2017.08.31

アフリカが示す「国立公園観光化」の教訓――地域社会と円滑にかかわるために

西﨑伸子 アフリカ地域研究、環境学

国際 #等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#国立公園

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

はじめに

わが国の「観光ビジョン」の一環として、環境省が訪日外国人旅行者(インバウンド)の倍増を掲げてはじめた「国立公園満喫プロジェクト」。観光ツアー開発やガイド育成、高級ホテルの誘致が計画されている。

一方で、アフリカの国立公園ではすでに国際環境NGOなどの民間組織が公園の観光開発に参入する動きが本格化している。アフリカの事例をもとに、日本の国立公園観光地化における地域社会との「円滑なかかわり方」について考える。なお、保全地域の観光地化の場合、保全と開発のバランスが最優先課題となるが、ここでは、民間事業者の参入に焦点をあてて論じることにする。

民間の力の活用を掲げた「国立公園満喫プロジェクト」

国立公園満喫プロジェクトの公式ウェブサイトには「日本の国立公園を世界の旅行者が長期滞在したいと憧れる旅行目的地にします」とある。プロジェクト実施の背景には、国立公園のインバウンド利用者数(2013年度)が前年比27.7%と急増した一方で(観光庁調査、推計値)、日本の国立公園が必ずしもインバウンド目線で整備されてこなかったことがある。

たしかに、どこの国立公園にもあるビジターセンターの案内表示は簡素で、その場でガイドを手配できず、トップシーズンでさえ魅力的なイベントがおこなわれているとはいいがたい。自然のなかで遊び慣れていない観光客が「国立公園で遊ぶ」ハードルは高い。ましてや外国人旅行者は、世界遺産に登録されていない限り、情報を得ることも、アクセスすることも難しい。国立公園が有する魅力を十分に引き出せていないのである。

環境省はプロジェクトを実施するために、全国に34ある国立公園のうち8カ所をモデル地区に選んだ。そのなかには、民間の力を活用したエコツーリズム開発や公園内へのカフェの設置などの計画があり、「地方創生への寄与」も期待されている。これまで日本の国立公園において民間業者を参入させるとりくみは積極的におこなわれてこなかったが、このプロジェクトによって方向性が大きく転換する可能性がある。

アメリカにおける国立公園の観光化

現在、国立公園は世界中につくられており、自然観光を代表する場所になっている。世界最大の自然保護団体IUCN(国際自然保護連合:本部スイス)は管理の目的別に保護地域を6つに区分する。国立公園は、人間の活動を限定的に認めるカテゴリーⅡに位置づけられている。環境保全と同時に観光ニーズを満たす人間の活動が認められているため、国立公園内にトレイル(ハイキング道)、道路、ロッジなどのインフラが整備される。

国立公園制度はアメリカで発祥した。西部開拓や開発によって、手つかずの自然(ウィルダネス)が消滅することを危惧する自然保護活動家たちが、国会議員や大統領に働きかけた結果、1916年に国立公園局法が制定され、全国の国立公園を総合的に管理する国立公園局(National Park Service:NPS)が創設された(注1)。

(注1)NPSは国立公園だけでなくニューヨークの「自由の女神像」など約400の自然景観と文化・歴史遺産の保護や管理をおこなう巨大な組織である。

貴重な自然環境の保護と観光開発ニーズのバランスをどのように図るのかは当時から問題になっていたが、観光ニーズが高まるにつれ、公園の整備や拡充が次々にすすめられた。NPS設立100周年を記念して、昨年から「あなたの公園を見つけよう」(Find Your Park)キャンペーンが実施されている。2016年に国立公園を訪れた総人数は、前年比7.7%増の約3億2500万人(National Park Service, 2017)で過去最高となった。

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ロッキーマウンテン国立公園(筆者撮影)

写真は、アメリカのロッキーマウンテン国立公園である。2016年度の訪問者数がアメリカの国立公園で第三位と人気が高い。標高4000m級の山々が壮大な景観をつくり、トップシーズンの園内ビジターセンターは多くの観光客でにぎわう。公園情報の提供はもちろんのこと、土産物屋やレストラン、キャンプ場が併設されている。整備のいきとどいた各トレイルの入り口に案内看板があり、外国人でもハイキングを簡単に楽しむことができ、契約をした民間企業がホテルやレストランなどを運営する。環境省の「国立公園満喫プロジェクト」が目指しているのも、おそらくアメリカの国立公園であたりまえにみられるこのような光景なのだろう。

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整備のいきとどいた公園内のトレイル(筆者撮影)

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ハイキングコースの看板(筆者撮影)

ところで、アメリカと日本の国立公園の違いは、単に観光施設やイベントが充実しているか否かではない。「土地所有のあり方」は国立公園の観光地化を考えるうえで鍵となる。アメリカの国立公園の96%が国有地なのに対して、日本は約26%が私有地で、公園内に人が住んでいたり、生業活動がおこなわれていることがある。さらに、公園の6割を林野庁が管轄していて、しばしば森林利用と環境保全の兼ね合いが問題になる。

したがって、アメリカと同じような管理はできず、日本では土地所有者にとらわれずに公的な規制をおこなう「地域制自然公園制度」がとられていたり、入園の有料化が難しいなどの問題を抱えている。このような事情から、複数の土地所有者と管理者である国との合意の形成が、日本の国立公園の観光地化計画においても大きな課題になると思われ、「地方創生」が期待される理由もそこにある。

このように、土地や自然資源の所有、管理、利用者が複雑に絡み合っている状況がみられるのは日本だけではない。同じような状況で、問題が先鋭化しているのが、アフリカの国立公園である。

アフリカの国立公園制度と「住民参加型保全」

西欧近代的な野生動物保護政策は、19世紀末の植民地統治期にはじまる。当初は今のような野生動物保護のためではなく、統治者や現地のエリート層がおこなう狩猟(スポーツハンティング)のために野生動物が囲いこまれていた。象牙目当ての狩猟などが問題視されるようになると、統治国が主導して、アフリカの野生動物保護や国立公園制度の導入が議論されるようになった。

アフリカには野生動物が数多く生息し、土地が豊富にあるので国立公園の設立はスムーズにいくと思われるかもしれない。しかしアメリカにおいて国立公園設立時に先住民が迫害されたのと同様に、暮らしが顧みられることがなかった牧畜民や狩猟採集民がいた。アフリカの人々の生活と守るべき自然は物理的に切り離すという考えが当時は主流で、公園内での居住や放牧がみられる場合は、強制移住や利用の禁止措置がとられた。

しかし近年、このような方法は随分とあらためられるようになった。とくに、1980年代後半に国際社会に登場した「持続可能な開発」理念や、住民参加型開発についての議論の高まりは、野生動物保護分野においても「住民参加型」への転換を促した。

住民参加型保全を実施するためにもっとも期待されているのが、観光による経済的収益をコミュニティに分配し、環境保全への理解につなげようとする手法で、国立公園の観光地化、エコツーリズム、スポーツハンティングが活用されている。

サブサハラ以南アフリカの24カ国が現在スポーツハンティンングを許可していて、野生動物を消費することで外貨収入を得ているが、国連世界観光機関(UNWTO)が発表した報告資料によると、観光部門の年間売上高の80%は、サファリ、バードウォッチング、トレッキング、ダイビング、アドベンチャーなどの「非消費型」観光によるものである(UNWTO,2015)。アフリカに特徴的なのは、これらの観光が、国立公園内だけでなく周辺地域でもおこなわれており、地域社会に多くの経済的収益をもたらしている点である。

国立公園周辺における自然観光への地域住民のかかわり方――土地所有と資源管理が鍵になる

アフリカの自然観光が日本やアメリカと異なるのは、国立公園などの野生動物保護区が、国民のレクリエーションのための公共施設とは位置づけられておらず、最初から外国人観光客を前提とした国際観光を中心に成立している点である。

外資系企業が、欧米人観光客を意識した観光ロッジ経営やツアー商品の開発を独占しており、観光業のノウハウがない地域住民が参入するのを難しくしている。地域に暮らす人々は自然の一部として民族文化観光の対象になるか、土産物を細々と販売するか、ホテルの清掃業等の観光業の末端に位置づけられる仕事を低賃金でおこなうほかなかった。

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サファリカーの乗客にみやげものを売るマサイ(筆者撮影)

ところが、住民参加型の開発/保全/観光が導入され、コミュニティに注目が集まることで状況は大きく変わる。

たとえば、国立公園などの保全地域外にも野生動物が数多く生息する南部アフリカ諸国や東アフリカの一部の国では、コミュニティが所有する共有地でも野生動物がみられ、コミュニティと契約を結んだ民間の観光業者がホテル経営などの観光業をおこなう。コミュニティには民間の業者から土地の貸借料が支払われ、コミュニティがその収益の使途を決める。

鍵となるのは、組織をつくり、委託先の企業を決め、収益の使途を決める権限がコミュニティに付与されていることである。近年では、外国政府の援助スキームとして、貧困削減と環境保全の両立を目指す総合的地域開発の一環で保全地域周辺において人材育成事業(みやげものづくり指導やガイド育成など)がおこなわれており、これまで観光業に無縁の住民が観光分野で起業するケースもでてきている。

もちろん、地域住民がうまく観光業を利用しているケースばかりではない。独立以降も広大な土地をヨーロッパ人が所有している国では、土地の私有地化が急速に進み、共有地やコミュニティを単位としたとりくみが難しくなってきていたり、国立公園に隣接する土地所有権を取得した白人地主が私設野生動物保護区を経営することで観光客の獲得競争が激しくなったりすることもある。汚職が蔓延し、義務づけられているはずのコミュニティへの収益の分配が機能していないこともすくなくない。また、住民が狩猟をおこなう権利はまったく認められていないなどの問題もある。

このように、成功だけでなく失敗事例や課題も含まれているが、国立公園周辺の地域社会がおこなう「環境保全と観光」をくみあわせたとりくみは、植民地期に野生動物を利用することが禁じられてきた住民に資源利用(とくに土地に関する)の権利を付与しているという点で、希望を見いだすことができる。将来的に地域開発と国立公園の保全を一体的にとらえることができれば、生物多様性保全の観点からも期待はできる。

次に紹介するのは、国立公園そのものの管理運営を国際環境NGOに委託するエチオピアの事例である。

国際環境NGOに委託された国立公園の運営

エチオピアにおいて西欧近代的な野生動物保護政策が本格的に導入されたのは、社会主義政権期(1974~1991年)である。植民地化された近隣諸国が19世紀末から野生動物保護に関する法制度を整備し、実効的な統治をはじめていたのに比べると、半世紀ほど遅れて保護思想の影響を受けだした。新しい保護区が次々と設立され、地域住民はその際に公園から強制的に排除されることもあった。

「住民参加型保全」理念がエチオピアに導入されるのは、1991年に現政権が誕生してからである。2000年代になると、野生動物保護のために観光を活用する策が登場した。1997年から2008年にかけて野生動物の保護区域が新たに10カ所増加し、現在、20カ所の国立公園と、3つのサンクチュアリが国土に占める割合は4.7%(総面積:52,478 平方キロメートル)になった。

保護区域の拡大にともない問題となっていたのが財政難である。わたしは1996年から1998年にかけてサンクチュアリでボランティア活動をしていたが、そのときには車の修理費やガソリン代さえも十分に捻出できない状況であった。政府は、野生動物保護分野に関心をもつ先進諸国に野生動物保護区を割り当て、インフラの整備や管理費の支出を含む保護プロジェクトの実施を要請していた。援助資金をそのまま環境保全関連費用にあてようとしていたのである。

すべてを国有地とするエチオピアでは、先に述べた南部アフリカ諸国や一部の東アフリカ諸国のように土地の私有地化も進んでいない。国立公園管理の民間委託は、このような政治経済の状況下で生じた苦肉の策といえる。

2003年に政府はネチザル国立公園(総面積514平方キロメートル、スウェインハーテビーストの保護のために1974年に設立)の管理をアフリカンパークス財団(以下、財団と記す)に委託すること決め、2004年に公表した。

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エチオピア固有種・絶滅危惧動物指定のスウェインハーテビースト(筆者撮影)

財団は、オランダを拠点とする国際環境NGOで、2000年の設立以降、ザンビアやマラウイ、チャド、コンゴ共和国、ルワンダ、ザンビアなどで国立公園の管理を担い、2020年までに15か所に拡大することを目標に掲げている。

財団の公式ウェブサイトでは、「適切に管理された国立公園は、単に生物多様性を保護するためだけではなく、その国の経済的資産として重要である。アフリカには1200もの国立公園が存在しているが、そのほとんどが実質的な管理がなされていない」と指摘する。

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ネチザル国立公園遠景(筆者撮影)

財団がネチザル国立公園の管理をおこなっていた2004~2012 年の 8 年間に、エチオピアは平均で11%の経済成長を成し遂げている。それまで道路や宿泊施設などのインフラが十分に整備されていないため、近隣諸国と比べて観光産業は発展しなかったが、高い経済成長を背景に、政府は道路の舗装、民間企業によるホテル建設など国家観光計画に沿った開発をすすめた。さらに、野生動物保護法を改正し、野生動物の保護区域の管理運営に民間セクターが参入できるよう規制緩和をおこなった。財団は規制緩和後の民間事業者の第一号となったのである。

国際環境NGOによる国立公園の観光化はなぜ失敗したのか

財団のアプローチの中心はエコツーリズム開発である。財団による管理後、ネチザル国立公園の入園者数は、2004~07年にかけて順調に増加し、象やバッファローの再移入が計画された。この計画には、人と野生動物の衝突を減らすためのフェンス設置がくみこまれていたために、これまでにも頻発していた住民との対立が懸念されていた。

さらに、契約時に住民の強制移住が盛り込まれていたことがわかり、大きな問題となった。この地域の民族集団コレ(Kore)とグジ(Guji)約1万人が、公園内に違法に居住していることが調査によって明らかになっていた。

国際人権NGOによると、1020世帯のコレを強制移住させる際に、代替地の提供、医療サービスの充実、学校や井戸の建設、当面の食料の提供および一人17ドルの補償金を州政府が約束したが、実際には守られず、半農半牧民のグジにいたっては、警察と公園関係者が463軒の家屋を焼き払ったという。国際人権NGOは、強制移住を非難する声明を世界に向けて配信することで、この保護区での深刻な人権侵害を訴えた。

その後、財団は、当初予定にはなかった地域住民との直接交渉を試みたが合意に至らず、2007年12月に中央政府との契約を打ち切った。のちに財団は、契約の途中解除は州政府がグジとの交渉に非協力的であったからだと述べている。財団は、2005年に南部諸民族州政府が管轄するオモ国立公園(1966年設立、総面積4,068 平方キロメートル)でも公園管理の契約を中央政府と結んだが、地域住民との交渉がここでも決裂し、2008年に中央政府との契約を途中解除した。

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国立公園内で放牧がおこなわれる(筆者撮影)

財団の失敗の原因は、彼らが導入しようとした「観光業を活用する保全策」が、地域住民からみれば社会主義政権期におこなわれた「住民を排除する保全策」とまったく同じ方策とみなされたことにある。グジは、1982年に公園内から強制移住させられ、新政権への移行期の混乱に乗じて公園内に戻ってきた。たとえ将来の観光収入の配分を約束されていたとしても、その保障はなく、結果的には強制移住が再び実施されたにすぎないのである。

地域住民との円滑な関係の構築は机上の空論であった。財団から仕事を委託されていた州政府の役人(自身も牧畜社会の出身)の一人は、「公園の保全は、その地域にとって優先順位の低い小さな問題の一つでしかなく、交渉に応じる積極的な理由が住民側になかった」と述べた。

エコツーリズム開発を軌道にのせるには相当の時間を要する。たとえ一時的に成功したとしても、観光産業は不安定で、短期的視野で考えるとビジネスだけでなく環境保全もうまくいかない。何より問題なのは、短期的視野で実施される観光開発が失敗すると、国も民間事業者も責任を負うことなく、あっけないほど簡単にその土地を立ち去ってしまうことである。後に残るのは、土地を奪われた人々の苦い記憶だけである。

国立公園周辺の「地域社会の持続性」が鍵になる

最後に、日本への示唆について考えておこう。

日本の国立公園は、複雑な土地の所有・管理がおこなわれている状況や、公園周辺の地域社会との関係を考慮しなければならないことなどをみると、国立公園制度の発祥地であるアメリカよりもアフリカとの共通点が多くみられる。エチオピアの事例のように、国立公園の管理運営をすべて民間業者に委託することは、いまのところ日本では考えられない。国立公園は公共性が高く、専門的な技術や知識が必要されるために、国による管理がふさわしいと考えられてきたからである。しかし、アメリカやアフリカのように、今後環境NGOや民間企業が担う役割はますます大きくなる可能性がある。

まず、国立公園の観光化は進めていくべきであろう。今のままでは国立公園の魅力が十分に発揮できていない。しかし、民間事業者の参入を積極的に容認し、「地方創生」を本気で考えたいのであれば、国立公園内だけでなく、国立公園を含む地域社会がこれからどうあるべきなのか、土地や自然資源の所有や管理にどのような問題があるのかなどの情報を、計画段階から関係者が共有し、深く理解し、合意のうえで将来計画を長期的スパンで作成・実行していく必要がある。エチオピアの事例においては、プロセスはもとより、目指すべきゴールが関係者間で共有できていなかったことが、失敗の原因のひとつであった。

インバウンドの倍増だけを目的に、都会のコンサルタント会社が作成する観光推進計画を実施するのではなく、観光開発業者と住民が対等な関係のなかで地域の将来を検討することが重要になる。そのためには、環境省、林野庁、基礎自治体、民間事業者がスムーズに連携できるよう、縦割り行政の見直しやし、住民の意見が十分に議論される方法について検討する必要がある。

モデルに選定された8つの公園では、国、県、関係市町村、民間団体による「地域協議会」が設置され、「ステップアッププログラム2020」とよばれる計画が策定されていることから、どのように計画が実行されていくのかが今後の課題になる。税金を投入する以上、観光業への参入に積極的で、起業が可能な個人や大企業だけに焦点をあてるのではなく、より広範な地域づくりの視点が不可欠である。それがなければ、かつてリゾート法とバブル景気に乗って全国で展開された「リゾート開発」の失敗を繰り返すことになるだろう。地元住民は「観光」があまりに移ろいやすいことを十分に知っている。

国立公園の環境保全を考える場合、保全と開発の両立を検討するだけでも手一杯で、周辺の地域づくりにまで責任を持てないし、そこまで「円滑に」地域社会とかかわる覚悟はもてないという声は常にでてくる。しかし、保護区域をとりまく地域社会の実情を考慮しない保全・開発計画を実施しても、最後にはうまくいかなくなるという、あたりまえだけれども重要なことを、アフリカの事例はわれわれに教えてくれる。

※本稿は、拙著「新自由主義的保全アプローチと住民参加: エチオピアの野生動物保護区と地域住民間の対立回避の技法」(2016年)に加筆修正したものである。

参考文献

・World Tourism Organization (UNWTO) (2015) Towards Measuring the Economic Value of Wildlife Watching Tourism in Africa.

・西﨑伸子(2016)「新自由主義的保全 アプローチと住民参加: エチオピアの野生動物保護区と地域住民間の対立回避の技法」 山越・目黒・佐藤編『第5巻自然は誰のものか-住民参加型保全の逆接を乗り越える』『アフリカ潜在力シリーズ』(太田総編集、全5巻)京都大学学術出版会:211―243.

プロフィール

西﨑伸子アフリカ地域研究、環境学

福島大学行政政策学類教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員などを経て2006年より現職。1999年からエチオピアの国立公園制度、野生動物と人の共存、自然/文化観光の調査をおこなっている。主著に『抵抗と協働の野生動物保護-アフリカのワイルドライフ・マネージメントの現場から』(2009年、昭和堂)がある。元青年海外協力隊隊員(エチオピア、生態学)。野生生物と社会学会理事。

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