もしこれが、歴史的に見てウラジオストクや沿海地方は中国領だと言って中国が力で併合したなら、あるいは沖縄を力で併合したなら、世界は黙っていないし必ず制裁に出るでしょう。
私たちはこのように民間レベルで率直に議論しました。ロシア側の専門家たちも、私の答えに対して、北方領土問題などでは立場が異なるが、日本の立場に立てば、こちらの論は首尾一貫しているし、説得力があると素直に認めてくれました。ここで私が言いたいのは、民間レベルでも微妙な政治問題を避けないで率直に話し合えば、相互の理解と信頼関係はかえって深まるということです。ただそのためには、われわれ自身が、相手を納得させるだけの国際的に通用する認識や論理をしっかり持っていなければなりません。
ウクライナ問題の背景
ロシアによるクリミア併合問題が起きた背景を説明したいと思います。
直接的には、一見偶然的と思える2014年2月の親露派ヤヌコビッチ政権崩壊が原因です。しかし、その背後にはもっと深い歴史の流れがあります。プーチン大統領は、「ユーラシア同盟」という理念を掲げ、旧ソ連諸国をロシア主導の下に再統合しようという大国主義の野望を抱いています。
ソ連邦崩壊後、ロシアの指導者は何よりも新国家の分解を恐れていました。したがって、対外政策でも「領土保全」を最優先しました。チェチェンなどの独立運動で国家が瓦解するのを恐れたためです。しかし、プーチン時代にオイル・マネーなどで経済力が回復し大国としての自信を取り戻すと、ロシア政府は2006年6月から、領土保全とは正反対の「自決権」を強調し始めた。これは、自国についてではなく、近隣諸国の一部地域が分離独立してロシアと一体化する権利を尊重するということです。その延長線上に、2008年のグルジア事件や2014年のクリミア併合があります。
2008年には、グルジアとの戦争の後、ロシアは同国の南オセチア自治州とアブハジア自治共和国を事実上ロシアの保護領にしました。世界中がそれを批判しましたが、翌年に就任したオバマ大統領は、ロシアとの関係改善の「リセット」政策を打ち出し、事実上、両地域のロシア保護領化を黙認してしまった。欧州諸国も同様の態度をとりました。これによってプーチンは、欧米はロシアによる近隣諸国の領土併合を本気で阻止する気力も実力もないと判断したのです。
またロシア国内の要因もあります。2013年にプーチンは外交で大きな白星をあげました。しかし、2014年には逆に外交で大失策をして、国内のシロビキ(軍、治安関係者)など彼の支持基盤から厳しい批判を浴びました。そこで、この大失策を挽回する逆転の大技が必要となりました。それがクリミア併合だったのです。簡単に説明しましょう。
シリア問題で、オバマ大統領が2012年8月に「シリアで化学兵器が使われたら武力介入する」と宣言した後、2013年8月にサリン使用が判明しました。しかしオバマは世界に約束した行動を躊躇して判断を議会に振り、責任を回避してうろたえました。そのときプーチンが「化学兵器の国際管理」案を提案してこれにオバマがすがりつき、面子を救われたのです。このことで、プーチンは国際政治において、オバマより自分の方がはるかに実力者だとの自信を持ちました。
ただその後、ウクライナのヤヌコビッチ大統領を取り込もうとして失敗し、この親露派政権を崩壊させてしまった。プーチンはこれによって、国内の彼の支持基盤から強い批判を受けました。そこでこの大黒星を逆転する大技が必要となり、それが2014年3月のクリミア併合でした。思惑通り、ロシア国内では「プーチンは凄い」ということで、彼の支持率は50~60%から一挙に87%にまで跳ね上がりました。
ロシアと中国の間で
さて、クリミア併合について、安倍首相は「力による現状変更は許されない」としてロシアを批判しました。これは当然のことなのですが、ただ日本の対露外交はジレンマを抱えています。中国、韓国、北朝鮮などとの関係が緊張する中で、安倍首相はロシアとの関係改善に努めてきました。長期的な戦略としてこれは正しい政策です。しかしウクライナの主権侵害に対しては、きちんと批判をしないと、前述のようにわが国の他の外交・安全保障問題に影響が出てしまう。
ロシア批判を強めると、中露接近を促進するので批判は控えるべき、との見解もあります。たしかに、戦略的観点から中露が欧米に対抗して接近するという側面もあります。しかし同時に、中露間には強い不信感もあり、ロシアには中国に対する根強い脅威感もあります。また中国経済は欧米や日本とも密接に結びついています。したがって、中露両国が欧米に対抗して本当の同盟関係を結ぶ可能性はありません。つまり、ロシアを批判すると中露が結束を強めてそれが脅威となる、といった単純なものではない。
ですから私は、日本は長期戦略として、ロシアとの間では平和条約を締結して真に正常かつ良好な関係を構築するよう、最大限努力すべきだと考えます。しかしこのことは、個々の問題についてロシアを批判すべきではない、ということではありません。大きな枠組みとして良好な関係構築を目指しながら、批判すべきときにはきちんと批判するというメリハリのある対露政策が必要なのです。ロシアはむしろ、そのような日本にかえって一目置きますし、単なる宥和政策は「弱さ」としか見ません。
メリハリのある対露政策というのは、実際の外交交渉では、デリケートで難しい対応となります。しかし、これ以外に道はなく、そして長期的にはこれこそが日露関係の真の改善の道だと信じています。(「地殻変動する東アジアと日本の役割/新潟県立大学大学院開設記念シンポジウム」より)
プロフィール
袴田茂樹
1977年 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得後退学 1980-1982年 芦屋大学助教授 1982-1987年 青山学院大学助教授 1987-2012年 青山学院大学教授 1996-1998年 東京大学大学院客員教授 2012年-現在 青山学院大学名誉教授 2012年-現在 新潟県立大学政策研究センター教授