2014.06.27

「分裂」と「統一」のジレンマを克服する――野党勢の「オープン・プライマリ」という選択

吉田徹 ヨーロッパ比較政治

政治 #「新しいリベラル」を構想するために

安倍自民党の「一強」体制が続く。これは高い政権支持率だけでなく、野党勢力に勢いがないのも影響している。民主党は支持率が低迷したまま、どのような対立軸を作るのか見えず、維新の会は「結いの党」との合併を視野に入れ、旧「太陽の党」(「次世代の党」)と分党した。自民党政権に秋波を送ったみんなの党の代表は辞任に追い込まれ、小沢一郎の生活の党は様子見を決め込んでいる。

つまり、それぞれの党が自党の利益を勝手に追求していることで、自民党を結果的に利してしまっているのが現状だ。民主政治では各党が政権の座をめぐって激しく競争することは大事なことだが、そのような状況にはほど遠い。ではどのようなブレークスルーがあるのか――本稿は複数の野党が共同で実施し、統一候補を一般有権者の手によって選出する「オープン・プライマリ」が有効ではないかと提案する。

野党分裂は政権交代の不可能性を意味する

2012年の総選挙で自民党は294議席(議席総数の61%)を獲得して与党に返り咲き、下野した民主党が獲得したのは57議席(同12%)に過ぎなかった。反対に、2009年の政権交代選挙で民主党の議席は308議席(同64%)、自民党は119議席(25%)である。

この数字から確認できるのは、2012年に野党となった民主党は、09年に野党であった自民党よりも議席シェアを失い、それらが「維新の会」や「みんなの党」、「未来の党」へと流れた事実だ。換言すれば、野党勢力が獲得できる潜在的な得票率は3割程度であり、その中のパイを喰い合っていては政権交代は不可能になる。

実際の選挙区でみてみる。例えば埼玉一区では当選者(自民・村井英樹氏)が獲得した票数は9万6000票。もし次点の民主党候補者(武正公一氏・比例区当選)の得票数(7万6000)とみんなの党候補者(日色隆善氏・維新の会推薦)の得票数(4万2000)の票が合算していれば、非自民候補が当選していた計算になる。このように非自民ブロックの票が割れてしまったがゆえに議席を失った選挙区はかなりの数にのぼる。

ヘゲモニーゆえの成功と失敗

つまり、もし政権交代を今後も継続して日本で実現していきたいのであれば、野党勢力が何らかの形で協力関係を構築するしかない。少なくとも一連の世論調査では、政権交代そのものが良いことだとする意見は多数を占めている。

日本では93年以降、政治的不満や無党派層がほぼ一貫して増加している。その理由のひとつは日本新党、さきがけ、新生党、自由党など、非自民ブロック内が細かくクラスター化していたからでもある。こうした中これらクラスターをかき集め、野党ブロック内でヘゲモニーを勝ち取って政権交代を実現したのが民主党であった。同党が総選挙に際して社民党や共産党との実質的な選挙協力を実現できたことが政権交代に寄与した。

こうみると「維新の会」と「結いの党」との間で模索されているように、野党が統一的な勢力を形作ろうとすることは理に適っているといえる。もっとも、民主党のように政権交代の実現を目標に政党組織を形成してしまえば、権力を獲得した後に内部分裂や権力闘争が再燃する可能性が高い。高い授業料を払ってその事実を学んだのが民主党政権だった。組織内部の軋みがすでにみえている他党が同じ轍を踏まないとも限らない。

野党勢が分裂していては政権交代は実現しない。しかし無理に統一しては政権は続かない――このジレンマはどのように克服されるのか。具体的な提案をする前に、まず野党とはどのような存在であるのかを予習しておこう。

「政治の批判を政治そのものにする」

野党のことを英語では「オポジション(opposition)」と呼ぶ。ジャーナリストだったウォルター・バジョットは「『陛下の野党』という言葉を発明した(略)イギリスは、政治の批判を政治そのものにするとともに、政治体制の一部にした最初の国家である」と、その有名な『イギリス憲政論』(1867年)で述べている。バジョットが観察した19世紀のイギリスでは、選挙法改正が実現し、議会ではトーリー(保守党)とホイッグ(自由党)との間の競争が本格化していった時期にあたる。それは両党を分け隔てていた宗教問題が解決し、民主政治におけるフェアプレーが可能になった時代でもあった。その結果、議会を舞台に、健全な政党間競争が生まれていったのである。

イギリスの野党は通常、大文字(Opposition)で称され、財源を含め制度上の優遇措置が野党に優先的に割り当てられている。それというのも、バジョットのいうように「政治を批判すること」が、民主政の維持と発展のために不可欠だと理解されているからである。つまり、対案や代替案がなければ野党の名に値しないと捉えるのは間違いであって、様々な形で与党を攻撃すること自体が野党の果たすべき第一の役割なのである。

野党研究を先駆けた政治学者のロバート・ダールは、野党とはある期間内に統治の任を担う主体Aの統治に反対する主体Bのことだと定義した。野党の姿は国によって大きく異なるが、概ね以下の4つに分類することができる。

(1)イギリスのような組織的凝集性の高い二大政党間の循環的な政権交代を前提とした野党

(2)アメリカのような組織的凝集性の低い二大政党間の循環的な政権交代を前提とした野党

(3)オランダのような組織的凝集性の高い多党制と連立政治を前提とした野党

(4)イタリアのように組織的凝集性の低い多党制と連立政治を前提とした野党

このうち日本は、若干の留保はあるものの、(4)に分類できるだろう。

代替案を用意しておくこと

ただ、何れの場合においても野党の果たす機能は共通している。それは、行政府の監視やチェックを通じて、政権与党のアジェンダや争点設定を点検し、それらとは異なるものを掲げて民主政治の多元性を実現していくことにある。その結果、短期的には、与党との軋轢を生み、世論の支持や反対を集めることになる。

しかしそれ以上に重要なのは、政党政治におけるオルターナティブが確保されることで、有権者の民主政治に対する信頼を高め、民主政治で均衡と安定が達成されるという、長期的な利益の方である。また、与党と異なる政策資源や政策論理を準備しておくことは、時の政権が選択した政策や方針が破綻した場合の代替案としても重要だ。政治での多様性の確保は民主政の維持と発展のための条件であり、野党はそのために重要な役割を担うのである。個別的な政策の反対や賛成はさておき、そのような競争や多元性を阻害してしまうゆえに、政権与党の一強体制は望ましくないのである。

オープン・プライマリ(公開予備選)という選択肢

先の問いに戻ろう。野党間の対立を回避しつつ、無理に統一もしないままに、どのようにして強力な野党を作り上げるか――その具体的な方法として野党勢力による「オープン・プライマリ(公開予備選)」(以下O.P)の実現を提案してみたいと思う。

「オープン・プライマリ(公開予備選)」というと、アメリカの大統領選が想起されるかもしれないが、基本精神は一緒だ。アメリカの大統領候補者は、共和党・民主党ともに、まずは自党による指名を得なければならない。そのため、有権者たちの前で1年に渡って候補者同士が競争を繰り広げる。そして、最終的に有権者の投票でもって誰を大統領候補とするかが決せられるのである(投票権を誰が持つかは州で異なるが、一般的に市民権を持つ者であれば投票に参加するのは難しくない)。ちなみに「クローズド・プライマリ」と言った場合、それは党員のみが投票に参加する選挙のこととなる。

まずは本選の前に予選を行うのがO.Pの基本である。これを日本に置き換えるとどうなるか――第一に各野党の党首間で数週間から1年に渡って自党の基本方針や政策討論を公開の場で行い、その上で最終的に有権者投票によって野党勢力の代表を選ぶというのが基本イメージとなる。落選した他の野党党首は、この統一候補を支える側に回り、選挙や公約作成に協力する。こうした立場を取りまとめた野党の統一候補が、本選(総選挙)で与党党首と対峙することになる。場合によっては、他党党首がO.Pで得た票数に比例した閣僚名簿を準備して本選に臨んでも良いだろう。

こうした政党政治でイノヴェーションは果たして荒唐無稽なものだろうか。少なくとも、他国の事例をみる限り、そうとはいえない。

2006年にイタリア首相に選出されたプローディ氏は、中道左派の諸政党の形成する連合体「オリーブの木」の後継「ルニオーネ(連合)」が実施したO.Pの勝者だった。この際、6名の候補者が競い合い、プローディは450万票(有権者総数の10分の1)もの得票を得て、代表の座を獲得、下院選で現職ベルルスコーニ首相率いる与党連合に競り勝った。政権交代を果たした後にルニオーネは消滅したものの、その主たる構成党の民主党(それ自体2つの政党から構成)は2007年、2009年、2012年と継続してO.Pを実施、参加する政党を得て、左派中道勢力の代表を一般有権者の参加によって選んでいる。

こうしたイタリアの事例に触発されて、フランスでは2012年の大統領選に向けて初めて最大野党・社会党でO.Pが実施された。これは本来、二大政党の一角を占める社会党の大統領候補を指名するための選挙だったが、これに左派急進党(PRG)が参加、中道左派の代表者としての性格が強まった。計6名の候補者が約1ヶ月に渡って4回に渡る公開討論を行い、決選投票で勝ち残ったオランド候補は翌年現職のサルコジ大統領を破ることになった。このO.Pには総有権者の10%以上の述べ600万人弱が投票所に足を運んだ。こうした人々はまた本選でもやはり野党候補者に投票する。

O.Pの事例は、何も欧米だけに留まらない。韓国では複数政党間のO.Pはないが、2002年大統領選から「国民競選選挙人団制度」なる公開予備選制度が導入されるようになり、セヌリ党と民主党統合党で大統領選および選挙区候補者の選出に一般有権者が関与するような制度が導入されている。特に民主統合党は、インターネット・スマートフォンを利用した投票を実現しており、これは若年層を含む有権者の政治参加の鳥羽口を広げる手段ともなりうるだろう。

現在の日本では民主党の「サポーター」による党首選での投票がO.Pに最も近いが、以前のエントリー(「民主党が失ったもの」https://synodos.jp/politics/2770)で指摘したように、腰砕けに終わってしまっている。O.P実施のハードルをクリアするのは簡単ではないが、それでも分裂と対立を際限なく繰り返し野党勢の間でどのようにフェアな競争環境を実現するのか――O.Pが有力な選択肢であることは間違いない。

まずは基本形に賛同できるか

もちろん、実際にO.Pを実現するとなれば、数々の法的・物理的ハードルをクリアしなければならない。しかし日本の法体系は政党のことを「結社」とみなすのが一般的だから、野党勢力が自前でO.Pを実施すること自体は法的な問題とはなりえない。また具体的な選挙戦の運営は、公職選挙法に準じた形で実施すればよい。その上での詳細は各政党の代理人が集う第三者委員会で取り決めればよいだろう。

最大の問題は投票所の準備だろう。一般有権者がO.Pに参加、投票する資格を持つのであれば、投票の機会が平等に確保されていることは圧倒的に重要である。そのためには伊「ルニオーネ」の事例のように少ないボランティアなども必要になるだろう。ただし、韓国のようにネットを利用することで、投票権行使はより容易になるはずだ。いわゆる「なりすまし」対策を含め、技術的にいってネット投票は十分に可能になっている。

いずれにせよ、実際には様々なハードルが予想される。しかし、だからといってO.Pをやるべきではないという論理にはならない。その運営は漸進主義・改良主義的に行っていけばよいのであって、まずはO.Pというアイディアに賛同できるかどうか――野党再編を政治家同士の「野合」に任せず、競争力のある野党を作り出して民主政治でオルターナティブを実現していきたいのであれば、その基本コンセプトには賛同できるのではないだろうか。

サムネイル「a dilemma」Julia Manzerova

https://www.flickr.com/photos/julia_manzerova/2757851927/

プロフィール

吉田徹ヨーロッパ比較政治

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。

この執筆者の記事