演劇の「感動」はどこからくるのか――『わが星』から『わが町』のむこうへ

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ちょうど1年前の今頃、三鷹市芸術文化センター星のホールと小豆島高校体育館特設ステージを約1カ月にわたり満員にし、約9000人を動員した劇団ままごとの『わが星』(作・演出:柴幸男)。2009年の初演時から評判を呼んだ本作品だが、再演のたびに観客を増やしている。全編ラップミュージックに彩られた『わが星』は、いわゆる愁嘆場などないのだが、すすり泣きどころか号泣する観客が続出。「芝居じゃ泣かない」というちょっとひねた人でもハートがきゅっとする感覚に襲われたはずだ。「いやあよかった、いい体験した」で十分ではあるのだが、もうちょっと踏み込んでみると、演劇のまた別の面白さが見えてくる。ソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』(『わが星』の下敷きになった)の翻訳・上演台本を手がけた水谷八也氏が、両者を比較しながら、「演劇にしかできないこと」を考察する。

 

 

「感動」はどこからくるのか

 

第54回岸田戯曲賞を受賞した柴幸男の『わが星』の初演は2009年。その後再演、再々演と続き、若手の劇団としてはかなりの数の観客を動員した。特に若い観客を引きつけ、演劇をより親しみやすいものとしたことは間違いない。

 

大絶賛が気持ち悪がられるほど舞台の評判は良く、観客の多くが「感動」を口にしている。感動とはもともと言葉で説明しがたいものではあるのだが、そうではあっても、「圧倒的」とか「言葉にできない」というような感想が目につき、感動という体験だけが残り、その正体はあいまいなままであるような気もする。

 

『わが星』のタイトルのもととなったのが、アメリカの劇作家、ソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』である。

 

2010年から11年にかけて、日本では規模の違いはあれど『わが町』が6本も上演された。さらに、柴と演出家の中野成樹が「ワイ! ワイ! ワイルダー!」という企画を立ち上げ、1年間、様々なワイルダーの戯曲を上演していた。

 

それまでワイルダーと言えば、養成所の発表会などで上演されることが圧倒的に多く、なんとなく「教科」の一環でやっている、あるいはやらされているという印象が強かったので、柴や中野のような若い演劇人が、これまでとは少し違ったスタンスで積極的にワイルダーに向き合っていることに驚くとともに、どこか納得できる部分もあった。

 

この納得できる部分は、それほど単純なものではなく、少し解析が必要になる。そしてその納得は、日本の演劇を超えた大きな演劇史の流れの中で『わが星』をとらえたところから得られるだろう。

 

 

『わが星』の一場面

『わが星』(2015年講演)の一場面 撮影:濱田英明

 

 

ソーントン・ワイルダーって?

 

ソーントン・ワイルダーは1897年、アメリカ、ウィスコンシン州で生まれ、父親が香港領事、上海領事であったため、幼少のころに中国大陸で暮らした経験もある。文学的には早熟で、子供のころから古典を読みあさり、小説や戯曲なども書いていた。イェール大学に進学し、在学中に登場人物3人、上演時間3分という枠組みの極端に短い実験的な戯曲を書いたりしている。

 

作家としては、小説『サン・ルイス・レイの橋』(1927年)でピューリッツァ賞を得ると、瞬く間に世界中で翻訳され、世界的な作家になる。そして彼に2度目のピューリッツァ賞をもたらしたのが戯曲『わが町』(1938年)であった。

 

『わが町』は20世紀初頭のアメリカの片田舎に暮らすジョージとエミリーの日常生活、結婚、死を描いたものだが、すべては何もない舞台の上で演じられ、さらに「舞台監督」という登場人物が物語全体を断片化していくという、当時としては斬新なものだった。

 

さらにワイルダーは、数億年の時間と日常、宇宙とアメリカの小さな町という極大と極小の単位を同時に舞台に持ち込む。1901年5月7日のから始まるジョージとエミリーの話を中心に置きながらも、特定の場所、時代の個人の物語を巧妙に普遍化しようとしている。

 

 

人気があるのに評価が低い? 『わが町』の不思議

 

アメリカにおいて『わが町』は、アマチュアの劇団を含めればアメリカの劇作家が書いた戯曲の中でもっとも上演回数の多い人気のある作品であることは確実であるし、日本でも1941年の初演の演出をした長岡輝子が1976年に翻案した『わが町 溝の口』を皮切りに、様々な形で『わが町』が上演されてきた。またアマチュアの上演であったとしても、観客はどこかで心動かされてしまうのである。

 

しかし一方で、戯曲の評価となると、必ずしもその人気と比例しているわけではない。たとえばワイルダー生誕100年の1997年に新たに編纂された彼の一幕劇集の序文に、劇作家ジョン・グアーレは「(ラシュモア山の4人の大統領の頭像のように)ブロードウェイにアメリカの偉大な劇作家の頭像を作るとすれば、オニール、ミラー、ウィリアムズと共にワイルダーも彫られることになるだろう。それは疑問の余地がない。しかし、《なぜ》と問われると確信のある答えができない」と書いている。

 

 

自身の戯曲『危機一髪』でアントロバス氏役を演じるワイルダー(1948年)。「Mr. Antrobus」はワイルダーの造語でギリシア語の「人類=アンソロポス」をもじったもの。日本初演の邦題は『ミスター人類』だった

自身の戯曲『危機一髪』でアントロバス氏役を演じるワイルダー(1948年)。「Mr. Antrobus」はワイルダーの造語でギリシア語の「人類=アンソロポス」をもじったもの。日本初演の邦題は『ミスター人類』だった

 

 

ワイルダーはそれまで何度も同じような書かれ方をしてきた。

「ワイルダーは現代アメリカの劇作家の巨人の中に確実に入るにもかかわらず、オニール、ミラー、ウィリアムズに比べて、彼に関する研究書は極めて少ない。だが彼ほどヨーロッパの劇作家に影響を与えているアメリカの作家もいないのだ」

とか、

「アメリカ演劇の頂点に輝く戯曲、『わが町』『ガラスの動物園』『セールスマンの死』『夜への長い旅』のなかで、『わが町』は世界的にもっとも広く親しまれ、同時にまたもっとも広く誤解されている作品である」

など。

 

『わが町』の評価には、どこかとまどいが生じている。だがその落差にこそ劇作家ソーントン・ワイルダーの特質を探る鍵があるような気がする。そしてまったく同じことが柴幸男の『わが星』にも言えるのだ。

 

 

『わが星』岸田戯曲賞の選評に見られる温度差

 

では『わが星』はどう評価されたのか。

 

岸田戯曲賞の選評を読むと、選考委員の『わが星』に対する態度にかなりの温度差があることがわかる。(http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12262.html)その差は主に「演劇という形式」への評価の比重により生じてきているように思える。

 

選考委員の中で演劇という形式にもっとも意識的であり、そのことを選評に鮮明に書き記しているのが宮沢章夫だ。「テン年代に向かって」と題されたその文章で、宮沢は候補者の神里雄大と柴の作品に触れながら、「〈役〉を演じる俳優が入れ替わること、一つの役がべつの〈役〉に入れ替わったり、複数の者がひとつの〈役らしきもの〉を演じることを躊躇しない。……ことさらそれを〈新しい〉として書いていないのが印象に残る。つまりそんな方法はさして大きな問題ではないのだ。演劇のあるルールは乗り越えられている。つまり〈アンチテアトル〉であることなどそこには存在しない。それは自明だからだ」と書いている。そして宮沢は「いま演劇は、これまでとはまた異なる方法によって演劇ならではの新しい地平のひとつを切り開いたと言っていいだろう」と『わが星』を評価する。

 

野田秀樹は「生き物としての寂しさ」という「ありふれていると言えばありふれたモチーフ」を「《ずらす》という手法で蘇らせている」として、その内容ではなく、その提示の仕方に評価の力点を置いている。そしてそれを数学になぞらえ、この「ずらす」手法が「数学の問題を美しく解いて見せた時の方法に似ている」とし、その答え(=ありふれたモチーフ)に驚きはなく、「解き方が美しい」のだと柴の手法を一つの才能として評価する。そして「私たちが見たいのは、答え(=オチ)ではなくて、解き方(=芝居)である」と結んでいる。

 

岩松了は「ひとつの家庭、一人の少女を宇宙の中に放り出し、無用な思い入れなく、人のあわれを描き出している。無常感すら感じさせるその筆致」に「容易にヒューマニズムなどという言葉に手を伸ばしてはならぬという警鐘」をも感じるとその内容を評価しつつ、「くり返しと少しずつずれてゆくシーンの連なりも効果的だ」として、「ちまちました家庭劇もどきが横行してきた演劇シーンに、ひとつの起爆装置を仕掛けた」と最終的には内容と形式の双方で積極的に推している。

 

永井愛はほかの候補作も含めて、「人物は総じて単純な印象で、戦略的に記号化したとは思えない」と物足りなさを指摘しながらも、『わが星』の「立体構造は捨てがたく、設計士としての柴さん」を買っている。坂手洋二は「失礼を承知で言えば」と前置きをしながら、「手垢にまみれたノスタルジア史観だとも思う」としながらも、最終的には「新しいことに挑んだ」「〈上演〉を意識した台本」であることが「吉」であったと結ぶ。鴻上尚史ははっきりと『わが星』の受賞に「乗り気のなさ」を表明し、「大きなものととてもちいさなものを同時に扱うと、そこに〈詩〉が生まれ」、感動も生まれるのだが、「『わが星』の感動は、『わが町』の感動ではないのか」と書いて、かなり冷ややかである。

 

選考委員の中でこのように見られる温度差は、演劇という形式への評価の差に起因している。

 

 

「わが星」(2015年公演)の一場面 撮影:濱田英明

「わが星」(2015年公演)の一場面 撮影:濱田英明

 

 

かつてスーザン・ソンタグは『反解釈』(1966年)で、「内容を極度に重くみる結果」生じるものが解釈であり、それは「作品を何か別にもので置きかえたいという願望である……詩や絵画や音楽にくらべて、アメリカの小説や戯曲には、形式における変化への重大な関心がうかがえないとすれば、まさにその程度に正比例して、これらの小説と戯曲は解釈によって犯されやすいと言える」と述べている。

 

『わが星』は、ほとんどの選考委員が触れているように、その「内容」は「へたをすれば陳腐」であり、ありふれたモチーフであり、「人物の会話は平板で物足りない」ということになるだろう。しかしこの芝居で見るべきは、野田の言い方に倣えば、「解き方(=芝居)」なのである。提示の仕方が「演劇」なのであり、その方法、形式がないかのごとくに内容を取り扱うのは、演劇、芝居の特質を取りこぼすことになりかねない。そして『わが星』に感動を覚えた観客のその感動にも、実はこの形式が働きかけているのではないかと思う。

 

そしてこのことはワイルダーの戯曲にもまったく同じようにあてはまる。【次ページにつづく】

 

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