2021.03.10
コロナ禍で書かれた新作、2020年の成果を読む――第65回岸田國士戯曲賞予想対談
去る2月、第65回岸田國士戯曲賞(白水社主催)の候補作8作品が発表されました。2020年はコロナ禍により、多くの公演が中止または延期を余儀なくされました。現在も多くの劇場で、観客数の制限や開演時間の前倒しなどの対策がとられています。
そのような状況でも、たくさんの新作が作られました。オンライン上演を前提に書かれた作品もあります。若手劇作家の登竜門と言われる岸田賞は、どんな作品を候補に選んだのか。今年もじっくりと各作品を読んでいきます。選考会および受賞作の発表は3月12日です。(企画・構成/長瀬千雅)
コロナ禍の観劇状況
田中 昨年はやはり観劇本数が減りました。(緊急事態宣言が出ていた)2カ月は上演自体がありませんでしたし。ZoomやYouTubeの画面で演劇を楽しんだ人もたくさんいると思いますが、私はオンライン演劇はほとんど見ていなくて。
山﨑 僕も、以前から新作をやれば見に行っていたような劇団以外は、あえてオンラインでチェックしようという気にはなれませんでした。なので、今回ノミネートされている劇団ノーミーツ(注:Zoomを使って上演する劇団。2020年4月旗揚げ)の作品も上演は見ていません。
田中 8作品すべてが上演台本であることが気になりますね。選考委員の柳美里さんが昨年の選評で、「戯曲は文学作品として読まれるべきものである」と書かれていましたが、「選考対象は、雑誌発表または単行本にて活字化された作品」という原則が成り立たなくなっている。
山﨑 上演台本による選考は本来は例外ということになっているはずですが、その規程はあまり意味をなさなくなっていますね。最終候補作を決定する立場にある白水社もその点にはこだわっていない気がします。
田中 ここしばらくはずっとそういう状況なんですね。戯曲が出版されることが少ない日本では仕方がないかもしれませんが、やっぱり「戯曲とは」「戯曲賞とは」を考えます。「これは戯曲ではないだろう」という作品もありましたし。
山﨑 ただ、今回ノミネートされた作品の中には「おもしろいけど、その上演台本に賞を与えるならばそれは上演に対する評価にあまりにも近づいてしまうのではないか」と思われるものもありました。そういう意味では、配信作品の上演台本がノミネートの対象になったことも含め、賞のあり方が改めて問われる選考会になるのではないでしょうか。というあたりのことも考えつつ、まずは受賞作の予想からいきましょうか。
ノミネート作品と選考委員、二人の予想
■最終候補作品
岩崎う大『君とならどんな夕暮れも怖くない』(上演台本)
長田育恵『ゲルニカ』(上演台本)
小田尚稔『罪と愛』(上演台本)
金山寿甲『A-②活動の継続・再開のための公演』(上演台本)
小御門優一郎『それでも笑えれば』(上演台本)
内藤裕子『光射ス森』(上演台本)
根本宗子『もっとも大いなる愛へ』(上演台本)
横山拓也『The last night recipe』(上演台本)
*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。
https://www.yondemill.jp/labels/167
■選考委員
岩松了、岡田利規、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、野田秀樹、平田オリザ、矢内原美邦、柳美里(50音順)
山﨑 本命予想は、小田尚稔(なおとし)『罪と愛』です。単純に作品のおもしろさという点では金山寿甲(すがつ)『A-②活動の継続・再開のための公演』も本命あるいは対抗に挙げていい作品だと思いますが、岸田賞が「戯曲」の賞だということを考えると受賞はないのではないかと思いました。今回はこの2作品が図抜けていたと思うので対抗はなし。金山さんを大穴として挙げておきます。
田中 私は、岩崎う大『君とならどんな夕暮れも怖くない』と、金山寿甲『A-②活動の継続・再開のための公演』の2作品を推します。あと、根本宗子『もっとも大いなる愛へ』もよかったなと思ったんですが。
山﨑 実は僕も、好き嫌いで言ったら今まで読んだ根本さんの作品の中で今回がいちばん好きなんですが、一番よかったかと言われると……。
田中 そうなんですよね。では私は、本命に岩崎さんと金山さん、対抗・大穴はなしでいきます。どちらかといえば、金山さんがとる可能性のほうが高いでしょうか。
小御門優一郎『それでも笑えれば』
■あらすじ
コロナ禍で満足に漫才もできないでいるお笑いコンビ「へるめぇす」のマキとルリコ。バンド活動をやめて就職した恋人は結婚を切り出してきそうな気配。同期の「セッシー4C」はキャラ変でブレイク。自分たちはどうしていくのか。人生を変える(かもしれない)いくつもの選択が降りかかる。上演中、いくつかの場面で主人公たちの行動に関する選択肢が画面に提示され、観客の投票によって物語の行方が決まるオンライン配信演劇。(山崎)
■上演記録
作・演出:小御門優一郎
出演:河邑ミク、めがね、相馬理、上谷圭吾(劇団ノーミーツ)、石山蓮華、オツハタ(劇団ノーミーツ)、藤井咲有里
2020年12月 オンライン劇場「ZA」
劇団ノーミーツ
山﨑 劇団ノーミーツの活動は反応の速さとコンセプトの打ち出し方という点でコロナ禍を一つ象徴するものではあるかもしれませんが、僕は「これは演劇じゃないだろう」と思いました。内容以前に、作者は演劇の戯曲として書いていないのではないか。
田中 私もそう思います。ゲームのシナリオですよね。Zoom上の上演であることを利用して、観客の投票でルートを選択させる仕掛けになっていますが、「今日はこっちだったか」というおもしろさ以外、何も残らないと思いました。
山﨑 結末が複数用意されているかのように見えて、結局は同じなんですよね。選択しても見た目上の変化以上のことは起こらない。「選択しても変わらないこと」をテーマにしているわけでもないから、観客に選択させることにも登場人物の選択にも意味がないんです。
田中 登場人物は有名なお笑いコンテストの決勝にいけるかいけないかに人生をかけていますが、実際のお笑いコンテストへの世間の熱狂自体がテレビの仕掛けに乗せられているわけでしょう? コンセプトだけで作品としての中身がないから、「みんなこれが好きなんでしょ」という態度でお笑いを扱っているように見えてしまうんですよね。
山﨑 女芸人を主人公にしてストーリーは進むんですが、妊娠や結婚がストーリーを転がすための道具にしかなっていないのも気になりますね。主人公の一人が芸人を続けることを決意した直後に妊娠が発覚し、改めて芸人をやめる決意をするというルートがありましたが、古いステレオタイプでしかない。「今時そんなプロポーズ」というせりふもありますが、作品全体のトーンとしては価値観がアップデートされていない。Zoomを使ったり時事ネタを取り入れたり、「流行り」へ目配せした見せかけだけの新しさはちょっと評価できません。
田中 現実には出産しても芸人として活動を続けている女性はたくさんいるわけですしね。単に彼女にやる気がなかったという話になってしまいますよね。
山﨑 Zoomでも演劇的なものは成立し得ると私は考えますし、そこに「作り手が何を演劇だと思って作っているか」が表れるとも思います。でも「ノーミーツ(no meets)」という劇団のコンセプトだけでは厳しい。台本を読むかぎりではZoomとそうではない画面、収録と生の使い分けも効果的とは思えませんでした。ある縛りの中で「作ってみた」映像作品という印象を超えるものがない。白水社は最終候補作品に戯曲をノミネートした時点でその作品にお墨付きを与えることになってしまうので、最終候補作の選定にはもっと慎重であるべきだと思います。Zoomを使った作品でも他の作家でよりクオリティーの高いものは何本もあった。今回は白水社も時流に乗って注目を集めようとしているように見えてしまいました。
根本宗子『もっとも大いなる愛へ』
■あらすじ
1つの部屋となっているセットのなかで2つの物語が進行する。喫茶店で話している職場の同僚らしき男女。仕事のできなさなどを思い悩む男を女は励まそうとするがなかなかうまくいかない。一方、ホテルの一室では姉妹の会話。家事ができなさすぎて逃げ出した姉を妹は何とか励まそうとするがこちらもうまくいかない。二組の会話は別のパターンで再び繰り返されるがやはりうまくいかない。しかしこれらは実は女と妹の脳内での出来事で——。本多劇場から無観客配信で上演。(山崎)
■上演記録
作・演出:根本宗子
出演:伊藤万理華、藤松祥子、小日向星一、安川まり、riko、根本宗子(映像出演)、大森靖子(映像出演)
2020年11月 東京・下北沢 本多劇場から無観客生配信、および期間限定アーカイブ配信
月刊「根本宗子」
山﨑 女と男、姉と妹の二組の物語が交互に展開していき後半で合流する構成ですが、その後半でそれまで舞台上で繰り広げられてきたのがすべて女と妹の妄想、脳内の「ひとり相撲」でしかなかったとひっくり返されるところがおもしろかったですね。しかも、男と姉のほうが「ダメ人間」で女と妹はそこに寄り添おうとしているように見えていたのが実は逆で、女と妹のほうが家から出ることすらできずに相手との関係について延々と悩み続けていたという、その逆転がおもしろかった。
田中 私も今回の作品は悪くないな、好きだなと思いました。根本さんの舞台は、何度も何度も繰り返しテーマを言うとか、観客をいらつかせるようなことをするとか、良くも悪くもサービス精神旺盛ですよね。それが今回はあまりなくて、ギュッとタイトにまとまっていると思います。
何かのインタビューで彼女自身が「ライブストリーミングの形式に合わせて書いた」と言っているのを読みましたが(注:本作品は本多劇場での無観客上演を生配信された)、上演時間も含めて、「家で見る」という観客の環境に合わせて書き分けているところがプロだなと思いました。制約がかかるという意味ではノーミーツと共通しますが、制約をいいほうに利用していたと思います。
山﨑 会いに行きたいのに行けない、家から出たいのに出られないというテーマは、コロナ禍の人々が置かれた状況を反映したものにも見えますし、配信を前提とした作品形式にマッチしていると思います。劇場に行きたいのに行けないという観客の状況を映したものとも言え、だからこそ配信でも劇場で上演していることに必然性がある。
田中 ちゃんと戯曲を書いていますよね。
山﨑 一方で、物語という点では物足りないとも感じました。登場人物が二組いることも、同じ状況で悩んでいる人が他の場所にもいるということを示すことにはつながっていますが、それぞれの固有性、具体的な状況みたいなものがほとんど感じられない。戯曲のこの短さにも表れていますが、テーマや設定、仕掛けだけではちょっと賞には足りないかなと思います。
田中 そうですね。さっきよくまとまっていることを褒めましたが、反面、あっさりと「(大森靖子さんの歌による)フィナーレ」を迎えてしまい、物足りなさも感じました。賞の予想で言えば、「とるタイミング」はありますよね。もちろん本人は賞のために新作を作るわけではないと思いますが、2020年の世相が幸運に作用するか不運に作用するか。気になるところではあります。
横山拓也『The last night recipe』
■あらすじ
冒頭、直後に死亡する事となる妻と夫が二人にとって最後の晩餐となったラーメンの食卓を囲むシーンで幕が開く。時が戻り、二人の奇妙な馴れ初めが語られることに。フリーライターである妻、夜莉は封建的な父親の支配下、ラーメン屋で働くだけの日々を過ごしていた(のちの夫)良平を題材にルポルタージュ本を初出版することを企て、良平の逃走を手引きし結婚、家にかくまったのだ。その後、夜莉は本の執筆に行き詰まり、夕飯のメニューを載せたブログを開設する。(田中)
■上演記録
作・演出:横山拓也
出演:橋爪未萠里(劇団赤鬼)、杉原公輔(匿名劇壇)、緒方晋(The Stone Age)、伊藤えりこ、小松勇司、福本伸一(ラッパ屋)、竹内都子
2020年10〜11月 東京・座・高円寺 11月 大阪・アイホール
iaku
田中 本作を含めて、iaku(注:横山さんが主宰する演劇ユニット)の公演はけっこう見ていますが、なぜこの作品なのだろうというのが第一印象です。出来不出来に波はありますが、これまでにいい戯曲をたくさん書いているのに。
この作品で受賞はないと思うのはなぜかというと、主人公の夜莉が、自分の取材のために連れ出して結婚することになる男の子、良平のキャラクターがものすごく特異なんです。あえて「異形のもの」として置いているのかもしれませんが、ほとんどしゃべらないし、人間らしさが出ていない。だから、夜莉が彼と結婚まですることに、説得されないんですよね。上演を見たときもそう思いました。
山﨑 上演はどういう印象だったんだろうと思いながら読んでいたのですが……。
田中 舞台にいる良平くんはお人形のようでした。ストーリーを引っ張っていく謎の存在ということかもしれませんが、それにしても最後の最後にちらっと心のうちを明かすぐらいで、彼には何もない。
山﨑 謎でしか物語を推進できていないという点に関しては同じような印象を持ちました。その謎も、起きたことを伏せておくために作者が語る順番を操作しているだけなんですよね。ミステリーにも心理劇にもなっていかない。
『The last night recipe』というタイトルからは、一緒に食べることで夫婦になっていくんだという含意を読み取ることもできると思うんです。良平が夜莉のブログを見ながら一緒に食べたものを思い出すことによって、ようやく夫婦であったことを実感するというのが最終的な結末だとは思うんですが、じゃあその先に何があるかというと……。
田中 2019年の『あつい胸さわぎ』はとてもよかったですよ。シングルマザーとして奔走する母に20年ぶりの恋心が芽生える一方で、初めての恋に悩む大学生の娘にはがんの兆候が、と当たり前の日常が動き出していく話なんですが、説得力がありました。iakuは大阪で活動を始めた劇団で、忘れられている人たち、社会の隅にいる人たちにスポットを当てる作品が多いですよね。
山﨑 社会問題をうまく作品に落とし込む作家だと思いますが、「うまさ」が見えてしまうところがうまくないとも思います。
田中 あざとく感じる?
山﨑 社会問題を利用して作品を書いていると感じられてしまうときがあります。それが一番悪いかたちで出たのが、この作品での新型コロナウイルスワクチンの扱い方だと思うんですよ。この一点だけをとっても、この作品が最終候補作にふさわしいものだとは私には思えませんでした。
田中 私もそれは指摘したいと思っていました。夜莉の突然死が、ワクチンを接種した日の夜という設定になっていて、接種を斡旋した上司や先輩ライターが「関係があるのではないか」と語ります。母も疑念を口にします。自治体による正規のワクチン接種ではないのが巧妙だなと思いますし、「関係ないという結果が出た」と父に言わせたりもしていますが、この時期にこういう扱い方をするのは、悪い意味で想像を超えていました。
山﨑 取材における倫理観みたいなものも作品のテーマには含まれているはずですが、今このタイミングで「ワクチンで死んだかもしれない」と登場人物に語らせることの倫理は吟味しなかったのか。しかも、夜莉の死因がワクチンであるかもしれないという設定の必然性はまったくない。率直に言って、現実の社会問題を直接に扱う劇作家として、これをよしとしてしまうのは致命的だと思います。
内藤裕子『光射ス森』
■あらすじ
代々一家で林業を営んできた2つの家族が抱える問題を描いた本作。そんな家族の日常の会話からは彼らが抱える数々の齟齬——後継者問題、経済的自立の困難、行政が指導する林業政策と自らの理想の森づくりとの乖離——などが読み取れる。登場する2家族、奥井家と沢村家のエピソードには10年間の隔たりがあるのだが、両家に共通する登場人物である由里子の不幸な過去(沢村家)が今(奥居家)の産業の危機を示唆している。(田中)
■上演記録
作・演出:内藤裕子
出演:野村昇史、佐々木敏、岡本瑞恵、世古陽丸、石井英明、馬渡亜樹、吉田久美、清田智彦、戎哲史、木原ゆい、清水一雅子
2020年12月 東京・シアターX
演劇集団円
田中 内藤さんは、演劇集団円の座付き作家兼演出家ですね。伝統産業を題材にした作品をシリーズ化しているようで、藍染め職人とその家族を描いた『藍ノ色、沁ミル指ニ』(2018年)を見ました。その作品がよかっただけに、それと比べると今作は少し落ちるかな、というのが私の評価です。
山﨑 僕はほとんど予備知識なく読みましたが、わりと長い作品にもかかわらず、するすると最後まで読めました。そういう意味ではうまいと思うんですが、「ここがおもしろかった」というポイントが見つけられなかったんですよね。
田中 ぽんぽんと会話も弾みますし、テクニックはありますよね。林業というテーマもおもしろいと思うんです。
山﨑 そうなんです。目の付け所はいいなと思いましたが、題材があまり活きていないように思いました。一応、人間の時間の流れと森の時間の流れの対比というようなことは用意されてはいるんですが……。
第1場が現在の奥居家、第2場が10年前の沢村家、というように劇中では2つの時制が交互に描かれます。で、奥居家で働いている由里子には、10年前、土砂崩れで家族を亡くすという悲しい過去があったことがわかる。ですが、10年前の沢村家の場面は直接描かなくても物語としては成り立つはずなんです。じゃあなぜ、と考えると、両家の林業に対する姿勢の違いを示す必要があったということが一点。もう一点は、観客の感情移入を誘うためです。話の中だけに登場する人物が亡くなるよりも、実際に舞台上で動き回っていた人物が実はすでに亡くなっていたというほうが観客に与える衝撃は大きい。そういう意味では極めて演劇的ですが、意地の悪い言い方をすれば沢村家の人々は殺されるために登場させられているわけです。
林業と人間ドラマの接点という意味では、由里子の妹の婚約者だった内田が、奥居家の人たちに向かって「これぐらいだったのに(と手を40センチくらいの高さに)8年たって、(と手を120センチくらいの高さに)おっきく……」と話すシーンがあるじゃないですか。あれをやりたかったのかなとは思いました。
田中 何百年もかけて木を育てる、人間の寿命を超える時間の長さを感じさせたいということはあったでしょうね。
山﨑 死んでしまった人間、そして由里子の止まってしまった時間と人間の些事とは無関係に時を刻み続ける樹木の時間との対比、ということでしょうか……。
田中 日本の林業が国の政策によってゆがめられていて、本来あるべき森が作れていないという実情もしっかりと説明されていて、そういうところも私はおもしろいと思います。ただ、その先で何か自分なりに希望を見つけるといったところがないので、林業を営んでいる2つの家族が描写されただけで終わってしまっている。
山﨑 代々家族でやってきて行き詰まっているところは描かれているのに、家の外へは出ようとしない。土砂崩れで家族が犠牲になったのも、政策によって山がダメになったからだということになっているのに、そこにフォーカスするわけでもない。あっさりしていますよね。それが悪いということではないのですが、戯曲としての評価は可もなく不可もなくとしか言えないです。
田中 劇団の色もあるかもしれませんね。演劇集団円という劇団は、50年近い歴史があって、おじいちゃんおばあちゃんから若い人まで、幅広い年齢の役者さんが名を連ねています。お客さんのほうも、芸のある役者さんを見たいという長年のファンがいらっしゃいますから、完全に切り離して語ることは難しいかもしれません。
長田育恵『ゲルニカ』
■あらすじ
ゲルニカの元領主の娘サラの婚姻の日、スペインは内戦に突入した。母マリアや婚約者テオは教会とともにクーデターに賛同し、領民の支持する人民戦線と対立する。マリアの態度に反発するサラは元料理人のイシドロの店に身を寄せ領民とともに過ごすことに。やがてサラと決裂したマリアは領民を犠牲にすることを選択。しかしその結果もたらされたドイツ軍の空爆はマリアの思惑を越えた規模でゲルニカを焼き尽くし、サラも命を落とす。奪われた命と遺された命、そして隠蔽される戦争の記憶。(山崎)
■上演記録
作:長田育恵
演出:栗山民也
出演:上白石萌歌、中山優馬、勝地涼、早霧せいな、玉置玲央、松島庄汰、林田一高、後藤剛範、谷川昭一朗、石村みか、谷田歩、キムラ緑子
2020年9月 東京・PARCO劇場 10月 京都・京都劇場 新潟・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場 豊橋・穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール 10〜11月 北九州・北九州芸術劇場 大ホール
株式会社パルコ
田中 栗山民也さんの演出でPARCO劇場で上演された作品です。長田さんは、栗山さんからゲルニカを題材にした芝居を書いてくれと依頼を受けて、この戯曲を書いたそうですね。
山﨑 内藤さんの作品とは対照的に、エンタメしてるとは思うんですよ。だけど欠点も多い。すごくざっくりと要約すると、戦争を背景とした母と娘の愛憎劇ということになると思います。読み進めるほどに、戦争が後景へ退いていく。「『ゲルニカ』というタイトルでそれでいいのか?」というのがいちばん気になったところです。
田中 まさにそこが私も気になりました。わざわざスペイン内戦を題材に選んだなら、もっとそれについて考えてもらわないと。チープなメロドラマみたいになってしまっていると思います。そもそも、主人公のサラ(ゲルニカの元領主の娘)の人物造形が、あまりいいとは思えませんでした。
山﨑 最初は無垢で、幼さの残る少女として出てくるのに、ある瞬間に急に精神的に成長して見える点も気になりました。成長した姿は描かれているんですが、その過程が描かれていないので急に人が変わったように見える。
田中 そうそう。サラは、政略結婚を押し付ける母マリアのもとから、ゲルニカ市街で食道を営む元使用人のところに逃げ込んで、そこで暮らしていただけとしか読めないんです。
サイドストーリーとして、レイチェルとクリフという、イギリス人の戦場特派員のエピソードが挿入されているじゃないですか。その会話も陳腐というか、生きるか死ぬかの場所にいる人たちがそんなことでいがみ合うだろうかと、ピンときませんでした。
山﨑 クライマックスで、戦争という主題に収斂するのかなと思ったんですよ。バスク自治政府と敵対する元領主の未亡人マリアに、ドイツ軍の将校が「無差別都市爆撃」というオプションを提示しますよね。マリアは「私こそがゲルニカ市民の母親」と言って拒絶する。しかし、自治政府の使いとしてやってきたサラと決裂し、憎しみのあまりドイツ軍に町を焼くことを許可してしまう。母娘の愛憎が最後の引き金となったドイツ軍の空襲は、マリアの思惑をはるかに超えた激烈なもので、戦争の力がすべてを飲み込んでいく……となるのかなと思ったら、最後、サラの生んだ赤ちゃんをレイチェルが抱き上げるシーンが出てきて、なんだ、そこに戻っていくんだと思ったんです。
田中 うんうん。
山﨑 空襲で死んだサラの代わりにレイチェルがサラの娘を育てる、つまりレイチェルも母になるわけですよね。そう思って登場人物を見返すと、女性は全員、母親なんですよ。この戯曲で女性は母親としてしか登場していない。
田中 ん? どういうことですか?
山﨑 サラもマリアもルイサ(注:サラの屋敷の女中、サラの実母であるらしいことが示唆される)もみんな、母親ですよね。「女だてらに」戦場記者をやっているような人物として登場させたレイチェルにまで、わざわざ母になることを選ばせている。
田中 なるほど、確かに。爆撃前のサラとの会話で「女にしか伝えられないこともある」「サラと赤ちゃんーーふたりの未来を守るための記事を」「虐げられた、弱い者のために記事を書く」と言っていて、この状況で「女だから」「女にしか」ということにも違和感を持ったのですが。結局、母国に帰って母になることが大事だったということか。
山﨑 戯曲と上演で印象が異なるところもあるんです。上演を見ていたときは、女性や報道、政治と記録の問題などが、今の日本の問題として迫ってくる感じがありました。だからこそかえって、舞台がゲルニカである必要を感じなかったとも言えますが。
田中 やっぱり、「これはゲルニカの話ではない」と私は思います。強いテーマだからこそ多くを期待してしまうのかもしれませんが、もう少し他に書けることがあったのではないでしょうか。
岩崎う大『君とならどんな夕暮れも怖くない』
■あらすじ
疫病の流行が繰り返され、他人との交流が激減した近未来社会では子供を産まなくなった人間に代わり、急速な進化を繰り返すヒューマノイドが世の中を動かす中心的存在となっていた。人間が古い時代の下層種族とされる中、主人公のビルコブ(人間)とジャモン(ビルコブが所有する旧型ヒューマノイド)は昔ながらの主従関係を続けていたが、最新型ヒューマノイドたちからは身体を最新型へ置き換え、2人の古い関係性も見直す事を提案される。しかしビルコブは頑なにそれを拒絶する。(田中)
■上演記録
作・演出:岩崎う大
出演:かもめんたる(岩崎う大、槙尾ユウスケ)、小椋大輔、もりももこ、船越真美子、土屋翔(以上、劇団かもめんたる)、長田奈麻(ナイロン100℃/劇団かもめんたる)、佐藤真弓(猫のホテル)、梅舟惟永(ろりえ)、宮下雄也
2020年7月 東京・下北沢 駅前劇場
劇団かもめんたる
田中 私はこの作品を本命予想の一つに推します。設定や話の流れは前回の作品( https://synodos.jp/culture/23301 )とよく似ていますよね。私は、岩崎さんの書くものは、ナンセンスコメディーでありながら、実はわれわれに近い身近な話で、リアルな人間ドラマとして好きなんです。
人間とヒューマノイドが一緒に暮らす未来という設定ですが、主人公のビルコブと旧式のヒューマノイドであるジャモンの関係はどの時代に移しても成り立つ、普遍的なものです。未来では死語となるかもしれない「人情」とでも言うのでしょうか。世の中はどんどん変化して、科学技術も進化するけれど、その中で残すべきものを提示してくれているような気がします。人間のいいところも悪いところも含めて。
山﨑 前回と比べても戯曲がものすごくうまくなっていると思います。特に構成にそれを感じました。老婆のドリーと初期型ヒューマノイドのベノン、ビルコブとジャモン、都会から引っ越してきたケージーとケージーの「両親」である新型ヒューマノイドのモップとミルカ。その3世代が暮らす過去の世界を、現在のヒューマノイドであるケンとミニーがガイドとともに訪問する筋立てになっている。現在から過去の3世代を振り返り相対化することで見えてくるものがある、という構造はうまいなと思いました。
ただ、僕はこの作品はアンチ・ポリティカリーコレクトネスの戯曲だとも思ったんですよね。
田中 どういうところにそれを感じますか?
山﨑 例えば、ビルコブとジャモンはとても親しい間柄に描かれていますけど、ビルコブがジャモンを「ご主人様」と呼び、ジャモンもビルコブを召使いとして接するような関係は、平等ではないわけですよね。そこに、人間とヒューマノイドは平等という価値観を持ったケージーたちがやってきて、「差別はなくしていこう」と啓蒙するわけですが、彼らは基本的に嫌なやつとして描かれている。
田中 そんなに嫌なやつに描かれています?
山﨑 体を震わせて「旧型のヒューマノイドが人間を『ご主人様と呼んでたの!』」「ああ!恐ろしい!」とか、かなり攻撃的な、嫌な言い方じゃないですか?
田中 読んだ人が嫌悪感を抱く、と。
山﨑 ビルコブとジャモンの関係を、現実の階級制度に重ねてもいいんだけど、そこで成り立つ人情みたいなものへのノスタルジーを利用して、ポリティカリーコレクトネスを主張する人を攻撃しているようにも見えるんです。差別している人が自分こそが「差別」されているんだと主張することは現実においてもよくあることなわけで。
最終的に、未来から来たケンとミニーが肯定するのは、差別はあるけど人情もある、ビルコブとジャモンなわけですが、それは今の時点では犬も食わないノスタルジーだと言わざるを得ない。差別を扱う作品を、人情へのノスタルジーで落とすのはよくない落とし方だと思いますし、この作品はそれをわざと、巧妙にやっているフシさえある。
田中 差別はいけないというのは大前提だと思うんです。その前提の上で、ケンが言っていますが、「ヒューマノイドが人間にコキ使われてたって言うのも、まるでファンタジーだけど『対等』って言うのも同じぐらいファンタジーだね」と皮肉っている。差別はよくないけれども、そんなに簡単に排除できるものでもないよと言っていると思うんですよね。
山﨑 もう一つの問題は、差別が概念としてしか扱われていないことです。
田中 そこも、そういうふうにしか捉えられない人たちの浅はかさを見せているのかなと思ったんですけど。
山﨑 だとしたら、現在の日本でそういう側の人のみを描くことは、あまりにバランスが悪いと思います。
田中 センシティブなところですが、私の印象としては、作者は差別に反対しつつ、今の私たちにとって大事なものを描いていると思いました。
山﨑 うまいとは思うんですよ。キャラクターとしてビルコブとジャモンだけが魅力的だし。でもそれはずるいうまさだと僕は思いました。
小田尚稔『罪と愛』
■あらすじ
アパートの一室で脚本を書いている男1。家賃を滞納し更新料も払えず大家と揉める男2。お台場にある自由の女神像を爆破しようと目論む男3。何らかの罪の意識を抱えているらしき男4。4人の男たちの断片的な場面が連なるが、彼らは同一人物のようにも思える。家に居着いた蜘蛛や鼠、公園で出会った女との交流、そして男を心配する郷里の母。事態は緩やかに悪化していくようでもあって、ついに悲劇が起きる。しかしそれらもまた男1の脚本のなかの出来事なのかもしれない。(山崎)
■上演記録
作・演出:小田尚稔
出演:加賀田玲、串尾一輝、久世直樹、土屋光、新田佑梨、宮本彩花、冷牟田敬、藤家矢麻刀、細井じゅん、渡邊まな実
2020年11月 東京・こまばアゴラ劇場
(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
山﨑 僕はこの作品を本命と予想しました。私小説のような体裁の戯曲です。男は演劇をやっていて、貧しい状況に置かれている。よかったのは、それが4人の男として描かれているところです。
男の鬱屈は犯罪へと結びつきかねないところもあるものです。男2、3、4は男1の分身で、その分身が犯罪を犯しているようにも見えるし、男1は脚本を書いているので、すべてが男1の書く脚本の中のできごとで、書くことによって男はかろうじてルサンチマンを発散しているようにも見える。どういう設定なのかが作中で明らかになることはありませんが、男が複数存在していることによって、男が閉じこもっている狭い世界同士のあいだにかろうじて共振の回路がつながる。そこがよかったと思います。
田中 実際の上演でも4人全部、違う俳優が演じるんですか。
山﨑 そうです。
田中 戯曲で読む限りでは、1、2、3、4と役が分けてあるけれど、やっぱり一人の人物に思えるんですね。それよりも、一人の若者が、世間に対してずっと文句を言っているということに興味がいってしまいました。しかも、男1は脚本を書く人物で、私小説的な戯曲だと思いながら読み進めますから、「演劇と貧困をテーマに作品を書く劇作家さんがいるという現状」に思考が引っ張られて、あまり主人公に移入できませんでした。
演劇の現場に足を運んでいると、コロナ禍で演劇学校の受講生が減っているとも聞きますし、演劇を目指せないほど若者は貧しくなっていると思うんですよね。老舗の劇団が苦境にあったり、歌舞伎役者が危機感を持っていたりもします。そういう現実の厳しさに思いをはせると、ところどころ挿入される古典文学からの引用が無意味にキラキラとまぶしく光ってしまって。
山﨑 なるほど。
田中 お金も大事だけど人は一人では生きられないというテーマもきれいごとに思えて、この男性一人の妄想みたいな苦悩では深みがないな、と感じました。
山﨑 小田さん本人が実際にこういう状況であるかどうかは観客にはわからないことですが、主人公と作者が重なって見える私小説の形式を使って書かれていることは重要だと思います。登場人物の男たちのあいだに開いた共振の回路は小田さんという作者を通じて現実にもつながっている。孤独を感じている男の世界の狭さ自体もテーマになっているので、視野の狭さは欠点にはならない。むしろそれも作品で描くべきものの中に含まれている。共振の回路は少なくとも上演では極めてうまく起動していたと思います。4人の異なる身体を持つ男たちが実際に目の前にいて、そのあいだに通うものが舞台上に立ち上がってくる。しかも、4人がそれぞれ魅力的なんですよ。
田中 なるほど。
山﨑 ただの私小説だと、観客が共感できないとそこで終わってしまいますが、男1から4のあいだに回路が開くことによっても、他者への想像力は起動すると思うんです。そのように書かれているのがうまいところだと思います。
田中 狭い世界を描いているけれど、戯曲としては社会へ開かれているということですね。
山﨑 注を見ると、ドストエフスキーやウィリアム・バロウズと並んで、市橋達也や加藤智大に関する書籍が参照されているのがわかるので、それもかなり強い補助線になると思います。
金山寿甲『A-②活動の継続・再開のための公演』
■あらすじ
47シーンから成る劇のタイトルはコロナ禍で申請できる文化庁の文化芸術活動の継続支援事業の項目名からとっている。各シーンで語られるのはラップ調で綴る赤裸々な今(上演時は2020年12月)の私たちの社会。ホームレスを一掃し渋谷の新しいランドマークとなった「ミヤシタパーク」、演劇界のセクハラ・パワハラ問題、さらにウーバーイーツや日本の民主主義を揶揄する台詞などが怒濤のように続き、最後は出演俳優たちの「今」のエピソードで締めくくられる。(田中)
■上演記録
作・演出:金山寿甲
出演:森本華(ロロ)、川﨑麻里子(ナカゴー)、名古屋愛(青年団/青春五月党)、塚本直毅(ラブレターズ)、安田啓人、神谷圭介(テニスコート)
2020年12月 東京・ミニシアター1010
東葛スポーツ
田中 2020年に書かれた作品にはコロナの状況に影響されたものがたくさんありましたが、その中でもっともビビッドに2020年をとらえた作品だと思います。本命に予想しました。
金山さんが主宰する東葛スポーツは「ラップ演劇カンパニー」などと言われて、ヒップホップを取り入れる作風で知られていますが、中でもこの作品は圧倒的にラップ調のせりふが多いらしいんです。読んでいても名ぜりふが多すぎて、赤線を引きすぎて真っ赤になるぐらい、素敵な戯曲だと思いました。『A-②活動の継続・再開のための公演』というタイトル自体、センスがいいですよね。
山﨑 このタイトルを思いついた時点で勝ち、という感じはありますね。
田中 「ここんとこ世の中でやってる公演はみんなこれなんですから」というせりふがあるでしょう。「文化庁から支援金降りたとこは、何でもいいから公演やんなくちゃいけない」とも。コロナ禍の演劇界の現状を多少なりとも知っている人間からすると、「言ってくれましたね」と思いますよね。
山﨑 本当は必ずしも公演をやらなければならないわけではないんですけど、あの時期に行われていた公演の相当数が継続支援事業によるものだったことは事実です。
田中 メッセージにオブラートがないし、権威に対する忖度もない。演劇でこれができるなら、影響力のある音楽や映画にも対抗できる。それこそ演劇が最強なんじゃないかというぐらい、力強いと感じました。
山﨑 めちゃめちゃおもしろかったし、2020年のリアルという意味ではこれだなと思いました。一方で、そのリアルさがネックになっているとも思いました。もちろんコロナ禍の文化支援政策をはじめ、社会問題に言及はしているんですけど、出演した俳優のリアルに根ざして核の部分が作られているので、圧倒的にリアリティーがあると感じられる部分はただでさえ狭い小劇場界のさらにごくごく一部のリアルでしかない。固有名詞をバンバン出してディスったり揶揄したりしていくところは東葛スポーツの作品の見どころの一つですが、そこには世界の狭さも表れてしまう。この作品が小劇場演劇の外の世界にも同程度のリアリティーをもってリーチするかと言ったらそれは難しいんじゃないか。ただ、その狭さは世界の貧しさというリアリティーでもあるわけで、その一点をもって作品自体の瑕疵とも言えないのが難しいところです。
もう一つは、こちらのほうがこの作品の受賞はないと思う大きい理由ですが、この上演台本に「戯曲賞」を与えることが岸田賞としてありなのかどうかという問題があります。この作品は上演台本の中でも特に上演の記録としての性格が強い。それは上演期間中に投稿されたTwitterのつぶやきが台本中に取り込まれていることからも明らかです。白水社に提出する上演台本は作家が体裁を整えられるはずなので、戯曲賞への挑発としてわざとやっている可能性さえあります。特定の俳優が特定の時期に上演したからこそおもしろい上演台本に戯曲賞を与えるのであれば、それは限りなく上演に対する評価に近づいてしまう。それは「戯曲賞」としてありなのか。授賞すれば戯曲賞としての姿勢を変えたことになり、授賞しなければ岸田賞の器の小ささを次作のネタにできる。白水社としては度量の大きさを示したつもりかもしれませんが、最終候補作に残った時点で東葛スポーツとしてはどちらに転んでもおいしい。
田中 世界中を見ても戯曲賞ってあまりないんですよね。ピューリッツァー賞の戯曲部門ぐらいで。戯曲に対する評価は演劇賞に含まれていることがほとんどです。その中で戯曲賞と名乗るからには、最初に言ったように、文学作品として読まれるべきなのかもしれません。そうなると、今の山崎さんの意見はなるほどなと思います。ただ、やっぱりこの言葉のセンスはすごいと思う。ネタの選び方に忖度がないし、これを読んで「これだけのことを説明しようとしたら大変だけど、ラップにしちゃえばいいんだ!」というぐらいおもしろかったです。
山﨑 ちょっと、安全に遊んでいる感じもありますけどね。
*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。
https://www.yondemill.jp/labels/167
「戯曲賞」のこれから
田中 「戯曲賞とは何か」という話題が今年も出ましたが、毎年繰り返し議論していいテーマですよね。戯曲が出版される機会が少ないことも含めて、今後どうしていくのか、いろんな意見があっていいと思います。
山﨑 戯曲賞とは別に、もう少しクオリティー本位で上演を評価する演劇賞があるといいですよね。読売演劇賞や紀伊國屋演劇賞が、それこそ内輪の世界の権威になってしまって、あまり機能していない感じもあるので。
田中 民間の演劇賞ばかりなので、国として何かあってもいいと思いますね。2021年もコロナ禍の演劇が続きますが、幸いなことに日本の劇場は、制限付きとはいえ開いています。どんな作品が生まれるか、楽しみにしたいと思います。
▽白水社・岸田戯曲賞 サイト
プロフィール
山﨑健太
1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。他に「現代日本演劇のSF的諸相」(『S-Fマガジン』(早川書房)、2014年2月〜2017年2月)など。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。主な作品に『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)、『あなたのように騙されない』(2021)。
artscape: http://artscape.jp/report/review/author/10141637_1838.html
Twitter: @yamakenta
田中伸子
演劇ジャーナリスト、The Japan Times演劇担当。2001年より英字新聞 The Japan Timeの演劇担当として現代演劇、コンテンポラリーダンスに関する記事を執筆するほか、新聞、演劇専門誌などの日本語メディアにも記事を寄せている。
バイリンガル演劇サイト:jstages.com
https://www.japantimes.co.jp/culture/stage/
観劇ブログ:芝居漬け https://ameblo.jp/nobby-drama