「韓国ムカつく」「訳わからん」と投げ出す前に――『戦後日韓関係史』の使い方

戦後日本外交史のなかの日韓関係

 

白鳥 私はまた別の視点として、時期区分に注目して、本書を読みました。こうした通史を読むとき、序章から順番に読んでいくのが王道の読み方だと思うんですけれども、特に関心のある時代から読み進めてもいいと思うんです。そういう点でいうと、10年刻みで1章ずつというのは読みやすくていいです。

 

ただ、この『戦後日韓関係史』を紐解いてみると、どうやらこの10年ごとという時期区分よりも優先しているものがあったのかなというのが、李鍾元先生ご執筆の序章には書かれています。

 

そこで書かれているのは、大きく4つの時期ですね。最初の時期は1945年から1965年で、これは「空白期」とされています。その次が、「『国家』の関係」の時期で、1965年から1980年代中盤。3つ目が、「交流の拡大」の時期で、1980年代中盤から2000年代中盤。そして、「転換期」ということで、2000年代中盤からという時期区分がなされています。

 

もしかすると、この時期区分に沿って読むほうが、10年刻みで読むよりも、より戦後の日韓関係の現段階というものが、みやすくなるのかなとも思います。

 

この区分には、李先生の意図がいろいろとあると思うんですけれども、どちらかというと、韓国からみたときの「韓日関係」、韓国側の変化みたいなものをより重視した時代設定になっているのかなというのが、私なりの感想です。

 

では、日本からみたとき、すなわち戦後の日本外交はどう分けられるのか。私は、3つの時期に分けられるのではないかと最近考えています。すなわち、1970年前後、1990年前後、それから2010年前後を区切りに、20年刻みで考えると、いろいろなことがわかるのではないでしょうか。

 

この区切りは、序章で書かれている日韓関係の時期区分とは多少ずれています。言い換えると、日韓関係史を書くことと、戦後日本外交史を書くことはイコールではないということが、ここにもしかすると表れているのかもしれません。

 

これは、2国間関係史をどうみるのかといったところとつながるんですが、日米関係史に関していえば、さきほどいった区分はある程度当てはまります。1972年に沖縄返還がありますし、1990年の湾岸戦争はもちろん日米間の問題でもあるわけです。また、2010年前後というのは、今後のアメリカが世界から引いていくだろうということが、ほぼ確実になっていった時期です。

 

このように、日米関係については、うまくはまってくるわけですね。それも踏まえると、おそらく日米関係史を学べば、戦後日本外交の6割ぐらいはわかるんじゃないかと思います。

 

誤解のないように付け加えておけば、2国間、すなわち国家と国家の関係というのは、やはり非対称の関係です。さきほどとは逆に、日米関係史を学んでも、戦後アメリカ外交はたぶん全体の5%くらいしかみえないんじゃないかと思うんです。その非対称な関係を日韓に置き換えてみると、日韓関係史をみるだけでは日本外交史というのは理解することはできないと思います。それが、戦後日本外交史のなかの日韓関係ということに関する私なりのひとつのメッセージです。

 

しかし、日米関係を中心にみていると、これはこれで歪むんですね。本当は、冷戦史みたいなもっと幅広いもののなかに、ちゃんと日本外交史とか、日米関係というのを入れていかないといけないわけです。けれども、日本人はなかなかそれをしない。あたかも、日米関係で世界が回っているかのような言説がたくさん出てくるんです。

 

幅広い文脈のなかにおかないといけないというなかで、日韓関係史という視点が入ることによって、実は「日韓」というのは「日米韓」であるという話がつながります。朝鮮半島と日本の関係に注目すると、それによって、日米関係史や日本外交史が、質的には非常に豊かになっていくんだと思います。

 

「日米韓」や「日中韓」であれば、佐々木さんからいろいろあるのかなと思うんですが。

 

佐々木 私が1980年代末にソウル特派員になったときのことですが、韓国の専門家の人たち、国際関係論とかをやっている人たちは、特に日本を専門にしている人じゃなくても、日本の資料で研究している人たちが多かったことを、覚えています。

 

手前みそになりますけれども、うちが出していた『世界週報』(時事通信社刊、2007年休刊)という国際情報誌で研究しているといってくれる専門家がずいぶん多かったです。そういうかたちで日本を通して政策的なことも考えていこうということが、かなり普通におこなわれていた時代だったなと思います。

 

浅羽 日韓に限っても、1990年代初頭、それこそ中韓、韓ソの国交正常化がなされるまでは、韓国の外交は、アメリカや日本との関係が、貿易の比重をみても合わせて8割を超えるようなときがあって、圧倒的なプレゼンスがあったわけですよね。

 

1990年代以降は韓国の外交空間が多角化して、日米が占める比重がどんどん下がっていきます。そして、ついに、2010年に、韓米と韓日を足した貿易額よりも韓中のほうが上回るようになりました。

 

佐々木 私がソウルにいたときにちょうど中韓の国交正常化が達成されて、私は盧泰愚大統領と一緒に北京の人民大会堂に行って首脳会談の取材などをしたんですよ。正常化交渉は秘密裏におこなわれていて、韓国から国交断絶の通告を受けた台湾側から最初にポッと出て、みんなが騒いだんですね。その後、中韓の正式な発表という流れでしたが、当時、韓国社会のなかで、そういう流れであることはみんな当然知っていながらも、やっぱり大きなものがきたなという雰囲気はあったと思いますよ。

 

ですけれども、そのときにいた自分、さらに付き合いのあった韓国人も含めて、まさかここまで中韓の間の実質的な関係が深まるとは思わなかったですね。そこまで予想していなかったです。

 

浅羽先生がさきほどいわれたように、経済的な結び付きがこれほどまで密接になる、貿易額が日本とアメリカをプラスしたよりも上回るようなかたちになるとまでは予想していなかった。ちょっといまは雰囲気が変わりましたけれども、韓国の大統領が天安門に中国の主席と一緒に立つということも、25年前には想像できなかったですよね。

 

ですから、そのときに思ったよりも非常に速いスピード、あるいは大きな流れとしてここまでたどりついたというのは、本当にそうだと思います。韓国と中国とのつながりの強化というのがやっぱり日韓関係にも影響するし、東アジア全体に対しても大きなインパクトを与えているでしょう。

 

私は中国の地方都市にも取材とかでよく行くわけですが、韓流ブームというのか、韓国の文化なんなりが定着しているんですよね。この間、福建省の泉州というところに行っていたんですけれども、そこのかなり目立つ場所で韓国関係のグッズを売っていたり、韓国料理屋とかがあったりしました。別にコリアタウンをつくっているわけでもないのに、目立つようなかたちでいくつもあるんですね。

 

でも、日本関係のお店はみつからないですよ。そういうふうに、韓流ブーム以降、大衆レベルでの韓国に対する親近感というのが、かなり定着している部分があって、それはやっぱり中国にとっても大きなものだなと感じました。中国人の韓国に対する意識、あるいは北朝鮮と韓国をみる見方というのは、やっぱり根本的に変わってきている面はあると思うんですよ。

 

もちろん、ああいう中国という国ですので、この本で書かれているような三層構造を適用するのは難しい。やっぱり政治主導、共産党主導の社会ですから、市民レベルの交流の深まりがそのまま政治に影響するということは少ないし、許されてもいない。それでも韓国の浸透力というものが、中国全体の社会の枠組みを多少変えていっている面はあるかなと思いますね。【次ページにつづく】

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シノドス国際社会動向研究所

vol.220 特集:スティグマと支援

・稲葉剛氏インタビュー「全ての人の『生』を肯定する――生活保護はなぜ必要なのか」

・内田良「児童虐待におけるスティグマ――『2分の1成人式』を手がかりに考える」

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