最新の演劇シーンに密着――第62回岸田國士戯曲賞予想対談

サリngROCK『少年はニワトリと夢を見る』

 

あらすじ:

幼なじみの村上くんとユキオは、二人で小説家を目指すと誓い合った仲。どこか暗くて狭い場所に閉じこもって小説を書き続ける村上くんを、数年おきに訪ねてくるユキオ。村上くんの話し相手は壁のしみ、そして謎の死神だ。年齢を重ねて、変わらず一心不乱に小説を書き続ける村上くんと、人生のステップを踏んで着実に変わっていくユキオとの対比が印象的な一作。村上くんがいる場所とは果たしてどこなのか? 二人の夢はどのような結末を迎えるのか?(落)

 

■上演記録

突劇金魚『少年はニワトリと夢を見る』

作・演出:サリngROCK

出演:山田まさゆき(突劇金魚)<ダブルキャスト>大塚宣幸(大阪バンガー帝国)、竹内宏樹(空間 悠々劇的)

2017年10月 東大阪・突劇金魚アトリエ

 

 

 これも小説家の人生が題材になっています。小説家というよりは、小説を書きたい2人の少年が辿る、人生の話。

 

山﨑 村上くんが置かれている状況が明らかになっていく線と、村上くんとユキオとの関係が明らかになっていく線の二つが並行して進んでいく点が巧いと思いました。村上くんは刑務所にいること、いつ執行されるかわからない刑を待っていることなどが作品が進むにつれて少しずつ明らかになっていく。と言っても、村上くんが殺人を犯してしまったらしいことは最初にはっきりと示されているので、刑務所にいるであろうことはほとんど最初からわかってしまうのですが。この点ははっきりとこの作品の失敗だと思います。ベタと言えばベタですが、そっちの線は囮のようなもので、平行してユキオに対する複雑な感情が見えてくるところが巧い。

 

同じ言葉を繰り返し使うことで、そのニュアンスが違って聞こえるように作っているところも巧いです。「それ(タバコ)、アカンで多分。」というセリフは、単純に健康に悪いとか、小説を書くのによくないというニュアンスで言っているんだと最初は思ったけど、刑務所の面会だからここで吸うことはできないという意味なんだよね。「生涯かけた作品」「自分で選んでんねんもん」というようななにげない言葉にも「自分が殺したんだ」というニュアンスが入っていることが、はっきりしてくる。

 

 2人の幼なじみの友情の話はよく描写されていると思います。村上くんにバカにされているように見えていたユキオが後年に小説を書いて賞を取ったという、関係性のひっくり返り方の面白みはうまいと思いました。ただ、村上くんの「小説家になりたい男」としてのキャラの造形がステレオタイプで深みに欠けると思った。体験したことしか書けない、まっとうに生きていく勇気を持てない、よりいっそう過激な体験を求めてしまう人間の話を読むのはつらかったですね。村上くんが人を刺す流れの描写もちょっとチープだと思ったかなあ。

 

山﨑 でもあの事件は陳腐でなければこの作品は成り立たないよね。特別なものになってしまったら、村上くんの小説は完成してしまう。

 

 エピソードの特別性というよりは、台詞の単語が安っぽく思えてしまったんです。もちろん、村上くんには最終的には小説の才能はないわけなので、安っぽい意味は成立していますが。

 

山﨑 ユキオの方はどうでしょう。死刑囚である村上くんに対して「命の危険に直面したときにしか命は輝かないんだって」と平気で言ってしまうところや、小説に全てを賭けている(と思いたい)村上くんに対して、本を出すことになったと屈託なく言ってしまうところなど、無邪気な残酷さを持つ人間として書かれているところはいいなと思いました。

 

 そう。後半になるにつれてユキオのキャラクターは魅力的になりますね!ブラックバイトにハマるどんくさい若者だったのに、起業して成功して、その会社をやめて友人のバーを手伝う生活に落ち着いて、40歳で作家デビューする。一件冴えないようでいて、きちんと表舞台を歩く人の持つ明るい残酷さが魅力的です。

 

山﨑 でも、その意味では俺はユキオのほうがベタだと思った。村上くんの変化のなさに対置する以上、ユキオは波瀾万丈な人生を送って変化するキャラクターにするしかないから、仕方がないと言えばそうだけど。

作品としては、誕生日のロウソクが寿命をカウントダウンする死神のそれへと反転して、「願い事を天に届かす」というケーキの上のロウソクから出る煙が、死刑を執行された村上くんの死、火葬の煙のイメージと重なるところに、悲しい希望のようなものが見えるラストにグッときました。「ニワトリ頭」や「文豪」のイメージも面白かったです。

 

 

DSCF2471

 

 

西尾佳織『ヨブ呼んでるよ』(『紙背』創刊号[二〇一七年五月]初出)

 

あらすじ:

引きこもりの希帆は、幼少の頃からたびたび夢に現れる謎の人物・たかをちゃんと会話をしている。彼女は働くことも育児も放棄して、ひたすら無気力に生きている。希帆の兄・金田や大家の美和子らはそんな希帆を叱咤激励するが、希帆はかたくなにそれを拒否する。そんなある日、うさんくさい台詞回しが印象的な金田の後輩・弥太郎は金田とたかをちゃんを連れてある場所へ向かう……。語る言葉を持ち、みずからの不幸に対して嘆きつくした旧約聖書の「ヨブ」と対比して、現代における「語る言葉を持たない者」の存在に焦点を当て、思索を深めた戯曲。(落)

 

■上演記録

鳥公園『ヨブ呼んでるよ』

作・演出:西尾佳織

出演:武井翔子(鳥公園)、浅井浩介、黒岩三佳(キリンバズウカ)、鳥島明(はえぎわ)、山科圭太

2017年3月 東京・こまばアゴラ劇場

 

 

 山﨑さん主宰の批評誌『紙背』にも劇評を書きましたので、今回はそこでは触れなかった点を述べたいと思います。これは、タイトルからもわかるように、旧約聖書の中の『ヨブ記』が下敷きになっています。ヨブは信仰心の篤い人ですが、神はさまざまな試練を与えてヨブの信仰を試します。西尾さんは、ヨブ記に題材を取ることで、人間がなぜ苦難に遭うのかという難しいテーマにチャレンジしたのだと理解しました。もっと踏み込める可能性があるので、受賞はしないだろうと感じましたが、大変考えさせられる作品でした。登場人物全員の境目が曖昧になり、誰と誰が重なり合うのかはぐらかされながら進む構成も魅力的でした。

 

山﨑 俺もこの作品が西尾さんのベストだとは思わないので本命にはあげませんでした。

 

 聖書と並んで参照されているのがハーマン・メルヴィルの短編小説『代書人バートルビー』と、それについてのジョルジョ・アガンベンの論文ですね。希帆が、兄の金田や大家の美和子ら、生活の立て直しを要求してくる人たちの言葉をかたくなに拒否する希帆の言葉は「せずにすめばありがたいのですが(I would prefer not to.)」というバートルビーの有名なセリフを引用しています。

 

山﨑 でも、この作品でそれを言うのは希帆ですよね。家賃の取り立てにきた大家に対して「そうしない方がいいのですが」と。

 

落 はい、災難にあっているのは希帆だから。子持ちで風俗嬢で引きこもりで太ってて汚い部屋で酒ばっかり飲んでという状況に対して「本気出せ」「何とかしろ」と周囲に怒られるけど、そうしないほうがいいと言って生きている。彼女は、労働を放棄するバートルビーと同じ姿勢を示します。

 

山﨑 じゃあ、希帆には本当は能力があるはずだということ?

 

 そうです。

 

山﨑 でも戯曲を読むとこういう挿入シーンがある。「劇を上演する者は、このシーンのための言葉(語る言葉を持たない者の言葉)を探すこと」。ここでいう「語る言葉を持たない者」というのは直接的には希帆を指しています。因果関係を指摘することは役には立たないということも言われている。だったら、自己責任論のように読み解くのはおかしいと俺は思います。

 

 希帆の状況は本人のせいだけではないと私も思っている。自己責任論ではなく、「することができる状態」と同時に「しないことができる状態」に有り続け、移行せずに留まり続けているのが希帆です。

 

山﨑 メルヴィルのバートルビーはやればできるけど、希帆はたぶんできないのでは?

 

 そこは疑問が残る。まったくできないとは思わない。育児も部屋を片付けることも、意図的に放棄していると思う。「労働する力」があると同時に「労働しない力」を体現している。

 

山﨑 でもそうさせているのは周りですよね。俺は「そうしない方がいいんですけど」という言葉は、そうさせられ続けてきたことに対する抵抗だと思う。自己責任と読むのであればこの作品はまったく評価できないです。

 

落 それに対して、希帆は消極的に抵抗する生き方を選択しているんだよね。

 

山﨑 あくまで選択させられている、と俺は言いたいです。

 

戯曲は虐待とか貧困の連鎖のような具体的な社会問題に関するものとしても読めるけど、「他者の言葉」や「語る言葉を持たない者」という方向にテーマを広げることも可能できます。

 

 本作は戯曲としても魅力があるし、問題意識も切実で興味深いです。希帆が、周囲から責め立てられる様子は、良い行いだけをしていたのに3人の友人たちから「お前は神に背いた報いで罰を受けている」と責められたヨブと同じ構図を感じました。しかし、積極的に神を信仰し続け、最終的に神からの言葉によって正しさを認められたヨブに対して、本作にはそうした大団円のような救いはありません。西尾さんが問いたかった「苦難を受けた時に人はどのような行動を取るのか」ということに答えを与えないという点では、『ヨブ記』の真逆を行くものです。そういう意味では、ひとつの教典である聖書をもとに、思考を深めた作品ではあると思います。

 

 

DSCF2498

 

DSCF2500

 

 

神里雄大『バルパライソの長い坂をくだる話』(上演台本)

 

あらすじ:

父の遺骨を撒くために、母を連れて遠い場所へやってきた男1が語り始める。そのモノローグは彼の現在地から、かつて暮らした南米の土地、そこで出会ったヨーロッパ人、あるパラグアイ移民の個人史の回想などへ、なだらかに推移する。男1の母は、車から出てこず閉じこもっている。そこへ散骨の手伝いをすることになっている男2たちが現れ、語られる世界はさらにひろがりを見せる。「父の散骨」というモチーフと、雄弁な男たち、沈黙したまま動かない母の姿から、人類が地球を移動し旅をしてきた意味や、ひとつの場所でささやかに暮らし続ける意義を描写する。(落)

 

■上演記録

岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』

作・演出:神里雄大

出演:マルティン・チラ、マルティン・ピロヤンスキー、マリーナ・サルミエント、エドゥアルド・フクシマ

ドラマトゥルク:野村政之

翻訳:ゴンザロ・ロブレド

2017年10月 京都・京都芸術センター 講堂

 

 2016年10月から、神里さんは文化庁新進芸術家海外研修制度により、アルゼンチン・ブエノスアイレスに滞在されていました。そこでの創作の集大成とも言える戯曲がこの『バルパライソの長い坂をくだる話』です。

 

山﨑 神里さんも西尾さんとは別の形で「他者の言葉」に関心のある作家です。神里さんは今回のノミネートを受ける形で、「戯曲について考えること」という文章を発表しました。

 

そこで「演劇のいくつかあるだろう機能のうち、「誰かの言葉(あるいは出来事)を、べつの誰かが、誰かに伝える」という機能に、ぼくは重大な関心を持っている」と言っている。『バルパライソの坂をくだる話』は、多くの部分が他の人から聞いた話によって構成されています。

 

面白いのは、タイトルは「坂をくだる話」なのに、作中には坂をのぼる話ばかり出てくることです。では「くだる話」はどこからきているかと言えば、世代がくだっていくイメージなのではないでしょうか。坂をのぼった見晴らしのよい場所から景色を一望する、神の視点から歴史を俯瞰するのではなく、両親祖父母と連なる個々人がそれぞれに歴史を語り継いでいくことを描いた作品と読みました。

 

 この作品は、神里さんの持ち味である語彙の豊かさと、ある種のぞんざいさを損なわずに、うまくまとめられている。たとえば前回ノミネートされた『+51 アビアシオン, サンボルハ』では主人公の役名が「私」でしたが、今回は「男1」という客観的な登場人物が、父親の死という私的なエピソードを語っている。これにより、本作はたんなる私戯曲ではなく、客観性が担保されたものになっていると感じます。

 

また、一昨年候補になった時は選評でエピソードや言葉の取捨選択の甘さが指摘されていたけれど、この作品はその選択がきちんとなされていると思う。2年前に比べてさらに地球上の多くの場所を巡り、さまざまな土地にゆかりのある人と出会ったことによって、当時の野田秀樹さんの選評の言葉を借りるなら「書き捨てる」ことができるくらい、「他者の言葉」のモチーフがたまったと思うんです。

 

日本に暮らす私たちが知り得ないものを、神里さんは広く見聞きして、伝聞の形でモノローグを形成している。台詞はモノローグでありながら、観客に語りかけ、内なるダイアローグになりうる射程の広さを持っている。さまざまな大陸に住む人、文化が混じり合い醸成されていく中での人々の生活の中の言葉を挿入することで、七つの海と五つの大陸をつなごうとしていると思いました。

 

山﨑 俺はそこは逆だと思いました。そういう総合みたいなことはできないということを言っていると思う。さっき「くだる」に引っかけて個人が継ぐ歴史ということを言いましたが、歴史というのは本来、自分が聞き、語れる範囲でしか伝えることはできないという立場に立っているように感じました。

 

 それらの伝聞を戯曲というかたちで、五大陸を雑多なイメージのまま描くということを彼はやったのでは。それは、セクション2「五つの世界」というタイトルに明示的です。

 

ちなみにセクション1「青の世界」、セクション3「白の世界」というのは、アルゼンチンの国旗の色を示していると思われ、彼がアルゼンチン・ブエノスアイレスに軸足を置きながらこの戯曲を執筆した証になっていると思います。あちこちに話が飛躍しているようで、作家自身の軸足はブレておらず、それゆえに戯曲としての強靭さが感じられました。

 

 

DSCF2509

 

 

山﨑 そうすると葬送がモチーフになっていることはどう考える?  肉親の死が中心的なモチーフに置かれているのも、あくまで個人が継ぐ歴史、あるいは物語が作品の主眼だからだと思います。死者の肉体が生者を束縛することはできないしするべきではないけれども、生者が死者を思い出して語ることでそこに存在させることはできる。

 

平田オリザは『現代口語演劇のために』で、人はその場にいない人の話をするものだと言っていますが、それが違うかたちでリアライズされていると思いました。大きな話にするとすれば、ひとりの個人から遡っていくことでその背後にある人類史みたいなものがずるずると引きずり出される可能性みたいなものは感じました。

 

 そうですね。そのために神里さんの個人史だけでなく、パラグアイに移民してきたセニョール・ソノダのドイツ移民の話や、沖縄で遺骨の発掘をする男の話など、多様な個人史を連ねているのだと思います。それらを語る時の、人称の推移も巧みです。

 

山﨑 バルパライソとは天国、楽園ですよね。「楽園とは、きみ、なんだかわかるかね。要するに身売りをするっていうことだよ。自分の根拠を、ほかの人に移してしまう。(中略)死んだも同然だ。しかし、死のようなものこそすべて。ただ、楽園にいればいい。」と言う一方で、タイトルでは「バルパライソからくだる」、つまり「楽園から降りる」と言っているわけです。

 

登場人物の言葉をそのまま作者の言葉として読むことはできませんが、ここでは自分の根拠を他人に預けないことが必要だと言っているようにも読める。

 

 確かにそのとおりです。散骨というモチーフは、死後に自分の遺骨を他人に預けるということで、男1と女はその遺骨を結果的に持て余してしまっている。男2はそのことに不満を示す。死んだ父親から預けられた「遺骨」を軸に、もはや自身では語ることのできない死者の「根拠」をどう扱うかを描いていますね。

 

最終的に、男1は死んだ父の存在した「根拠」……つまり「遺骨」を撒きに行くという行為を、母とともに積極的に引き受けることにします。そこで、「楽園からくだる」、死にどのように向き合うか、私的な物語が完成したと私は読みました。神里さんの、これだけの知見が詰め込まれた作品が受賞して、本として出版されてほしいと私は思います。

 

山﨑 実は俺はこの作品では受賞してほしくない。野田秀樹は書き捨てろというけど、俺はむしろ作品の荒唐無稽な部分、奔放な言葉に神里さんの面白みを感じます。エネルギーと言ってもいい。もちろん、作家は様々なタイプの作品を書くものですが、好みとしては『イスラ!』や『アビアシオン』、『ブラックコーヒー』のほうが面白かった。大人しさが気に食わないと言ってもいいです。

 

 これは「戯曲賞」の予想なので、これまであえて上演については言及しない方針を取ってきましたが、本作についてはお伝えしておきたいことがあります。私はこれを京都で拝見しましたが、上演はスペイン語でおこなわれ、日本語の戯曲はスクリーンに投影される形だった。それは演出家として彼の取ったひとつの上演形態で、今後この膨大なモノローグで形成される戯曲が他の演出家によって上演されるのを観てみたいという素直な気持ちがあります。

 

ちなみにKYOTO EXPERIMENTには、子ども審査員という制度があり、子どもたちが複数演目を観て各作家に何かしらのオリジナルの賞を授与するのですが、今作は非常にユーモア溢れる場面があり、神里さんは子どもたちから「おもしろすぎてみんなで真似してしまったで賞」を授与されていました(笑)。そうした意味では、神里さんの荒唐無稽さは本作でも健在で、演出次第で如何ようにも面白くできる余地もあると私は思い、本命に推しました。

 

 

山本卓卓『その夜と友達』(上演台本)

 

あらすじ::

物語は田町の回想から始まる。夜という名の友人のこと、かつての恋人あんのこと。大学時代に出会い、かけがえのない時間を過ごした親友だったはずの田町と夜が、絶縁状態になるまでの事情が語られる。田町に、夜とあんの存在を思い出させたある「出来事」とは……。彼らが出会った2017年と、現在の田町が生きる2032年をシームレスに往来しながら、夜の不器用な愛と、それを理解しきれない田町の鈍感な感受性が浮き彫りになる。物語の鍵を握るあんの存在も見逃せない。時間と空間を戯曲上で操作しながら、われわれに訪れうる未来の「可能性」を探っている作品。(落)

 

■上演記録

範宙遊泳『その夜と友達』

作・演出:山本卓卓

出演:大橋一輝(範宙遊泳)、武谷公雄、名児耶ゆり

2017年8月 横浜・STスポット

 

山﨑 今回の候補作の中では山本さんの作品が圧倒的だと思いました。話の流れはシンプルです。かつて友人がゲイだと気付かず、カミングアウトされたときに傷付けてしまった。その後、疎遠になっていたその友人がある事件を起こします。それをきっかけに連絡をとって再会し、友情が復活する。ただのいい話として読むこともできるかもしれない。しかしこの作品は、傷付ける、傷付けられるという関係がギリギリのラインで書かれています。

 

過去のあやまちについては反省して修復することはできるけれど、未来にあやまちを犯す可能性をなくすことはできない。人を傷付けてしまう側からすると、自分があやまちを犯す可能性を認めつつ、それをよしとしないという引き裂かれた態度が要求される。

 

 性的マイノリティに限らず、人に対する鈍感さというテーマは一歩間違えれば目もあてられない無神経な戯曲になってしまう。そうではなくてすぐれた戯曲になっていると山﨑くんが評価するのはどういうところですか。

 

山﨑 鈍感だったことを反省して鈍感じゃなくなるというのはよくある話だと思うんですが、この作品は鈍感であることを引き受けるしかないということが描かれている。

 

自分が鈍感だということを受け入れるのはしんどいことです。排除の構造を浮き彫りにしたり、排除は良くないということを書く作家はそれなりにいるけれど、望まなくても無意識にそれをしてしまう、してしまっているかもしれないこと、そのときはその罪を受け入れるしかないということを書いている作家は俺の知る限り山本さんしかいません。

 

物語としては、友人を傷付けてしまった田町は最後まで自分の鈍感さに気づいていないところがあります。それでも、たとえ鈍感であっても田町は夜に寄り添おうとはしている。

 

 

DSCF2406

 

 

 私は、田町は鈍感だったけれども、夜の特別な友達ではあり続けたと思うんです。夜の側に立ってみると、田町の鈍感さに憧れる部分もあったかもしれない。

 

山本さんの作劇の特徴のひとつに、複数の時間軸を重ねることがありますが、その時間の単位が山本さんは独特なんです。劇作家が未来のことを考えようとすると人類が滅びた後とか、宇宙空間などに飛躍することが多いのですが、山本さんの未来は15年とか20年先の未来。ひとりの青年が中年になるぐらいのスパンなんです。つまり、ひとりの人間が一生の中でどう変わるのか、変わらないのか。どういう関係があり得たのか、あり得なかったのか。その可能性を描いている。

 

田町が夜と再会できたかどうか、戯曲はどちらとも受け取れるように書かれています。ただ、田町の「可能性って言葉はポジティブな意味で使われるべき」「あらゆる可能性がここにある」という言葉が伏線になって、作家はポジティブなエンディングに転がしたんだと私は読みました。

 

山﨑 山本さんは、時間には過去・現在・未来のすべてが同時に内包されているということを繰り返し描いてきました。「あらゆる可能性がここにある」というのはおそらくそういうことです。可能性に開かれた未来ともはや変えられない過去が今ここの現在には含みこまれている。今作では、SF的な設定をほとんど使わずにそのような時間のややこしさを描き切った点も評価したい。

 

 私もそれには同感です。時間性の不連続を戯曲で描きながら、劇場という空間で俳優と観客がほんの1時間半程度の時間を共有するという演劇ならではの構造を、最大限に生かした作品だと感じます。神里雄大さんの戯曲とは質感が異なるので、比較はしづらいですが、名作であることに疑いの余地はありません。

 

 

まとめ

 

 全作品について語りました。予想は変わりましたか?

 

山﨑 俺は変わらないです。

 

 私も、やはり神里さんが本命で変わりません。

 

山﨑 今年の候補作は比較的自分の守備範囲の作品が多かった印象です。新劇系やストレートプレイが1本もなかった。ただ、対談ということで言うと、知っている作品が多いと面白くないということがわかりました(笑)。普段見ないような作品があったほうが面白い。何が評価されているか考えるのが面白いので。

 

 他に入れるべき作品があったんじゃないかというのは、毎年思うことですね。

 

山﨑 ジエン社の『夜組』(作:山本健介)や、Qの派生ユニットであるこqの『地底妖精』(作:市原佐都子)。この二つはあげておきたいと思います。

 

 複数回ノミネートされている作家が多いのも今回の特徴かもしれません。その過去の作品をすべて見ているわけではないですが、作家たちの筆力が年々上がっているのは間違いないと思います。

 

 

▽白水社・岸田戯曲賞 サイト

http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12020.html

 

▽関連サイト

FUKAIPRODUCE羽衣 https://www.fukaiproduce-hagoromo.net/

岡崎藝術座 http://okazaki-art-theatre.com/

突劇金魚 http://kinnngyo.com/

鳥公園 https://www.bird-park.com/

ベッド&メイキングス http://www.bedandmakings.com/

無隣館 https://www.murinkan.com/

贅沢貧乏 http://zeitakubinbou.com/

範宙遊泳 http://www.hanchuyuei.com/

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.260 

・吉永明弘「都市に「原生自然」を残す――人新世の時代の環境倫理学」
・藤重博美「学び直しの5冊――「相対的な安全保障観」を鍛えるための読書術」
・赤木智弘「今月のポジだし――AIが支配する社会を待ち続けて」
・竹端寛「「実践の楽観主義」をもって、社会に風穴を開けていく」
・伊吹友秀「エンハンスメントの倫理」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(4)――東京財団退職後」
・加藤壮一郎「デンマーク社会住宅地区再開発におけるジェーン・ジェイコブス思想の展開」