「野党って何?」を考える

偏在する野党

 

確固とした野党イメージを持つことの難しいもうひとつの理由は、野党は民主政治においてユビキタス(偏在)な存在であることにある。確かに、イギリス政治のように、凝集性の高い二大政党組織の間で政権交代が常態となっている国の野党像は判りやすい。その反対に、オーストリアやドイツのように、最近になっても保革の二大政党がいわゆる「大連立」を組んでいるような場合、あるいは多党間の連立協議によって政権が作られる場合の野党はどこに位置づけられるだろうか。

 

スイスでは議会の主要政党のすべてが閣僚を出す政治制度を採用しているから、公式的な意味ではスイスに野党は存在しない。そのような極端な例でなくとも、アメリカでは大統領と上下両院多数派の党派が異なるという「分割政府」が1970年代以降、ほとんどの場合に観察されている。その場合の野党はどちらになるのか。

 

もっとも包括的で簡便な野党の定義は、政治学者のロバート・ダールが施した「主体Aが統治する間、統治に関与しない主体Bのこと」というものだ。そうだとしても、統治領域の伸縮に応じて、野党の定義も伸縮し、これが野党を偏在的なものにしている。

 

もし野党を政権の政策に反対するという機能でもって定義するのであれば、連立政権内で与党第一党の政策に反対する連立パートナー(公明党のように)も野党ということになってしまう。

 

かつては自民党の中の様々な派閥こそが野党的な機能を果たす側面もあった(総裁の交代が『疑似政権交代』と呼ばれたように)。そうではなく、政権ポストや予算の恩恵に預からない集団・組織という主体から野党を定義しても、これらが与党の政策に賛成することもあるから、それを野党として一括りにしてしまうことにも無理が生じる。野党を機能でみるのか、その地位によってみるのかに応じても、野党イメージというのは変化するものなのである。

野党の外延

 

野党イメージを持つことが難しい三つ目の理由は、野党の外延を特定するのが難しいからだ。日本語の「野党(在-野の党)」には「党」という言葉が含まれているから、自ずと院内(議会)内の組織集団が連想される。

 

しかし、野党は欧文では「オポジション=対抗勢力」となり、この中には院内の組織集団だけでなく、院外の政治勢力も含まれ得る。時の統治権力やその政策に反対する一枚岩的な組織集団(政治運動を行う市民団体や労働組合など)もオポジションに含まれることになるのである。

 

この「オポジション」が院外と院内とで綺麗に分かれていれば、より認識しやすいかもしれない。しかし、オポジションの多くは院外と院内にまたがって存在する。かつては労組と一体的な行動をしていた西欧の社民・共産党がそうであるし、また最近では、もともとは市民運動から始まった緑の党がこれに当てはまる(日本語では「党」が付くが、ドイツ語やフランス語でもこれらの政党は単に「緑」と呼ばれている)。

 

もし進められる政策や現状に反対するという機能がオポジションの意味なのであれば、ここに解散したSEALDsや「行動する保守」の諸団体、アメリカのティーパーティ運動などを含めないわけにはいかなくなる。

 

以上のように、存在様式の変化(抗議型から対案型)、外延の広さ(ユビキタスな主体)、機能の広さ(オポジションの機能)の何れをとっても、野党とは実に捉えがたい存在なのであり、そのことが一般的に野党に何を期待するのかが多岐に渡っていることの理由を説明する。

 

 

ツールとしての野党

 

繰り返しになるが、野党は民主政にとっては欠かせない存在である。それは、これまで民主主義という政治がサバイブしてこれたことの大きな理由のひとつになっている。

 

民主主義は、端的にいって誤謬を許容するシステムのことでもある。特定の方針や政策が何らかの条件や環境変化によって行き詰まった場合、それとは異なる方針や政策を自らの内部にプールしておき、それを次の局面で活用することで、システム全体は持続することになる。

 

有機体が免疫力を高め過ぎると機能不全を起こしてしまうのと同じように、政治で野党を抹殺してしまうことは、システム崩壊の蓋然性を高めることになる。

 

日本では、小選挙区制と低成長によって政党が組織的にもイデオロギー的にも純化していっている。複数政党制は、内部に多様性を抱え込むことで民主政治の長期的な安定を実現するが、二大政党制は、政権交代を通じて民主政治の長期的な安定を実現しなければならない。政権交代なき二大政党制は最悪の組み合わせであるゆえ、野党が果たさなければならない役割はますます大きくなっている。

 

具体的にいえば、冒頭で紹介したように、何らかの形での野党連合を実践することが必要になる。先に逝去した政治学者の篠原一は、1980年代から連合政治の実践を唱えていたが、彼は「連合は不一致なものの間に一致を作り出す作業であるから、そもそも連合を作り出すこと自体決して容易なことではない」と指摘していた。しかし「不一致に一致を作り出す」ためにこそ政治は存在している。

 

戦後の日本の野党は、社会党に代表される「異議申し立てを行う野党」から始まり、その後、政権交代を目指す民主党のような「対案型の野党」へと進化を遂げてきた。その中で異議申し立て型と対案型が混在しているのが現状といえる。その上で、この両方の野党の在り方をいかに矛盾なく、多様な形で折衷していくことができるのかが、多くの野党に求められている役割だろう。

 

野党は何も多様性の確保やマイノリティの保護、政治的な多元性の実現といった綺麗言のためだけに存在するのではない。それは時々の争点を明確にし、与党に緊張感を与え、特定の政策が行き詰った時の代替案を用意しておくという機能を担う。つまり、この国の民主政がサバイバルするために必要不可欠なツールであり、資源なのでもある。その資源の特質を知悉し、十分に使いこなすことができているのか――それこそが有権者に問われることになるのだろう。

 

(本文は荻上チキ責任編集“α-Synodos” vol.186+187(2015/12/20)「『野党って何?』を考える」に、その後の展開を加味して、加筆・補筆したものです)

 

 

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