現代につながる、線とリズム――「フェルディナント・ホドラー展」

国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー」展。ホドラーは、スイスフラン紙幣の図柄にもなったスイスの国民的画家だが、日本で知られているとは言えない。何しろ40年ぶりの展覧会なのだ。その“無名”のホドラー展の中吊り広告を見て、「絶対見にいかな!」とその足で上野の西洋美術館を訪れたのが、倉本美津留さんである。倉本さんは、数々のお笑い番組やEテレの子ども番組「シャキーン!」などを手がける放送作家だが、「アーホ!」(フジテレビ)という、芸術と笑いをつなぐ深夜番組を手がける筋金入りのアート・ラヴァーでもある。大のホドラーファンの倉本さんに聞き手を務めていただき、展覧会を企画した西洋美術館研究員の新藤淳さんに、ホドラーの画業とその魅力をうかがった。(企画・構成/長瀬千雅)

 

 

40年ぶりの展覧会

 

倉本 僕にとっては、ずっと長い間見たくて見られなかった画家ですから、それをどーん!とやる感じで、びっくりしたんです。

 

新藤 いらしてくださったんですよね。ありがとうございます。

 

倉本 ホドラー展を企画した人というので正直もっと年配の方かと思ってたんですけど、お若いのでそれもびっくりで。おいくつですか?

 

新藤 展覧会がオープンする少し前に、32歳になりました。スイス生まれの画家といえばクレーやジャコメッティはたくさんやられてきているんですけど、おっしゃるように、ホドラーの展覧会はなかったんですよ。じつは、うち(国立西洋美術館)でやるのは2回目なんです。

 

倉本 1回目はだいぶ前ですよね。

 

新藤 1975年です。昭和50年ですね。たとえば館長(美術史家の馬渕明子さん)はよく覚えているそうで、当時のことをいろいろ聞いたのですが、でもはっきりと記憶があるのは、専門家か、美術に相当興味のある人に限られるかもしれませんね。先日、一般の美術愛好家が集まるある会で、200人ぐらいの人に、75年のホドラー展をご記憶ですか、少なくとも展覧会があったことをご存知でしたかと聞いたら、一人もいらっしゃらなかったんですよ。ちょっとショックでしたが、やっぱりホドラーの知名度はあまりないということですよね。

 

倉本 僕がね、最初にホドラーのことを知ったのは、大友克洋がきっかけなんです。大学生ぐらいのときに、大友克洋が『童夢』っていうマンガを連載してたんですよ。それを読んで、なんというマンガ家が出てきたんだ、これはすごいと思って。大友克洋さんが出てくる前とあとでは、マンガの世界が全然変わってしまった。

 

内容もすごいけど、まず絵が大好きで。その前から、西洋の絵やイラストに興味があって、古本屋に行っては画集やイラスト集をよく見たりしてたんですよ。メビウスとかも見てた。そんなふうだったから、日本にこんな画風の人間が出てきたんかと思って、びっくりしたんですよ。

 

そのうちに、その大好きな大友さんの絵が、ホドラーの画風に近いんだってことを、雑誌か何かで見たんです。だいぶ前のことなんで細かいところは定かじゃないけど、大友克洋の絵の原点なんじゃないかというようなことが記事になってたような気がするんですけども。それで、大友さんの絵とホドラーの絵を比較して見たときに、「何これ!」というくらい、時代を超えてシンクロしてるって思ったんですよね。

 

そこからフェルディナント・ホドラーの名前がインプットされて、なんとか画集を探さなあかんと思ったけど、どこ探してもない。

 

新藤 そうでしょうね。

 

倉本 それからだいぶ経って、ネットでも本を買えるような時代になってから、やっと手に入れたのが、これなんです。

 

 

倉本さんが手に入れた、ヨーロッパで行われた展覧会のカタログ。文章はドイツ語で書かれている。

倉本さんが手に入れた、ヨーロッパで行われた展覧会のカタログ。文章はドイツ語で書かれている。

 

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新藤 これはすばらしいカタログですよ。1983年にチューリヒなどでメインに行われた大規模な回顧展のときのもの(新装版)です。これを企画したのがユラ・ブリューシュヴァイラーという人で、最近亡くなったんですけど、75年の当館での展覧会を実質的に監修した、ホドラー研究の第一人者です。

 

倉本 探して探して、とうとう見つけた!と思って、取り寄せたんです。最初に見たのは《選ばれし者》だったんですけど、あれが最高で。僕の解釈ではあれは完全に大友克洋の世界なんです。ただ、今回それが来てなかったんで、残念なんですけど。僕の見たい絵がなかった。

 

新藤 すみません。

 

倉本 ははははは。いえいえ。

 

新藤 じつは、75年のころとは状況が全然違っているんです。貸し出しの基準とか保険の問題とかいろいろあるんですけど、何よりホドラーは国際的に再評価の動きがあって、今売れっ子なんです。スイス国内でも貸し出しが多くて、バッティングしてしまうんです。

 

倉本 六本木の(国立新美術館の)「チューリヒ美術館展」にも出てますよね。

 

新藤 そうですね、あちらのホドラーもこちらの展示に入れられればよかった……とは言えませんけど(笑)。チケット割引とかで連動させてはいるんですけどね。

 

倉本 チューリヒ美術館展も見に行ったんですけど、「ここにも行ったら?」みたいな感じで、ホドラー展のことも書いてあったんで、一緒にしたらええのにと思ったりして(笑)。

 

でも、《オイリュトミー》なんかも見たかった絵だから、すごくうれしかった。

 

 

《オイリュトミー》は1895年に描かれた作品。ベルン美術館に所蔵されている。

《オイリュトミー》は1895年に描かれた作品。ベルン美術館に所蔵されている。

 

 

どんなものにも、輪郭を与えずにはいられない

 

新藤 《オイリュトミー》は、今回の展示の核となる作品の一つです。ホドラーの転換期の作品だと思っているので。

 

今回は7章に分けて構成していて、それぞれにテーマがあるので、すごく変化しているように見えるかもしれないんですけど、ホドラーがやっていることって、ある時期からは一貫しているんです。一つはやっぱり、リズム。類似する形態の反復ですね。そしてもう一つが、そのときに出てくる線の問題ですね。

 

風景画や女性像に出てくる明るい色とか、塗りのマットな感じとか、独特だとは思うんですけど、それ以上に、この人は、あるものに形を見いださずにはいられない人だと思うんですよ。何かに輪郭を与えざるを得ない。

 

倉本 そうやねん。輪郭やねんな。

 

新藤 雲のように不定型なものにすら、ある形を見いださずにはいられなかった。言ってみれば、「線の業」みたいなものがあると思うんですよね。もしかすると、倉本さんがマンガと近しいとおっしゃるのには、そういう側面があるのかもしれません。

 

倉本 どんどん簡潔な線で表現するようになっていくもんね。でもやっぱり、見たものを的確にとらえるっていうのはずっと一緒やなと思ったりとか。

 

新藤 印象派とは対照的な人だと思うんですよね。印象派って基本的に線を描かない。一方で、今回、ホドラーが同じ風景を描いた作品(「トゥーン湖とシュトックホルン山脈」)を5点並べているんですけど、色彩の表現は全部違うんですけど、山の輪郭はほぼ一緒です。もう、ほとんど笑えるぐらい、骨組みにこだわっている。

 

印象派も同じようなことをやっているわけです。モネなんかも、たとえばルーアン大聖堂の連作のように、同じ場所を何度も描いている。だけど、モネの場合は、移り変わる光の瞬間のありようを掴まえようとするから、瞬間瞬間に輪郭が持てない、崩れていく。光は基本的に輪郭がないものですから。

 

倉本 光を描きたいっていうのが印象派でしたもんね。

 

新藤 ホドラーは、もちろんそういうことがまったくないわけではないですけど、この人の場合、先に輪郭を引いちゃうんですよね。

 

倉本 うん! そうやと思う。

 

新藤 この雲の形なんかも、典型的だと思うんですよ。こんな形をした雲って、ファンタジーですよね。しかも湖面にまでくっきり写るように描いている。形があるのかないのかわからないようなものにも、輪郭を与えずにはいられない。

 

 

《シェーブルから見たレマン湖》1905年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館 ©Musée d’art et d’histoire, Ville de Genève ©Photo: Yves Siza

《シェーブルから見たレマン湖》1905年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館 ©Musée d’art et d’histoire, Ville de Genève ©Photo: Yves Siza

 

 

倉本 当時って、印象派華やかなりし頃じゃないですか。そこに交ざっていってない感じがあって、そういうところも「孤高の画家」という感じで、ええなあ!と思うんですよね。

 

新藤 ホドラーの全盛期は印象派の少しあとですけど、ただ、外国のグループに交ざろうとしてた部分もあったみたいですけどね(笑)。分離派(ウィーン分離派:1897年結成)とは非常に仲が良かったですね。クリムトとは互いに影響を与えあってますし。ウィーンで大きな展示もやっています。なのに、やっぱりそこからもちょっとずれていく感じが、この人だと思うんです。同時に、一人だけで当時のスイス美術のイメージを作ってしまったようなところがあって。すごく歴史の中に位置づけにくいんですよ。

 

誤解を招く言い方かもしれませんけど、ホドラーって、どこか、アマチュアっぽい感じがあると思うんです。

 

倉本 うん。なんかそれはわかる気がするわ。

 

新藤 少なくとも僕はそう思っていて、率直に言うと、たとえば同じスイス人画家なら、圧倒的にクレーのほうがいいと思います。

 

美術史的に見ると、歴史をどれだけ突破したかということが評価の上では重要になってくるわけですよね。クレーは音楽一家に生まれて、ミュンヘンに行って自己形成して、あらゆる前衛運動という前衛運動に関わりながら、第一次大戦にも参加したりしているわけです。時代の荒波に常に関与している。でも、関与しつつも常に独自の距離を保っている。

 

それに対してホドラーは、ベルンの貧しい家庭に生まれてからずっとスイスに暮らして、半年強のスペイン旅行がいちばん長い外国滞在だったぐらい。もちろん、若い頃にスイスのドイツ語圏からフランス語圏に移った(1871年にジュネーブへ移住)のはとても大きなことだったと思いますし、両方の文化が混じっているがゆえにスイスの人たちにとっては自国を代表する画家なんですが、国境を越えて自分の身を「外」に置くということをあまりしなかった人なんですよね。良くも悪くも、ちょっと内向きな画家だと思うんです。【次ページにつづく】

 

 

新藤淳さん

新藤淳さん

 

 

 

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