2016.09.26

「野党って何?」を考える

吉田徹 ヨーロッパ比較政治

政治

野党の季節がやってきた

自民党の「一強多弱」の様が濃厚となってからというもの、「野党」とは何であるのか、果たすべき役割とは何かが、改めて問われている。

実際に2016年の参院選を控えて、野党による共通政策作りを提唱する共産党の「国民連合政府」、生活の党・小沢一郎による「日本版オリーブの木」、民主党の一部からの「民主・維新合併案」など、野党再編をめぐる綱引きが活発化した。こうした中、民主党は「維新の党」を吸収して「民進党」として参院選を戦い、他野党との選挙協力を実現して、敗退を何とか食い止めた。

2013年の参院選では、民主党と共産党が19選挙区で競り合っていたのが、今回は全32選挙区で野党4党による候補者の一本化が実現した。こうして与野党一騎打ちの構図となった選挙区での共闘は、比例での野党票の掘り起こしに加え、投票率の引上げもみられ、野党ブロック全体の票が底上げされている。民進党の無党派層からの得票も前回と比較しほぼ倍増、自民党と互角となった。

こうした野党間協力は、来る衆院選でどう生かされるのか。二大政党制へのドライブがかかる現在の衆院選の選挙制度のもとで野党が生存しようとすれば、何れにしても野党間の協力は不可欠となる。2012年の総選挙では自公以外に10もの政党が残る票を奪いあったから、自公の与党ブロックが有利になったのは当然の成り行きだった。

2014年の総選挙の場合、得票率でみると、投票率の低さもあり、自民党に投票した有権者は小選挙区で4人に1人、比例でも6人に1人でしかなかった。つまり、実際に自民党に投票したのは実に有権者10人のうち2.5人に過ぎない。だから、野党がまとまることで、残る有権者の「多数派」の票をシェアするのではなく、積み重ねることができれば、2.5割民意に寄りかかる自民党は下野することになる。

これまで野党各党は、政権交代を目指すというより、野党ブロック内でいかに敗者にならないかに専念してきた。実際、野党は与党と競い合う以上に、他の野党との競争にも参加しなければならないから、野党に対して優位を保つことだけに専念すればよい与党よりも、構造的に不利な状況に置かれる。

つまり、これまでは民主党は維新に対して、維新はおおさか維新や共産党に対して、リードを保たなければ、期待される政権交代の恩恵にすら預かれなくなってしまう構図だった。民主党と維新が合併し、選挙区で戦える大きな野党は共産党だけとなった。今後は民進党と共産党がいかなる選挙協力を打ち出し、それを有権者がどう評価するかが、選挙の行方を決するだろう。

このように、与党は野党がどう振る舞うかで自らの立場や政策を変えることになるし、その野党は他の野党に対しどう振る舞うかで、今度は与党がどう振る舞うかが変わってくる。与野党同士の振る舞いの兆飛を通じて、野党はその国の政治の行方を決める重要なアクターとなる。

それにも係らず、「野党」がいかなる存在であるのかということについては、政治学においても、これまで十分なコンセンサスが得られてきたとは言い難い。その理由は、野党の機能が多岐に渡っていて、統一的なイメージを抱くのが難しいことにある。以下では、統一的なイメージを抱くのが難しい理由を三つあげた上で、では野党には実際に何が問われているのかを最後に確認する。

野党が持つコントラスト

最大の野党イメージのコントラストは、〈与党の権力・政策をチェックして異議申し立てを行う野党〉なのか〈政権担当能力を持つ対案型の野党〉なのかという、2つの対照的な理念型にあるだろう。

たとえば、安倍首相は2014年1月の施政方針演説で「責任野党」という言葉を使ったが、これは何にでも反対する無責任な野党は野党の名に値せず、与党の進める政策の土俵にのって、それを修正していくことこそが本来の野党に相応しいというイメージに訴えかけるものだった。首相に限らずとも、「政府のいうことに反対ばかりしている万年野党は無責任だ」という言説は、一般的にみられる。

ただ、「対案型野党=責任野党」ではなく、〈与党の権力・政策をチェックして異議申し立てを行う野党〉の方こそ、多くの先進国における野党の基本形だったことに留意しておこう。西ドイツ、イタリア、フランスなどでも戦後の長い期間、保守政党が政権与党だったが、これに対峙する社民政党や共産党(場合によっては極右政党)は、政治体制をめぐる競争や階級闘争を展開して、与党と対決していた。日本でも、議席の過半数に満たない候補者しか立てず、政権奪取よりも自民党に異議申し立てを行うことに撤した55年体制下の〈万年野党〉としての社会党がその典型だった。

もっとも、この野党類型の王道たる〈万年野党〉は、先進国での戦後政治が成熟して保守/革新による政権交代が常態化し、また冷戦構造が崩壊してから、転換を余儀なくされていく。ポスト産業時代になって階級闘争路線は成り立たず、もはや体制レジームの転換も有り得ず、政権交代の蓋然性だけが高まっていく中で、とりわけ社民政党の側の現実路線化が顕著なものとなっていく。こうして、〈政権担当能力を持つ対案型の野党〉という、戦後の野党類型の大転換が訪れることになる。

たとえばイギリス労働党は、サッチャー/メージャー保守党の長期政権(保守党が3期続けて政権を担ったのは戦後初めてのことだった)を受けて、それまでの公共部門・労組重視の政策を打ち捨てて、1990年代に大きなヴォリューム・ゾーンとなった中間層の政党へと脱皮した(「ニューレイバー」)。そして、少なくとも主たる経済政策については、保守党とそう大きく変わらない政党へと転換していく。この変身によってニューレイバーは、やはり3期に渡って政権を担うことに成功したのである。

イギリスは二大政党制の国だが、その他の多党制の国でも、極左や極右政党は、より現実主義的な政策を掲げるようになっていった。たとえばかつての極右政党は、今ではポピュリスト政党と呼ばれるようになり、少なくとも昔のように政治体制や議会制民主主義の正当性そのものを疑義にさらすことはなくなった。

時をほぼ同じくして、日本では1993年に55年体制が崩壊、本格的な野党ブロックが誕生した。その主流はそれまで与党にいた政治家が占めたから、大きな政策的な脱皮はなかったものの、その後の自社さ政権で社会党がそれまで体制をめぐる最大のシンボルだった自衛隊違憲という党是を撤回したことで、この〈異議申し立てを行う野党〉の類型は凋落していく。その後に非保守系の集団を組織した(旧)民主党(1996年~)は、時の橋本政権の予算審議に応じたことで「与党でも野党でもない「ゆ党」」などと揶揄されたが、野党イメージの先端を行くものだった。

日本においてもこの「ゆ党」こそが〈政権担当能力を持つ対案型の野党〉の原イメージとなっていく。1998年に公的資本注入での自民党と民主党が合意し、2012年には「税と社会保障一体改革」で民自公が3党合意したように、与党と野党の関係は対決型というより調整型の比重が増えていくことになる。第二次安倍政権との対決姿勢を貫いているかにみえる現在の民進党も、法案の8割に賛成を投じている。

こうして、〈異議申し立てを行う野党〉と〈対案型の野党〉とが混在していくようになり、結果として野党の焦点はぼやけるようになった。他の先進国でもこうした異議申し立ての野党(イギリスのUKIP、フランスのトロツキスト党、スペインのポデモスなど)があり、日本でも共産党が存在しているから、異議申し立て型の政党が消滅したわけではない。

もちろん、これらのいわば万年野党も、多数派をとることはなくとも、支持する人々が実際におり、彼らの存在を政治的に保障することで、政治の安定に寄与しているから、無用なものではない。一般的に、政治的な合意形成の度合いが高ければ高いほど、その政治体制への支持は高くなっていく好循環が生まれる。そのためには、やはり異議申し立てに専念する野党がいて、彼らが民主政治というプレイに参加することで、体制の安定性は高まるのである。

偏在する野党

確固とした野党イメージを持つことの難しいもうひとつの理由は、野党は民主政治においてユビキタス(偏在)な存在であることにある。確かに、イギリス政治のように、凝集性の高い二大政党組織の間で政権交代が常態となっている国の野党像は判りやすい。その反対に、オーストリアやドイツのように、最近になっても保革の二大政党がいわゆる「大連立」を組んでいるような場合、あるいは多党間の連立協議によって政権が作られる場合の野党はどこに位置づけられるだろうか。

スイスでは議会の主要政党のすべてが閣僚を出す政治制度を採用しているから、公式的な意味ではスイスに野党は存在しない。そのような極端な例でなくとも、アメリカでは大統領と上下両院多数派の党派が異なるという「分割政府」が1970年代以降、ほとんどの場合に観察されている。その場合の野党はどちらになるのか。

もっとも包括的で簡便な野党の定義は、政治学者のロバート・ダールが施した「主体Aが統治する間、統治に関与しない主体Bのこと」というものだ。そうだとしても、統治領域の伸縮に応じて、野党の定義も伸縮し、これが野党を偏在的なものにしている。

もし野党を政権の政策に反対するという機能でもって定義するのであれば、連立政権内で与党第一党の政策に反対する連立パートナー(公明党のように)も野党ということになってしまう。

かつては自民党の中の様々な派閥こそが野党的な機能を果たす側面もあった(総裁の交代が『疑似政権交代』と呼ばれたように)。そうではなく、政権ポストや予算の恩恵に預からない集団・組織という主体から野党を定義しても、これらが与党の政策に賛成することもあるから、それを野党として一括りにしてしまうことにも無理が生じる。野党を機能でみるのか、その地位によってみるのかに応じても、野党イメージというのは変化するものなのである。

野党の外延

野党イメージを持つことが難しい三つ目の理由は、野党の外延を特定するのが難しいからだ。日本語の「野党(在-野の党)」には「党」という言葉が含まれているから、自ずと院内(議会)内の組織集団が連想される。

しかし、野党は欧文では「オポジション=対抗勢力」となり、この中には院内の組織集団だけでなく、院外の政治勢力も含まれ得る。時の統治権力やその政策に反対する一枚岩的な組織集団(政治運動を行う市民団体や労働組合など)もオポジションに含まれることになるのである。

この「オポジション」が院外と院内とで綺麗に分かれていれば、より認識しやすいかもしれない。しかし、オポジションの多くは院外と院内にまたがって存在する。かつては労組と一体的な行動をしていた西欧の社民・共産党がそうであるし、また最近では、もともとは市民運動から始まった緑の党がこれに当てはまる(日本語では「党」が付くが、ドイツ語やフランス語でもこれらの政党は単に「緑」と呼ばれている)。

もし進められる政策や現状に反対するという機能がオポジションの意味なのであれば、ここに解散したSEALDsや「行動する保守」の諸団体、アメリカのティーパーティ運動などを含めないわけにはいかなくなる。

以上のように、存在様式の変化(抗議型から対案型)、外延の広さ(ユビキタスな主体)、機能の広さ(オポジションの機能)の何れをとっても、野党とは実に捉えがたい存在なのであり、そのことが一般的に野党に何を期待するのかが多岐に渡っていることの理由を説明する。

ツールとしての野党

繰り返しになるが、野党は民主政にとっては欠かせない存在である。それは、これまで民主主義という政治がサバイブしてこれたことの大きな理由のひとつになっている。

民主主義は、端的にいって誤謬を許容するシステムのことでもある。特定の方針や政策が何らかの条件や環境変化によって行き詰まった場合、それとは異なる方針や政策を自らの内部にプールしておき、それを次の局面で活用することで、システム全体は持続することになる。

有機体が免疫力を高め過ぎると機能不全を起こしてしまうのと同じように、政治で野党を抹殺してしまうことは、システム崩壊の蓋然性を高めることになる。

日本では、小選挙区制と低成長によって政党が組織的にもイデオロギー的にも純化していっている。複数政党制は、内部に多様性を抱え込むことで民主政治の長期的な安定を実現するが、二大政党制は、政権交代を通じて民主政治の長期的な安定を実現しなければならない。政権交代なき二大政党制は最悪の組み合わせであるゆえ、野党が果たさなければならない役割はますます大きくなっている。

具体的にいえば、冒頭で紹介したように、何らかの形での野党連合を実践することが必要になる。先に逝去した政治学者の篠原一は、1980年代から連合政治の実践を唱えていたが、彼は「連合は不一致なものの間に一致を作り出す作業であるから、そもそも連合を作り出すこと自体決して容易なことではない」と指摘していた。しかし「不一致に一致を作り出す」ためにこそ政治は存在している。

戦後の日本の野党は、社会党に代表される「異議申し立てを行う野党」から始まり、その後、政権交代を目指す民主党のような「対案型の野党」へと進化を遂げてきた。その中で異議申し立て型と対案型が混在しているのが現状といえる。その上で、この両方の野党の在り方をいかに矛盾なく、多様な形で折衷していくことができるのかが、多くの野党に求められている役割だろう。

野党は何も多様性の確保やマイノリティの保護、政治的な多元性の実現といった綺麗言のためだけに存在するのではない。それは時々の争点を明確にし、与党に緊張感を与え、特定の政策が行き詰った時の代替案を用意しておくという機能を担う。つまり、この国の民主政がサバイバルするために必要不可欠なツールであり、資源なのでもある。その資源の特質を知悉し、十分に使いこなすことができているのか――それこそが有権者に問われることになるのだろう。

(本文は荻上チキ責任編集“α-Synodos” vol.186+187(2015/12/20)「『野党って何?』を考える」に、その後の展開を加味して、加筆・補筆したものです)

プロフィール

吉田徹ヨーロッパ比較政治

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『「野党」論』(ちくま新書・2016年)『感情の政治学』(講談社・2014 年)、『ポピュリズムを考える』(NHK 出版・2011 年)、『民意のはかり方』(編著、法律文化社・2012 年)、『ミッテラン社会党の転換』(法政大学出版局・2008 年)など。

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